「三つ玉のジャグリングを通して、運動スキル学習における運動課題設定のコツを学ぼう!」
リハビリの現場で時々、課題達成のやり方を教えることが難しいことがあります。たとえば片麻痺の方が寝返りをするとか車椅子を健側下肢で操作するなどの指導で、ひどく苦労する実習生や新人さんを見ます。
患者さんが寝返りや車椅子操作という課題の達成方法を身につける過程を、CAMRでは「運動スキル学習」と呼んでいます。これに苦労している新人さんの愚痴を聞いていると、「患者さんは○○ができない」、「□□が理解できない」などと「できない」ことばかりに意識が集中していて解決の糸口が見つからないようです。
CAMRの運動スキル学習は、基本的に「できる」ことを探して、その積み重ねで運動スキル学習を進めるようにします。つまり運動課題の設定を、「できる」ことを中心に組み立てていくのです。これが一つのポイント。
もう一つのポイントは、CAMRでは「運動スキルとは、課題達成のために利用可能な運動リソースの利用方法や応用方法である」と定義しています。つまり運動スキルは、運動リソースという「運動の資源」をどのように利用、応用するかという工夫や利用のやり方が創造されたものです。だから資源となる運動リソースの種類が多様で量が豊富であれば、運動スキルはより柔軟に、創造的に発達するわけです。
そこで運動スキル学習と並行して身体の柔軟性などの身体リソースや環境リソースの豊富化も図ります。
「できる」ことを積み重ねる運動スキル学習と運動リソースの豊富化、この両方を同時に進めていくことで患者さんの運動スキル獲得はより容易になります。
CAMRの勉強会では、三つ玉のジャグリングを課題としてこの運動スキル学習のコツを学びます。最初にやってみて「三つ玉のジャグリングは素人には難しすぎる」と評価されますが、きっと片麻痺になったばかりの患者さんにとっても、寝返りや起座もそれと同じくらい難しく感じると思います。
でも三つ玉のジャグリングも、「できる」ことに着目して課題を設定し、ほんの少し運動リソースを工夫すると、比較的短時間にできるようになる人がほとんどです。
「とても難しいと思っていた運動課題ができるようになる」という経験は、きっと患者さんの運動スキル学習にも役立ちます。是非参加してみてください。
毎月1回、東広島市のくららで無料勉強会の開催中!
次回は2026年5月17日(日曜日) 詳しくは以下の◎をアットマークに変えてメールしてください。
camrworkshop◎mbr.nifty.com
テレビ番組でもインターネットでも「正しい運動を身につけましょう!」や「正しく運動しましょう!」というテーマが再々登場します。それらのメインのアイデアは、おおよそ「人には正しい運動の形ややり方があって、これをしないと不利益が生じるよ。だから『正しい運動』を身につけましょう」ということです。
たとえば正しい歩き方は、「胸を張って腕を振って大股で颯爽と歩きましょう」みたいなことです。
本当でしょうか??そもそも「正しい運動の定義」ってなんでしょう??
上の歩き方の説明を見ると、「元気で夢と希望に満ちたはつらつとした若者の歩き方」のようです。もしこのモデルの若者が大好きな恋人にひどい振られかたをしたばかりなら、きっと肩をすくめ、俯いて猫背でトボトボと歩くはずです。もし慣れない氷の上を歩く時は、両手でバランスをとりながら腰を引いて小刻みにヨチヨチと歩くはずです。水田では泥から足を引き抜くために下垂足の形で膝を高く挙げて体全体でよいしょっと次の一歩を振り下ろすはずです。
つまり正しい運動の形ややり方があるわけではなく、心身や環境の変化に応じて適応的に歩行を維持するような歩き方をすることがきっと正しい歩き方なのでしょう。つまり状況変化に応じて安全に効率的に歩くことが「正しい歩き方」なのでしょう。
そもそもどうして人の運動の形ややり方で「正しい運動」を定義するようになったのでしょうか。
生態心理学で有名な心理学者の佐々木正人さんが、「運動研究は映画撮影によって始まったから」と説明しています。フィルムの一コマ一コマには姿勢が少しずつ変化していますので、「運動は姿勢の変化」として理解できます。それで形の変化を基準に見るようになったのでしょうか?
