運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その8:最終回)
-生活課題達成力の改善について
今回は「運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す」シリーズのまとめです。 CAMRでは、「運動障害」とはまずマヒや切断、感覚消失などで身体の一部や筋力、柔軟性、知覚などの身体リソースが失われることです。そうすると環境リソースもうまく使えなくなり、運動認知も不適切になったり失われたりします。これらによって運動スキルを創造的に生み出す能力も発揮できなくなり、必要な生活課題の達成力が低下してしまうことでした。
それでまずやるべきは、改善可能な身体リソースはできるだけ改善すること。また必要な課題達成に向けて環境リソースもできるだけ工夫していくことです。 この時、セラピストが「この身体・環境リソースは課題達成に関係ないだろう」などと勝手に取捨選択しないことです。ここまで述べたように運動システムはどの運動リソースをどのように運動スキルに結びつけて、どのように課題達成するかはセラピストには想像がつかないことも多いからです。
つまり改善可能な身体リソースはできるだけ改善しておき、思いつく限りの環境リソースは心に留めておくこと。そして後は運動システムがどのように運動スキル学習をして、どのような課題達成の運動スキルを生み出すかをよく観察しておく必要があります。
それによってセラピストは経験を積むにつれて、「ああ、この場合はこのような可能性を導くことができる」といった経験値を積んで、患者さんの運動スキル学習を助けることができるようになります。
そして身体リソースを改善しながら、動作課題を工夫して繰り返します。ただ単に同じ事を繰り返すのではなく、実施条件を少しずつ変えたり、課題を少しずつ難しくして異なった状況でも同じ基本動作を繰り返します。
この少しずつ状況変化を起こしながら、同じ基本動作を繰り返すことで、状況変化に応じて運動を適応的に変化させ「一つの課題を異なった状況でも達成できるという頑丈さ」が生まれてきます。
最終的に行為課題を設定して、必要な生活課題達成のための運動スキル学習を行います。
運動スキル学習の基本は適切な課題設定を行うことです。ここで設定される課題は、①行為者に取って必要(やる意味)があり、②なんとか達成可能であることが条件でした。この条件を満たすことで、自然に患者さんの運動スキル学習が始まります。
行為課題がなんとか達成できるように、セラピストが課題を少し易しく修正したり、適切な環境リソースを調整したり、適切な介助をすることです。
このようにしてともかくより良い状況を作っていくようにします。
文章にすると少しややこしくて、イメージしにくいですよね(^^;)
CAMR講習会では、患者さんの動画を見ながらどのように課題設定するか、どのように条件を変化させるか、どのように環境リソースを調整するかを具体的に説明しますのでわかりやすいです。もし機会があれば参加してみてください(^^)(終わり)
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その7)
-生活課題達成力の改善について
ここまでで「要素課題」はセラピストの改善可能な身体リソースを改善したり、将来に向けて利用可能な環境リソースについて考えたりします。ベッドサイドあるいは訓練室レベルでおこないます。
「動作課題」は、様々な動きの基本となる協応構造を豊富に身につけたり、運動認知を適切にしたりして基本的な運動スキルを柔軟に、適切に生み出せる基礎を作ります。これまた簡単なものはベッドサイドでも行いますが、主に訓練室レベルで行う課題です。
要素課題と動作課題は訓練時間内に並行して行うことが多いと思います。今回は「行為課題」について説明します。
「行為課題」は従来訓練室で行っている「ADL訓練」にあたります。
病院内の訓練は最終的な仕上げ段階に入ります。退院に向けて患者さんにとって必要で、達成可能な生活課題の達成力改善が一つの大きな目標になります。
たとえば「居室からトイレに行って帰る」とか「ポータブルトイレが自立する」とか「服を着替える」とか「居室から台所まで歩いてくる」とかそんな具体的な生活課題の達成が目標になります。
当然家族との話し合いも重要です。家族の希望通りにいかないことは多々あります。そんな時でも「○○はお一人では危険です(できません)が、××することで○○をできるようになります」とできるだけ希望に近づけるような達成可能な代替案を出すようにします。このようにできること、できないことを明確にして、家族や本人の希望する課題を修正する能力を身につけることもセラピストには重要です。
