リハビリの姿勢動作観察の技術について(その2)

目安時間:約 2分

リハビリの姿勢動作観察の技術について(その2)
 前回述べたように最初のベースとなる知識や視点によって観察によって「観えてくるもの」が異なります。
 たとえば杖を突いて歩いている人の患側の下肢の振り出しが健側の足と同じ位置に揃ってしまいます。円背があり杖を体のかなり前方に突き、患側下肢を振り出した後、わずかの間、動きが止まってしまいます。
 学校で習うのは「どんな形でどんなやり方で歩いている?」と考え、「その原因は何か?」などと身体の構造と各器官の働きから観察します。それでこれを見るとまずは「股関節屈曲の筋力が弱いので、患側下肢を十分に振り出せないのかもしれない」と股関節屈筋の働きの低下で説明したりします。実習生や新人さんがすぐに飛びつきそうな説明ですね(^^;)
 「ではどうする?」と質問すると、きっと「はい、股関節屈筋の強化を図ります」と意気込んで答えるはずです(^^;)
 少し深読みする学生さんだと、「円背があり股関節も屈曲気味なので、弱い股関節の振り出しの筋の屈曲の筋収縮の効率が悪くなっているのかもしれない。姿勢をまず治した方が良い」などと「やった感」を出したりします(^^;)
 でもCAMRではまず「人の運動システムは障害後にどのような問題解決を図るか?」という視点で観察します。人の運動システムは、課題達成に問題が起こるとまずはその問題を解決して課題を達成しようとするからです。(その3に続く)

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ

姿勢動作の観察の技術について(その1)

目安時間:約 2分

 姿勢動作の観察の技術は「目に見えるものから、目に見えないものを観る」技術です。これが観えるようになると仕事が俄然面白くなります。
 観察の技術は、「観察の基になる知識」と「繰り返しの実施経験」から身につき、熟練していきます。
 たとえば立っている人を見て、左肩が下がっていると「左脚重心で骨盤が水平面で右に下がり右側彎がある。そうすると左下肢はO脚気味、右下肢はX脚気味になりやすい」という知識があり、患者さんの姿勢観察をしていると自然にまず肩の位置を比べるようになりますよね。
 肩の左右差は見えるので、それを基に見えない骨盤や脊柱や重心の位置なども観えてくるようになるわけです。
 そして観察を何度も繰り返すことで徐々に技術は向上します。
 またこの知識があると靴をいくつも観察することで、履いている人がどんな問題を持っているかも想像ができるようになります。ほんの少し見えるものがあるとたくさん観えるものが増えてくるわけです。
 上記の観察は解剖学や運動学を基にして、体の構造や各器官の働きなどの学校で習う知識の視点で観察しています。
 一方CAMRでは、体の構造や各器官の働きではなく、人の運動システムの作動の特徴という視点から得た知識で観察をします。そうすると学校で習った視点とは異なった理解やアプローチが生まれます。
 次回はCAMRの視点から得られる知識を基にした観察の様子を説明しましょう。(その2に続く)

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ

CAMR誕生の土台 その3(ベルンシュタイン編 その3)

目安時間:約 3分

「運動学習が運動の形ややり方をプログラムとして憶えて再現する」と考えるとします。でも人の体が正確に同じ運動を繰り返せないということは、「頭の中にプログラムがあってそれが発動するとプログラム通りの運動を再現する」という理屈は成り立たなくなります。(注1)

 たとえば温かいと筋は柔らかくなり、運動は大きくブレることになり、寒いと硬くなって運動範囲が狭くなります。気温変化のような環境内や身体の様々な影響で運動結果は異なるわけです。つまり「同じ運動を繰り返して頭の中にそのプログラムを作る」という伝統的な運動学習の考え方にダメ出しをしたのです。

 ベルンシュタインは「運動学習は運動の形を憶えて再現することではない」としました。その時その場の状況に応じて異なる運動でも同じ運動結果になるように予期的に運動結果を知覚調整するやり方を身につけることが運動学習であるとしたのです。やり方の記憶ではなく、やり方(運動スキル)を修正・創造して課題達成を導く能力を伸ばすことだとしたわけです。

