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異常歩行は誰の問題?その1

目安時間:約 4分

異常歩行は誰の問題? その1

 異常歩行は、正常な歩行の形やパターンから逸脱した歩行のことらしい。歩容(歩行の形)が左右非対象であるとか、歩隔(足と足の間)が広いとか、ふらついているとか、足の振り出し方が違うなどがその例となる。
 では正常な歩行の形やパターンとはなんだろうか?どうも教科書を見ると、健康な若者が颯爽と歩いている時の歩行の形が正常歩行として挙げられているようだ。どうも僕のように猫背でポケットに手を突っ込んでダラダラとすり足で歩いていると「正常歩行」と認められないらしい(^^;)だから僕も異常歩行をしている?
 もちろん身体の異常や問題は歩行の形にも表れるので、歩行の形ややり方を標準的な歩行の形と比べること自体は有意義であることに間違いない。
 だがそもそも見た目の形ややり方が正常歩行から逸脱しているだけで、「異常」だと言ってしまうのは問題である。というのも「異常」という日本語としても非常に強い否定的、悪い意味の「ラベル」を貼ることになるから。
 考えてみてほしい。片麻痺の患者さんは障害直後から半身に弛緩麻痺があり、思うように動けない。それでも試行錯誤して自分なりに歩くためのやり方を身につけられたわけだ。汗と努力の結晶と言っても良いものだ。
 だがセラピストから「それは異常な歩行ですね。治しましょう」などと言われたらどんな気持ちになるだろうか?かなりやるせないと思う。そんな場面を何度か見てきた。もちろん「異常」という強い言葉を簡単に口にするセラピストはそんなにはいないだろうとは思っている。
 ただセラピストにとっても「異常」という言葉の影響は大きい。なんだか無条件に「修正、あるいは矯正しないといけない」と思ってしまうのではないか。
 実は僕自身がそうだった。このことはいろんなところで書いてきたが、初めての実習に出たときの今から40年以上も前の話である。
 ある片麻痺のおじいちゃんを担当することになった。初めての実習生にとっては何もかもが不安である。何をするべきかも分からない。霧の中を手探りで進むようなものだ。
 でもそのおじいちゃんは典型的なぶん回し歩行をされていたので、僕はすぐそれに跳び付いてしまった。心の中で「異常なパターンだからそれを治すべきだ」とやるべきことが見つかって安心したものだ。
 それで早速、「脚はできるだけまっすぐに出してみましょう」と偉そうに指示をする。「よしっ!」とおじいちゃんはまっすぐに出そうとするがその努力は1回で終わって、元のぶん回しに戻ってしまう。結局、これを何度も繰り返してしまうことになる。
 普段はとても優しくて気の良いおじいちゃんだった。僕はそこに甘えていたのだろう。
 そしてある日、ついに突然おじいちゃんが立ち止まり、僕に向かって怒鳴ったものだ。「よーし、分かった!お前の言う通りにしちゃろう!じゃが、その前にわしの脚を治せ!やれと言われてもできんのんじゃ!治ったらいくらでもお前の言う通りにしちゃるわい!」と大きな声で怒鳴られた・・・
 全く言われる通りで、ぐうの音も出なかった。それにそもそも指示しただけでできるものなら誰も苦労はしないわけだ。(これがきっかけで僕はその当時、「麻痺を治す」ことを主張するアプローチにしばらくの間向かうことになるのだが、まあ、それは別の話)
 ともかくそのおじいちゃんに怒られたおかげで、僕はその後ずっとこの件について考えることになったのです。(その2に続く)

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患者さんの振る舞いを観察すること その3(最終回)