むしろ動くものを機械に喩えて理解するようになったことも大きいのではないか、と僕は思います。身の回りで動くものということで機械をモデルに人の運動を理解するようになったからではないでしょうか?
デカルトも人を機械として説明しています。脳の中の松果体は神との通信機械であるみたいな記述があって、高校生の時には驚いたものです。学校でも筋肉は力を生み出すエンジンに喩えて、脳は見て理解し、判断し、命令するコンピュータに喩えて習ったりします。
そして機械には「正しい運動」があるのです。機械は命令された同じ運動を正確に繰り返します。というより機械は設計者に設計・意図された運動しか繰り返さないようにできているのです。(最近のAIによるロボットなどは違うようですが(^^;))
つまり今の世の常識としては、人を機械と見做して、「正しい運動の形、やり方がある」と考えているので、「人も正しい運動の形ややり方で運動してください」と言っているように思います。人と機械では作動の性質も課題達成のための運動発生の過程も全く違っているのに、です。
せめて医学的リハビリの専門職は、「状況変化に適応的に運動の形ややり方を変化させてできるだけ安全に効率的に課題達成を目指すのが正しい運動である」と考えていったらどうでしょう?そうすれば脳卒中片麻痺後の分回し歩行は、「麻痺の存在という状況変化に応じて歩くために生み出した適切な歩行スキル」となるでしょう。間違っても異常歩行などというレッテルを貼ることにはならないでしょう!
「治す」か「良くする」か?
ある日、初めての片麻痺患者さんが病院に来られて、挨拶も早々に立ったまま質問された。 「わしの病気を治せるか?」 僕は全身を見た。麻痺側の体が硬くなっていることがよく分かる。麻痺は治せないので、「治すことはできませんが、今より良い状態にすることはできると思います」と答えた。
すると「じゃあ、見てくれんでええわ!」と激しく言ってリハビリも受けずに杖をついて出口に向かってしまった。僕は唖然とした。
硬くなった体で一生懸命に歩かれている。重心移動や患側下肢の振り出しに時間がかかって、頑張っている割に速度が遅い。どうするか迷った。もう一声かけるべきか・・・ あの硬さを改善すれば、もっと楽に歩けるし、歩行速度も上がるだろうと思った。後を追おうとしたら、一緒に来ていた妻が申し訳なさそうに頭を下げた。 「いつもあの調子なんです。諦めがつかないらしくて・・・もういいんですよ、ごめんなさいね」と小声で言いながらあとを追われる。なんだか声をかけそびれてしまった。
カルテを見ると発症から4年。県内の有名なリハビリテーション病院などにも入院されていたようだ。いろいろな病院やクリニックを渡り歩いておられるらしい。
最初は「仕方ない。あの方の判断だ」などと思ったが、何度も気になって仕方ない。なんと言えば良かったのか?嘘はつけないが、もう少し丁寧に説明すれば良かったのでは?
たとえばすぐに返事せずに、「見たところお体がかなり硬くなっておられるようですね。その硬さを改善すると動きやすくなりますし、歩くのも速くなると思います。ただ麻痺自体を治すのはリハビリではできないのです。でも今より動きやすくなりますよ」などといった言葉が後からいろいろ浮かんで来た。
もちろんそれでも断られたかもしれないが、なんだかいつまでも後悔が残るもので、30年近く経った今でも思い出すことがある。(終わり)
CAMRが他のアプローチともっとも違うところは?
今回もCAMRの勉強会から、あるベテラン作業療法士からの質問を取り上げてみます。「→」で始まるのが受講生さんの言葉です。
→課題達成力を改善するためにまずやるべきことは、身体リソースや環境リソースをできるだけ豊富化すること。それと同時に増えたそれらの運動リソースの利用の仕方である多彩な運動スキル学習を進めていくのですよね。
ふと、気がついたんですけど、それって冷静に見ると運動リソースとかいう言葉は使わないけれど、これまで臨床でみんながやってきた「筋力、柔軟性、補装具などを改善して目的の動作・行為の練習をする」という伝統的なアプローチと本質的に変わらないように思います。
だけど同じようなことをしているはずなのに何か印象が違うというか、違和感があるというのがとても気になっています。どういうことかわかりますか?