 CAMRでは、リハビリの目的は「人の運動システムが持つ生活課題達成力の改善」であるとしています。必要な生活課題を達成するのは、筋力や体力などの運動リソースではありません。筋力はあくまでも単に力に過ぎないからです。

 課題達成するのは、それら運動リソース(筋力、柔軟性、持久力、身体や環境の情報、環境内のリソースなど)を基にそれらをどのように利用して課題達成を行うかという「運動スキル」を創造・修正する能力の改善こそがリハビリで行うべき大切なことと考えています。

 この能力を改善するためには二方向からのアプローチが必要になります。「運動リソースの豊富化」と「運動スキル学習(運動リソースの探索・試行錯誤と運動認知の創造性の改善)」です。これについては説明が長くなるので、またいつか(^^)

 これがベルンシュタインから学んだことの一つです。

 もちろん他にもたくさんのことを学びました。「人と機械は全くことなった作動をする」とかね。以下の書籍です。面白いですよ。

 ニコライA.ベルンシュタイン「デクステリティ 巧みさとその発達」工藤和俊訳 佐々木正人監訳 金子書房,2003年発行の日本語版です。原著は1967年にロシア語で書かれています。英語版は1996年です。運動学習以外にも面白いアイデアが一杯です。(続く)

(注1)シュミットのように「スキーマ説」で運動結果の修正の説明はできるのかもしれませんが・・・それでも新奇な課題で見られる創造的な課題達成のやり方の説明には無理があります。メインのプログラムを修正・制御する補足のブログラムという窮屈な理屈なのです。これをするためには下位にもっと多様でたくさんのプログラムが必要になるはずです。

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ

CAMR誕生の土台 その2(ベルンシュタイン編) その2

目安時間:約 2分

 職人の金槌を振る軌跡が毎回違うというのは、人は同じ運動を正確に繰り返すことができないからです。機械が正確に同じ運動を繰り返すのは、各部品の動きが常に1つに制限され、結果全体の動きも1つに制限されるからです。同じ意味でも、「正確に運動を繰り返す」というよりは、むしろ「その運動しかできないように制限されている」と表現する方がぴったりです。
 一方人の体では1つの関節も様々な方向に動き、ルーズなところがあります。機械のギアの組み合わせのように1つの動きしかできなくなるのとは大違いです。肩関節の1ミリメートルのズレは、指先ではかなり大きくなるのは容易に想像できるでしょう。
 また筋肉はゴムの様な性質を持っています。1メートルの樫の棒と同じ長さのゴムの棒で1メートル先の電灯のスイッチを押すことを考えてみます。樫の棒は硬いので思い通りに押せますが、ゴムの棒は持っている粘弾性の性質によってユラユラ揺れてなかなか思い通りにはならないものです。筋肉もゴムのように粘弾性の性質があり、元々正確にコントロールできる代物ではないのです。体を構成する要素が柔らかくてルーズで正確にはコントロールできないので、毎回同じ動きを繰り返せないのです。
 さらにゴムは温度変化で粘弾性が変化するように、筋肉も様々な環境下で変化します。温かくなればより柔らかくなって動きはルーズになるし、寒くなれば硬くなって動く範囲も小さくなります。
 それにも関わらず職人さんは繰り返しの練習を通して、異なった運動で正確に同じ運動結果を生み出すようになるのです。ベルンシュタインはこれをどのように説明したのでしょうか?(続く)

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ

CAMR誕生の土台 その1(ベルンシュタイン編) その1

目安時間:約 2分

 CAMRはContextual Approach for Medical Rehabilitationの短縮形です。「カムル」と呼びます。和名は「医療的リハビリテーションのための状況的アプローチ」と言います。システム論を基にした日本生まれのリハビリテーション・アプローチです。
 今回はCAMRがどのような土台から生まれたかを説明したいと思います。
 最初はベルンシュタインです。
 ニコライA.ベルンシュタイン「デクステリティ 巧みさとその発達」工藤和俊訳 佐々木正人監訳 金子書房, 2003年. から

