CAMRは状況変化の技法?(その1)
CAMRが生まれた初期の頃、みんなに憶えてもらいやすいキャッチフレーズを付けることにしました。それで思いついたのが「状況変化の技法」でした。他の人には意味が分かりにくいかも、と思いましたが、なんとなく気に入ってしまったのでそのまま現在も使っています。
ただその後、「CAMRはやはり状況変化の技法であるなあ」と再々実感するようになります。そのことをお伝えすることで、「なるほど、CAMRは状況変化の技法であるなあ」と少しでも感じてほしいので、実例を紹介してみたいと思います。
最初そのことを強く感じたのは、僕が勤めていた老健施設でやっていた「リハドック」というサービスでした。その当時「強化型老健」を目指そうという施設の目標があがりました。まあ、簡単に言うと「強化型」という施設になると収入が増えるので「それやろう!」となったわけです。
そしてサービスの趣旨はズバリ、「在宅生活を支えるための入所サービス」です。しかし始めたばかりのリハビリ・ドックには利用者さんがなかなか集まってきません。
そこで目を付けたのが、ケアマネさんの抱える「色々な面で困っている利用者さん」を引き受けて、1ヶ月程度の期間でその問題を解決しようということです。そうすれば地域のケアマネさんの間でリハビリ・ドックの噂が広がって利用者さんが増えるのではないか、と考えたわけです。
実際に在宅生活では「次第にからだが弱って転げやすくなった」とか「膝が痛くて歩かなくなった」とか「失禁が多くなって介護が大変」とか「紙パンツやポータブルトイレを嫌がるので困っている」など、在宅生活を続ける上で家族が介護で困っている場合が多いのですよね。
しかも他のデイケアや老健で問題解決が上手く行かなかった方も比較的多いのです。
そんな他施設で解決しなかったような利用者さんを受け入れて何とかしてみようという無謀な挑戦が始まったのです。
この物語は、リハビリ・ドックを実現させる過程とその中で苦闘した人々の記録である・・・(中島みゆきの「地上の星」をバックに(^^;)!) あっ、話がテーマから逸れてしまいました。次回から「状況変化の具体例」について述べていきます(^^;)(その2に続く)
君たちはどう生きるか-リハビリのセラピストへ(その5 最終回)
従来のリハビリで扱われる人間像では、患者さんは単に「障害を持った人」です。あるいは「障害を持って困っている人、傷害に苦しんでいる人」というイメージです。だからセラピストが助けようとします。極端になると必要以上に患者さんを助けようとして、セラピストが患者さんの動きや生活を管理しようとします。
でもCAMRの視点では、患者さんは「障害を持っていても問題の解決を試み、必要な課題を達成しようと試みている人」と映ります。本人様は意識的に「苦しい、何もできない」と思っていてもその人の運動システムは、常に「何とか必要な課題を達成しよう」と頑張っています。
たとえば片麻痺患者さんの分回し歩行は、誰に教わるでもなく多くの片麻痺患者さんが苦労の末に自然に手にした歩行スキルです。この歩行スキルを「間違っている。健常者の様に歩きましょう」などと言うのはとても失礼です。実際にセラピスト自身が麻痺を治して「健常者」として歩いていただくことはできないからです。
むしろ、「麻痺のある体でよくここまで歩くようになられましたね」とみんなで認めることもできるのではないでしょうか。それで救われる方も多いと思います。
もちろんセラピストにとっては、患者さん自身が生み出した片麻痺歩行をさらに安全で効率的な片麻痺歩行スキルに改善することが仕事です。
運動システムは麻痺などの状況変化に対して常に適応しようとしますし、必要な課題を達成しようとします。もし課題達成に問題が起こると、自律的に何とか問題解決を図って、その人にとって必要な運動課題を達成しようとします。
CAMRの視点はいつも運動システムの内部と外部を行き来しています。それで患者さんの意識とは別に、頑張っている運動システムの作動を理解し、助けようとします。
運動システムは単なるメカニズムではないのです。意識の支配下でもないのです。変な表現ですが、機械と違ってちょっとした個性や知能を持っている存在のように思えます。そしていつも必要な課題を達成し、問題が起きると問題解決を試みているのです。これがCAMRによって理解できる運動システムの作動の特徴の一つです。
ただその問題解決が新しい問題を生み出してより悪い状況を生み出してしまうことが多いのです。この悪い状況を「偽解決状態」と言います。特に脳性運動障害で顕著です。たとえば必要以上に体が硬くなったり、使える運動リソースを「使えない」と勘違いしたりして運動パフォーマンスを上げることができなくなっているのです。
