異常歩行は誰の問題?その1

目安時間:約 4分

異常歩行は誰の問題? その1

 異常歩行は、正常な歩行の形やパターンから逸脱した歩行のことらしい。歩容(歩行の形)が左右非対象であるとか、歩隔(足と足の間)が広いとか、ふらついているとか、足の振り出し方が違うなどがその例となる。
 では正常な歩行の形やパターンとはなんだろうか?どうも教科書を見ると、健康な若者が颯爽と歩いている時の歩行の形が正常歩行として挙げられているようだ。どうも僕のように猫背でポケットに手を突っ込んでダラダラとすり足で歩いていると「正常歩行」と認められないらしい(^^;)だから僕も異常歩行をしている?
 もちろん身体の異常や問題は歩行の形にも表れるので、歩行の形ややり方を標準的な歩行の形と比べること自体は有意義であることに間違いない。
 だがそもそも見た目の形ややり方が正常歩行から逸脱しているだけで、「異常」だと言ってしまうのは問題である。というのも「異常」という日本語としても非常に強い否定的、悪い意味の「ラベル」を貼ることになるから。
 考えてみてほしい。片麻痺の患者さんは障害直後から半身に弛緩麻痺があり、思うように動けない。それでも試行錯誤して自分なりに歩くためのやり方を身につけられたわけだ。汗と努力の結晶と言っても良いものだ。
 だがセラピストから「それは異常な歩行ですね。治しましょう」などと言われたらどんな気持ちになるだろうか?かなりやるせないと思う。そんな場面を何度か見てきた。もちろん「異常」という強い言葉を簡単に口にするセラピストはそんなにはいないだろうとは思っている。
 ただセラピストにとっても「異常」という言葉の影響は大きい。なんだか無条件に「修正、あるいは矯正しないといけない」と思ってしまうのではないか。
 実は僕自身がそうだった。このことはいろんなところで書いてきたが、初めての実習に出たときの今から40年以上も前の話である。
 ある片麻痺のおじいちゃんを担当することになった。初めての実習生にとっては何もかもが不安である。何をするべきかも分からない。霧の中を手探りで進むようなものだ。
 でもそのおじいちゃんは典型的なぶん回し歩行をされていたので、僕はすぐそれに跳び付いてしまった。心の中で「異常なパターンだからそれを治すべきだ」とやるべきことが見つかって安心したものだ。
 それで早速、「脚はできるだけまっすぐに出してみましょう」と偉そうに指示をする。「よしっ!」とおじいちゃんはまっすぐに出そうとするがその努力は1回で終わって、元のぶん回しに戻ってしまう。結局、これを何度も繰り返してしまうことになる。
 普段はとても優しくて気の良いおじいちゃんだった。僕はそこに甘えていたのだろう。
 そしてある日、ついに突然おじいちゃんが立ち止まり、僕に向かって怒鳴ったものだ。「よーし、分かった!お前の言う通りにしちゃろう!じゃが、その前にわしの脚を治せ!やれと言われてもできんのんじゃ!治ったらいくらでもお前の言う通りにしちゃるわい!」と大きな声で怒鳴られた・・・
 全く言われる通りで、ぐうの音も出なかった。それにそもそも指示しただけでできるものなら誰も苦労はしないわけだ。(これがきっかけで僕はその当時、「麻痺を治す」ことを主張するアプローチにしばらくの間向かうことになるのだが、まあ、それは別の話)
 ともかくそのおじいちゃんに怒られたおかげで、僕はその後ずっとこの件について考えることになったのです。(その2に続く)

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患者さんの振る舞いを観察すること その3(最終回)

