「先輩PTの説明が納得できない!」(後編)
前回は先輩の因果関係の説明が間違っていること、相関関係の説明と混乱していることなどを説明しました。
ただそれでも運動変化が起きている可能性について説明しました。先輩は立ち直り反応を促通しているつもりなのでしょうが、結果として柔軟性が改善していてそれが歩行変化として先輩には見えているということです。
僕自身は、リハビリで意図していることとは別に、まず患者さんに動いていただくことで色々な可能性を生み出しているんだろうと思っています。
今回は、新人PTさんが密かに思っている「歩行不安定には下肢筋力の改善をした方が良いのではないか」について答えます。(以下、→以降が受講生の会話内容です)
→今日の講義の中で、「人は自律的な問題解決者である」と話してきました。もし歩行が不安定なら、患者さんはどのような問題解決を図ると講師が言いましたか?→えーと・・・・まず歩隔を広げる、家具や壁に手をつくなどして基底面を広げて重心が基底面から出にくくするでしたっけ?他に手を広げてバランスをとるとか。
そうですね。この患者さんは体が硬くて動きもぎこちなく、運動範囲も小さいのでしたね。そうなら可動域の低下があって歩隔を広くとって基底面を広げられないとか、体幹が棒の様になって重心移動が困難なのかも知れませんね。
そうすると先輩のやっている立位から臥位へ、臥位から立位へと大きく姿勢変換すると全身の大関節に動きが入るので、少し柔軟性が改善し、歩隔が広がって基底面が広くなり、体幹の柔軟性が改善して重心を基底面に保持しやすくなったから先輩の目からは少し安定して歩いていると見えたのかも知れません。
柔軟性という身体リソースが改善しただけで運動は変化します。当然筋力という身体リソースが変化しても運動は変化します。そうするとより大きな運動変化を起こそうと思うなら?
→えーと、柔軟性も筋力もできるだけ改善してあげる・・・・つまり身体リソースを全体的に豊富にすることがまず変化の条件ですよね?
その通り!その上で運動スキル学習を進めるのでした。たとえば上田法で体幹の柔軟性を改善すると、いきなり運動範囲や重心の移動範囲が大きく広がってしまい、患者さんは却ってコントロールできなくなくて戸惑ってしまいます。
だから患者さんに広がった柔軟性を色々に使ってもらい、こんなことができる、こんなことはできないという運動認知を適切化することで、その柔軟性や筋力をどう使うかという運動スキルを適切に発達させることができます。
セラピストができることは、まず身体リソースや環境リソースを豊富化すること。それらを使うための運動認知の適切化と運動スキルの創造を促すために、患者さんにとって意味や価値があり、適切なレベルの運動課題を設定して実施します。そして患者さんとセラピストが協力して工夫しながら運動課題を進めるのでしたね。
→でも心配があります。先輩にはなんて説明しましょう?僕がこんなこと先輩に言っちゃあいけないと思うし・・・・・・なんだか怒ったり、拒否されたりすると思うんですよね。
あ、そこは難しい問題です。先輩はこれまで「立ち直り反応の促通が歩行安定性に繋がる」という因果関係を信じてこられて、さらにそれを後輩にも誇りを持って教えていますよね。だから間違っても正直には言えません。これまでの先輩の人生を否定することになってしまいます。そうなると人間関係はおしまいです。僕は若い頃、それで良く失敗しました(^^;)
実際に職場の人間関係は大事ですから。大変なストレスになるかも知れませんが、今まで通り接しながら少しずつ小出しに説明するか、可能ならCAMRの資料が自然に目に触れるようにしたらどうでしょうか?