セラピストはこの偽解決状態から患者さんを救い出し、運動システムがより良い形で課題達成するための手助けをしていく必要があります。たとえば片麻痺歩行も不要な過緊張を改善し、改善可能な身体のリソースを改善し、より効率的で安全な歩行スキルの獲得を手伝うことができるのです。
これがCAMRの視点であり、理解の簡単な概略です。そうするとこれまでとは異なったアプローチの体系が現れてきます。
現在CAMRのアプローチを伝え、議論するための無料勉強会を広島市中心部で定期的に開催しています。患者さんの動画を使わせていただき、患者さんの運動問題やそれに対する運動システムの問題解決と偽解決状態、そしてそれらに対するCAMRのアプローチを具体的に説明しています。
CAMRのアプローチを理解してもらえるとより広い視野から患者さんを理解できると思います。一人でも多くの方が参加していただけることを祈念しています。
これがシステム論に出会ってからの僕の30数年の取り組みの道のりです。
最初に述べたように、現在の日本のリハビリテーションは約1世紀前の視点で脳性運動障害を理解しています。それに矛盾や疑問を感じることはないでしょうか?もし感じたときは・・・・君たちはどう生きるか?(終わり)※今回の記事は、FacebookとNo+eの両方に掲載しています。
君たちはどう生きるか-リハビリのセラピストへ(その4)
アメリカの課題主導型アプローチではHands therapyが治療体系から除外されていました。それで僕は日本向けにhands therapyが組み込まれたシステム論のアプローチを作りたかったのです。その理由は前回述べています。
あともう一つ、アメリカのシステム論的アプローチに含まれていない魅力的なアイデアがありました。それはシステム論の新しい理論の一つ、アルゼンチンの生物学者、フアン・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラが提唱する「オートポイエーシス」(autopoiesis) 理論です。
たとえば動的システム論を始めこれまでの科学的方法というのは、システムの外部から客観的に現象を観察するのが基本でした。ただ人をこの外部からの視点で見ていると、まるで人を動く機械のように見てしまいがちです。動きの形の変化を見て、内部の筋や骨の動きに結びつけるのは、機械の作動を理解するのと同じです。
でも動物は機械とは丸っきり異なる作動の特徴を持っています。これは構造の視点から作動を見ていては理解できないものです。オートポイエーシスはシステム内部の視点を提唱しています。システム内部の視点から作動を観察するのです。これによって初めて気づかされる理解があるのです。
それは「作動の特徴」です。たとえば随意性とは「思い通りに動くこと」と考えられています。こう表現するとなんだか運動システムは意識の奴隷あるいは手下のように感じます。
でも運動システムの立場から見ると、随意性は「意識が思い通りの結果を得ること」ということになります。意識は体を動かしているのではなく、課題を運動システムに丸投げして、運動システムが状況を理解し、利用可能な運動リソースを探しては体を動かして課題を達成しているのです。緊急時には運動システムは意識に先んじて体を動かすこともあります。
つまり観察の立場を変えると、これまでとは違った運動システムの作動が見えてくるし、これまでと異なった理解も生まれるのです。
こうして僕はアメリカの課題主導型アプローチの持っている「人はアクティブな学習者である」という人間像にくわえて、hands therapyの有効性を訴え、オートポイエーシスの視点からの「作動の特徴」という新しい視点を加えて「CAMR(Contextual Approach for Medical Rehabilitation、和名は医療的リハビリテーションのための状況的アプローチ)を提唱することになったのです。
君たちはどう生きるか?(その5 最終回に続く)
※今回の記事は、FacebookとNo+eの両方に掲載しています。
君たちはどう生きるか-リハビリのセラピストへ(その3)
僕はアメリカ生まれの課題主導型アプローチを学んで、すごく勉強になったところも多かったのですが、逆に物足りなさも感じました。
僕はhands therapyが理学療法・作業療法のアプローチで除外されていることをとても残念に思いました。hands therapyはその時・その場で運動変化を起こして、患者さんの様々な状況変化を生み出すためのきっかけとなる技術の一つだと思います。