目安時間:約 4分

 CAMRでは、健常者や障害者の運動の振る舞いを観察することで、人の運動システムの作動の特徴を明らかにすることを目指してきました。
 前回説明したように「状況性」という作動の特徴は、豊富な運動リソースと多彩で柔軟な運動スキルを生み出す構造によって支えられています。障害を持つということは身体リソースを失ったり貧弱になったりすることです。そうすると利用可能な環境リソースも貧弱になり、それらを利用する運動スキルも貧弱になります。そうすると「必要な様々な生活課題を達成できなくなる」ことが障害を持つと言うことです。
 だからリハビリでは、身体リソースをできるだけ豊富にすること、環境リソースを工夫しできるだけ増やすこと、そしてそれらの運動リソースを用いて必要な生活課題達成するための運動スキル学習がリハビリで行う基本的な方針だと説明しました。そしてこれはどんな障害でも関係なく、同じ方針でアプローチします。
 どんな障害であれ、運動リソースが貧弱になり、運動スキルも貧弱になって生活課題達成力が低下あるいは失われるからです。
 もちろん障害毎に運動リソースの増やし方や運動スキル学習の進め方に違いは出てきます。特に脳性運動障害では、弛緩性の麻痺の程度や範囲が広いため、患者さん自身の自律的な問題解決の作動が多く見られます。
 従来の学校教育では、人の運動システムを構造と各器官の働きから理解するという、機械と同じ視点で理解します。機械はもちろん故障が起きても、自分でなんとかしようとはしません。そのため人の運動システムで障害が起きた時に、システム自身の作動で問題解決を図っているなどということは想像もできないのでしょう。だから障害後の現象を全て「症状」として捉えてしまう傾向があるのだと思います。
 でも生物では、問題が起きるとそれを何とか解決して必要な課題を達成する、そして生存のための問題解決をできる範囲で図ることは当たり前のことです。生物ができることをしないでただ死を待つなんて考えられません。この生物としての活き活きとした運動システムの作動を理解していないのが現状の学校教育の問題点です。
 たとえば頸椎の伸展に関する筋肉は23対あります。頸を伸展するのにどうしてそれだけの筋肉が必要なのかは構造と各器官の働きからでは理解できないのです。たとえば肘の運動を屈曲・伸展だけで理解するならロボットの様に屈筋・伸筋が一つずつだけあれば良いのです。側屈や回旋が同時に起こるなら、それぞれに一対あれば良さそうなものです。でも実際に頸部の運動は、無限の状況変化の中で、体幹と頸部の無限の動きに応じて適切に頸部の位置を保持するために必要なのだと考えると、決してそれは多すぎるとは言えないわけです。
 また平面関節の動きは無限に生じうるのです。自由度2の関節、平面上で一点をとる可能性は無限にあるからです。人の関節はほとんど自由度2か3の関節です。つまりこれだけでも無限の動きを生み出すわけです。機械のようにほとんどが自由度1の動き(直線上を往復するあるいは軸の回りを回転する等)だけで構成されているわけではありません。
 まあ僕の言いたいことは、構造と各器官の機能というロボットを見るような視点だけで人の運動システムを理解しても、人を機械として理解しているだけです。活き活きと活動する生物としての運動システムの視点が欠けています。その点、作動の特徴から理解すると生物としての運動システムがより活き活きと理解できるようになります。
 ごめんなさい、まだ十分に表現できていないですね(^^;)もう少し寝かせてからもう一度書き直してみます。(おしまい)

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患者さんの振る舞いを観察すること その2

目安時間:約 4分

患者さんの振る舞いを観察すること その2 

 前回は、患者さんの起立時の振る舞いから「人の運動システムは、必要な運動課題を達成するために、身体の内外に利用可能なもの(「運動のための資源」=「運動リソース」)を探索する」と運動システムの作動の一部を言語化しました。
 ここで運動リソースという言葉を使ったのは、患者さんは課題達成のために何かを探しては、それを試すような振る舞いをしているように見えたからです。何を探しているのか、ここでは文脈から「運動の資源=運動リソース」と仮定したわけです。
 そうすると運動リソースはあくまでも運動の資源です。筋力や柔軟性が運動リソースになりますが、筋力は結局単なる「力」に過ぎません。どのように利用するかという「課題達成のやり方」である「運動スキル」というアイデアも必要になります。
 そして患者さんが課題達成のために運動リソースを利用した運動スキルを試行錯誤しているのだろうと考えるわけです。
 これはCAMRのオリジナルの考え方ではなく、生態心理学でもリードがリソースとスキルというアイデアを使って人の運動や行動を説明しているのでこれをなぞっています。非常に分かりやすい。構造や各器官の機能の視点とは別の視点から運動システムを説明するための便利なアイデアです。
 この運動リソースと運動スキルのアイデアは、人の運動システムの作動の特徴を説明するのに特に便利です。  
 たとえば人の歩行は、状況に応じて形や歩き方を変化させます。平地では普通に歩いていても、狭い通路は横向きに歩きます。水溜まりではつま先立ちになり、水の浅いところを探しながらひょいひょいと歩きます。寒い冬の朝、凍った路上では背中を丸めてヨチヨチと歩きます。急な坂道を登るときは両手も登る助けに使いますし、漆黒の暗闇では両手を前に伸ばし、片脚を出しては路面を探りながら歩いたりします・・・・
 結局世の中の環境や状況は無限に変化しますし、それに適応して人の運動も無限に変化します。どうして人の運動は無限の状況変化に応じて、適応的に変化することができるのかと問われると、人の運動システムは無限の運動変化を生み出す仕組みを持っているからです。そしてその仕組みとは、人の運動システムは利用可能な運動リソースを豊富に持ち、それらを利用して無限に変化する運動スキルを生み出すことができるからです。
 ではこの視点から、障害を持つということを以下に説明してみましょう。
 運動リソースは身体リソース(身体や身体の持つ性質である筋力や柔軟性など)と環境リソース(環境内の大地や工作物、動物、他人や環境内の持つ性質重力、明るさなど)に分類されます。そして「障害を持つとは、まず身体リソースが失われるあるいは貧弱になることです。そうすると、利用可能な環境リソースが失われる、あるいは貧弱になります。そうするとそれらを利用する運動スキルが消失あるいは貧弱になり、必要な運動課題を達成できなくなること」と説明できます。
 そうすると障害にどうアプローチするかというと、「まずは改善可能な身体リソースをできるだけ改善し、利用可能な環境リソースをできるだけ工夫・改善すること。そしてそれらを利用して必要な運動課題を達成するための運動スキルを生み出し、修正する能力を改善する活動-運動スキル学習を行うこと」という方針が生まれます。
 伝統的にリハビリでは障害毎にアプローチを変えるのが当たり前でしたが、CAMRではどんな障害であれ、「改善できる身体リソースを改善し、利用可能な環境リソースを増やして、それらを利用して運動スキル学習を進めて運動課題達成力を改善すること」がリハビリの仕事ということになります。(その3に続く)