 システム論はロシアの運動生理学者、ベルンシュタインの本が英訳されたのが西側世界でブレイクしたきっかけの1つらしいです。彼は実にたくさんの魅力的なアイデアを提案しています。そのうちの一つが、「人は機械とは根本的に違う」というものです。
 西欧文明には「人は神が創った機械である」という「人間機械論」という思想が根底にあるようです。それでなくても機械は身の回りにある動くものとして馴染みがあり、自分たちの体の運動を理解するときの喩えとして分かりやすいこともあります。
 解剖学や運動学では、人の体を構造と各組織の働きで理解しますので、運動が生まれる仕組みを機械と同じように学んだりします。あるいは脳をコンピュータに喩えたりはよく行われますよね
 でもベルンシュタインは、人のからだは機械とは違う」ことを明白に説明しました。以下で紹介するのはその1つの例です。

 職人が金槌を振る動作を観察したところ、一回毎に運動の軌跡が違うのに、毎回釘の頭を打つという同じ結果を生み出すことに驚きました。
 機械は正確に同じ運動をして同じ結果を生み出す訳です。しかしベルンシュタインは人が毎回違う運動で同じ結果を生み出すことを発見したわけです。
 なんとも不思議ですね。(その2に続く)

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ

「治す」か、「良くする」か?

目安時間:約 3分

「治す」か「良くする」か?

 ある日、初めての片麻痺患者さんが病院に来られて、挨拶も早々に立ったまま質問された。 「わしの病気を治せるか?」 僕は全身を見た。麻痺側の体が硬くなっていることがよく分かる。麻痺は治せないので、「治すことはできませんが、今より良い状態にすることはできると思います」と答えた。

 すると「じゃあ、見てくれんでええわ!」と激しく言ってリハビリも受けずに杖をついて出口に向かってしまった。僕は唖然とした。

 硬くなった体で一生懸命に歩かれている。重心移動や患側下肢の振り出しに時間がかかって、頑張っている割に速度が遅い。どうするか迷った。もう一声かけるべきか・・・ あの硬さを改善すれば、もっと楽に歩けるし、歩行速度も上がるだろうと思った。後を追おうとしたら、一緒に来ていた妻が申し訳なさそうに頭を下げた。 「いつもあの調子なんです。諦めがつかないらしくて・・・もういいんですよ、ごめんなさいね」と小声で言いながらあとを追われる。なんだか声をかけそびれてしまった。

 カルテを見ると発症から4年。県内の有名なリハビリテーション病院などにも入院されていたようだ。いろいろな病院やクリニックを渡り歩いておられるらしい。

 最初は「仕方ない。あの方の判断だ」などと思ったが、何度も気になって仕方ない。なんと言えば良かったのか?嘘はつけないが、もう少し丁寧に説明すれば良かったのでは?

 たとえばすぐに返事せずに、「見たところお体がかなり硬くなっておられるようですね。その硬さを改善すると動きやすくなりますし、歩くのも速くなると思います。ただ麻痺自体を治すのはリハビリではできないのです。でも今より動きやすくなりますよ」などといった言葉が後からいろいろ浮かんで来た。

 もちろんそれでも断られたかもしれないが、なんだかいつまでも後悔が残るもので、30年近く経った今でも思い出すことがある。(終わり)

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ

脳はコンピュータ?