どうもアメリカのⅡstep会議に関わった教授達は、hands therapyを少しいかがわしい、インチキ臭い科学的根拠の薄い治療手技であるという偏見を持っていると感じました。
実際、課題主導型アプローチは、課題設定がセラピストの大きな仕事で、患者さんに一度も触れることなく訓練を進めることも可能です。
でもマニュアル・セラピーやPNF、上田法などは解剖学、生理学などに基づいて実施されていて、それぞれ安全で効果的なhands therapyです。特に上田法は脳性運動障害後の過緊張を一時的にでも大きく緩める他には見られない特徴を持っています よく「hands therapyの効果は一時的で、長く続かない。そんなものは駄目だ」と言われる方もいますが、元々たった一つの手技で全てあるいは多くの問題を解決しようなんて考える方が不自然です。
というのも脳性運動障害を始め様々な障害・傷害はたくさんの要素が複雑に絡んでいるのが普通です。
それらの要素のうちたとえば過緊張を一時的に大きく変化させて柔軟性を改善できれば、広がった運動範囲や重心の移動範囲などを利用して、様々な運動経験や新たな運動スキルを生み出すきっかけになることができます。
つまりhands therapyによって、痛みや柔軟性の一時的な改善はちっぽけな変化に見えても、新たな運動・行為や運動スキルを生み出していく「大きなきっかけ」になる可能性を持っています。
それで僕はhands therapyが当然重要な治療手技として組み込まれる日本生まれのシステム論のアプローチを考えてみようと思ったわけです。
君たちはどう生きるか?(その4に続く)
君たちはどう生きるか-リハビリのセラピストへ(その2)
アメリカで新しい基礎理論への移行が起きたのは1990のII Step会議です。これは全米の大学の中枢神経系の教育の中で、従来の階層型理論に代えて、システム論を学生に教えていくことが決定されたのです。
アメリカのシステム論はベルンシュタインのアイデアはもちろん、テーレンらの動的システム論やジェームス & エリザベス・ギブソンらの生態心理学の影響を強く受けて生まれています。そのリハビリテーション・アプローチは一般的には「課題主導型アプローチ」と呼ばれます。
もっとも基本的な考え方の一つは、動的システム論の「自己組織化」のアイデアや生態心理学の環境に自ら関わっていく人間像の影響を受けて、「人は環境内で主体的で自律的、アクティブな学習者」として考えられます。それでセラピストは、適切な課題設定をし、環境設定と課題提示をすれば、患者さんは自ら動いて自ら課題達成方法を生み出していくと考えています。
だからセラピストは自ら患者に触るhands therapy(手を使って治療すること)は必要ないと考えられています。その結果、hands therapyがリハビリの体系から除外されることになります。
ただしどうもこれはアメリカの独特の事情ですが、システム論に関わった学者達はどうもhands therapyを非科学的であると嫌悪しているように思えます。いくつかの論文にhands therapyに対する不信や嫌悪が見られます。
まあ、確かに中には結構いかがわしいものもあるのでしょうが、manual therapyやPNFのように解剖学、生理学、運動学などに基づいて成り立っているhands therapyもあるのですけどね。
君たちはどう生きるか?(その3に続く)※今回の記事は、FacebookとNo+eの両方に掲載しています。
君たちはどう生きるか-リハビリのセラピストへ(その1)
私たちが学校で習う脳性運動障害の見方は、今から90数年前の神経生理学者のジャクソンが提案した階層型理論を基にしています。
しかし階層型理論の矛盾が、新しい発見や実験を通して指摘されています。当然90数年前に作られた理論なので、そんなことは当たり前、普通のことです。
しかしながら、日本のリハビリは未だにこの階層型理論を中心に回っています。
この現状をどう思いますか?私たちには新しい理論が必要です。
君たちはどう生きるか?(その2に続く)※今回の記事は、FacebookとNo+eの両方に掲載しています。
脳性運動障害の理解を見直す(その9 最終回)
ここまでのまとめです。
90年以上前に神経生理学者のジャクソンは、階層型理論を提案し、脳性運動障害後の現象を陰性徴候と陽性徴候に分類しました。仮定した神経系の構造と働きを基に仮説としてそれを提案したわけです。
しかし多くの研究でジャクソンの仮説は否定される部分も多いのです。それにも関わらず未だにリハビリはジャクソンの仮説を中心に動いています。大変なことではないでしょうか?