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患者さんの振る舞いを観察すること(その1)

目安時間:約 4分

 脳卒中後初めて車椅子に乗られてリハビリを開始するときのことを考えてみましょう。
 たとえば「立ってみましょう」と声をかけると、健側の上肢で車椅子の肘掛けを持って上体を前方に傾けたり、両脚を置き直したり、お尻をもぞもぞと動かそうとしたり、またまた片手を前方にさまよわせて、「何かつかむものがないか」と探したりされるように見えます。そしてどうもできそうにないと分かるとそれらの試行錯誤を止めて動かなくなられたり、「できない」と言われたりします。
 いずれにしても患者さんは、セラピストの出した運動課題を達成しようとされているので、短い時間ですが様々な試行錯誤をされます。そして「できる」とか「できない」といった結論を出されます・・・
 CAMRでは、上記のような多くの患者さんに共通に見られる振る舞いを観察して、その振る舞いの意味を言語化することから始めました。たとえば上記の振る舞いは、次のように言語化されました。「人の運動システムは、必要な運動課題を達成するために、身体の内外に利用可能なもの(「運動のための資源」=「運動リソース」)を探索する」のです。
 弛緩麻痺の軽い方であれば、力も出やすく運動範囲も重心の移動範囲も大きいので、ほんの少しの試みで立たれたりされます。健側の下肢の力で体が浮き上がるし、健側の上肢で肘掛けを押しつけたり、前方への重心移動もできます。「なんとか立てそう」と予期的に理解されますので、すぐには諦めませんし、何度か試した後になんとか立たれたりします。
 少しばかり動くことで、身体の内部に立つための利用可能な筋力や柔軟性、それに重力と床の間でなんとか体をコントロールする能力があることがわかって、それらの使い方を試行錯誤しながら立つという課題を達成されるのです。
 逆に弛緩性麻痺が重いと、どうにも身体の中に利用可能な筋力が見つからないのです。それですぐに「これではどうにも動けない」という結論になってしまうようです・・・・
 そんな風な観察を続けて、人の運動システムの作動の意味やその様子を想像していきます。他にもたくさんの観察を基に、人の運動システムの作動の特徴をまとめて理解することでCAMRはできあがりました。そして次第にリハビリでやるべきことがはっきりしてきました。
 たとえば片麻痺は大きな身体変化を起こします。半身に弛緩性の麻痺が起こります。弛緩性麻痺の部分は筋肉が緩んで水の袋のようになります。良い方の半身に水の袋のような麻痺の半身がぶら下がるため、良い方の半身を悪い方に引っ張ります。麻痺の体が重りになったり、ブラブラ揺れて体を不安定にします。力が入らず、支えたり思うように体を動かしたりできなくなります。それまで良く知っていた自分の体が未知の身体になってしまうのです。
 だからリハビリで最初にやるべきことは、まず変化した体のことをよく知ることです。どうやるかというと、まずは様々に動いてみることです。様々な課題を通して「できる」こと、「できない」ことを少しずつ探索します。(その2に続く)

