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今回は「CAMRの旅お休み処 シーズン3 その4」です。
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CAMRの旅お休み処 シーズン3 その4
「発想を転換してポジティブシンキング、ではないのだ」
秋山です。これまでになくハイペースなお休み処です。
ホームページの「CAMRの基礎にあるもの」で家族療法(短期療法)の話が展開中です。
https://rehacamr.sakura.ne.jp/
その2「問題解決に原因の探求は必要か?」の中で、「前向き志向とは違う」とあります。「発想の転換」は何を変えるのか、に関して。
ちょっと前に「ポジティブシンキング」というのが流行りました。物事を肯定的な方向に傾斜してみる、極端に言えば「良かった探し」です。あの人が私をいじめるのは、ちゃんと育てようと鍛えてくれている、というような。ポジティブシンキング自体は悪いものではなく、困難をやり過ごすのに時に有効です。行き過ぎると現実逃避になるのですが。
家族療法の流れを受けたCAMRで言いたいことは、障害のマイナス面にとらわれて嘆くのではなくプラスの面を見ましょうというのではないのです。「片麻痺になって良かった」と当事者の方が言われることがあります。これはその方が苦労の果てにたどり着いた境地であり、周りから決して言うものではないです。そこを目指しているのでもありません。
では、何か?むしろ、良い悪いの価値には関わらない。悪いを良いに転換するのではなく、障害はおいといて、別のものを見ませんか、という転換です。
まぁ、ポジティブシンキングではないが、楽観的ではあるかも。あ、これはCAMRが、ではなく私だけかも?
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今回は「CAMRの旅お休み処 シーズン3 その3」です。
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CAMRの旅お休み処 シーズン3 その3
「軌跡が決まるのは奇跡的?なんちゃって (^^;) ベルンシュタイン問題続きの続き」
秋山です。タイトルにこりすぎると、ろくなことはないのですが・・・。
その昔、私は養成校の教官をしていまして。その頃の悩みの種が「作業分析」の講義ノート作りでした。当時の教科書には、作業の一般的な分析をやれ、と載っていまして、社会的な意味や精神面への影響などとともに運動についても話さなければなりませんでした。
この作業を遂行するときにどんな動きが必要で、その動きのためにはどこの関節がどの方向にどれくらい動いて、その筋肉は・・・とやるのですが、考えれば考えるほどロボットみたいな動きになるし、使う筋肉も姿勢も入れれば結局全身か?ということになってしまいます。
学生さんに、「この工程の動きの関節可動範囲はこれでいいのですか」と質問されても、「うーん、良いと言えば良いような、それだけじゃないといえばないような」と何とも曖昧な返事で。(当時の皆さん、すみません) 机の上のコップを持つ、という時、人によって動きは違うし、肝心なのはコップまで手が届くことなのに、肩関節がどうとか肘が・・・というのは本筋ではないと思いながらも、共通の一つの答えを探しているようなものでした。
長々と思い出話をしてしまいました。
コップに手を伸ばした時、一度として同じ軌跡を通りません。一回ごとに通り道や速度は異なります。環境が同じでも同じ軌跡を通らないし、ましてや環境が異なればそれに応じた軌跡を通るでしょう。当たり前といえば当たり前ですが、正しいやり方を求めていると見落としてしまいます。
軌跡は異なるのですが、同じ結果を生み出すことができます。手がどう通っていってもコップをちゃんと持てる。この辺のことは、CAMRホームページ 人の運動変化の特徴 その2 異なった方法でいつも同じ結果を出すこと をご覧ください。
ふー、やっと先に進めるかな。
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今回は「CAMRの旅お休み処 シーズン3 その2」です。
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CAMRの旅お休み処 シーズン3 その2
「自由度ってやつは・・・ ベルンシュタイン問題続き」
秋山です。前回がちょっと適当(良い意味ではなくてね)だったので、追加です。
「運動制御がなぜ難しいか」について、ベルンシュタインが挙げている一番目の問題点。以下、著書の「デクステリティ」から。
「私達は体肢と頭にある装置だけでも100近くの動き(自由度)があり、首や体幹の柔軟性を加えれば、その数はさらに膨大なものになる。歩いたり投げたりする時、いくつもの関節で異なる動作が同時に行われる。複雑な動作の要素一つ一つに注意を向け個別に制御するとしたら、膨大な注意を配分しなければならない。」
個々の筋肉と運動野が1対1で対応し、脳が一つ一つに指令を出しているという考え方では無理があるのではないか?ということでしょうね。
まだ続く・・・
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今回は「CAMRの旅お休み処 シーズン3 その1」です。
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CAMRの旅お休み処 シーズン3 その1
「What is ベルンシュタイン問題?」
秋山です。シーズン3はCAMRを支える理論などの中から、私がよくわからなかった(時として今もわからない)ものを、徒然なるままに復習していこうと思います。いい加減、別タイトルでも良いような気もしますが・・・。
何かの参考になれば幸いです(^_^)
「ベルンシュタインを読む!」シリーズの中に、「ベルンシュタイン問題」というのが出てきます。最近の運動制御の話にはちょこちょこ出てきています。まず、自由度の問題について。
上肢だけを見ても、複合関節である肩・肘・手、手指の関節、それぞれに筋肉がいろいろ付き、また神経が・・・となると、制御しなければならないものが膨大になります。手を使うとなると両手、そして姿勢制御と考えると、脳は瞬間的にものすごいコントロールを行わなければならない。それはあまり現実的ではない。
もう一つ、文脈性の問題。同じようにやったからといって、いつも同じ結果になるとは限りません。環境の変化でも運動の結果は変わってきます。でも、異なる運動で同じ結果は出せる・・・。自由度の方は「ほほー、なるほど」と思ったのですが、文脈性の方は理解が今ひとつ(^^;)
動作から見ると、机の上のコップをとる時、手がコップに行き着くまでの通り道は無数にあります。どのように持つかも無数にある。無限にある解の中から、1つを選んで行っている。これは、従来の運動プログラム説では説明しきれない、ということになります。
続く~
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