少なくともより納得のいく理論が必要です。それの一つがCAMRです。
CAMRでは人の運動システムの作動の特徴から運動システムを理解します。その作動の特徴をCAMRでは以下の四つが主に重要なものだと考えています。
①自律的課題達成
②自律的問題解決
③状況性
④課題特定性
特に②の自律的問題解決の視点から見ると、脳性運動障害後の主症状はジャクソンのいう陰性徴候です。つまり弛緩性麻痺が主症状です。弛緩状態が広範囲にあるので人は動くことができなくなります。そうすると弛緩状態の部分を硬くして動こうという自律的問題解決の作動が起きます。
陽性徴候に当たる伸張反射の亢進や過緊張、原始反射の出現は弛緩状態の部分を硬くして動き出すための問題解決だろうと考えられます。
しかし問題解決といってもその場しのぎの活動です。やがて繰り返されすぎて様々な偽解決状態を生み出してしまい、障害像をより複雑に見せているわけです。(これについてはこのシリーズのここまでのエッセイで説明しています)
対してCAMRでは、「脳性運動障害後に見られる現象=元々の症状(広範囲の弛緩)+自律的問題解決の作動+偽解決状態」と考えています。こうするとそれまでのジャクソン神経学で見られたいろいろな矛盾が上手く説明できるようになります。
このようにCAMRの仮説を提案すると、「その理論が真実であることを証明してみろ」という人が出てきます。もちろんこれは、と言うよりどんな理論も真実ではありません。
というのも理論とはある現象をある視点から説明しているアイデアに過ぎないものです。ジャクソンの階層型理論も一つの仮説であり、アイデアに過ぎないものです。一つの視点から説明しているだけのアイデアが真実であるなどと言えるものではありません。
だからどんな理論もアイデアに過ぎないし、どんな理論も真実であるはずがありません。
それでCAMRでは理論は問題解決の道具であると考えています。ある問題の現象を理解・説明し、解決法を導くためのアイデア、つまり問題解決の道具です。 道具であれば得意・不得意があります。スプーンはスープを食べるには良いですが、うどんを食べるのには向きません。その時は箸が便利ですよね。それで道具は一つではなく複数持っていて状況によって使い分ける方が便利です。
学校では要素還元論という考え方や因果関係という考え方で問題解決を図ることを学んでいます。こんな言葉は知らなくてもそれらの考えに基づいて問題解決の方法を学んでいるのです。
障害学はその一例です。障害毎に現象を理解し、その問題と原因を挙げて解決法を生み出すわけです。
そして学校で習う問題解決の道具に加えてCAMRの問題解決の道具の二つを持てば、状況に応じて使い分けができて、問題解決の能力が上がる訳です。どちらの道具にも強みと弱味があり、それぞれがお互いの弱点を補い合います。
是非ともCAMRの問題解決の道具も学んで身につけることを勧めます。脳性運動障害像がこれまでとは違って見えます。患者さんは自律的に問題解決を図り、独自の課題達成方法を生み出しておられます。その姿に感動をおぼえたりします。それで、ではセラピストはどうするべきかという新しい発想が生まれるのです。(終わり)
※毎週木曜日にはNo+e仁別のエッセイを投稿しています。最新作は「状況変化の技法ね(前編)」https://note.com/camr_reha/
脳性運動障害の理解を見直す(その8)
今回は「安心確保の問題解決」を紹介します。