「行為課題」の基礎となるのは「どれだけ豊富な身体能力を持っていて、たくさんの多様な基本動作を通じて、より多くの協応構造と基礎的な身体スキルと適切な運動認知を持っているか」と「課題達成のための利用可能な環境リソースをどれだけ工夫できるか」ということです。
「環境リソースをどれだけ工夫できるか」となると作業療法士が得意と考えられがちです。実際にはPT・OTに関わりなく、1人1人のセンスや経験で得意・不得意が決まるようです。より広い視野と思い切った発想が必要とされることも多く、できればチーム内で共有して複数の視点で取り組めると良い結果がうまれやすいです。
トイレの介助方法などは、訓練室や施設内の設備を利用して練習することもできますが、できれば実際に生活する家屋で、利用可能な環境リソースを発見したり、課題達成のための工夫をしたりすることも重要です。
また患者さん自身が色々な運動スキルを発見することも多いものです。僕の親父が片麻痺後退院して家に帰りました。うちの家は親父の居室から食堂に行く廊下には障子の引き戸が並んでいます。「手すりが付けられないね」と僕が言っているそばから、障子に手を差し込んでバリッと紙を破ると、障子の桟を持って自分で障子戸を押しながら「他の戸をどけい(どけて)」と言ったものです。つまり障子戸を移動用の手すりにその場で変えてしまいました。
元々父は患足下肢の支持性はしっかりしていて、むしろ軽度の基礎定位障害によるバランスの問題があったので、細い華奢(きゃしゃ)な障子の桟でもバランス保持には十分役立ったわけです。もちろん心配なので後から僕が補強の棒を取り付けることでより丈夫な移動用手すりにしました。
ともかく父の発想には舌を巻いたものです。元々子どもの時から、僕が何か作業に困っていると、「こうしたらどうか?」とやり方を工夫してくれた親父です。まあ、その度に自分の頭を指さして「ここを使え、ここを!」とするのには腹が立ちました。その時も自分の頭を指さしてニヤリとしました(^^;)
やはり少し腹が立ちましたが、それ以来患者さんには「利用可能なもの」を自分で探して工夫する訓練もするようになりました。軽い失調症の女性はいつもピックアップを使って屋内移動します。でも料理やお茶を流しからテーブルに運ぶのに困っておられました。
一緒にいろいろなものを試して試行錯誤してもらいながら、最終的にはご自分で食堂の椅子の脚に布製の袋を巻いて滑りを良くし、座面に台を置いて高くしてその上に皿やコップを置いて背もたれを持ち、そっと押しながら運ぶ方法を考案されました。「滑らせる簡易ワゴン兼歩行器」ですね。
もちろん僕は経験的に早くからその方法を思いつきましたが、敢えて言わないでご本人に考えてもらったわけです。上手くいったときにはコンプリメント(褒める、労う)をします。この時もとても喜ばれました。
障害後の患者さんは自信をなくし、家族に依存的に暮らすことも多いと思います。だからセラピストが何もかも判断し、実施するのではなく、色々な経験を通して患者さん自身の問題解決能力と自信を改善することも大事なことだと思います。その女性はそれ以来、色々なことを自分で工夫されるようになって明るくなったとのことです。
次回は今シリーズのまとめです。(その8に続く)
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その6)
-生活課題達成力の改善について
今回は動作課題についてです。
動作課題は「寝返る、起き上がる、座る、立ち上がる、歩くなど」の基本動作運動を中心とした運動課題です。動作課題は繰り返したり、負荷をかけたりすることで身体リソースを改善するし、動作課題を少しずつ変化させることで運動認知を改善したり、達成方法を試行錯誤することで基本的な運動スキル学習にもなります。
具体的な例を挙げて考えてみましょう。
立位で健側下肢中心に立つ片麻痺患者さんがいます。実際には患側下肢にも支持性が出ているので患側下肢をもっと自由に使えれば、歩行のパフォーマンスはもっと改善するはずです。
そうすると患側下肢の使用量と使い方の多様さを増すような動作課題を考えることになります。
たとえば平行棒のそばに幅30センチ、長さ60センチ、厚さ4センチの板を置き、その上に立ってもらいます。健側上肢で平行棒を掴みます。(イラスト1を参照してください)
そして健側下肢を前に振り出して荷重し、今度は後ろに振り出して荷重します。(イラスト2)これを繰り返すと患側下肢は、「前後に重心移動しながら体を支える」という運動スキルを発達させることになります。
次に健側下肢側方へ振り出して荷重しては元に戻します。(イラスト3)今度は患側下肢に重心移動し、その後健側へ重心移動しながら支える練習を繰り返すことになります。