目安時間:約 4分

 西洋医学では、人の身体を構造とそれぞれの各組織・器官の働きから理解します。そして「構造の悪いところや働きの悪い器官などを探して、そこを治す」というのが基本的な考え方ですね。
 もちろんこのアプローチは非常に有効です。このアプローチによって医学は世界に認められたのでしょう。
 学校で習うリハビリももちろん同じように、「悪いところを探して治す」というのが基本になっています。それで脳性運動障害では、「壊れた脳細胞が悪いのだから壊れた脳を治す。あるいは壊れた脳の機能を他の壊れていない脳細胞に肩代わりしてもらう」というアプローチが、日本でも60年以上前から目標になっています。
 しかし結果的に、麻痺も治らないし、それらのアプローチで元の健康な運動が回復するわけでもありません。リハビリでは、壊れた脳細胞を治したり、他の細胞に肩代わりさせて機能を回復させることは残念ながら無理のようですね。
 でも未だにセラピスト二人がかりで患者さんを立たせて全介助で歩かせるアプローチなども行われているようです。「様々な運動感覚が脳に栄養として届き、新たな運動学習が行われる」という理屈を言って脳細胞や脳の機能を回復させようとするアプローチが行われたりしています。
 その理屈は言い換えると、「運動学習とは正しい運動の形を憶えて再現すること」と考えているようです。また「運動感覚の入力」は、コンピュータにキーボードからブログラムを入力するように、「身体を動かせばその動きの感覚がプログラムとして脳に作られる」と考えているようです。
 脳をコンピュータ、手脚をキーボードのように理解しているようですね。
でも実際にそれで入力されているという運動感覚は、「他人が無理矢理動かしている身体」の感覚です。この他人が無理矢理に動かす感覚で、自分から動いてその歩きの形を再現するようになるとはとても思えません。元々入力している感覚が全く違うのです。自分で動かしている運動の感覚ではないのですから。
 むしろ想像してみてください。自分では上手くコントロールできない身体を二人がかりで立たされるのです。むしろ「怖い」と思うのではないでしょうか。よく知らない人間2人に立たされて無理矢理片脚ずつ前に動かされるのです。怖くて知らず知らずのうちに体に力を込めて体をより硬くして身を守ろうとします。これでは体が硬くなりすぎて、ますます自分では動けなくなってしまいます。
 セラピストは体の動きを教えているつもりでも、体をこわばらせて恐怖に耐えることばかり学習するのではないでしょうか。
 人を機械のように理解すること自体は、いろいろな利点もあるのですが、「脳をコンピュータとして理解する」のはとんでもないことです。普通「コンピュータの立場になる」とは考えないように、患者さんの立場になって考えることもできなくなってしまうのでは?(終わり)

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ

「運動学習」は「運動の形ややり方を憶えて再現すること」?(その5 最終回)

目安時間:約 4分

 ここまでで、本来人の運動システムは、「状況に応じて運動の形ややり方を変えて課題達成・維持する」という「状況性」の作動をすることが分かりました。この状況性の作動を支えるのは、「人の運動が無限に変化する仕組み」です。
 そしてその仕組みとは、有り余るほどの豊富な運動リソースと適切な運動認知、そしてそれらから生まれる課題達成のための方法である「運動スキル」です。ここまでで改善可能な身体リソースはできるだけ改善すること。利用可能な環境リソースをできるだけ工夫して増やすことを述べました。
 また同時に運動認知を適切化することも説明しました。環境内で多様に多彩に動くことで運動認知は適切にアップデートされます。
 その上で必要なのが、適切な運動課題を通して運動スキルを生み出す「運動スキル学習」を進めることです。増えた筋力や柔軟性、補装具や杖などの運動リソースを適切な運動認知によって、必要な課題達成のために適切に利用するための新たな運動スキルを生み出す過程です。
 大事なポイントは2つあります。1つは、「セラピストは患者さんに適切な運動スキルを直接教えることはできない」ということです。
 こう言うと「セラピストは教えることができる!」と反論されることがあります。「アスリートだって優秀なコーチからやり方を教えてもらっているではないか?」といわれます。でもそれは間違いです。
 優秀なコーチは「アスリートが新しい運動スキルを発見、実施できるように適切な運動課題を提示している」のです。たとえば「脚を振り出すときは、膝もピンと伸びるように」などです。ピンと膝を伸ばすというやり方ではなく、課題として提示しているだけです。「四頭筋を八分程度収縮させて・・・」などというのはナンセンスです。その人の体の使い方はその人にしか分からないからです。
 つまり運動スキルを創出するということは、その人自身が利用可能な運動リソースを探索して、その使い方を試行錯誤し、適切な課題達成方法である運動スキルをその場で発見、熟練するしかないのです。
 2つ目のポイントは、セラピストの仕事は、適切な課題設定をして、患者さんが適応的な運動スキルを発見するためのお手伝いをすることです。
 運動スキルを発見するのは患者さん自身なので、そのために必要なのはセラピストが、適切な運動課題を工夫、設定することです。運動スキルは適切な課題を達成する経験から生まれるからです。その条件は「課題がその人にとって意味や価値があり、なんとか達成可能である課題」であることです。
 またセラピストは過去の経験から、適切なアドバイスをすることはできます。たくさんの患者さんが適応的な運動スキルを生み出す場面を見ることによって、どのような小さな動きや課題が患者さんの課題達成に繋がるかを見ているからです。セラピストはそのような小さな知識や経験を蓄えておく必要があります。
 もう一つ、患者さんの発見した運動スキルを洗練、熟練するお手伝いができます。たとえば患者さんの発見した「ぶん回し歩行のスキル」をより安全に、より速く、より効率的にできるように導くことは可能です。
 簡単にまとめると以上のようになります。患者さんの必要な生活課題達成力を改善するためには、改善可能な運動リソースを増やしながら、適切な運動認知にアップデートすること。そして適切な運動課題を提示して運動スキル学習を進めることです。
 運動学習は決してセラピストが理想とする形ややり方を患者さんに押しつけて繰り返すことではありません。世の中のさまざまな環境内で、生活課題達成力をより改善することが運動学習の目標だと思います。(終わり)