「鋭い意見ですね・・・・まだよく分かりませんが、これを理解するには伝統的アプローチとCAMRの人間観というか運動システム観が違うのだということをまず理解する必要があるのかもしれません。
学校で習うような伝統的なアプローチでは、人の運動システムは構造とその各部位の機能で理解しますよね。たとえば「脳が命令すると神経が興奮を伝えて筋肉が収縮して、関節を曲げたり伸ばしたりする」と理解します。そうすると関節が動かなくなると、筋肉か神経か脳のどこかが悪いということになります。そしてその「悪いところを見つけて治す」というのが基本的なアプローチになります。
この理解の仕方は基本的には機械と同じです。機械は構造と各部品の機能で理解されます。もし問題があれば「悪い部品を探して、治す・交換する」ということになります。
一方でCAMRでは運動システムは構造ではなく、作動の特徴から理解します。人の運動システムの作動の特徴は沢山あるのですが、講義でも言ったように、課題達成に問題が起きると、なんとか自律的に問題解決を図って課題を達成しようという『自律的問題解決』という作動上の特徴を持っています。
たとえば脳性運動障害後は弛緩麻痺が出て動けなくなります。だから人は動くために問題解決を図ります。弛緩状態の部分を硬くして動こうとするわけです。 これが機械と一番違うところです。機械は壊れたらそれっきりですが、人はなんとかできる範囲で問題解決を図ります。その作動の現象が障害像に加わります。このことを理解していないと、「傷害後に現れる全ての現象は症状として理解して」しまい、因果関係を間違ったりするのです。
また機械はこのように必要な課題を達成するためには外部からプログラムを入力してやり方を教えてあげる必要があります。それで人を機械として理解していると「私が正しい運動を教えてあげないといけない」とセラピストが考えたりします。他にも機械には「正しい運動」あります。設計者の意図通りの運動が正しいわけです。だから人の運動にも正しい運動があると思い込みます。だからセラピストは正しい運動を出すために「治す」という方針を持ちがちです。
実際には人の運動システムは必要な生活課題を自律的に達成しようとしますし、その課題達成に問題が起きれば自律的に問題解決を図ります。そのための運動スキルは運動システム自ら生み出してきます。
人を作動上の特徴から理解していると、課題達成や問題解決の運動スキルを人自ら生み出すことが分かっているのでセラピストの仕事は「やり方を教えることではなく、患者さんがやり方を自ら経験して発見する手伝いをすること」と理解できます。
そしてそのために有利な条件を設定するお手伝いもできるようになります。たとえば運動リソースは豊富であればあるほど運動スキルが多彩に生まれ柔軟に発達しやすいのです。しかもどの運動リソースをどう使ってどのように運動スキルを生み出すかはその人の運動システムしか理解できません。
それでセラピストは改善可能な運動リソースはできるだけ改善して、適切な課題を設定して後は患者さん自身がその課題を実施・経験する過程の中で自ら課題達成し、問題解決する方法を見つけだすというやり方でお手伝いするのです。
もし人の運動システムを機械として理解すると、「悪いところを見つけて治さないといけない、そして正しいやり方を教えないといけない」とセラピストは思うはずです。基本的に解決の方向は「治す」ことだけになりがちです。
でも人の自律的な問題解決や課題達成のやり方を理解しておけば、「予め改善可能な運動リソースはできるだけ豊富にしておき、適切な課題設定と環境を整えて生まれてきた課題達成の新たな運動が生まれれば良いと考えます。
たとえば分回し歩行は、「麻痺のある体で歩く課題を達成する方法」なので、課題達成の方法として受け入れれば良いのです。わざわざ「健常者と比べて正しくない」とか特定の価値観で判断する必要もないのです」
→うーんよく分からないけど、これまでの理学療法とは違うなという印象はありました。根源に人を機械として見ていないところにあるのかも知れませんね。人は人であって、元々正しい運動というものはなくて、現れる運動は麻痺などの状況次第が当たり前で、何も健常者と比べて違うから健常者の運動に近づけようと考えてもいないというところがあるのかも知れませんね。実際にやってみながらもう少し考えを整理してみます。(終わり)
「健常者のように歩きなさい!」
今回はCAMRの勉強会から、セラピスト歴3年の理学療法士からの質問を取り上げてみます。「→」で始まるのが受講生さんの言葉です。