「基礎定位」の能力は、人の運動システムのもっとも基本となる能力です。これは重力と大地の間で身体や頭部を常に安定させて、安心して動くための能力です。立ち上がって歩く時に、体が片側に倒れるようにこけてしまうようでは安心できません。ウサギを追いながら丘の斜面を走りおり、倒木を飛び越えて着地し、ウサギを視線で捉えたまま追い続ける」といったことができるのもこの基礎定位の能力が常に重力と大地の間で体を安定させ、ウサギを目で追い続けているからです。
健常者にとっては日常生活を苦もなく送れるための基礎的な能力ですが、失調症のように筋が弛緩し、筋収縮に遅れが出たりするようになると、身体を重力と床の間で安定させることが難しくなります。眼球運動もスムースにコントロールできなくて視覚による姿勢調整も悪くなります。
感覚障害があると深部感覚による姿勢調整が困難になって視覚だけに頼り、やはり安心の状態に姿勢を保つことが難しくなります。前庭神経の障害ではふらつきやめまいが出てやはり姿勢調整が上手く行かなくなります。
私たちはこの大地の上、重力の中で通常二足歩行しますので、以上のような基礎定位の能力が上手く働かない状態になると、不安定で不安や恐怖を感じるようになるわけです。
そうすると運動システムは自律的に問題解決を図ります。それが「安心確保の問題解決」です。不安定な姿勢である立位を避けたり、安心・安全な状態に体を保持したりする問題解決です。
基礎定位障害があっても歩かれる人は一般的に、歩隔を広げる、杖や歩行車を使う、家具や壁に手をつくなど基底面を大きく広げて重心が基底面の外に飛び出さないような問題解決を図ります。非常に軽度の人では、手すりや壁は持たないものの広い通路でも常に壁にすぐにすがれるように壁際を歩くようにします。
立ったり歩いたりするときには歩隔を広げます。T字杖を遠くについて基底面を広くします。2動作歩行より常に2点で支える3動作歩行を好まれます。T字杖よりは4点杖を好まれます。
また体が硬くなって可動域が小さくなるようなパーキンソンなどの人では、基底面が小さく歩幅が小さい中でゆっくり歩くとバランスを崩しやすくなるため、歩行の周波数を上げてできるだけ速く歩いて前方への推進力を上げて直進安定性を高めようとします。ちょうど自転車をゆっくり漕ぐと不安定ですが、速く漕いで速度が上がると安定するような感じです。これはCAMRでは「ジャイロ効果の利用」と言っています。
基礎定位障害が重くなってくると、たとえば起立介助をしようと前方への重心移動をすると立つことに強く抵抗されます。強く介助して立ち上がると急に介助者に抱きついたり、すぐに座ったりされます。立つことは恐ろしくて本能的に避けようとされるのです。そして何度立位練習を繰り返しても、いつまでも慣れなくてずっと嫌がられたり、怖がられたりします。
また特定の環境に固執されたりします。立ち上がるときは横手すりより縦手すりを好まれます。体全体を預けることができて安心できるからでしょう。また慣れた介助者では移乗しても、知らない介助者では抵抗されたりします。
その他にもたくさんの基礎定位障害の兆候が観察されますが、ともかく何度繰り返しても慣れない、いつまでも1人では歩けないなどの訓練効果が見えないときには基礎定位障害を疑う可能性があります。
もし基礎定位があるようなら、環境利用のための運動スキルの熟練が必要になります。壁や家具を上手に使って家庭内移動したりするための運動スキルです。人によって安心確保の問題解決は様々なので、それぞれの人に合わせて運動課題や環境調整を設定していきます。
また介助者にも理解が必要です。「意欲がないから動かない」とか「必要以上に怖がって!」といった感じです。この場合は重力と大地の間で生まれる本能的な怖さ、不安なので本人の意思ではどうにもならないものです。よく説明して納得を得ることが大事です。