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「実りある繰り返し課題」を振り返る その3&その4

目安時間:約 6分

「実りある繰り返し課題」を振り返る その3

~徹底的に振り返ってみよう(^-^)~

 秋山です。前回の投稿にご質問いただき、自分の中で整理できていなかった部分に気づきました。ありがたいことです。というわけで、補足というか修正というか。

 まず、「単純」という言い方はあまり適切ではありませんでした。「実りある繰り返し課題」を素振りに例えましたが、素振りを「単純」と言おうものなら、大谷翔平に「素振りをなめんなよ」と言われそうです(^^;)

 私は訪問で仕事をしており、クライアントと対面できるのはせいぜい週1回なので訪問日以外でも取り組みやすいものを提供する必要があります。シンプルの方がよかったかも。

 まあ、何が単純か、複雑かは意外と難しい。単に工程の多さではないですね。 CAMRでは人の運動を形ではなく機能で見ます。

 歩行障害がある時、正常歩行の形からどれだけ逸脱しているかを分析して正しい形に戻すのではありません。歩く時の運動システムが生み出す働き、重心移動・支持・振出しがどう作動しているかを見ます。

 そしてそれらを強めたり改善するには、を考えます。疾患や障害が異なると歩行の形はそれぞれ違いますが、歩行が重心移動・支持・振出しの機能から成り立っていることには変わりありません。

 だから、CAMRでは疾患や障害が異なっても、同じ課題を行います。脳卒中用の課題、大腿骨頚部骨折用の課題というものを作っていません。支持機能を高めるとか、左右の重心移動を拡大するとか、支持と反対側の振出しを同時にするとか、そういう課題を行います。

 CAMRではリスト化しています。便利です。

 障害を問わないと言っても、「このほにゃららスクワットを1日10回やれば、誰でも3か月で痩せられます!」みたいなわけはないので(どうも私の例えはダイエットか山登りが多い・・・)、セラピストの出番です。

 繰り返しますが、課題作成は疾患によって決まるのではなく、システムの作動状況によって決まります。また、痛みの有無やその方がとっている運動方略とか考慮します。レディメイドの課題をその人向けにカスタマイズするというとこですかね。

 課題設定にしても、経過をみて課題変更していくにしても、クライアント自身の「探索」が重要です。 その4に続く~ (忘れられないうちに投稿します!)

「実りある繰り返し課題」を振り返る その4

~人はみな自律した運動問題解決者~

 秋山です。暑いです。西尾さんのnoteが今の話題に関係深いテーマなので、そちらを読んでいただければいいかなーと思いながらも、いやいや、逃げちゃダメだ、あちらはあちら、こちらはこちらと気を取り直し、続きです。

 前にも述べましたが、リハビリテーションに携わる方で、ちゃんと仕事をしようと思ったら、誰でもクライアントを観察して評価してプログラムを最適なものになるように頑張っておられるでしょう。違いは何をどうみているかです。

 セラピストが出した課題を、セラピストが指導した注意点に従って「正しく」できているか?これが従来のセラピストの役割です。正解はセラピストが持っている。

 対してCAMRでは、やり方はクライアントに任せます。というより、たった一つの正常な運動などは無い、やり方は人それぞれなのだから、当事者が能動的に動いて、世界を探索して獲得していくしかない。

 セラピストの仕事は、クライアントが安全に希望を持って探索に取り組める環境を整えて課題を提供することです。

 人はみな自律した運動問題解決者であることは障害の有無に関係ありません。急性期の運動障害では、その人が無能力になるのではなく、身体リソースが著しく損なわれてこれまでの方法が通用しないという状態です。

 セラピストはクライアントに対してその人の「正しい動き方」を知っていて教えることができるのではありません。自分の運動能力を過小評価または過大評価している方に、「まず、これくらいの動きからやってみましょう」→「やってみてどうでしたか?では、これではどうですか」

 その間、足場作りでコンプリメント、ブリッジその他いろいろやるのです。また、クライアントが気づいていないリソースを促したり、偽解決のループに陥る前に他のやり方を試してもらったり。ああ忙しい。

