さて、前編・中編でそれぞれ「状況性」と「自律性」といった運動システムの作動の特徴を説明してきた。運動システムには他にも「創発性」、「課題特定性」、「探索利用性」という重要な作動の特徴があるがこのシリーズでは最後に「創発性」という作動の特徴を紹介したい。
「創発性」はCAMRで言い出したものではなく、CAMRが基にしているベルンシュタインや生態心理学、動的システム論などで説明されてきたアイデアである。
創発性の意味をAIのジェミニで引いてみると一般によく言われている説明なので、以下に引用する。「創発(そうはつ、英語:emergence)とは、個々の部分や要素の単純な足し算(総和)からは予想できないような新しい性質や秩序が、全体として自発的に現れる現象のこと」さらに「人の運動は創発の典型例であると言える。人の動きは脳からの命令だけで作られるのではなく、身体、環境、タスクの相互作用によって自発的に湧き上がる(創発する)現象として捉えられる」とのこと。
たとえば、歩くスピードを徐々に上げていくと、ある瞬間に意識しなくても自然と「走る」動きに切り替わる。これはエネルギー効率の良いパターンを運動システムが自発的に選択したからと説明される。ただこんな説明を聞いても、「それがどうした?何の説明になってるのか?」となかなか納得できるものではないことはよく分かっている。僕自身がそうだったからだ。
だからもっと現実的な例を基に説明してみよう。
従来のリハビリのセラピストの運動システム観というのは、前編で述べたように機械をモデルに理解しているところがある。どのような仕組みで運動を生み出しているかを理解する時に、その当時最新のコンピュータによるプログラム制御のロボットをモデルに理解することはごく自然なことである。
そして脳はコンピュータに喩えて理解される。コンピュータ制御のロボットでは、運動はプログラムによって生み出されるので、脳内にも運動のプログラムがあるに違いないと考えるのも自然である。
脳性運動障害では、脳内の運動プログラムが壊れる、消失するので正しい運動ができなくなると考える。それでセラピストが正しい運動を運動感覚入力によって脳に教えて、新たに脳内に正しい運動のプログラムを入力するのだ、という考えが出てくるのもまた自然である。まさしく人をプログラム制御のロボットのように理解している。だからセラピスト自身を「脳にプログラムを入力するプログラマー」のように考えてしまうのだろう。
一方で最近のAIロボットはなかなかに凄い。現在のAIロボットは人に比べて運動の数は限られているものの、まるで人の様に状況に応じて多様に自然な動作をする。しかしAIロボットのコンピュータにそれぞれの運動をするためのプログラムを入れているわけではない。そんなプログラムは複雑すぎて莫大な量になって作れない、手に負えないからだ。
実際にはAIロボットは、自分で一から運動課題の達成方法を学んでいるのである。たとえば臥位から立ち上がる方法を自分で学んでいる。
その方法はコンピュータの仮想空間の中で、ロボットの物理的・機械的性質を持った仮想ロボットに、「倒れては起き上がる」課題を与えるのである。コンピュータは文句も言わず(^^;)、短い時間で何十万回、何百万回と倒れては、動けるように動いて立ち上がりに繋がりそうな運動が偶然現れる。つまり課題達成のための運動スキルが「創発」したのである。
AIはそんな風に仮想空間内で、自分のできる運動が環境内の重力と床の間でどのような結果を生み出すかを試行錯誤して、発見、修正、学習しているのである。そんな試行錯誤を重ねて立ち上がりの方法を多様に身につけたのである。
どうしてこんなことをするかというと、無限に変化する環境・状況の中で、人の運動システムのように無限に運動変化を起こして、適応的に振る舞うためには、自らそのやり方を探索・発見・修正していく「人の運動システムの創発性」という作動の特徴を真似るしかない、というのが理由である。
一方でリハビリのセラピストは、未だに「運動システムは旧型のプログラム制御のロボットである」という認識に留まっていて、何とか脳内に正しい運動のプログラムを入力しようと足掻いているのではないか?
