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脳性運動障害の理解を見直す(その2)
前回述べたように、学校で習うジャクソンの神経学を学ぶと、「脳性運動障害では陰性徴候と陽性徴候の二つの症状が見られる」ことになります。
一つは脳細胞が壊れた結果、脳の機能が失われた現象としての陰性徴候です。これは姿勢反応や随意運動、筋力が低下・消失する現象です。ただ「筋力が消失・低下したために姿勢反応や随意運動が低下・消失した」ということでしょう。(以前は「脳性運動障害では筋力低下はない。筋収縮の異常があるだけだ」などと言っている人もいました。どうも痙性麻痺や過緊張の現象を見て、「筋緊張が生まれているのだから筋収縮がある、筋力低下はないはず」と思っていたようです。これまた変な話です。実際には過緊張が低下すると弛緩状態が露わになるだけで、基本的な筋収縮は低下・消失していることが分かるだけです)
もう一つは陽性徴候で、健常者では見られない原始反射などの優位な出現や伸張反射の亢進状態や過緊張状態の出現のことです。
ジャクソンの神経学ではこの二つの症状が見られるといっていたわけです。
しかしCAMRでは、運動システムの作動の特徴から運動システムを理解します。
前回述べたように、「人の運動システムはその人にとって必要な課題を達成しようとしますし、もし課題達成に問題が起こると運動システムは自律的に問題解決を図って課題を達成しようとする」のです。
たとえば脚が痛いとできるだけ使わないように移動したりします。腓骨神経麻痺があると下垂足の脚が床に引っかかって転倒してしまうので鶏歩という歩き方で問題解決を図ります。片麻痺後には半身が麻痺して脚が振り出せないので「分回し」という問題解決を図ります。
そうすると脳性運動障害後に見られる現象は全て症状なのでしょうか?それとも課題達成に問題が起きたので,問題解決の作動の現象が出現して元の症状に加わり、複雑な様相を呈しているのではないでしょうか?
CAMRでは後者の立場をとりますので以下のように説明します。
] 発症直後の脳卒中患者さんが病院に搬送された様子を見ると、麻痺側が弛緩状態です。弛緩状態というのは、筋が水の袋のようになってブヨブヨになります。ちょうどプラスチックバッグに水を入れたような状態です。
そうなると麻痺側の体は可動性のある骨格を水の袋に入れたような状態です。床上では重力に押されて安定するまで広がろうとします。
実際に急性期の患者さんの中には、ベッドの真ん中に静かに寝ているのに、「誰かがわしの体を引っ張る。このままではペッドから落ちてしまう」などと言われる方がいます。きっと弛緩した部分が重力に押されて広がって安定しようとしているので引っ張られているように感じるのでしょう。
そうするとこれは問題です。人間は動物、「動くもの」です。常に動いて課題を達成しようとしますが、それができないという問題が生じたのです。弛緩状態の麻痺側の上下肢は水の袋のように体を床に押しつけて動くこともままなりません。
そこで運動システムは問題解決を図ります。弛緩状態の部分を硬くするメカニズムを身体の内部に探索するのです。そうすると伸張反射や原始反射は、筋緊張を高める作動があるので部分的、あるいは全体的に体を硬くするのに活動します。
いったん収縮した筋肉はキャッチ収縮のメカニズムによって持続的に収縮状態を保つので、弛緩した上肢を一つの塊とすることができます。そうすると健側で引きずってでも動けるようになります。また弛緩した下肢を硬くして体重支持をすることも可能になります。
つまりCAMRの視点では、ジャクソンの提案した陰性徴候こそが本来の脳性運動障害の主症状です。そして陽性徴候に当たる現象は,「障害後の弛緩状態から動くために運動システムが実施した問題解決」である、と考えるわけです。
少しうがった見方をすると、ジャクソンは「人を機械として見ている」のではないでしょうか?機械は問題解決を図りませんので、故障後の現象は全て故障によるものでしょう。でも人や動物では問題解決を図るのが当たり前です。傷病による直接の症状とその後に自律的問題解決を図るので、その現象も加わって見た目を複雑にしているのではないでしょうか?(その3に続く)
※イラストの解答:男性は歩隔を広く、T字杖を前方に突いています。これが問題解決の現象です。男性には「軽い基礎定位障害があるために、重心が基底面から飛び出さないように広くとっている」と考えられます。特に前方にT字杖を突く場合は、「後方へ引っ張られるような感覚や不安」があることが予想されます。(絵が下手で申し訳ない(^^;))
※毎週木曜日にはNo+eにオリジナルのエッセイをアップしています。最新作は「君たちはどう生きるか-リハビリのセラピストへ(その1)」