あるいは立ち直りの促通をする振りをして柔軟性の改善をする、筋力強化は板跨ぎなどの課題を通して色々工夫してできるので、先輩の指導に上手く合わせてそれらをやっていかれると良いと思います。観察力のある方であれば変化に敏感でしょうし、興味を持ってもらえるかも知れません。後は言い方に気をつけてください。とは言え、まあ、その辺り先輩の性格とか職場の人間関係とか色々とあると思うので、何とも言えません。ただ職場内で強い対立関係とか敵対関係はできるだけ作らない方が良いです。
それとあくまでも人の意見を丸呑みにしないで。もちろんCAMRのアイデアも含めてね、自分でやって納得できるかどうかをまず試して見てください。
→はい、頑張ってみます!とりあえず言われたことは試して納得できれば続けてみるし、そうでなければまた自分でも色々考えてみます。
CAMRの学習会はこんな感じです。次回からもCAMRの学習会で出た色々な質問についての説明を紹介していきます(終わり)※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!最新の投稿「CAMRの流儀 その6」https://note.com/camr_reha
先輩PTの説明が納得できない!」(前編)
今回は過去のCAMR講習会や勉強会を通して寄せられる様々な質問・疑問についてCAMRの立場から答えたものを紹介します。読みやすいように会話形式で整理しています。多少なりとも参考になればと思います。
さて、最初に取り上げる質問は理学療法士になって10ヶ月の新人さんです。
僕の職場の指導担当の先輩は、片麻痺患者さんの歩行がやや不安定なのを見て、「歩行不安定なのは立ち直り反応の低下が原因である。だから臥位になって立ち直り反応の促通をしっかりするべきだ」と言ってやって見せてくれます。
そして歩いてもらって、「ほら、立ち直りをやった方が安定しているだろう」と言ってきます。一応「そうですね」と答えるのですが、どうも僕にはあまり変化していないように思えます。
僕はどちらかというと下肢筋力を鍛えた方がより歩行が安定するようにも思うのですが・・・どう思いますか?
これはよく聞く話です(^^)
まずは患者さんの大まかな状態を以下の質問で明確にしましょう。
①T字杖で歩いておられるのですね。発症後、どのくらいの方ですか?
→6ヶ月を過ぎたところです。
②その患者さんは体が硬くなってます?動きがぎこちないとか、動きが小さいと?
→はい、やや硬く、ぎこちない感じです。脚の振り出しも小刻みほどではないですがやや小さいです。
これで少し患者さんの様子が想像できます。
さて、では一緒に考えてみましょう。
まず、僕が考えるに先輩の「歩行不安定なのは立ち直り反応の低下が原因である」は間違った因果関係です。
原因は明らかです。つまり血管の詰まりや出血によって脳細胞が壊れたことです。その結果、立ち直り反応をはじめとする姿勢反応の低下や弛緩性麻痺、そして低緊張・過緊張の歪んだ分布、麻痺肢の随意性の低下、そして歩行不安定が見られるのです。つまりこれらは全て結果なのです。そして先輩はその結果同士に因果の関係を想定しています。だから間違った因果の関係を想定しているということです。
ここまでよろしいですか?
→少しわからないところが・・・・脳細胞が壊れて立ち直りが悪くて、その結果として歩行不安定になるのでは?それに先輩の説明で「立ち直りが悪いと、歩行不安定も大きい、立ち直りが良くなれば、歩行も良くなる」というのはなんとなく納得できます。
そうですね、ではこう考えてみましょう。コロナウィルスに感染して発熱や頭痛、関節痛、鼻水などの上気道炎症状、倦怠感がみられます。この場合、結果同士「発熱が原因で倦怠感が見られる」というのは正しい因果関係でしょうか?
→ああ、正しい因果関係とは言えませんね。原因は明らかにコロナウィルスの感染です。
でも解熱剤を飲めば倦怠感は多少楽になるかもしれませんね。この場合、解熱剤は原因を改善しているのではなく、現在の状態である高熱を改善しますので、全体として状態は少し良くなるかもしれません。もちろん原因は解決していませんけど。
一方リハビリで臥位になって立ち直り反応を促通する行為は、多少現状を変化させるかも知れません。たとえば立位から臥位へ大きく姿勢を変えますので色々な動きが各関節に大きく起きて、柔軟性を少し変化させます。その結果、先輩の目には、動きに変化があるように見えるのでしょう。でも変化の度合いはそれほど大きくないので、あなたの目には余り大きな変化には見えないのかも知れませんね。
→ああ、なるほど・・・・僕にはまだ観察力がないのかもしれません・・・・そうか、因果関係は間違っていても違う動きをすることによって状態が少し変化したということですね!
そうかもしれません。もう少し説明します。「立ち直りが良いと歩行バランスも良い、悪いと歩行バランスも悪い」というのは因果関係ではなく相関関係ですね。「麻痺が軽いと動きが良く、重いと動きが悪い」という当たり前のことです。つまり相関関係によって因果関係を説明するという混乱が見られます。
基本的には先輩の言っていることは、「立ち直り反応の低下という結果に感覚入力という手段ぽいものでそれを促通すると、脳の機能が改善して歩行バランスが良くなる」と言っているわけです。つまり「結果にアプローチして原因を改善する」という矛盾を主張していることになります。
まあ因果関係を間違え、相関関係と混同して変な説明をしていることになります。因果関係って、意外に難しくて誰もがよく間違うんですよ。
→すいません、一度にたくさんの話で頭が少し混乱します・・・ともかく先輩がやっているのは、違う姿勢になることで多少柔軟性が変化して、歩行の安定性も変化したように先輩には見えるということで・・・・・元々因果関係とは全く関係ないところで現状を変化させているということですね。僕も指摘されるまで全然間違いに気づきませんでした。因果関係って難しいですね!