それぞれに安定してくると、健側下肢を前に振り出して戻したら、今度は側方へ振り出して戻し、更に後方へ振り出して戻すなどと3方向へ重心移動しながらの支持を自在に行うスキルを発達させます。
これらは全身を使った運動スキルの一例で、特に健側上肢が支持とバランスに大きな役割を果たしています。もっと下肢中心の運動スキルを発達させたいですね。
そうするとこれらの運動が安定したところで、健側上肢は平行棒の代わりにパイプ椅子の背もたれを持つように課題実施の条件を変化させます。それができるようならT字杖で同じ課題を行うようにします。上肢の役割を減らすわけです。もし可能なら杖なしまで進みます。
これらができるようなら今度は背中に重りを背負います。また水を半分入れた2ℓのペットボトルを背負ったりします。背中で水が移動するので外乱要素になります。
このように課題の質を変化させたり、重りを増やしたりすることで負荷が増えて、身体リソースが改善するし、それらの難しい多様な課題を達成することで運動認知が適切化します。更に患側下肢は体重支持しながら様々な方向に安定して重心移動ができるようになるという運動スキルを発達させることになります。
患者さんとしては、運動認知が適切になり(「この脚は案外使えるよ」)、麻痺側下肢に体重を乗せることに恐怖や不安を感じなくなって自然に患側下肢を使うようになるわけです。
動作課題は、基本動作を中心に行いますが、日常生活で達成するべき様々な生活課題の基本となる協応構造を多数生み出して様々な運動・行為の基礎となるものです。
考え方としては一つの運動課題を変化させながら繰り返します。CAMRでは「実りある繰り返し課題」と呼びます。単に同じ課題を同じ実施条件で繰り返すのではなく、少しずつ課題も実施条件も難しく変化させます。できれば少しずつ達成可能な範囲で難しくしていきますし、できなければ何とかできるように課題や実施条件を少しずつ工夫して行きます。
こうして、身体リソースを改善し、運動認知を適切化します。また利用可能な基本的な協応構造をできるだけたくさん獲得し、運動スキルをより柔軟に適応的に生み出せるようにして、次の段階である日常生活課題などの達成力改善の基礎となるわけです。
そういった意味で、動作課題は訓練室レベルで、身体リソースと基本的な運動スキルの両方を改善するための中心的な課題となります。セラピストにとっても変化を見極め、適切に課題を工夫・提案することが求められます。 次回は「行為課題」について説明します。(その7に続く)
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その5)
-生活課題達成力の改善について
ここまで述べたように、障害を持つとは第一に身体リソースが失われることです。そうすると環境リソースが使えなくなり、運動認知が不適切になり、運動スキルが上手く創出できなくなり、必要な生活課題の達成力が低下あるいは消失することです。
それでCAMRでセラピストがやるべきことは以下の通りになります。
①まず改善可能な身体リソースをできるだけ改善すること
②利用可能な環境リソースをできるだけ増やすこと
③改善した身体リソースや増えた環境リソースをできるだけ使って達成可能な課題をできるだけたくさんやってみること(運動認知のアップデート、あるいは適切化)
④患者にとって必要で達成可能な課題を通しての運動スキル学習を行うこと
以上のようになります。これらによってリハビリの目的でもある「必要な生活課題達成力を改善する」ことができる訳です。
今回は上記の過程を実現するための方法について説明します。
人の運動システムの作動の特徴の一つに「課題特定性」というものがあります。これは人の運動システムは課題達成に向けて、自律的に活動し、課題達成のために必要な探索や試行錯誤を行い、課題達成方法を生み出すという性質です。 これはアメリカの課題主導型アプローチでは、「運動は課題によって組織化される(生み出される)」とシンプルに表現されたりします。
(課題主導型アプローチとCAMRは多くの共通点もありますが、基本的に異なった部分があります)
まあ、簡単に言うと「運動リソースの豊富化も運動スキル学習も『課題』という手段を通して行われる」わけです。
従ってCAMRのアプローチでは、この作動の特徴を利用して上記の①~④の四つの過程を「課題に沿って実施する」ことになります。
さてCAMRでリハビリのセラピストが用いる課題は「要素課題」、「動作課題」、「行為課題」の3種類に分類されます。