目安時間:約 4分

 CAMRでは、健常者や障害者の運動の振る舞いを観察することで、人の運動システムの作動の特徴を明らかにすることを目指してきました。
 前回説明したように「状況性」という作動の特徴は、豊富な運動リソースと多彩で柔軟な運動スキルを生み出す構造によって支えられています。障害を持つということは身体リソースを失ったり貧弱になったりすることです。そうすると利用可能な環境リソースも貧弱になり、それらを利用する運動スキルも貧弱になります。そうすると「必要な様々な生活課題を達成できなくなる」ことが障害を持つと言うことです。
 だからリハビリでは、身体リソースをできるだけ豊富にすること、環境リソースを工夫しできるだけ増やすこと、そしてそれらの運動リソースを用いて必要な生活課題達成するための運動スキル学習がリハビリで行う基本的な方針だと説明しました。そしてこれはどんな障害でも関係なく、同じ方針でアプローチします。
 どんな障害であれ、運動リソースが貧弱になり、運動スキルも貧弱になって生活課題達成力が低下あるいは失われるからです。
 もちろん障害毎に運動リソースの増やし方や運動スキル学習の進め方に違いは出てきます。特に脳性運動障害では、弛緩性の麻痺の程度や範囲が広いため、患者さん自身の自律的な問題解決の作動が多く見られます。
 従来の学校教育では、人の運動システムを構造と各器官の働きから理解するという、機械と同じ視点で理解します。機械はもちろん故障が起きても、自分でなんとかしようとはしません。そのため人の運動システムで障害が起きた時に、システム自身の作動で問題解決を図っているなどということは想像もできないのでしょう。だから障害後の現象を全て「症状」として捉えてしまう傾向があるのだと思います。
 でも生物では、問題が起きるとそれを何とか解決して必要な課題を達成する、そして生存のための問題解決をできる範囲で図ることは当たり前のことです。生物ができることをしないでただ死を待つなんて考えられません。この生物としての活き活きとした運動システムの作動を理解していないのが現状の学校教育の問題点です。
 たとえば頸椎の伸展に関する筋肉は23対あります。頸を伸展するのにどうしてそれだけの筋肉が必要なのかは構造と各器官の働きからでは理解できないのです。たとえば肘の運動を屈曲・伸展だけで理解するならロボットの様に屈筋・伸筋が一つずつだけあれば良いのです。側屈や回旋が同時に起こるなら、それぞれに一対あれば良さそうなものです。でも実際に頸部の運動は、無限の状況変化の中で、体幹と頸部の無限の動きに応じて適切に頸部の位置を保持するために必要なのだと考えると、決してそれは多すぎるとは言えないわけです。
 また平面関節の動きは無限に生じうるのです。自由度2の関節、平面上で一点をとる可能性は無限にあるからです。人の関節はほとんど自由度2か3の関節です。つまりこれだけでも無限の動きを生み出すわけです。機械のようにほとんどが自由度1の動き(直線上を往復するあるいは軸の回りを回転する等)だけで構成されているわけではありません。
 まあ僕の言いたいことは、構造と各器官の機能というロボットを見るような視点だけで人の運動システムを理解しても、人を機械として理解しているだけです。活き活きと活動する生物としての運動システムの視点が欠けています。その点、作動の特徴から理解すると生物としての運動システムがより活き活きと理解できるようになります。
 ごめんなさい、まだ十分に表現できていないですね(^^;)もう少し寝かせてからもう一度書き直してみます。(おしまい)

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患者さんの振る舞いを観察すること その2

目安時間:約 4分

患者さんの振る舞いを観察すること その2 

 前回は、患者さんの起立時の振る舞いから「人の運動システムは、必要な運動課題を達成するために、身体の内外に利用可能なもの(「運動のための資源」=「運動リソース」)を探索する」と運動システムの作動の一部を言語化しました。
 ここで運動リソースという言葉を使ったのは、患者さんは課題達成のために何かを探しては、それを試すような振る舞いをしているように見えたからです。何を探しているのか、ここでは文脈から「運動の資源=運動リソース」と仮定したわけです。
 そうすると運動リソースはあくまでも運動の資源です。筋力や柔軟性が運動リソースになりますが、筋力は結局単なる「力」に過ぎません。どのように利用するかという「課題達成のやり方」である「運動スキル」というアイデアも必要になります。
 そして患者さんが課題達成のために運動リソースを利用した運動スキルを試行錯誤しているのだろうと考えるわけです。
 これはCAMRのオリジナルの考え方ではなく、生態心理学でもリードがリソースとスキルというアイデアを使って人の運動や行動を説明しているのでこれをなぞっています。非常に分かりやすい。構造や各器官の機能の視点とは別の視点から運動システムを説明するための便利なアイデアです。
 この運動リソースと運動スキルのアイデアは、人の運動システムの作動の特徴を説明するのに特に便利です。  
 たとえば人の歩行は、状況に応じて形や歩き方を変化させます。平地では普通に歩いていても、狭い通路は横向きに歩きます。水溜まりではつま先立ちになり、水の浅いところを探しながらひょいひょいと歩きます。寒い冬の朝、凍った路上では背中を丸めてヨチヨチと歩きます。急な坂道を登るときは両手も登る助けに使いますし、漆黒の暗闇では両手を前に伸ばし、片脚を出しては路面を探りながら歩いたりします・・・・
 結局世の中の環境や状況は無限に変化しますし、それに適応して人の運動も無限に変化します。どうして人の運動は無限の状況変化に応じて、適応的に変化することができるのかと問われると、人の運動システムは無限の運動変化を生み出す仕組みを持っているからです。そしてその仕組みとは、人の運動システムは利用可能な運動リソースを豊富に持ち、それらを利用して無限に変化する運動スキルを生み出すことができるからです。
 ではこの視点から、障害を持つということを以下に説明してみましょう。
 運動リソースは身体リソース(身体や身体の持つ性質である筋力や柔軟性など)と環境リソース(環境内の大地や工作物、動物、他人や環境内の持つ性質重力、明るさなど)に分類されます。そして「障害を持つとは、まず身体リソースが失われるあるいは貧弱になることです。そうすると、利用可能な環境リソースが失われる、あるいは貧弱になります。そうするとそれらを利用する運動スキルが消失あるいは貧弱になり、必要な運動課題を達成できなくなること」と説明できます。
 そうすると障害にどうアプローチするかというと、「まずは改善可能な身体リソースをできるだけ改善し、利用可能な環境リソースをできるだけ工夫・改善すること。そしてそれらを利用して必要な運動課題を達成するための運動スキルを生み出し、修正する能力を改善する活動-運動スキル学習を行うこと」という方針が生まれます。
 伝統的にリハビリでは障害毎にアプローチを変えるのが当たり前でしたが、CAMRではどんな障害であれ、「改善できる身体リソースを改善し、利用可能な環境リソースを増やして、それらを利用して運動スキル学習を進めて運動課題達成力を改善すること」がリハビリの仕事ということになります。(その3に続く)