→「CAMRでは、分回し歩行は「代償運動」とか「異常運動」とか呼ばないとのことですよね。これらは健常者とは違うやり方、違う形という意味で、麻痺があれば健常者とは違ったやり方、形になって当然だということでした。
確かに麻痺が治せないのに健常者の歩行になれるわけはないし、『健常者の歩行を真似したら麻痺が治るかも?』みたいな間違った変な流れが僕の周りでは自然になっているのもおかしいです。
でもそもそもどうして麻痺がある体でも「健常者のように歩かないといけない」と言うことになったのでしょうか?そこのところがどうもわからなくて・・・」
確かにその通りですよね。色々検討するべき視点があるのですが、簡単に説明します。
「障害者も健常者の様に歩くべきだ」というアイデアは、リハビリ業界では根強い思い込みの一つです。
たとえば分回し歩行は教科書に「代償運動」とか「異常歩行」とか説明されています。これに教官も疑問を持ちませんし、生徒はそれこそ素直に従いますよね。
これに対する一つの説明は、「リハビリの夜」の著者である熊谷晋一郎さんが書いています。簡単にまとめると「障害者というマイノリティに対して、健常者であるマジョリティから『そんな歩き方をしないで、もっと努力して私たち健常者の様に歩いてごらん』という上から目線の同化主義ではないか」ということです。
これは一見健常者から親切に言っているようですが、健常者は障害者を全く理解しようとしないで自分勝手な価値観と達成不可能な課題を押しつけているわけです。障害者にとっては迷惑至極でしょう。今でも現場でこのような価値観を振りかざしている人を見ることがあります。
もう一つの説明は、リハビリや西洋医学には、人を機械として見る伝統があるということです。機械には必ず「正しい運動」があります。つまり設計者が意図したとおりの動きが「正しい運動」となるわけです。
そもそも西欧の思想史の根底には「人間機械論」と呼ばれる思想が大きな影響を与えているといわれます。それは「人は神(又は自然)が作った機械である」というものです。だからこの場合は「健常者の運動こそが神の意図した正しい運動である。障害者の運動は壊れた状態だから治さないといけない」と思ってしまうのでしょう。
それに私たちはこどもの頃から様々に動く機械に囲まれて育ってきました。だから「動くものは機械であり、人の体もやはり機械のようなものだ」と人を機械のように見ることに抵抗がないのだと思います。
その証拠に脳をコンピュータとして理解することが普通に見られます。本来、人が作った機械に過ぎないものに、それを通して人の脳を理解したつもりになるというヘンテコなことが起きているわけです。
そして人の体を機械として見て、悪いところを探しては、その悪いところを治したり交換したりすることが治療であるという風にも考えてしまいます。病気や障害を持つと壊れた機械のように止まったり、異常な動作をしたりするものだと考えてしまいます。
でも人は機械と違って、病気になって必要な課題達成ができないと、なんとか自分なりに問題解決を図るものです。ロボットは腕が壊れると腕を使った作業ができなくなります。しかし人は手が使えなくなると代わりに脚や口で課題達成するという問題解決を図るものです。
この「人は機械とは違うんだ」という基本的な視点がないと、障害像を誤って理解したりするわけです。特に脳性運動障害ではその間違った理解が大きな問題になるというのが今日の講義でした。
→「ああ、なんとなくわかる気がします。僕も患者さんの体を機械として接する傾向があるのかもしれません。よく先輩から、『そんなに急いでちゃ、ダメだ!もっと患者さんの気持ちを考えて』と注意されますので・・・・・
この話はこれ以降テーマが脱線してしまいますのでここで切ります。
CAMRでは人を人として接しながら、どのように治療するかの方法論があります。いずれまた整理して書いていきたいと思います(終わり)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!「「脚が動かんぞ!」患者さんからの訴え」https://note.com/camr_reha
「先輩PTの説明が納得できない!」(後編)
前回は先輩の因果関係の説明が間違っていること、相関関係の説明と混乱していることなどを説明しました。
ただそれでも運動変化が起きている可能性について説明しました。先輩は立ち直り反応を促通しているつもりなのでしょうが、結果として柔軟性が改善していてそれが歩行変化として先輩には見えているということです。