「要素課題」は、主に運動リソースを増やすために用いる課題です。代表的な技術は学校で習うストレッチや筋トレ、マニュアル・セラピーや上田法などの徒手的療法で、柔軟性や痛み等の身体リソースを改善したりするためにセラピスト自身に課す課題となります。
これらの徒手的療法は現在の日本の養成校ではあまり積極的に取り入れられていないため、就職後に講習会などを受講する必要があります。有名なところでは痛みや関節の可動性・柔軟性を改善するマニュアル・セラピーや脳性運動障害後の体の柔軟性を比較的持続的に改善する上田法などがあります。
痛みや脳性運動障害後の体の硬さは患者さん自身では改善が難しいので、セラピストの徒手的療法は非常に有効になります。また痛みや硬さは筋活動を低下させ、運動範囲や重心の移動範囲を狭くし、身体の活動性も低下させます。放っておくと拘縮や変形の原因ともなるため特にセラピストの徒手による関与が重要です。
また身体リソースの中でも痛みや柔軟性は、上記の技術を使ってその場で改善することが多いのです。
逆に言えばこの技術がないと、患者さんが痛いと訴えても痛みを放置したまま、力や動きが制限されたまま運動療法を実施することになり、非効率です。また脳性運動障害後の過緊張状態も放ったままでは、運動範囲や重心の移動範囲が限られてしまいます。それで、十分なパフォーマンスを発揮できないために経験する運動スキル学習も限られてしまいます。
先にも述べた通り豊富な運動リソースを基に柔軟で多様な運動スキルが作られますので、運動スキル学習に入る前には改善できる身体リソースはできるだけ豊富にしておくことが良いのです。
また先々利用可能な環境リソースを工夫して豊富にする目安をつけておくこともセラピストに課せられた課題です。生活課題達成のための環境調整や自助具などの工夫と提案も早くから準備しながら進めていくようにします。
セラピストはホームワークとして、適切な自己ストレッチや筋トレを考えて指導することもあります。これらは患者さんに課せられる要素課題です。
上記のように患者さん自身が行うものもありますが、「要素課題」は基本、セラピストが専門的な技術を持って身体リソースを改善したり利用可能な環境リソースを提案・工夫・作成したり、セラピストが自らに課す「運動リソース改善のための課題」がメインとなります。
患者さんとの訓練を開始するときから、運動リソースを豊富にするためにまず自分に何ができるかを考える必要があります。そのために専門的な知識や技術を身につける必要があるのです。
次回は動作課題の説明です。(その6に続く)
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その4)
-生活課題達成力の改善について
ここでは人の運動システムが持つ素晴らしい能力が「運動スキル」であると述べてきました。運動スキルとは運動のやり方、筋群の収縮のタイミングや力の強さを憶えて運動の形を正確に再現する運動プログラムのようなものではないということを前回説明しました。
CAMRでは運動学習は、課題達成に向けて生み出される協応構造とそれを調整するための運動認知からなります。運動学習とは「運動リソースを利用し、課題達成の方法を生み出し、修正・熟練する」ことなのです。
そうすると運動学習は二段階に分かれていることがわかります。わかりやすいように具体的に片麻痺患者さんの分回し歩行について説明します。
片麻痺患者さんがT-caneを突いて立位保持ができるようになるといよいよ歩行練習が始まります。患者さんは思いきって足を振り出そうとします。通常立位での重心移動練習をやった後、患側下肢に支持性があると健側下肢は振り出せます。しかし麻痺の程度によって患側下肢の振り出しは難しいことも多いです。
そこで患者さん自身による患側下肢振り出しのための探索活動あるいは試行錯誤が始まります。利用可能な運動リソースを探して試すということが少しの間続きます。その結果、健側下肢に大きく重心移動して患側下肢を浮かせながら、体幹の側屈や回旋によって軸足を中心に健側下肢を前方に振り出すやり方を発見します。つまり分回しです。
これが患側下肢を振り出すための協応構造の発見ですね。しばらく色々と患者さんはこれを使って歩かれるようになります。そうなると協応構造はある程度安定しながら次の段階に入ります。
それはこの分回し歩行のための協応構造を色々な状況の中で試して見ます。様々な状況変化に対応するための運動認知の修正と熟練のための段階に入るわけです。これまで述べたように身体の状態は毎回変化します。分回し開始時の重心移動の程度や体の硬さも変化します。患側下肢振り出しの開始位置や全身の構えなども毎回変化します。時には患側下肢の着地点は健側下肢に近すぎて基底面を狭くしてバランスを難しくするかも知れません。時には離れすぎて大きく重心移動する必要が生まれるかも知れません。