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ

「運動学習」は「運動の形ややり方を憶えて再現すること」?(その4) 

目安時間:約 5分

「運動学習」は「運動の形ややり方を憶えて再現すること」?(その4) 

 前回は「障がいがある」ということは、「身体リソースが貧弱になり、利用可能な環境リソースも貧弱になる。そして動きの量や多彩さが減ることで運動認知も不適切になり、生み出される運動スキルも貧弱になって、必要な生活課題達成が困難になること」と説明しました。
 そうするとリハビリの目標がはっきりしてきます。第一に「改善可能な身体リソースはできるだけ改善すること。そして利用可能な環境リソースをできるだけ工夫して増やすこと」と述べました。特に身体リソースを改善することと環境リソースを工夫し増やすことは一般にリハビリのセラピストはよくやっていることです。
 必要な生活課題達成のための多彩で実用的な運動スキルは、運動リソース、運動の資源が豊富であればあるほど創造されやすいのです。
 さて運動を無限に変化させる能力を構成する2つ目のものは、「適切な運動認知」です。たとえば健常者は、「目の前の幅50㎝の溝を安全に渡れるか?」と聞かれると多くの人が実際にやらなくても「渡れる」という予期的結果が分かるはずです。中にはいつもなら渡れるけど今日はハイヒールだから無理」と判断するかもしれません。適切な運動認知があればその場の状況からやらなくても結果は分かるのです。
 またできないと判断しても、「でも溝の向こうから手を握って支えてもらえれば渡れる」と答えるかもしれません。つまり体や環境の利用方法が想像できるので予期的に結果が分かるし、上記のように「予期的に課題達成のやり方」を生み出すことができるのです。
 もう一つ、この運動認知は常に体を使い、環境内のいろいろなものを操作したり、環境内で多様に動き回ることによって、適切にアップデートされます。
 風邪などをひいてしばらく寝込んだら、体が硬くなったり、力が出にくくなりますね。この状態でいきなりいつものように溝を渡ろうとしたら、力が入らずに落ちたりつま先を引っかけて転んだりします。
 つまり常に色々に動いて使って初めて運動認知は適切にアップデートされるものなのです。風邪で寝込んだら、その場で少し色々動いてみると、いつもより慎重に安全に溝を渡るための運動スキルが生み出されるはずです。
 片麻痺のように、身体の半分が弛緩状態になるような非常に大きな身体変化が起こると、筋力などの身体リソースは広範囲に貧弱になります。すぐには動けないので体がどのように変化したかの運動認知をアップデートすることもできません。よく見知っていた体が未知の身体になってしまいます。
 健康だった頃のやり方、運動スキルは役に立たなくなります。その結果、それまでできていたことができなくなります。未知の体では適切に動けないのです。
 だから変化した体で、実用的な運動スキルを新たに創造する必要があります。そのために、改善可能な身体リソースはできるだけ改善します。利用可能な環境リソースは工夫してできるだけ増やします。
 そして同時に運動スキルを生み出すための適切な運動認知にアップデートする必要があるのです。どのように行うかというと、基本的には様々な身体活動や身の回りの利用可能な環境リソースを探して使ってみることで行われます。
 「自分の体に向き合う」ために、特定の身体活動を集中して繰り返すことをするセラピストもいますが、「同じことを何度も繰り返さないと理解・実行できないほど運動システムは低性能」と考えておられるようです。でもこれはむしろ逆効果です。
 人の体は意外に高性能です。少し動いたり触ったりするだけで色々理解します。できるだけ多様な環境・状況の中で、できるだけ多彩な動きを生み、周りのものに触れて利用する活動を通して、「自分の体と環境内の様々なものとの関係性を理解すること」こそが運動認知には重要です。体の動きを通して環境を知り、環境を通して自分の体のことを知っていくのです。(その5に続く)