僕自身は、リハビリで意図していることとは別に、まず患者さんに動いていただくことで色々な可能性を生み出しているんだろうと思っています。
今回は、新人PTさんが密かに思っている「歩行不安定には下肢筋力の改善をした方が良いのではないか」について答えます。(以下、→以降が受講生の会話内容です)
→今日の講義の中で、「人は自律的な問題解決者である」と話してきました。もし歩行が不安定なら、患者さんはどのような問題解決を図ると講師が言いましたか?→えーと・・・・まず歩隔を広げる、家具や壁に手をつくなどして基底面を広げて重心が基底面から出にくくするでしたっけ?他に手を広げてバランスをとるとか。
そうですね。この患者さんは体が硬くて動きもぎこちなく、運動範囲も小さいのでしたね。そうなら可動域の低下があって歩隔を広くとって基底面を広げられないとか、体幹が棒の様になって重心移動が困難なのかも知れませんね。
そうすると先輩のやっている立位から臥位へ、臥位から立位へと大きく姿勢変換すると全身の大関節に動きが入るので、少し柔軟性が改善し、歩隔が広がって基底面が広くなり、体幹の柔軟性が改善して重心を基底面に保持しやすくなったから先輩の目からは少し安定して歩いていると見えたのかも知れません。
柔軟性という身体リソースが改善しただけで運動は変化します。当然筋力という身体リソースが変化しても運動は変化します。そうするとより大きな運動変化を起こそうと思うなら?
→えーと、柔軟性も筋力もできるだけ改善してあげる・・・・つまり身体リソースを全体的に豊富にすることがまず変化の条件ですよね?
その通り!その上で運動スキル学習を進めるのでした。たとえば上田法で体幹の柔軟性を改善すると、いきなり運動範囲や重心の移動範囲が大きく広がってしまい、患者さんは却ってコントロールできなくなくて戸惑ってしまいます。
だから患者さんに広がった柔軟性を色々に使ってもらい、こんなことができる、こんなことはできないという運動認知を適切化することで、その柔軟性や筋力をどう使うかという運動スキルを適切に発達させることができます。
セラピストができることは、まず身体リソースや環境リソースを豊富化すること。それらを使うための運動認知の適切化と運動スキルの創造を促すために、患者さんにとって意味や価値があり、適切なレベルの運動課題を設定して実施します。そして患者さんとセラピストが協力して工夫しながら運動課題を進めるのでしたね。
→でも心配があります。先輩にはなんて説明しましょう?僕がこんなこと先輩に言っちゃあいけないと思うし・・・・・・なんだか怒ったり、拒否されたりすると思うんですよね。
あ、そこは難しい問題です。先輩はこれまで「立ち直り反応の促通が歩行安定性に繋がる」という因果関係を信じてこられて、さらにそれを後輩にも誇りを持って教えていますよね。だから間違っても正直には言えません。これまでの先輩の人生を否定することになってしまいます。そうなると人間関係はおしまいです。僕は若い頃、それで良く失敗しました(^^;)
実際に職場の人間関係は大事ですから。大変なストレスになるかも知れませんが、今まで通り接しながら少しずつ小出しに説明するか、可能ならCAMRの資料が自然に目に触れるようにしたらどうでしょうか?
あるいは立ち直りの促通をする振りをして柔軟性の改善をする、筋力強化は板跨ぎなどの課題を通して色々工夫してできるので、先輩の指導に上手く合わせてそれらをやっていかれると良いと思います。観察力のある方であれば変化に敏感でしょうし、興味を持ってもらえるかも知れません。後は言い方に気をつけてください。とは言え、まあ、その辺り先輩の性格とか職場の人間関係とか色々とあると思うので、何とも言えません。ただ職場内で強い対立関係とか敵対関係はできるだけ作らない方が良いです。
それとあくまでも人の意見を丸呑みにしないで。もちろんCAMRのアイデアも含めてね、自分でやって納得できるかどうかをまず試して見てください。
→はい、頑張ってみます!とりあえず言われたことは試して納得できれば続けてみるし、そうでなければまた自分でも色々考えてみます。
CAMRの学習会はこんな感じです。次回からもCAMRの学習会で出た色々な質問についての説明を紹介していきます(終わり)※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!最新の投稿「CAMRの流儀 その6」https://note.com/camr_reha