→では僕が思っている、下肢筋力の改善はどうなんでしょうか?
残念ながら文字数が多くなってきました。続きは後編に。
過剰な情報と知識の中で
僕は30代の後半から10年間、リハビリ養成校の教官をしていた。その頃は科学的な知識や最新の情報は「パワーである」みたいなことを感じていたと思う。
だから講義・講義準備や事務仕事以外には図書室にある英語雑誌を読むことに当てていた。
友人との議論でも科学論文から仕入れたアイデアを振り回したものだ。一応リハビリ医学は科学を礎としているという共通認識があるので、科学論文から得られる情報と知識は業界人には特別にパワーを感じさせるものだった。
だからその頃はますますたくさんの最新情報と知識を得ようと頑張ったものだ。
ただ40代の後半になって臨床の場面に戻ると、なんだか勝手が違うことに気がついた。論文で得た知識や情報はしっくりこないことも多い。中には実際の患者さんで試すと全然うまくいかないばかりか却っておかしくなるようなものまである。
それで漸く知識や情報だけではダメで、経験も同様に大切であることに改めて気がついた。先輩セラピストの経験的なアプローチの優れた点に驚かされた。患者さんが自ら発見した運動スキルや課題達成のための工夫の素晴らしさにも感動した。
今思えば、知識や情報を偏重する姿勢はアベノミクスの金融政策にも似ている。理屈では金利を下げればお金が市場に潤沢になり、経済の好循環を起こすはずだった。しかし結果はご存知の通り。市場は様々な要素の相互作用から成り立っており、金利などの一要素だけで単純・素朴に期待通りの結果に反映されるわけではない。
同じようにリハビリ医学関係の知識や情報も、実際の経験の中で吟味される必要がある。
科学的視点からの研究では一要素の振る舞いと全体の振る舞いの間に因果関係を想定しているものが多い。アベノミクスのように一因子が全体の結果に与えると想定される単純な因果関係を述べているだけだ。
でも現実の現象、社会の動きや経済,そして人の運動変化なども一要素の影響だけでなく、様々な要素の相互作用の中で安定状態にいたるものだ。科学論文で言っているような一要素で効果が得られるものでもない。他の要因が異なれば、むしろ害を及ぼすことだってある。
現在も科学的知識や情報を丸呑みして信じているセラピストに会うことがある。いわゆるガイドラインとかEBMである。「私は科学的に効果が証明されているアプローチしかしない」と宣言する。「それ以外の方法は,民間療法のようなものでやるに値しない」とまで言う。
だが科学だって間違う。珍しいことではない。コレステロールだって最近「体内で作られる」と言われるようになったが,以前は食物から摂取すると言われていた。僕はゆで卵が好きでいくつでも食べたいのだが、食べると「コレステロール値が上がるからダメ!」と言われて何度悔しい思いをしたことか!(^^;)
実際、人のすることだから様々な雑念に影響される。米国の疾病対策予防センターはコロナが流行るまでは「科学的にマスクは医療職以外がしても効果がない」と言っていた。でもコロナ禍になると「マスクは効果的」と言い出した。また日本の研究者は、虚構の科学論文をいくつも提出していたしね(^^;)
つまり科学とは、元々丸呑みして信じるようなものでもないだろう。科学は疑問が常に起きて議論が起こり、時間と共に修正されていくものなのだ。
それに人が「正しい」と決めたことしかやらないのなら、マニュアルに従って工場の生産ラインに立つようなものだ。工場の生産ラインでは部品の均一性が高いのでそれで良いのだが、人は個別性が高いものである。だからセラピストは勉強するし、工夫もしてなんとかしようとする。それが「経験」と呼ばれる一つの大きな能力のようなものになるのである。
「そのあなたの言う科学的に認められた方法で効果が出なかったらどうするの?」と聞くと彼は言ったものだ。「それは・・・僕が悪いのではない」
いやはや、そもそも科学とは一人一人が疑問に向き合い、答えを探求し、議論することで成り立つのではないか。科学の信奉者というより自分では全くなにも考えないマニュアルの信奉者であった。(終わり)
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「リハビリのセラピスト」という仕事
リハビリ学院の同期生が還暦を迎えたので集まった。話を聞いているとみんなそれぞれに自分なりの理学療法・作業療法の進め方を身につけていることがわかる。