それでも様々な状況で患側下肢の振り出しを調整しては、安定して歩けるような運動結果に落ち着くように運動認知学習をする訳です。
つまり運動スキル学習は基本的に患者さんがこのように主体で行うものです。だってセラピストには何がどう起きてどう調整するかの過程は全くわからないからです。セラピストは課題を出してその目に見える結果を判断するのです。
従来の運動学習のアイデアのように「脳内に運動プログラムを学習させる」と考えていると、運動学習はセラピストが「正しい運動を指導して憶えさせること」と考えがちです。そして彼らが「正解の運動」と考えるもの、つまり健常者の歩行の形をまねるように課題として出します。もちろん麻痺があるのでできないわけで、そうすると感覚入力学習と言って「他動的に手脚を動かす」とかタッピングなどをします。
脳をコンピュータの様に考えるので、他人がプログラムを入力するように、他動的に正しい運動を繰り返して感覚入力すれば「正しい運動を学習する」と考えているようです。
でも他動的に動かした運動が憶えられるなんて事実はこれまでも発見されていません。あくまでも幻想に過ぎません。
誰でもわかることですが、子ども時代から人は自ら動くことによって様々な課題達成方法や問題解決方法を生み出し、熟練させているのです。自律的に動く以外に運動スキル学習は起きないのです。
運動スキル学習の取りかかりは課題達成のための協応構造の発見に。発見後は様々な状況に対応して協応構造を上手く調整するための運動認知学習に充てることです。
次回は「運動リソースを豊富にし、運動スキルを多彩に柔軟に生み出す運動スキル学習」の方法について述べます。(その4に続く)
※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイを投稿しています。最新のものは「自律的問題解決とは?(その3)」です。こちらもよろしく!以下のURLから。https://note.com/
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その3)
-生活課題達成力の改善について
CAMRで言う「運動スキル学習」とは、ベルンシュタインやギブソン、リード、テーレンらの生態心理学やシステム論の視点とアイデアを基に組み立てられています。
これまでの伝統的な運動学習では次のようなことが考えられていました。
「運動を正確に安定するように熟練するには、莫大な繰り返しの運動が必要である。これは休んでいる神経回路は土の詰まった溝のようなもの。これに水が通るようにするには何度も何度も水を流す必要があるからだ。そうすると水が勢いよく流れるように神経はよりスムースに命令を届けることができるのだ。
そうすると何が起こるか?より素早く正確に運動を繰り返すことができるようになるのだ!」
まあ、大雑把過ぎですがこういうことです。
簡単に言うと従来の運動スキルとは運動のやり方、筋群の収縮のタイミングや力の強さを憶えて運動の形を正確に再現するための運動プログラムのようなものであるという風に考えられています。
これに最初、異を唱えたのがロシアの運動生理学者、ベルンシュタインです。彼は職人の熟練した技、たとえば釘の頭をトンカチで叩く動作の軌跡を記録したのですが、毎回微妙にずれるのです。
それで以下のように結論します。運動学習とは毎回正確に同じ動作を繰り返せるようにすることではない。毎回少しずつ異なった運動で同じ結果を生み出すための微調整のやり方を学ぶことなのだ、と。
機械は同じ動作を正確に繰り返します、というより一つの動作しかできないのです。同じ動作しかできないように各部品の動きや全体の動作を厳密に制限しているのです。
ところが人の体はゴムの様な粘性や弾性の性質を持っています。温度が変われば筋の伸びも変わります。人の体は環境や状況によって緊張具合も力の入れ方、運動の開始の状態も微妙に変わります。心理状態によっても相当影響を受けます。関節も緩い。人の心身の状態は常に微妙に変化しているわけで、そもそも同じ運動を正確には繰り返せない構造なのです。
そんな体で毎回同じ結果を出すには、釘の頭を叩く直前の予期的知覚情報によって運動結果の微調整をするしかないのです。毎回異なる運動で同じ結果を生み出すための予期的知覚情報こそ重要であり、その利用方法こそたくさんの経験を積む必要のある難しい技術であると考えた訳です。
また課題をどんなやり方で達成するかという基本的なやり方、たとえば「飛んできたボールをバットで打つ」やり方の基本となる形はすぐに生まれるものです。小さな子どもにバットを持たせてボールを投げてやるとあてられないものの「ボールを打つ」ための運動の形はすぐにそれらしいものが生まれます。このような課題達成のための基本的な運動のやり方はベルンシュタインによって「協応構造」と呼ばれています。