以下のURLから
https://note.com/camr_reha/
脳性運動障害の理解を見直す(その1)
神経生理学者のジャクソンは、1932年に「階層型理論」を発表しました。脳性運動障害では、下位レベルの反射に対する高位レベルのコントロールが失われ、そのために下位レベルの反射が過活動になり運動を支配するようになると説明されます。
そして陽性徴候と陰性徴候の二つが出現するとしています。陰性徴候とは正常で見られるはずの姿勢反応や随意運動、筋力などが低下や消失する現象です。陽性徴候は正常では見られない原始反射の優位な出現や痙性,筋の硬さの出現を言います。陰性徴候は障害によって正常な機能が喪失した状態ですが、陽性徴候は障害によって破壊をまぬがれた下位中枢の解放症状であるとしています。
ややこしいですよね。僕も学生時代からずっと悩まされてきました(^^;)「じゃあ、どうするんだ?」って感じになります。
30年前くらいまでは下位レベルの原始反射や伸張反射の亢進、過緊張によって正常運動の出現が邪魔されるので、陽性徴候を抑えながら,陰性徴候の姿勢反射などを促通しましょう、なんて言っていました。
今は壊れた脳細胞が持っていた機能が失われているので,壊れていない他の脳細胞に失われた機能を学習してもらいましょう、正しい運動のやり方を憶えてもらいましょう、なんてことになってるらしいです。
どうも人の脳をコンピュータのように考えて、運動感覚を脳に学習してもらい、脳の中に運動プログラムを入力しようとしているわけです。脳をまさしくコンピュータと見做しているわけです。
これまた変な話です。人が作った機械に過ぎないものをモデルに人の脳を理解してると言うことですよね。コンピュータは今のところプログラムを入力しないとなんの役にも立ちませんが、人の脳も誰かが運動感覚という入力をして脳内に運動プログラムを作らないと役に立たないのでしょうか?どうにも納得のいかない話です。
実際、どうやってそれをするの?と思います。実際に見ていると健常者に近い姿勢をセラピストの手の介助で保持して荷重経験などをします。他人が動かすことで何か1人でできるようになるのでしょうか?これまた疑問だらけですよね。
ともかく不思議なのは90年以上前に提案されたこのアイデアを中心に未だにリハビリが回っているということです。90年前,約1世紀前ですよ!
脳性運動障害を説明するためのもっと新しい理論がないものでしょうか?で、実はそれがあるんですよ、お客さん!・・・・ごめんなさい、安っぽいですね(^^;)
それの一つがCAMRです。CAMRはシステム論を基にした日本生まれの医療的リハビリテーションの知識・治療体系です。
学校では人体の構造や各器官・組織などの働きから人の運動システムを理解しますよね。脳が命令して、神経が伝えて、筋肉が収縮し、関節が動く,といった具合です。もし関節が動かなければ、関節か筋肉か,神経か脳かと悪いところを探して治します。まあ、機械の修理と同じやり方です。
一方でCAMRでは運動システムの作動の特徴から運動システムを理解します。その運動の作動の特徴とは以下のようなものです。
①人の運動システムは,常にその人にとって必要な運動課題を達成しようとする→人の運動システムは生まれながらに自律的な課題達成者である
②必要な課題の達成に問題が発生すると、なんとか問題を解決して課題を達成しようとする→人の運動システムは生まれながらに自律的な問題解決者である
③人の運動システムは達成するべき課題や解決するべき問題があると、身体の内外に利用可能な運動リソース(運動の資源。筋力・柔軟性や大地・道具など)を探し、適切な運動認知によってその課題達成や問題解決を行うための運動スキルを生み出す
④健常な人の運動システムは身体リソースである筋力や柔軟性、持久力、感覚・知覚が豊富で、適切な運動認知によって無限に運動を生み出し、変化させることができる
⑤健常者の運動システムは課題や問題などの状況変化に応じて多様な課題達成や問題解決のための運動スキルを生み出し、修正することができる⑥障がい者では傷病によって,筋力・柔軟性・持久力・感覚などの身体リソースが貧弱になる。そうなると運動認知も不適切になり、柔軟で適応的な運動スキルを生み出すことができない,あるいは難しくなって生活課題達成力が低下する
これだけでは分かりにくいですが、以上のような①~⑥の作動の特徴を基にリハビリのアプローチを組み立てるのがCAMRのアプローチとなるのです。
このシリーズでは、システム論を基にしたCAMRを基にすると、脳性運動障害の理解がどうなるか、そしてアプローチがどうなるかを見ていきます。(その2に続く)
CAMRが他のアプローチともっとも違うところは?