 私たちは常に探索して世界とつながっている。慣れたところでは探索は無意識のうちに行われ、その重要さに気がついていないのだと思います。

 ここからは個人的感想ですが、「クライアントがセラピストに頼らないと運動しない」とか言う前に、クライアントの探索の邪魔をしていないか、まず気にしてみることですね。いったん、終了ですー。

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「実りある繰り返し課題」を振り返る その1とその2

目安時間:約 5分

「実りある繰り返し課題」を振り返る ~「実りある」とは?~

 秋山です。ご無沙汰でした。さぼってる間に7月になってました。体感的には8月の暑さですなぁ('◇')ゞ

 新しい運動課題は、やり始めは上手くいかないこともあります。だんだん上手になり課題達成!となると新しい運動課題となります。また、動作は洗練されてくると最小の動きで達成されて決まった動きや部位だけが使われてきます。課題がいつまでも達成できなければ、現時点では適切ではないと言えます。そういうわけで「運動課題を変更していく」ことはセラピストの大事な仕事です。

 おっと、これは「繰り返し課題」と矛盾するのか?いえいえ、そうではないです。最近あまり登場していなかった、でもいろんな面で価値ある「実りある繰り返し課題」を振り返ってみようと思います。

 「実りある繰り返し課題」を一言で説明するならば、野球における素振りです。ボールが打てるようになっても素振りは続けるものなんでしょうね。きっと大谷翔平もやっている。ただ、闇雲に回数だけ積み重ねても良くないようですね。これはリハビリ分野でもそうです。

 余談ですが、リハビリは痛いのを我慢して苦しいくらいやらないとダメ、いや、それぐらいでないと効果がないというクライアント、時にはセラピストがおられますが、あれは良くないと思うんですよね。楽ではないし、しんどいこともある。でも、苦痛は避けるべき。まあ、「やった感」をもつのはモチベーション維持に有効ですが。

 上手くまとまらなくなったので、次回に続きます(^^;)

「実りある繰り返し課題」を振り返る 忘れた頃の“その2”

 秋山です。その1からなんと一か月経ってるではありませんか!あらびっくり!!何事もなかったかのように、その2の始まりです(^^;)

 「実りある繰り返し課題」の具体的な運動課題は、特殊なものではありません。訓練場面や自主トレ課題として、よく使われる、ある意味「ありきたりなもの」です。

 職場の他職種スタッフから、ご自身の腰痛対策の相談を受けることがあります。ストレッチとかドローインなどを痛みの出ない範囲でこつこつやりましょうね、と言うと、「つまんねー奴だなー」的な表情をされることがあります。なんか、もっとこう、ガッガッとやってバーンとすっきり治るようなものが欲しいのよ、と表情が語っています・・・。

 そんなもん無いよ!万人に共通するそんなもんがあったら、苦労しないよ!と心で叫ぶ。あ、話がずれました。

 歩行に繋げていきたいという方への具体的な種目としては、立位でのつま先立ち、下肢横上げ、足踏み、左右重心移動、スクワットなどなど。単純なものが良いです。一人でもできるような。いろんな運動リストを持っておくと便利です。詳しくは「リハビリのコミュ力」(西尾、金原出版)をご参照ください。

 より大切なのは、何をやるかよりも、どうやるかだと思います。負荷とか、上肢支持の有無とかで難易度が変わります。達成可能で、クライアント自身が「この運動は効きそう」と思えて「よし、今日も頑張った」と満足できるセッティング。そして達成度合いによって変化させていく。

 こう書くと難しそうですが、実際にやってもらってクライアントに尋ねていけばよいのです。答えはクライアントが持っている。

 回復中のクライアントの場合、どんどんできるようになって種目やセッティングを短時間で変えていくことがあります。こっちも調子にのってしまうことがる。かつて、「やっとできるようになったと思たら、もう次か。簡単に言ってくれるねぇ」と苦笑いで言われたことがあります。課題がどんどん進むのが嬉しい方もいるので、よくみないといけませんね。   ~続く~

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運動理解のための新しい視点:CAMR(その6 最終回)

目安時間:約 5分

運動理解のための新しい視点:CAMR(その6 最終回)

今回は人の運動システムの作動の特徴として主に「自律性」を説明してきた。

 CAMRでは他に「状況性」と「課題特定性」という作動上の特徴が重要であると考えている。

 基本的に人と機械の運動システムは全く違う作動の特徴を持っている。機械は設計者に決められた通りの作動を行う。それ以外の作動は起きない。人では、問題が起きると自ら解決を図ろうとこれまでとは異なる作動を開始する。人の運動システムは余剰な運動リソースを持っており、様々な異なった作動で同じ運動結果を生み出したりできる。