元々セラピストは、AIロボットを作る工学者のように、機械ではなく人の運動システムの作動を正面から理解すれば良かったのだ。
しかし従来のリハビリは、人が動く仕組みのメカニズムをプログラム制御のロボットをモデルに理解してきた。残念ながら人の運動システムのモデルにするにはそれは低性能すぎる。どうせモデルにするならAIロボットである。これはちゃんと人の運動システムの作動の理解をモデルにしているからである。
では人の運動システムの「創発」という作動の特徴から考えて、リハビリではどうするかと考えてみる。
セラピストにまず必要なのは魅力的で適切な課題を工夫・設定することである。それによって患者自身に自発的に動けるように動いていただきながら、その中からより安全で効率的な運動スキルを探索・発見・効率化・熟練していただくことを助けることではないか?(詳細は勉強会で具体的な例を多数用いて説明したい)
以上、簡単だがCAMRと他のアプローチの異なる点を説明した。人を「動く仕組み」だけではなく、「作動の特徴」からも理解すると、これまでとは異なった身体観、障害観、人間観が生まれてくる。これによってアプローチもこれまでとは異なった新しいものが自然に生まれてくる。そして「動く仕組み」の理解と「作動の特徴」の理解を組み合わせると、視野が一気に広がってリハビリの仕事はもっと、もっと面白くなってくるのですv(^^)(終わり)
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CAMRの勉強会で話をしていると、「ああ、○○のアプローチとよく似ていますね」とか「□□の治療法と同じですね」などとよく言われる。○○とか□□のアプローチとは全く違った考えや目的を持っているのだが、確かに一見、「同じようにやっている」ように見られるところがあるので仕方ない。でも動作・行為は同じように見えても、スタート地点や方向性が異なっているので、それを言われる度に「あーーっ」と力が抜けてしまう。
一般に学校で習う人の運動システムは、構造と各器官の働きから理解される。たとえば「筋肉は力を生み出し、骨・関節は力に支持と方向を与え、感覚は身体内外の刺激を受け、神経を通して脳に伝え、脳は感覚から身体の内外の状況を判断し、神経を通して命令し・・・・」などと理解する。これは「動く仕組み」を理解している訳だ。
「動く仕組みを理解する」というのは、機械を理解する時と同じ理解の仕方である。 もちろんこれは大事な視点で、構造と各部の働きが分かれば何ができるかが理解できることも多い。人の運動システムの動く仕組みのメカニズムを理解することは、リハビリの基本でもある。だが、人を理解するのにこの機械を見るような見方だけで良いのだろうか、と思う。
人の身体を単に機械の様に理解していると、いろいろ問題も出る。たとえば壊れた構造に焦点が当たるので、なんとか壊れた構造を治せば機能も回復すると考える。それで脳性運動障害でも脳を治そうとする。だがリハビリで脳が治って麻痺も治ったという科学的な報告はない。
また機械には設計者の意図した「正しい運動」がある。それで人にも「人体のメカニズムに適合した『正しい運動・作動』がある」となんとなく考えてしまう。そしてセラピストは正しい運動とは、たとえば歩行では「健康な若い人の颯爽とした活き活きとした歩き方」をなんとなくイメージしてしまう。
だから多くのセラピストは片麻痺患者さんが分回し歩行をするのを見ると、少し否定的な評価をすることが多いのは事実だろう。「それはあまり良い歩き方ではないです」とか「正しい歩き方を身につけた方が良いです」など。
CAMRは「動く仕組み」といったメカニズムの視点だけではなく、「人の運動が、どうしてどのように生じて変化するか」といった「運動出現の目的」や「運動変化の様子」など、運動システムの作動の特徴からも人の運動システムを理解しようとしている。
たとえば実際の人の歩行は、環境や状況によってどんどん変化する。水溜まりでは、靴が濡れないようにつま先立ちになり、片脚立ちで浅いところを探しながら歩く。これは尖足歩行だ。水田では足を抜く時、泥の抵抗を小さくするために下垂足の形で膝も高く挙げる。これは鶏歩の形だ。氷の上では、こけないようにすり足気味に小刻みにパーキンソン病の方のように歩いたりもする。暗闇では両手と片脚を前に出し、それらで探りながら少しずつ進む。
他にもいろいろあるが、健常者の歩行は環境や状況変化に応じて適切に歩行の形ややり方を変えているわけだ。特定の正しい歩き方の形で歩いているわけではない。
むしろ環境や状況の変化に応じて、「安全に・効率的」に歩行を維持できるように、運動の形ややり方を適応的に変化させることが健常者の「正しい歩き方」の特徴である。このような人の運動システムの作動の特徴を「状況性」とCAMRでは呼んでいる。
その視点で、片麻痺患者さんの分回し歩行を見ると、マヒ側下肢が思うように動かない状況では、体幹や健側下肢を使って「分回し」という新たな歩行スキルを生み出して、歩行されているわけで、マヒに対応した「状況性」の作動が見られる。