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患者さんの振る舞いを観察すること(その1)

目安時間:約 4分

 脳卒中後初めて車椅子に乗られてリハビリを開始するときのことを考えてみましょう。
 たとえば「立ってみましょう」と声をかけると、健側の上肢で車椅子の肘掛けを持って上体を前方に傾けたり、両脚を置き直したり、お尻をもぞもぞと動かそうとしたり、またまた片手を前方にさまよわせて、「何かつかむものがないか」と探したりされるように見えます。そしてどうもできそうにないと分かるとそれらの試行錯誤を止めて動かなくなられたり、「できない」と言われたりします。
 いずれにしても患者さんは、セラピストの出した運動課題を達成しようとされているので、短い時間ですが様々な試行錯誤をされます。そして「できる」とか「できない」といった結論を出されます・・・
 CAMRでは、上記のような多くの患者さんに共通に見られる振る舞いを観察して、その振る舞いの意味を言語化することから始めました。たとえば上記の振る舞いは、次のように言語化されました。「人の運動システムは、必要な運動課題を達成するために、身体の内外に利用可能なもの(「運動のための資源」=「運動リソース」)を探索する」のです。
 弛緩麻痺の軽い方であれば、力も出やすく運動範囲も重心の移動範囲も大きいので、ほんの少しの試みで立たれたりされます。健側の下肢の力で体が浮き上がるし、健側の上肢で肘掛けを押しつけたり、前方への重心移動もできます。「なんとか立てそう」と予期的に理解されますので、すぐには諦めませんし、何度か試した後になんとか立たれたりします。
 少しばかり動くことで、身体の内部に立つための利用可能な筋力や柔軟性、それに重力と床の間でなんとか体をコントロールする能力があることがわかって、それらの使い方を試行錯誤しながら立つという課題を達成されるのです。
 逆に弛緩性麻痺が重いと、どうにも身体の中に利用可能な筋力が見つからないのです。それですぐに「これではどうにも動けない」という結論になってしまうようです・・・・
 そんな風な観察を続けて、人の運動システムの作動の意味やその様子を想像していきます。他にもたくさんの観察を基に、人の運動システムの作動の特徴をまとめて理解することでCAMRはできあがりました。そして次第にリハビリでやるべきことがはっきりしてきました。
 たとえば片麻痺は大きな身体変化を起こします。半身に弛緩性の麻痺が起こります。弛緩性麻痺の部分は筋肉が緩んで水の袋のようになります。良い方の半身に水の袋のような麻痺の半身がぶら下がるため、良い方の半身を悪い方に引っ張ります。麻痺の体が重りになったり、ブラブラ揺れて体を不安定にします。力が入らず、支えたり思うように体を動かしたりできなくなります。それまで良く知っていた自分の体が未知の身体になってしまうのです。
 だからリハビリで最初にやるべきことは、まず変化した体のことをよく知ることです。どうやるかというと、まずは様々に動いてみることです。様々な課題を通して「できる」こと、「できない」ことを少しずつ探索します。(その2に続く)