 たとえば片麻痺の方がそれぞれの麻痺の程度や分布に応じて、様々な歩行の形を生み出される。それぞれの状況に応じて相応しい形が生まれてくるわけだ。もし柔軟性や筋力などの運動リソースが変化すればまたそれに相応しい新しい運動スキルが創造されて歩行の形も変わる。人の運動システムは、状況変化に応じて創造的なのである。

 人の運動システムを理解するときに、構造とその各部分の機能から理解する視点は、非常に有効であるのは間違いない。だがこれだけでは人の体を機械のように考えてしまうし、素朴な因果関係で障害を理解して機械を修理するように治療を考えてしまう。

 そんなものはないのに「正しい運動」という幻想に囚われたりする。機械には正しい運動があるからだが、人にはそんなものはない。

 だから同時に「自律性」や「状況性」、「課題特定性」といった人の運動システムの作動の特徴からの理解を加えることで、人の運動システムや障害の現象がより深く理解できるようになって、これまでとは異なったアプローチも生まれてくる。

 二つの視点があれば、二つの異なったアプローチを持てるので、それぞれやってみて比較することも可能である。僕たちセラピストの問題解決の選択肢を増やすことができる訳だ。

 また馴れてくると、二つの視点を組み合わせてより効果的なアプローチを生み出すことも可能であると思う。セラピストにとって、とても良いことではないかと思っている。

 また今年の夏以降に講習会を再開する予定である。是非参加して視野を広げる経験を楽しんでいただきたいと思っている。

※現在CAMRの情報、講習会のお知らせは以下のSNSから。

CAMRのYouTubeチャンネル: https://www.youtube.com/@Camrer007

CAMRのFacebook page: https://www.facebook.com/Contextualapproach

CAMRのブログ: https://camr.info/

CAMRのHomepage: https://rehacamr.sakura.ne.jp/index.html

CAMRのNo+e: https://note.com/camr_reha

また書籍には以下のものがあります。

①     「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」(西尾幸敏著 金原出版)書籍版・電子書籍版共に2420円

②「リハビリのシステム論-生活課題達成力の改善について(前・後編)」(西尾幸敏著 Kindle本)電子書籍版(前編400円 後編600円)ペーバーバック版(前編1032円 後編1152円)

② 「脳卒中あるある!-CAMRの流儀」(西尾幸敏著 Kindle本)電子書籍版300円 ペーバーバック版852円

④「脳失注片麻痺の運動システムにダイブせよ!~CAMR誕生の秘密」(西尾幸敏・田上幸生共著 Kindle本)電子書籍版100円 ペーバーバック版737円

その他5冊あるが全部電子書籍のみで全て100円

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運動理解のための新しい視点:CAMR(その5)

目安時間:約 5分

 前回までで、脳卒中後に見られる伸張反射の亢進や筋の硬さは、弛緩状態という問題を解決するための「外骨格系問題解決」の作動であると説明してきた。ただ過剰に繰り返されて「偽解決状態」になって新たな問題を生み出している。

 弛緩状態では動けないので、問題解決として筋を硬くしたのだが、硬く成りすぎて動くこと自体が困難になっているわけだ。元々の弛緩麻痺という症状に新たな現象(筋が硬くなって柔軟性が低下するなど)が加わって、より複雑な全体像になって僕たちの理解も混乱するわけだ。

 ただその過緊張状態は、障害後の運動システムの問題解決の作動である。症状ではないので、その硬さは改善可能であると前回述べた。

 たとえばその方法の1つは、「上田法」という徒手的療法である。上田法は過緊張状態の筋肉を柔らかくする。低下していた柔軟性が再び表れる。すると本来存在した運動能力が表れるようになる。

 上田法の特徴の一つは誰でも身につけることができ、効果を実感できる徒手的療法だ。ご家族や教師、生活指導員、介護職など専門知識がなくても治療効果を生み出すことができる。

 もちろんセラピストは姿勢や硬さの観察・評価の技術を通して、個々の患者さんに応じた適切な手技選択を通して、より大きな効果を生み出すことができる。学べば学ぶほど奥の深い評価・治療技術である。

 上田法を通して過緊張が消えて、運動範囲や重心の移動範囲が広がり、運動速度が改善する。硬さが取れることで動くための努力が軽減する。それで発汗や息切れが軽減する。また痛みや不快感も改善する。