ベルンシュタインにとっては、運動学習とは「課題を達成できそうな協応構造を生み出し、それによって安定的に課題達成するための予期的知覚情報の使い方を修正・熟練させて適正な結果を導ける能力を学習するということになります。
CAMRでもそれを基に、運動スキルとは、運動の形を正確に憶えて再現するための運動プログラムのようなものではなく、課題達成に向けて構成される協応構造とそれを調整するための予期的知覚情報(CAMRでは「運動認知」と呼びます)からなります。運動学習とは単純に「やり方を憶えて再現する」することではなく、「課題達成の方法を生み出し、修正・熟練する」ことなのです。
まだまだ運動スキルについての説明は続きます。(その3に続く)
※私見ですが、ベルンシュタインの予期的知覚情報はギブソンのアフォーダンスとも共通すると思っています。
※運動学習についてのベルンシュタインやギブソンらのアイデアは、拙書「リハビリのシステム論-生活課題達成力の改善について(前・後編)に詳しい説明を載せています。以下のURLから。https://www.amazon.co.jp/dp/B0BNFQ95Q5
※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイを投稿しています。最新のものは「自律的問題解決とは?(その2)」です。こちらもよろしく!https://note.com/
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その2)
-生活課題達成力の改善について
学校で習う運動システムの構成要素は筋肉が出す筋力、骨・関節・軟部組織などから生まれる柔軟性、エネルギーを供給されながら動き続ける持久力、感覚器と神経系で感じられる感覚など、目に見える構成物から生まれるものとして考えられます。そして運動システムの構成要素である筋力、柔軟性、持久力、感覚などのうち、悪くなった構成要素を改善することで運動能力が改善すると考えます。
それで歩行不安定において下肢の筋力低下が見つかると、下肢の筋力強化をするわけですが、それを「座位姿勢」で行うことは普通に見られます。
というのも学校で習う要素還元論の視点は、機械を修理するときの考え方でもあるからです。機械は壊れた部品を治すか交換して元の状態に戻せば、その本来の力を発揮します。どんな風に直すかは問題ではありません。
機械と同様に、人でも筋力低下が起きていれば座位でも臥位でも、ともかく筋肉を太らせれば筋力は元通り改善し、歩行も改善すると考えます。それで座位でも臥位でも構わずに筋力強化すれば、元通り安定して歩けるようになると考えるわけです。
でも人の運動システムには「運動スキル」という機械にはない能力が備わっています。
筋力、柔軟性、持久力、感覚などの構成要素は、CAMRでは「運動リソース(運動の資源)」と呼びます。運動スキルとは、課題達成のための運動リソースの使い方です。
筋力などの運動リソースが改善するだけで運動能力や必要な課題達成力が改善する訳ではありません。むしろ運動リソースが改善しなくても、運動スキルが変化することで運動能力はアップするのです。
たとえば筋ジスの子どもたちでは大関節の筋力という運動リソースが低下しても、運動スキルが工夫されることで歩行能力を維持していることがわかると思います。
機械ではその構成要素の役割や作動、そして全体としてどう作動するかはきっちり決められています。決められた作動しかできないのです。状況が変化してもやり方を変えることはありません。機械では運動スキルがなく、人の運動システムで言う運動リソースだけがきっちりと一つのやり方が決められて組み立てられているわけです。印刷機のような巨大で複雑な機械でも、各部品にしても全体にしてもその作動は一つなのです。
つまり人の運動システムにおいては、その作動は運動リソースと運動スキルの二本柱で作られているのです。人の運動システムを機械と同じように理解していてはダメなのです。
前回、「筋の特異性」と呼ばれた性質について触れました。背臥位で上腕二頭筋の筋力強化を行うと背臥位での筋力は増加するのですが、座位になると改善が見られないことが知られています。単純に筋を太らせることが重要なのではありません。力の出し方やその大きさ、つまり運動スキルがどう作られるかが重要なのです。
背臥位での筋力改善は背臥位での運動スキルとして学習されているので座位ではその効果はすぐには反映されないのです。運動リソースを改善すればそれでオッケーと言うわけにはいかないのです。