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「実りある繰り返し課題」を振り返る その3&その4

目安時間:約 6分

「実りある繰り返し課題」を振り返る その3

~徹底的に振り返ってみよう(^-^)~

 秋山です。前回の投稿にご質問いただき、自分の中で整理できていなかった部分に気づきました。ありがたいことです。というわけで、補足というか修正というか。

 まず、「単純」という言い方はあまり適切ではありませんでした。「実りある繰り返し課題」を素振りに例えましたが、素振りを「単純」と言おうものなら、大谷翔平に「素振りをなめんなよ」と言われそうです(^^;)

 私は訪問で仕事をしており、クライアントと対面できるのはせいぜい週1回なので訪問日以外でも取り組みやすいものを提供する必要があります。シンプルの方がよかったかも。

 まあ、何が単純か、複雑かは意外と難しい。単に工程の多さではないですね。 CAMRでは人の運動を形ではなく機能で見ます。

 歩行障害がある時、正常歩行の形からどれだけ逸脱しているかを分析して正しい形に戻すのではありません。歩く時の運動システムが生み出す働き、重心移動・支持・振出しがどう作動しているかを見ます。

 そしてそれらを強めたり改善するには、を考えます。疾患や障害が異なると歩行の形はそれぞれ違いますが、歩行が重心移動・支持・振出しの機能から成り立っていることには変わりありません。

 だから、CAMRでは疾患や障害が異なっても、同じ課題を行います。脳卒中用の課題、大腿骨頚部骨折用の課題というものを作っていません。支持機能を高めるとか、左右の重心移動を拡大するとか、支持と反対側の振出しを同時にするとか、そういう課題を行います。

 CAMRではリスト化しています。便利です。

 障害を問わないと言っても、「このほにゃららスクワットを1日10回やれば、誰でも3か月で痩せられます!」みたいなわけはないので(どうも私の例えはダイエットか山登りが多い・・・)、セラピストの出番です。

 繰り返しますが、課題作成は疾患によって決まるのではなく、システムの作動状況によって決まります。また、痛みの有無やその方がとっている運動方略とか考慮します。レディメイドの課題をその人向けにカスタマイズするというとこですかね。

 課題設定にしても、経過をみて課題変更していくにしても、クライアント自身の「探索」が重要です。 その4に続く~ (忘れられないうちに投稿します!)

「実りある繰り返し課題」を振り返る その4

~人はみな自律した運動問題解決者~

 秋山です。暑いです。西尾さんのnoteが今の話題に関係深いテーマなので、そちらを読んでいただければいいかなーと思いながらも、いやいや、逃げちゃダメだ、あちらはあちら、こちらはこちらと気を取り直し、続きです。

 前にも述べましたが、リハビリテーションに携わる方で、ちゃんと仕事をしようと思ったら、誰でもクライアントを観察して評価してプログラムを最適なものになるように頑張っておられるでしょう。違いは何をどうみているかです。

 セラピストが出した課題を、セラピストが指導した注意点に従って「正しく」できているか?これが従来のセラピストの役割です。正解はセラピストが持っている。

 対してCAMRでは、やり方はクライアントに任せます。というより、たった一つの正常な運動などは無い、やり方は人それぞれなのだから、当事者が能動的に動いて、世界を探索して獲得していくしかない。

 セラピストの仕事は、クライアントが安全に希望を持って探索に取り組める環境を整えて課題を提供することです。

 人はみな自律した運動問題解決者であることは障害の有無に関係ありません。急性期の運動障害では、その人が無能力になるのではなく、身体リソースが著しく損なわれてこれまでの方法が通用しないという状態です。

 セラピストはクライアントに対してその人の「正しい動き方」を知っていて教えることができるのではありません。自分の運動能力を過小評価または過大評価している方に、「まず、これくらいの動きからやってみましょう」→「やってみてどうでしたか?では、これではどうですか」

 その間、足場作りでコンプリメント、ブリッジその他いろいろやるのです。また、クライアントが気づいていないリソースを促したり、偽解決のループに陥る前に他のやり方を試してもらったり。ああ忙しい。

 私たちは常に探索して世界とつながっている。慣れたところでは探索は無意識のうちに行われ、その重要さに気がついていないのだと思います。

 ここからは個人的感想ですが、「クライアントがセラピストに頼らないと運動しない」とか言う前に、クライアントの探索の邪魔をしていないか、まず気にしてみることですね。いったん、終了ですー。

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