それで思ったのだが、リハビリのセラピストという仕事は、一から自分なりのやり方で自分なりの方法論を身につけて行くものだと思った。それぞれの方法論は実にその人らしさに溢れているからだ。
確かに学校で習ったこと、講習会で習った知識と技術でスタートしているが、やはりそれぞれの個性と職場環境でその後の展開は大きく違っている。
患者さんの笑顔がエネルギーの者もいれば、自分の一生の仕事として面白さを求める者もいる。興味のあることを中心に探求する者もいる。自分なりのやり方で40年近く自分なりの理学療法・作業療法の体系を作ってきたわけだ。
そんな話を聞いてとても嬉しかった。
というのも最近は「リハビリの仕事は面白くない」という若いセラピストの話を聞くことが多かったからだ。どの患者さんにも同じような訓練を繰り返したりしているわけで、まあ、工場の流れ作業のように同じ作業を繰り返しているように見える。自分の仕事が生み出す結果よりは、決められた手順を再現することが目的のように見える。これでは面白くないだろう。
実際に「リハビリの仕事は給料が安いから辞めて、工場に就職した」という話も聞いた。同じ流れ作業なら給料の高い方を選ぶわけだ。
最近はマニュアルだとかガイドラインだとかEBMだとか言われて「科学的に正しいやり方」が決められてしまっているようで、そこから外れにくくなっているのかもしれない。
僕たちの時代(約40年前)は、僕たちセラピストの卵に求められているのは、「生活課題の達成力を高める」などという非常にシンプルで具体的な結果であった。ただ「正しい方法」は学校で習うものくらいで、教科書通りにいかないことはすぐに実感したので、自分なりに結果を求めて、やり方を探し求めていた感じがある。なにをしたら良い結果が出るかを自分自身で考え、試行錯誤して生み出していたわけだ。
その良い結果とは、患者さんの笑顔であったり、活き活きとした表情であったり、単純にできなかった生活動作ができるようになることだった。自分なりに良い結果の基準も持っていたわけだ。
今は「正しいやり方はこうだ!」とか「効果のあるやり方は科学的に証明されている!」と周りの権威者達に決められ、与えられてしまうのかもしれない。なんだか「リハビリの結果より、方法の方が重要である」という錯覚が生まれやすいようだ。あまりに周りの大人達が自分の価値観を押しつけ過ぎなのだろう。リハビリ教育の高度化・専門化とはこんなことだったのかと思うと少し残念である。
「正しいやり方」を押しつけたところで、患者さんもセラピストもそれぞれの個性があって、その出会いの中で毎回異なったやり方が生まれるのが当たり前である。工場の流れ作業のように同じ部品が流れてきて、同じ動作を繰り返すと大体同じ結果に終わる仕事ではないからだ。
学校や講習会で得た知識は、自分の個性と毎回出会う異なった個性の患者さん達とのセッションを繰り返しては、自分なりのやり方が一から組み立てられていくわけだ。だからこそ一人一人がどんな結果を追い求めるかが重要なのである。
若いセラピスト達には、「生活課題の達成力の改善」のようなシンプルな結果を求めて、自分なりの方法論を試行錯誤しながら身につけていって欲しいと思う。
もちろん全て我流で一から始めるのは大変なので、大人達の意見を参考程度にすれば良い。色々と異なった意見も聞いて、自分なりのリハビリ訓練の体系を見つけていってもらいたいと願っている。そうすれば仕事は自然に面白くなるよ!(終わり)
【CAMRの最新刊】
西尾 幸敏 著「リハビリのシステム論(前編): 生活課題達成力の改善について」
西尾 幸敏 著「リハビリのシステム論(後編): 生活課題達成力の改善について」
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西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
【あるある!シリーズの電子書籍】
西尾 幸敏 著「脳卒中あるある!: CAMRの流儀」
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西尾 幸敏 他著「脳卒中片麻痺の運動システムにダイブせよ!: CAMR誕生の秘密」運動システムにダイブ!シリーズ①
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西尾 幸敏 著「システム論の話をしましょう!」CAMR入門シリーズ①
西尾 幸敏 著「治療方略について考える」CAMR入門シリーズ②