 さらにできなかった寝返りや起き上がりが、そして低い椅子から立ち上がりが可能になることもある。股関節周囲の過緊張が緩んで歩行時の歩隔や歩幅が広がって楽に、速く、安定して歩けるようになることもある。

 つまり外骨格系問題解決の「偽解決状態」の袋小路から、患者さんを救い出すことができる。

 外骨格系問題解決は、過剰に繰り返されて硬くなりすぎて動けなくなってしまう。そうすると患者さん一人ではこの「偽解決状態の袋小路」からは抜け出すことができない。運動システムが硬くなりすぎた筋を緩めるための問題解決の方法を持たないからだ。だから硬くなった患者さんは一人で抜け出すことができない。過緊張の偽解決状態は、患者さんに取って袋小路なのだ。

 だが上田法は柔軟性という運動リソースを改善し、その偽解決の袋小路から患者さんを救い出すことができる。

 ただ上田法を実施するだけでは、時間経過と共に再び過緊張状態に戻ってしまう。

 ただ上田法は硬さの改善が従来のストレッチと違って、長く続くという特徴を持つ。それで、筋が柔らかく柔軟性のあるうちに、運動リソースを増やし、新しい運動スキルを試行錯誤、発展させるための時間的余裕が生まれる。

 それでCAMRの臨床経験から分かったのは、上田法で過緊張を改善した後、

①改善可能な運動リソースをできるだけ改善すること。たとえば支持性や持久力を改善し、杖や環境内の利用可能なものを工夫して行く。環境内の利用可能なものを発見する能力を高めるなどである。

②さらに増加した運動リソースを利用して、必要な運動課題を達成するための運動スキル学習(有用な運動リソースの探索活動、課題達成のための運動スキルの発見・創造の試行錯誤など)を実施することだ。

 また昔から脳卒中片麻痺の現場では、経験的に「動くことが体を硬くすることを防ぎ、運動性を維持することができる」ということが言われてきた。

 CAMRでも同様に「多様に動き続けることこそが、外骨格系問題解決の過剰な繰り返しを抑制する」ということが経験的にわかっている。

 つまり従来とは少し異なったアプローチを試すことができる訳だ。これまでのやり方で変化や改善が見られないときは、この方法を試してみる価値はあると思う。(その6に続く)

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人の運動は無限に変化する!-「状況性」という作動

目安時間:約 4分

CAMRの新しいYouTube動画です。下の画像をクリックする!

内容

 従来人の運動システムの理解の仕方は、体の構造や各部位、各器官の働きによって理解されます。これは機械を理解するときと同じ方法です。人を機械のように理解するわけです。それでアプローチも、機械と同じく「悪いところを探して治す」ということになります。

 もちろんこの視点は整形疾患などでは非常に有効です。ただ脳性運動障害のように「脳を治せない」となると「悪いところを探して治す」方法は無力です。別のアプローチが必要です。

 CAMR(Contextual Approach for Medical Rehabilitation)は、システム論を基にした日本生まれのリハビリテーション・アプローチです。

 CAMRでは、人の運動システムを作動の特徴から理解します。たとえば人の運動システムには「状況性」(Contextual adaptability)という作動の特徴があります。これは「人の運動システムは環境や状況の変化に応じて、運動の形ややり方を適応的に変化させて課題達成・維持する」という作動です。

 これによって人は、たとえば室内でも荒れ地でも、氷の上でも、暗闇でも水田の中でも適応的に歩行を維持できます。非常に重要な作動の特徴です。

 「状況性」(Contextual adaptability)は、人の運動が無限に変化するという仕組みによって支えられています。

 この仕組みは、「豊富な運動リソースと適切な運動認知、そこから生まれる多彩で柔軟な運動スキル」によって成り立っています。

 障がいがあると身体リソースが貧弱になり、利用可能な環境リソースも貧弱になります。そうすると多彩で豊富な活動力が低下して、必要な生活課題達成のための運動スキルが貧弱になり、生活課題達成力が貧弱になります。そうすると「状況性」も低下します。

 それでリハビリの目標の一つは、「状況性の改善」になります。以下の通りです。

1. 改善可能な身体リソースをできるだけ改善すること

2. 利用可能な環境リソースをできるだけ工夫して増やすこと

3. 同時に多様な活動と運動を通じて運動認知の適正化を図ること

4. 適切な運動課題を設定して運動スキル学習を行うこと

 脳性運動障害の原因は脳細胞が壊れたことですが、今のところ脳細胞は治せません。だから他の改善可能な運動リソース、運動認知をできるだけ改善して、運動スキル学習を進めることが「悪いところを探して治す」とは異なるアプローチとなります。(下はただの画像です。クリックしてもYouTubeは見られません。上の画像をクリックでお願いします)