座位で大腿四頭筋の筋繊維を太らせても、立位や歩行では前進の筋肉との協調や基底面・重力の関係は変わってきますので、すぐに歩行などの体の使い方には反映されないため、改めて歩行の運動スキルを学習し直す必要があります。
時間を節約することを考えると、立って歩くためには立って歩く中で筋力強化をしながら運動スキル学習を行ったほうが効率的なのです。
CAMRでは必要な課題達成のための運動スキルを学習しながら、その中で運動強度を上げて筋力強化を行うように工夫します。また運動スキル学習は、課題の達成の過程で「状況や条件の変化を多様に起こして課題達成を促す」ように工夫します。これがとても重要です。
と言うのも「運動スキル学習」というと、「同じ運動を同じ条件下で繰り返すことが必要」とよく誤解されています。以前の運動学習のアイデアでは、「働いていない神経は土の詰まった溝のようなもの。これに水を何度も通して溝の通りをよくする」という喩えで考えられていましたが、これがそもそもの大きな誤解の元です。
次回はCAMRで言う「運動スキル」と従来の「運動学習」のアイデアの違いについて詳しく説明できればと思います。(その3に続く)
※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイを投稿しています。最新作は「自律的問題解決とは?(その1)」です。以下のURLから。https://note.com/camr_reha
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その1)
-生活課題達成力の改善について
健康な若い人の単純な骨折では、「怪我をする前の健康な運動状態に戻す」という治療方針を持つことになりますね。これは治療によって骨折が治り、ほぼ元の状態に戻すことが可能だからです。
一方で脳性運動障害のように、麻痺を直すことができないと「元の健康状態に戻す」という目標は達成不可能となります。そうなるとリハビリの目標は、「現状達成可能な範囲で運動能力を改善し、患者さんが必要とする生活課題が達成できる」という目標を持つと思います。
実際、脳性運動障害を見る多くのセラピストはこの方針でリハビリを進めていると思います。
CAMRでも、単純な骨折の様な元に戻すことが可能な傷害では、元の状態に戻すような方針を持ちますし、脳性運動障害で元に戻れないときは、今可能なできるだけ良い状態に持っていくことを目標として考えます。
ではCAMRが従来の学校で習うようなアプローチと違うのはどんな点かというと、CAMRでは「運動課題達成力は、運動リソースと運動スキルからなる」と考えていることです。
従来学校で習うアプローチでは、筋力や柔軟性、持久力、感覚などは運動の基本的構成要素と考えられています。歩行不安定が見られると、これらの構成要素を調べて低下した要素を探して改善します。たとえば両下肢の筋力低下が見られると、「両下肢の筋力強化」を行います。
CAMRで理解する運動システムは、皮膚を境界とするのではなく、「身体と環境からなる」と考えます。そして構成要素ではなく運動リソース(運動の資源)として考えます。
(どうしてこうなるかはシステム論の視点から生まれます。学校で習う視点は目に見える構造として運動システムを考えるため「皮膚に囲まれた身体」が運動システムであると理解しますが、システム論を元にしたCAMRでは、その時、その場でシステムの作動に参加するものが運動システムを構成すると考えますので)
運動リソースは身体リソース(筋力、柔軟性、持久力、感覚など)と環境リソース(大地や構造物、家具、道具、他人や動物など)に分類されます。
また身体リソースが環境リソースに関わるときに生まれる意味や価値は「運動認知」と呼ばれます。(以前はこれを「情報リソース」と呼んでいました(^^;))
たとえばあなたが目の前の幅1メートルの溝を渡ろうとすると、「跨いで渡れる」や「渡れない」、「助走をつけると渡れる」などの課題遂行の結果や手段などの予期的な運動の認知が生まれますよね。これが「運動認知」です。これを元に課題達成の運動が導かれるわけです。
そしてこの運動認知を用いて課題を達成するための運動方法が「運動スキル」です。運動スキルは、身体リソースや環境リソースの課題達成のための用い方です。
学校で習う視点では、構成要素である筋力、柔軟性、持久力などを中心に改善することで運動能力が上がると考えます。だから歩行能力を改善するために、座位で下肢筋力を改善したりします。座位で筋力を改善すれば、自然に歩行能力は改善すると考えるわけです。運動スキルの概念がないのです。
一方CAMRでは、歩行スキルの中で全身の筋力を改善する必要があると考えます。その理由は「筋の特異性」と言われる性質によります。(その2に続く)