西尾 幸敏 著「正しさ幻想をぶっ飛ばせ!:運動と状況性」CAMR入門シリーズ③
西尾 幸敏 著「正しい歩き方?:俺のウォーキング」CAMR入門シリーズ④
西尾 幸敏 著「リハビリの限界?:セラピストは何をする人?」CAMR入門シリーズ⑤
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状況を変えてみることの大切さ
ここでも再々紹介しているが、「新生児歩行の消失」は一般に脳の未成熟と説明される。
つまり生まれてまもなくは脳が未成熟で、脊髄レベルの原始反射である新生児歩行が見られるのである。しかし数ヶ月すると脳が成熟して、原始反射である新生児歩行を抑制するので消失するのだ、と。なるほど、確かに上手く説明しているように見える。
しかし新生児歩行の消失した乳児をお湯に浸けると再び新生児歩行が生じるので、脳の未成熟の説明はおかしいということに気がつく。
それで色々調べて見ると実はその時期、下肢の脂肪が急激に増えて,下肢重量の急激な増加で相対的な筋力低下が起きる。それで下肢が持ち上がらなくなることが消失の原因だとわかるわけだ。
つまり一つの現象は,このように異なった状況で観察してみるとその実相が見えてくることが多い。
たとえば立っていると患側下肢を屈曲して持ちあげ、健側下肢だけで立っている片麻痺患者さんに出会う。従来なら「屈曲共同運動が出現している」などと評価し、「それを抑制するのだ」などとセラピストの手足を使って抑えつけようとしたりする。だがなかなかうまく行くものではない。まあ、ともかく従来の見方で言えば、陽性徴候である「屈曲共同運動が強い、下肢の屈曲筋の緊張が強い」などと言われてしまう。
しかし少し状況を変えてみよう。
患側下肢に訓練室に転がっているプラスチック製の短下肢装具を装着してもらう。合わないところは布やスポンジを当てて足関節をともかく安定させる。
そうしてそれで立っていただき、装具を装着した患側下肢で荷重練習を一瞬していただく。そうすると先ほどまでしつこく出ていた「屈曲共同運動」なるものがまったく見られなくなる。
そうなると解釈はまったく変わってくるものだ。患者の患側足関節には、内反があるためきちんと荷重・支持ができない。つまり患側下肢に荷重しようとするとうまく支持できないので転倒の危険性がある。それで患者さんの運動システムは、患側下肢を使わずに引っ込めていたのではないか? CAMRではこれを「不使用の問題解決」と呼んでいる。使うと転倒の危険性があるので不使用の問題解決を図ったのではないかというわけだ。
この例でも状況を変えてみることで現象の異なった面が見えてくるわけだ。
片麻痺の方が杖でゆったりとした大股での2動作歩行をしておられる。一見非常に安定していてうまく歩かれているように見えるが、実は家や施設で再々転倒を繰り返されていることが問題になっている。
担当セラピストは、「歩行にはあまり問題がないので、むしろ注意力の低下があって周りのちょっとしたものや段差に気がつかないのではないか」などと仮説を立ててみる。とは言え「では,どうするの?」と聞いてもあまりパッとした解決策が見当たらない。
こんな時は状況を変化させる、つまり異なった環境や状況内で歩いていただくとまた異なった面が見えてくるものだ。
たとえば屋外、階段、坂道、狭い通路などである。そうすると歩行における問題が明確になってくる。たとえば狭い通路に入った途端、杖と両脚で広くとっていた基底面がとれなくなり、それまでのゆったりした2動作歩行が3動作歩行になる。
つまりこの方は基底面を広くとって重心が基底面内からでないようにして歩かれていたことに改めて気がつくわけだ。基底面が広くとれないと、今度は3動作歩行で,常に2点で支えることで基底面を少しでも広くしようとされていることがわかった。
それでこの方は安定して歩くためにはかなり広い基底面が必要であることに気がつく。
CAMRでは基礎定位障害と呼ぶ片麻痺の障害群がある。重力と床の間で姿勢や重心を安定させることが苦手だ。そのために体をうまくコントロールできない。基礎定位障害が軽度であれば、平らな床上であれば、杖と両脚で基底面を広くとり、重心がその中から出ないようにしてうまく歩くことができる。しかし段差や階段、坂道では途端にコントロールが難しくなり、転倒しやすくなる。
それで漸く、この方が安定して歩くためには、かなり広い基底面が必要であることに改めて気がつく。しかも色々通路を工夫して変化させて見ると、横方向への広さが必要であることもわかってくる。そうすると横方向に基底面が広くとれない場所では、手すりや壁、家具などを利用してしっかりと安定性を確保することが重要であることがわかる。