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ

「運動学習」は「運動の形ややり方を憶えて再現すること」?(その3)

目安時間:約 4分

「運動学習」は「運動の形ややり方を憶えて再現すること」?(その3)

 さて、前回は人の運動システムには「状況性」という作動の特徴があることを述べました。状況性とは「人の運動システムは無限の状況変化に応じて運動を無限に変化させて、できるだけ適応的に課題達成しようとする」という作動でした。

 つまり人の運動システムは元々無限に運動変化を起こす能力があるということです。 では患者さんをこの状況性の視点で見るとどうでしょう?片麻痺患者さんは室内を安定して歩けても、アスファルト道路や草地、砂利道では不安定になられる方も多いです。食堂の椅子からは独りで安全に立ち上がれるけれど、ソファからは独りで立てないこともあります。

 つまり状況変化に上手く対応できないのです。「状況性の作動が低下している、あるいは貧弱になっている」と言えます。運動システムが無限の運動変化を起こせなくなっているのです。「状況性の低下」が運動障害の一つの特徴なのです。 そこで「どうして健常者は無限の運動変化を起こすことができるのか?」と考えてみましょう。

 この「無限に運動変化を起こす能力」はCAMRでは3つのことから成り立っていると考えています。

 一つは「運動リソース(運動の資源)が豊富である」ということです。運動リソースには、「身体リソース」と「環境リソース」の二種類があります。 身体リソースは身体の備えている運動のための資源で、身体そのものや身体に備わる能力や性質である筋力、柔軟性、持久力、感覚などがあります。環境リソースは、環境を構成する大地や構築物、水塊(池や川、海など)、道具、他人、動物などです。また環境の備える性質である重力や明るさ、温度、風なども含みます。身体リソースが豊富だとこれらの環境リソースを上手く利用できるのです。

 2つ目は「運動認知が適切である」ということです。運動認知は、運動リソースの意味や価値を知り、その利用方法についての創造の能力です。言い換えると「必要な運動課題達成のための運動リソースの利用方法」である「運動スキル」を創造する能力です。

 よく暢気に「筋力をつければできるようになる」と言うセラピストがいますが、とんでもない誤解です。力は単に力に過ぎません。その力や柔軟性、持久力などをどう使うかという運動スキルがなければ、力だけでは何もなしえないのです。

 そして3つ目がその運動スキルです。人の運動システムが無限の運動変化を生み出して、適切な課題達成方法を創造できるのは、「豊富な運動リソース」と「適切な運動認知」によって「適切で柔軟な運動スキルが多彩に生み出される」ことによって可能になるのです。

 この視点から「障害がある」とということを考えてみましょう。「まずは身体リソースが貧弱になり、利用可能な環境リソースも貧弱になります。また活動量の低下や多彩さの低下で運動認知も貧弱になり、適切で多様な運動スキルが生み出せなくなります。その結果、必要とする生活課題が達成できなくなることが障害があるということ」です。

 そのように考えるとリハビリの目標は明確になりますね。まず第一に改善可能な身体リソースはできるだけ改善すること。次に利用可能な環境リソースをできるだけ工夫して増やすこと。たとえば「足が弱ったら車椅子を使う。両腕も弱ったら電動車椅子を使う」のようなことです。そのように環境リソースを工夫して行くと、移動という課題を達成できるわけです。

 運動リソースは「運動の資源」ですから、資源はできるだけ豊富な方が、より実用的な運動スキルをできるだけ多彩に生み出すことができます。そして状況性の作動をより強める基礎になるのです。

 さて、この続きは次回に。(その4に続く)

にほんブログ村 病気ブログ 理学療法士・作業療法士へ
1 2 3 23
CAMRの最新刊

CAMR基本テキスト

あるある!シリーズ

運動システムにダイブ!シリーズ

CAMR入門シリーズ

カテゴリー

ページの先頭へ