だから単に若い健常者の歩き方と形が違うから、「正しい歩き方ではない」と評価するのはおかしい。
そして運動スキルというのは適切な訓練によって「より安全に・より効率的」に洗練、熟練していくものだ。
実際「健常者の歩行と違うので矯正する。健康な若者の歩行に近づける」という目標を達成するためには「マヒを治していく」より方法はない。この目標が日本に入って半世紀以上経つが、前述のようにこれがリハビリにより達成されたという科学的報告は、残念ながら、ない。
だから「分回し歩行の運動スキルをできるだけ安全に効率的に洗練・熟練する」という目標を持ち、全身の柔軟性・筋力・持久力、杖、靴、装具などの運動リソース(資源)を改善すること。
そして様々な環境・状況内で、変化に対してより安全に、効率的に運動スキルを修正しながら歩行を達成する経験を積み重ねることで、歩行の安全性や効率性、歩行速度や距離を改善することが可能だ。またその過程で歩行はより滑らかになり、極端な分回しスキルが次第に自然な歩様の歩行スキルに変化していくこともよく経験することだ。
つまりCAMRでは人の運動システムの「メカニズムの視点」に加えて、運動システムの「作動の特徴」からも人の運動を理解しようと提案している。そうするとこれまでとは異なった視点、理解の評価やアプローチが生まれてくるのである。(中編に続く)
8月(2026年8月27日木20時~21時)のオンラインのCAMRの勉強会の申込みは以下のURLからhttps://u.miura1991.com/p/camr-new
約1世紀前にイギリスの神経生理学者ジャクソンは、階層型理論というアイデアを提案した。この階層型理論の簡単なポイントは、以下の通り。
①中枢神経系は進化的に階層の構造をしている
②上位中枢は大脳皮質(特に前頭葉)など。意識的行動や思考、判断、創造性などを司る。また下位・中位の中枢をコントロール・統合する
③中位中枢は、大脳皮質下の脳幹・大脳基底核など。運動制御や自律神経系のコントロールを行う
④下位中枢は脊髄・延髄レベル(最も原始的な中枢)など。生命維持や基本的な反射等を司る
⑤上位中枢が損傷すると、下位中枢への活動のコントロール・抑制と統合が失われて原始的な反射や単純な反射などが優位に現れるようになる。痙縮は伸張反射の亢進状態などと説明される
このアイデアは現代でも主流であり、国家試験などでもこの考え方を正解としている。学校では国家試験に合格するために、これを正解というよりはむしろ真実として教えてしまうのでいざ臨床で脳性運動障害の患者さんに接すると以下のような様々な疑問を感じてしまう事がある。
①脳性麻痺の赤ちゃんは生まれたときは低緊張だが、徐々に筋の硬さ(痙縮)や原始反射が見られるようになる。脳卒中も発症直後は低緊張だが、徐々に痙縮や共同運動が見られるようになる。この陽性徴候(痙縮、原始反射の出現、共同運動など)が弛緩状態に遅れて出てくるのはなぜか?
②伸張反射の過活動によって痙縮が現れると言うが、実際には多くの患者さんで特に伸張反射の過活動は見られない。むしろ活動性の見られない硬さが多い。それで拘縮かと思っていると上田法などの徒手療法で可動域が広がるのでやはり収縮していたのか、と驚くことがある
③伸張反射の亢進なら神経活動が伴うので、疲労が見られ減弱するはずだが、硬さが何日もそれ以上も継続している。伸張反射の過活動では説明できないのではないか?
④お風呂に入るなどして温めると緊張が解けて柔らかくなる。お風呂に入るなどして温めると上位中枢の抑制コントロールが回復するとでも言うのか?(^^;)それとも筋の粘弾性の低下?
⑤体温程度の温度のプールに入っても痙縮は緩む。むしろ重力が関係しているのでは?
⑥陰性徴候・陽性徴候のうち、陽性徴候だけが徒手療法で改善するのはおかしいではないか。どちらも症状だとしたら、どうして陽性徴候だけが改善するのか?
⑦筋の痙縮で硬いと歩けたりするが、ボトックスや上田法などで硬さが緩むと歩けなくなる。逆に適度に硬さが取れると動きが滑らかに速く、力強くなることもある。同じ痙縮の改善で矛盾した現象が見られる。これは伸張反射の亢進で説明できるか?
⑧Dietzらやその他の研究では、足関節の可動域がある子どもや成人片麻痺の方の尖足歩行中の下腿三頭筋の筋電図を調べると筋電図活動がほとんど起きていない例が報告されている。どういうことか?
等と実に多くの疑問が湧いてくるものである。
考えてみればジャクソンの階層型理論は、約1世紀前の仮説に過ぎないので未だにそれが主流の考え方であるというのがむしろおかしなことである。この仮説は間違っているのではないか。様々な現象を矛盾なく説明できないのではないか。
CAMRは、これらの現象を矛盾なく説明するためのアイデアを提案している。
是非とも勉強会にご参加下さい。現在毎月1回、無料勉強会を開催中。オンラインでの勉強会も開始しています。勉強会の詳細はCAMRのフェースブックページなどで。
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