以上のように状況を変えてみることでわかってくることもあるので、歩行をはじめとした運動評価には状況変化の項目が必要なのである。(終わり)
【CAMRの最新刊】
西尾 幸敏 著「リハビリのシステム論(前編): 生活課題達成力の改善について」
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「独りで考え、行動する訓練」
昔、実習にきていた作業療法科の学生さんが新しい訓練のアイデアを相談してくれたことがある。
彼のアイデアを簡単にまとめると、「トイレ付きでベッドと食卓、流し、食器棚、冷蔵庫、本棚、ゲームなどのアクティビティ類などの揃った部屋を用意して、その中で独り、数時間から一日過ごしてもらう。冷蔵庫の中にはお弁当やサンドイッチ、色々な飲み物を置いておく。お腹が空いたら冷蔵庫のなかのものを食べてね」と指示するのだそうだ。患者さんはもちろん室内自立している患者さん。そうすると「独りで時間を過ごすことから患者さんはいろいろ経験し、学ぶのではないか?」というのだ。
これは「独りで考え、行動する訓練」と名付けるという。
「どうしてそんなことを考えたのか?」と聞くと「僕のおじいちゃんは病院のリハビリで歩けるようになった。病院ではとても一生懸命歩いていたし、リハビリの先生も『意欲的な患者さんです。家でも歩けます』と説明していた。それなのに、家に帰ると歩かなくなってしまった。意欲がなくて、なにもかも家族任せである。結局病院では何をするにも指示に従って動くだけである。だからダメなのだ。アクティビティだって先生から与えられるだけだ。なにができるか、なにができないか、そして何をしたいのか、独りで考え、探し、試し、実行する経験が必要ではないか!」ということだ。
なかなかの熱弁だったので印象に残った。普段は礼儀正しく、もの静かで冷静な学生さんだった。
僕は「面白いね」と表面的には答えたが、あまり実現できそうにないし、第一あまりやる意味が感じられなかった。そこで主にはどうして実現が難しいかという理由を説明したと思う。
一方で、学生さんなのにすでに新しい訓練が必要であると考えているところがすごく頼もしく、感動した。人からいわゆる「正しい答え」を教えてもらうことが当たり前で、いつまで経っても自分で判断しようとしないセラピストが多い中で、少なくとも自分の頭で考えようとしているその姿勢に感動した。そこをもっと褒めるべきだったか・・・
まあ、その話はそれっきりになってしまったが、久しぶりに何かのきっかけで思い出した。なんとはなしに面白そうではあるが、色々考えてみたがやはりあの訓練はなにが期待できるのか、今ひとつピンとこない。僕の頭は硬いのだろうか?と思ったりする。それともなにか画期的な可能性を秘めているのだろうか? 皆さんはどう思います?(終わり)
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電子書籍を読んでみましょう!
電子書籍とは、紙ではなくデータで提供される本のことです。
電子書籍というと「インターネットに繋がっていないと読めないので不便」と思われる方もいると思いますが、実際にはお持ちの携帯電話などにダウンロードして、いつでもどこでも気軽に本が読めるようになります。
電車に乗っているときや隙間時間などにも手軽に片手で読むことができます。ゲームや音楽を楽しむように、読書も気軽に楽しむことができるのです。
少しでも読書量が増えると、視野が広がって人生は意外に豊かになります。「知っているつもりのことも実は全然知らなかったんだ!」と気づかされることも多いです(^^)
特に気軽に始めるならアマゾンの提供するKindleがお勧めです。やり方は以下の通り。
①まずは無料の電子書籍リーダーを携帯にダウンロードします。https://www.amazon.co.jp/b?ie=UTF8&node=3211799051
②そしてアマゾンのアカウントでサインインします。(アマゾン・アカウントを持っていない場合は、アマゾンでメールアドレスとパスワードでアカウントを作ることができます)
③電子書籍リーダーの中でお気に入りの本を探して、購入手続きに進みます。
④購入した本はダウンロードされ、リーダーの中に表示されます。
⑤文字のサイズなども変えられます。読みやすくして読書を楽しみましょう!