今回もCAMRの勉強会から、あるベテラン作業療法士からの質問を取り上げてみます。「→」で始まるのが受講生さんの言葉です。
→課題達成力を改善するためにまずやるべきことは、身体リソースや環境リソースをできるだけ豊富化すること。それと同時に増えたそれらの運動リソースの利用の仕方である多彩な運動スキル学習を進めていくのですよね。
ふと、気がついたんですけど、それって冷静に見ると運動リソースとかいう言葉は使わないけれど、これまで臨床でみんながやってきた「筋力、柔軟性、補装具などを改善して目的の動作・行為の練習をする」という伝統的なアプローチと本質的に変わらないように思います。
だけど同じようなことをしているはずなのに何か印象が違うというか、違和感があるというのがとても気になっています。どういうことかわかりますか?
「鋭い意見ですね・・・・まだよく分かりませんが、これを理解するには伝統的アプローチとCAMRの人間観というか運動システム観が違うのだということをまず理解する必要があるのかもしれません。
学校で習うような伝統的なアプローチでは、人の運動システムは構造とその各部位の機能で理解しますよね。たとえば「脳が命令すると神経が興奮を伝えて筋肉が収縮して、関節を曲げたり伸ばしたりする」と理解します。そうすると関節が動かなくなると、筋肉か神経か脳のどこかが悪いということになります。そしてその「悪いところを見つけて治す」というのが基本的なアプローチになります。
この理解の仕方は基本的には機械と同じです。機械は構造と各部品の機能で理解されます。もし問題があれば「悪い部品を探して、治す・交換する」ということになります。
一方でCAMRでは運動システムは構造ではなく、作動の特徴から理解します。人の運動システムの作動の特徴は沢山あるのですが、講義でも言ったように、課題達成に問題が起きると、なんとか自律的に問題解決を図って課題を達成しようという『自律的問題解決』という作動上の特徴を持っています。
たとえば脳性運動障害後は弛緩麻痺が出て動けなくなります。だから人は動くために問題解決を図ります。弛緩状態の部分を硬くして動こうとするわけです。 これが機械と一番違うところです。機械は壊れたらそれっきりですが、人はなんとかできる範囲で問題解決を図ります。その作動の現象が障害像に加わります。このことを理解していないと、「傷害後に現れる全ての現象は症状として理解して」しまい、因果関係を間違ったりするのです。
また機械はこのように必要な課題を達成するためには外部からプログラムを入力してやり方を教えてあげる必要があります。それで人を機械として理解していると「私が正しい運動を教えてあげないといけない」とセラピストが考えたりします。他にも機械には「正しい運動」あります。設計者の意図通りの運動が正しいわけです。だから人の運動にも正しい運動があると思い込みます。だからセラピストは正しい運動を出すために「治す」という方針を持ちがちです。
実際には人の運動システムは必要な生活課題を自律的に達成しようとしますし、その課題達成に問題が起きれば自律的に問題解決を図ります。そのための運動スキルは運動システム自ら生み出してきます。
人を作動上の特徴から理解していると、課題達成や問題解決の運動スキルを人自ら生み出すことが分かっているのでセラピストの仕事は「やり方を教えることではなく、患者さんがやり方を自ら経験して発見する手伝いをすること」と理解できます。
そしてそのために有利な条件を設定するお手伝いもできるようになります。たとえば運動リソースは豊富であればあるほど運動スキルが多彩に生まれ柔軟に発達しやすいのです。しかもどの運動リソースをどう使ってどのように運動スキルを生み出すかはその人の運動システムしか理解できません。
それでセラピストは改善可能な運動リソースはできるだけ改善して、適切な課題を設定して後は患者さん自身がその課題を実施・経験する過程の中で自ら課題達成し、問題解決する方法を見つけだすというやり方でお手伝いするのです。
もし人の運動システムを機械として理解すると、「悪いところを見つけて治さないといけない、そして正しいやり方を教えないといけない」とセラピストは思うはずです。基本的に解決の方向は「治す」ことだけになりがちです。
でも人の自律的な問題解決や課題達成のやり方を理解しておけば、「予め改善可能な運動リソースはできるだけ豊富にしておき、適切な課題設定と環境を整えて生まれてきた課題達成の新たな運動が生まれれば良いと考えます。