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運動理解のための新しい視点:CAMR(その4)

目安時間:約 5分

 人の運動システムには「なんとか問題を解決して課題を達成するために、自律的に身体の内外に利用可能な運動リソースを探し、問題解決と課題達成のための運動スキルを生み出して、必要な課題を達成しようとする」性質がある。

 これはCAMRでは「自律性」と呼ばれる作動の性質である。

 この作動の性質は、たとえ障害が起きても変わらずに作動する。問題を解決して必要な運動課題を達成するというのは、運動システムのもっとも基本的な作動だからだ。もし仮にこの作動の性質が見られないとしたら、人の運動システムとしては崩壊していると言える。

 脳卒中では発症直後に弛緩麻痺が見られる。弛緩状態の体というのは、可動性のある骨格が水の袋に入っているようなものだ。プラスチックの袋に水を入れてテーブルの上に置くと重力に押されて安定するまで広がろうとする。弛緩状態の体もそんなことになる。不安定に揺れながら安定するまで広がろうとする。

 そして健側の体を常に患側に引っ張り続ける。常に揺れて体全体を不安定にする。体重を支えたり重心を移動したりすることができない。これでは体を安定させたり、動いたりすることができなくなる。

 それで運動システムは自律的に問題解決を図る。弛緩状態の部位の筋肉を硬くするわけだ。身体の内部に筋肉を硬くするためのメカニズムを探して総動員する。

 傷ついていない脳幹から下のレベルでコントロールされる伸張反射や原始反射を亢進させることで、少しでも筋肉に収縮を起こそうとする。また筋肉自体にはキャッチ収縮というメカニズムがあってエネルギー消費無しに収縮状態を維持することができる。これを強めて筋肉を硬くする。

 硬くなると体重を支え、重心移動のための支点もできる。これで動くことが可能になる。あるいは硬くなって塊となった上肢は揺れることなく健側の体についてくるようになる。それで動けるようになるわけだ。

 CAMRでは、体を硬くするのは障害後の弛緩状態という問題を解決するための運動システムの自律的な問題解決であると理解する。これはCAMRでは「外骨格系問題解決」と呼ぶ。筋肉を硬く固めて、カニや昆虫などの外骨格動物のようにそれで支持を得るからだ。

 だが、これで「めでたし・・・」とはいかない。この問題解決は、あり合わせのメカニズムを使った急場しのぎの対処である。抑制が利かない。次第に過剰に繰り返されるようになる。体は徐々に硬くなって、運動範囲を小さくしてしまう。硬くなった筋肉は抵抗になり、動く速度が遅くなる。あるいは動くためにより努力が必要になる。ちょっとした運動でも発熱、発汗、息切れが見られるようになる。

 さらに過剰に繰り返されると硬く成りすぎて動けなくなってしまう。あるいは不快感や痛みなどが見られるようになる。

 初期には問題解決の作動だったのに、次第に新たな問題を生み出して患者さんを苦しめてしまう。このように問題解決が新たな問題を生み出してより悪い状況を作り出すような問題解決を、CAMRでは「偽解決(psuedo-solution)」と呼ぶ。

 実はこの偽解決が患者さんの障害による状況をかなり悪くしている。偽解決状態を改善するだけで患者さんの持っている隠れた運動能力が発揮されやすくなってくる。

 これら伸張反射や原始反射の亢進や筋肉が硬くなって過緊張状態になることは、Jacksonの階層型理論では脳性運動障害の症状として理解されていた。

 Jacksonは陽性徴候の原因は、中枢神経系の上位レベルの下位レベルの解放現象として説明した。それで治療方針としては、上位レベルの機能を回復するという方針を持つ。壊れた脳細胞の再生を目指したり、壊れていない脳細胞にその機能を再学習してもらったりしようとするわけだ。

 この考えは日本に入って60年近く経つが、未だにそれがなされた、成功したという科学的報告はない。きっと実現不可能な方針なのだろう。

 さて、CAMRでは外骨格系問題解決によって生まれた筋の硬さは、障害後の運動システムの問題解決の作動によって生まれた状態である。症状そのものではない。それでその過緊張状態という偽解決状態を改善することは可能である。

 たとえば上田法という徒手療法がある。(その4に続く)

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