Kindleには「ペーパーホワイト」という専用端末もあります。安いものは五千円以下で買えます。片手で持てて、バッテリーの保ちも良く、数千冊の本をこれ一台に保存できます。目にも優しいですよ。僕のお勧めです(^^)
また電子書籍は紙の本に比べて価格の安いものが多いのも魅力です。
ちなみにKindleにはPT・OT向きに書かれた本もたくさんあります。
たとえば「システム論を基に、人の運動システムの作動の特徴」について書かれた本です。人の運動システムの作動の特徴を知っていれば、それを基に訓練を進めることもできますもんね。すいません、つまりは筆者の書籍の宣伝です^^;))以下の通り。
・システム論の話をしましょう!(税込み100円)
・治療法略について考える(税込み100円)
・正しさ幻想をぶっ飛ばせ!-運動と状況性(税込み100円)
・正しい歩き方?/俺のウォーキング(税込み100円)
・リハビリの限界?/セラピストは何をする人?(税込み100円)
・脳卒中片麻痺の運動システムにダイブせよ!-CAMR誕生の秘密(税込み100円)
・脳卒中あるある!-CAMRの流儀(税込み300円)
・リハビリのシステム論(前編):生活課題達成力の改善について(税込み400円)
・リハビリのシステム論(後編):生活課題達成力の改善について(税込み600円)
以上の本は、CAMRのホームページやブログからも購入画面に進めます^^;
・CAMRのホームページ:http://rehacamr.sakura.ne.jp/index.html
さあ、気軽に読書を楽しみましょう!(^^)/
【CAMRの最新刊】
西尾 幸敏 著「リハビリのシステム論(前編): 生活課題達成力の改善について」
西尾 幸敏 著「リハビリのシステム論(後編): 生活課題達成力の改善について」
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西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
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因果関係と相関関係の違い
片麻痺の臨床でよく出会う誤解は、「相関関係」と「因果関係」を混同することだ。たとえば「歩行がふらつくのは、立ち直り反応が悪いからだ」と言って、「立ち直り反応の促通」なるものをやっている。ここでは「立ち直り反応」が原因で、「歩行がふらつく」ことを結果とする因果関係を想定している。
でもよく考えてほしい。どう考えても、原因は脳の細胞が壊れたことである。その結果として、マヒが出て、立ち直り反応が低下し、歩行がふらつくのである。マヒも立ち直り反応の低下も歩行のふらつきもどれも結果に過ぎない。つまり結果同士の間に因果の関係を想定しているのである。
すると次の様な反論を受ける。「でも立ち直りが悪いから歩行がふらつくし、立ち直りが良いと歩行のふらつきもない。だから、立ち直りを良くするのだ」、と。
でもこれは「マヒが軽いと立ち直りも良いし歩きも良い。マヒが重いと立ち直りも悪いし歩きも悪い」という相関関係を言っているに過ぎない。
第一、「立ち直りを良くする」と言うが「立ち直りが悪くなったのは、脳の細胞が壊れて、マヒが起きているから」である。これが間違いなく因果の関係だ。だから立ち直りを良くするためには、脳の細胞を構造的あるいは機能的に再生して、マヒを治すしかないとなる。
見ていると他動的に、つまり介助して立ち直り反応の形を真似させることを繰り返している。これで脳細胞の働きを機能的に再生し、歩行も良くなるという。でもこの理屈で言うなら、そのやり方で原因である脳細胞も機能的に再生して、マヒも治っている理屈になる。
「でも、マヒは見た目変わらないようでも歩行は良くなる。つまり基のマヒも良くなっている」と反論されるが、別に介助して立ち直り反応を繰り返さなくても、歩行練習や他の動作練習を繰り返すと、人の知覚システムは使えるリソースを見つけ出し、それを有効に使う運動スキルを発達させるので、マヒのある体でも自然に安定した歩行を生み出すことは珍しいことではない。歩行が良くなったからと言って、マヒが良くなっているわけではない。
ともかく自分の頭で考えて、理屈に合うか合わないかをよく考えてほしいのです。相関関係を因果関係のように考えてアブローチするのは間違いだと言うことを。
【CAMRの基本テキスト】
西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
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関東のコロナを巡る状況は停滞・・・(^^;))
関東でのコロナの感染数は下げ止まりの状態だ。一旦下がったところから少しの増減を繰り返している。そして緊急事態宣言が2週間延長されることになった。