たとえば分回し歩行は、「麻痺のある体で歩く課題を達成する方法」なので、課題達成の方法として受け入れれば良いのです。わざわざ「健常者と比べて正しくない」とか特定の価値観で判断する必要もないのです」
→うーんよく分からないけど、これまでの理学療法とは違うなという印象はありました。根源に人を機械として見ていないところにあるのかも知れませんね。人は人であって、元々正しい運動というものはなくて、現れる運動は麻痺などの状況次第が当たり前で、何も健常者と比べて違うから健常者の運動に近づけようと考えてもいないというところがあるのかも知れませんね。実際にやってみながらもう少し考えを整理してみます。(終わり)
「健常者のように歩きなさい!」
今回はCAMRの勉強会から、セラピスト歴3年の理学療法士からの質問を取り上げてみます。「→」で始まるのが受講生さんの言葉です。
→「CAMRでは、分回し歩行は「代償運動」とか「異常運動」とか呼ばないとのことですよね。これらは健常者とは違うやり方、違う形という意味で、麻痺があれば健常者とは違ったやり方、形になって当然だということでした。
確かに麻痺が治せないのに健常者の歩行になれるわけはないし、『健常者の歩行を真似したら麻痺が治るかも?』みたいな間違った変な流れが僕の周りでは自然になっているのもおかしいです。
でもそもそもどうして麻痺がある体でも「健常者のように歩かないといけない」と言うことになったのでしょうか?そこのところがどうもわからなくて・・・」
確かにその通りですよね。色々検討するべき視点があるのですが、簡単に説明します。
「障害者も健常者の様に歩くべきだ」というアイデアは、リハビリ業界では根強い思い込みの一つです。
たとえば分回し歩行は教科書に「代償運動」とか「異常歩行」とか説明されています。これに教官も疑問を持ちませんし、生徒はそれこそ素直に従いますよね。
これに対する一つの説明は、「リハビリの夜」の著者である熊谷晋一郎さんが書いています。簡単にまとめると「障害者というマイノリティに対して、健常者であるマジョリティから『そんな歩き方をしないで、もっと努力して私たち健常者の様に歩いてごらん』という上から目線の同化主義ではないか」ということです。
これは一見健常者から親切に言っているようですが、健常者は障害者を全く理解しようとしないで自分勝手な価値観と達成不可能な課題を押しつけているわけです。障害者にとっては迷惑至極でしょう。今でも現場でこのような価値観を振りかざしている人を見ることがあります。
もう一つの説明は、リハビリや西洋医学には、人を機械として見る伝統があるということです。機械には必ず「正しい運動」があります。つまり設計者が意図したとおりの動きが「正しい運動」となるわけです。
そもそも西欧の思想史の根底には「人間機械論」と呼ばれる思想が大きな影響を与えているといわれます。それは「人は神(又は自然)が作った機械である」というものです。だからこの場合は「健常者の運動こそが神の意図した正しい運動である。障害者の運動は壊れた状態だから治さないといけない」と思ってしまうのでしょう。
それに私たちはこどもの頃から様々に動く機械に囲まれて育ってきました。だから「動くものは機械であり、人の体もやはり機械のようなものだ」と人を機械のように見ることに抵抗がないのだと思います。
その証拠に脳をコンピュータとして理解することが普通に見られます。本来、人が作った機械に過ぎないものに、それを通して人の脳を理解したつもりになるというヘンテコなことが起きているわけです。
そして人の体を機械として見て、悪いところを探しては、その悪いところを治したり交換したりすることが治療であるという風にも考えてしまいます。病気や障害を持つと壊れた機械のように止まったり、異常な動作をしたりするものだと考えてしまいます。
でも人は機械と違って、病気になって必要な課題達成ができないと、なんとか自分なりに問題解決を図るものです。ロボットは腕が壊れると腕を使った作業ができなくなります。しかし人は手が使えなくなると代わりに脚や口で課題達成するという問題解決を図るものです。
この「人は機械とは違うんだ」という基本的な視点がないと、障害像を誤って理解したりするわけです。特に脳性運動障害ではその間違った理解が大きな問題になるというのが今日の講義でした。
→「ああ、なんとなくわかる気がします。僕も患者さんの体を機械として接する傾向があるのかもしれません。よく先輩から、『そんなに急いでちゃ、ダメだ!もっと患者さんの気持ちを考えて』と注意されますので・・・・・
この話はこれ以降テーマが脱線してしまいますのでここで切ります。