小池都知事が「原点に立ち返って」とテレビで言っていた。つまり手洗い、マスク、会食を避けるというこれまで続けてきたお願いを更に繰り返そうということだ。
確かにこの解決方法で一定の効果が得られた。地方に行くとこの方法で十分に感染状況は改善したと言える。だから地方では悪い解決方法ではないのだと思う。
だがコロナ感染のような問題は、特定の原因だけで起きているとは考えられない。つまり会食だけが原因ではなく、他の様々な要因の相互作用から生まれる状況から生まれると考えられる。
特に一都三県は、広域に大きな人流がある地域だし、他にもいろいろと地方にはない独特の要因があるのだろう。東京を含む一都三県では、既に停滞の状況を生み出している。
問題はシステム全体の特定の状況の中から生まれるのである。今は停滞を生み出す安定した状況の中にあると思われるので、少し状況を変化させることを考えるべきだろう。
たとえば国立競技場にアスリートやミュージシャンを集めて、菅総理が司会を務めて様々なパフォーマンスのテレビ・ショウをやるのである。最後に「楽しんでいただけたか?今はライブで楽しめないが、みんなで感染を抑えて、今度はここに来て楽しまないか?」と涙ながらに訴えれば少しは状況が変わるのではないか?(あまり良い方法ではないか・・・(^^;))
これはリハビリでも同じで、最初の頃に運動改善を生み出したからと同じアプローチを続けてもその後停滞してしまうことはよくある。更に同じアプローチを強力に繰り返しても、既に状況そのものが頑固に安定してしまっている。
何か特定の原因、コロナの場合は「会食」を主な原因とみなし、そればかり重点的にやるのだが、そのアプローチ自体がやがて停滞という頑固な状況を生み出すことはよくあるのである。少し視点を変えて状況を変化させることを考えても良いだろう・・・というのが基本的なシステム論の状況変化のアプローチなのです。
プロの運動問題解決者になれ!
Be a Professional motor-problem solver!
僕たちの仕事は、患者さんの運動問題を解決することだ。もちろん簡単な仕事ではない。リハビリの無力さを感じることも多いし、自分では最善を尽くしたつもりでも患者さんから不満を言われることもある。「全然戻っていない」とか・・・ つい愚痴なども言いたくなるが、それでも「おかげで良くなった」などと言われると、もうこの仕事が好きで堪らなくなったりもする。
僕たちの現場でよく見る問題解決の問題は、間違った因果関係である。
たとえば「脊髄性失調症では、手足の随意性が低下するが、検査してみると深部知覚低下がその原因である。だからフレンケル体操で深部知覚をトレーニングすることが効果がある」といった内容である。どこがおかしいかおわかりだろうか?プロの運動問題解決者になるならこの論理の矛盾にすぐに気がつくようになる必要がある。
哲学者の大森が用いた次のような例で説明しよう。
イカヅチがピカッと光って、ゴロゴロという。するとイカヅチが原因でゴロゴロがその結果のように思われがちだ。しかし本当の原因は、空中での放電現象である。その結果、イカヅチがピカッと光り、ゴロゴロと鳴る。つまりどちらも結果である。結果同士の間に間違った因果の関係を想定してしまうのだ。
同様のことが脊髄性失調症にも言える。原因は脊髄細胞が壊れたことだ。その結果、深部感覚の低下と随意性の低下が現れる。つまりどちらも結果であり、結果同士の間には因果関係は存在しない。
これの矛盾は、「深部感覚の低下はフレンケル体操で改善できる」と考えていることだ。つまりこれの意味するところは、「フレンケル体操で壊れた脊髄細胞の機能は改善する」と言っているわけだ。でもこれは無理な話だ。
このような因果関係の矛盾は脳性運動障害やパーキンソンなど中枢神経系の障害ではよく見られる。つまり中枢神経系の作動はまだよくわかっていないので、間違った因果関係を見てしまいがちなのだ。
だがプロの運動問題解決者は、それがわかったからと満足するわけにはいかない。というのも間違った因果関係でのアプローチでもある条件がそろうと、不思議に状況が改善することもある。これが脳性運動障害に多様なアプローチが乱立する理由だ。
これは何かしらのアプローチをして、状況変化の種を作り、これにある拘束条件がそろうと良い状況変化が起こると解釈できる。もちろん同じアプローチをしても、負の拘束条件が揃うと却って悪い状況にもなる。これが人の運動システムの作動の不思議さでもある。人の運動システムの作動にはある性質があり、そのためにそのようなことが起こるのだ。
簡単に言えばプロの運動問題解決者になるには、問題解決の方法について学ばなければならないし、更に運動システムの作動の性質についても詳しく学ぶ必要がある。そうして初めて効果的にアプローチを行うことができるようになるのである。
そしてもうじきネット上でのCAMRの勉強会が始まります。
【プロの運動問題解決者になろう!】 近・日・公・開!乞うご期待!!