CAMRでは人を人として接しながら、どのように治療するかの方法論があります。いずれまた整理して書いていきたいと思います(終わり)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!「「脚が動かんぞ!」患者さんからの訴え」https://note.com/camr_reha
広島市第2回 CAMRベーシック 無料勉強会
《勉強会詳細》
日 時: 2024年11月24日(日曜日) 9時30分~13時30分(休憩は1時間に10分程度)
場 所: アステールプラザ 小会議室2〒730-0812 広島県広島市中区加古町4−17TEL(082)244-8000
受講料: 無料
参加資格: PT・OT
申込み・問い合わせ: camrworkshop◎mbr.nifty.com(面倒ですが上の◎を@の半角に置き換えてお申し込みください。氏名、職種、経験年数をお書きください。お申し込み後には、資料や講習会の詳細をメールなどで送付します)
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テーマ:「脳卒中後遺症のリハビリ-もう一つの選択肢を!」
「人の運動システムをどう理解するか?」 この理解の仕方によって、その後のリハビリは随分と変わってきます。 医療的リハビリの学校では、人の運動システムを構造と器官・組織の働きから理解します。たとえば「骨・関節は力に支持と方向を与えます。筋肉は力を生み出し、末梢神経は身体や外部の状態を脳に伝え、脳などの中枢神経系がその感覚から情報を生み出し、状況を判断し、神経を通して運動をコントロールするのだ」などと習います。
この「構造と働きで理解する」のは機械の理解と同じ視点ですね。機械の作動を理解するためには、機械の構造と各部品の働きを理解します。そしてこの機械に不具合が起きると「悪い部品を探し、それを直すか,交換する」ということになります。
機械では悪いところを修理、交換して元通りの構造に戻さないと設計者の意図したように「正しく」働かないので、「直す」ことにこだわるのです。
学校で習う治療方略も、同様に人でも関節が動かないなどの問題が起きると「悪いところを探して治す」という治療方略になります。だから脳が壊れると脳を構造的(あるいは機能的)に治そうというアプローチに自然になりますね。
日本でもこの考え方が入ってきてもう半世紀以上が経ちますが、それでリハビリで脳が治せるようになったかというと、とても実現できそうにありません。もちろん今のところ電子工学を利用したアプローチやIPS細胞での置き換えの治療ではまだ可能性がありますが、まだはるか先の話のようです。
一方でシステム論を基にしたCAMRでは、人の運動システムはその作動の特徴から理解されます。
人の運動システムにどんな特徴があるかというと、人の運動システムはその人にとって必要な運動課題を常に自律的に達成しようとします。もし身体の一部分が悪くなったり、失われたりしても、活動すること、必要な運動課題を達成することをやめようとは思いません。残った身体と機能でなんとか問題解決を図り、できるだけ必要な課題を達成しようとします。
ここが機械の作動と違うところです。機械では一部品が壊れただけで作動が止まったり異常な作動をしたりします。他の部品が頑張って機械の正しい作動を維持しようなんてしません。
このような運動システムの作動の特徴は、CAMRでは「自立的課題達成」と「自律的問題解決」と呼ばれます。麻痺があってもなんとか動こうとし、必要な課題を達成しようとします。人は生まれながらに「自律的な課題達成者であり、問題解決者」です。
だからCAMRのリハビリ・アプローチも「治して元通りにする」よりは「今ある機能を最大限活用して柔軟に適応する」という方向を目指します。
つまり人の運動システムの「なんとか問題解決を図り、必要な課題を達成しよう」とする作動が上手くいくように手伝うのです。
他にも人は必要な課題を達成し、問題を解決しようとして「隠れた運動リソース(運動の資源)を探索し、できるだけ改善し、その活用方法である運動スキルを創造して問題を解決しようと」としています。
だからセラピストは患者さんが利用可能な運動リソースをできるだけ増やし、運動スキルが柔軟に適応的に発達する過程を理解して、運動スキル学習を手伝うのです。脳性運動障害では、「治そう」とするのではなく、「支え、手伝う」ことが人の運動システムにはより適切だからです。
CAMRの勉強会は、このことを伝えるために開かれます。どうぞこの機会にこの無料勉強会にご参加下さい。決してこれを機に怪しい医療機器を販売するなどは一切ありません(^^;)