中には長い時間をかけて、不安を克服し自立される方もいます。杖や両脚で基底面を広くして歩かれますが、定期的になんでもないときに転倒されたりします。デイケアやデイサービスなどで普段自立されているのに定期的に転倒されますとリスク管理の会議が開かれて様々な改善案が出されます。しかし決め手の解決策はなくて、転倒される度に会議自体が恒例事業になったりします(^^;)効果的な解決策は人ごとに違うので、転倒時の状況を良く調べることが必要です。
CAMRではこれまで述べたように運動システムの作動の特徴から障害を理解します。学校で習う障害論とは違い、障害の原因を探ったりはしません。それで学校で習った障害論とCAMRの作動から見る視点を組み合わせていくと、脳性運動障害に対する理解も深まります。(終わり)
※毎週木曜日にはNo+e仁別のエッセイを投稿しています。最新作は「CAMRの流儀 その8 最終回)」https://note.com/camr_reha/
脳性運動障害の理解を見直す(その7)
今回は「骨靱帯性問題解決」を紹介します。
通常、脳性運動障害では麻痺側下肢は弛緩性麻痺が出現するため、支持性が失われてしまいます。
この場合、以下の3つの問題解決の状態が見られるようになります。
1つは健側中心に立ち上がるようになります。患側下肢を使わない、あるいは最低限しか使わなくなります。つまり前回説明した「不使用の問題解決」ですね。
2つ目は弛緩部分の筋肉を硬くして支持性を生み出します。伸張反射や原始反射と言われる活動を強める、あるいはキャッチ収縮という筋固有の硬さを維持する活動を盛んに行って筋群を硬い状態に保ちます。これで支持性を獲得して歩けるわけです。
つまり以前説明した「外骨格系問題解決」ですね。
「不使用の問題解決」でも患側下肢がいつのまにかこの外骨格系問題解決によって支持性が生まれていることがあるのですが、使われないために運動システムにその存在が気づかれないのです。そのためにずっと使われないままに過ごしてしまうことで不利益が生じるのでした。
この場合、患側下肢を使ってもらい「この脚はかなり使えるよ」と運動認知のアップデートを行うと、この問題は改善するのでした。
3つ目が今回の「骨靱帯性の問題解決」です。これは関節や骨・靱帯の制限を利用して支持性を生み出すもので、代表的なものに「反張膝」があります。その他に「はさみ足歩行」は大腿骨同士をくっつけて一体にして支持性と安定性を生み出します。筋ジストロフィー症の子どもたちの歩行も全身の靱帯・関節の制限を利用して体全体の支持性を生み出します。
脳卒中片麻痺後には、麻痺側の膝を半伸展位で保持する練習を繰り返すと外骨格系問題解決が発達して支持性が生まれてきます。しかし何も考えずに立っていただいていると、この反張膝で立たれるようになることがあります。反張膝初期には膝折れが起きやすいのです。
しかしこの反張膝を初期に修正しないと、次第に反張膝を保持する全身の運動スキルが発達してきます。よくあるのは反張膝で支える場面で同側の股関節を屈曲し、重心線を膝関節の前方に維持して反張膝を保持するようになります。そうすると、膝折れも見られなくなり一歩一歩腰を後ろに引きながら歩かれるようになります。
いったんこのような運動スキルが発達すると反張膝歩行のスキルを変化させることは非常に困難です。容易に支持性を獲得でき、安定して歩行するためにこれ以上に良い選択肢がなくなってくるのです。
通常下り坂や患側下肢が少し高い段に乗って体重支持すると膝折れが起きやすいものですが、全身の対応で膝折れを維持し続けてしまいます。そうすると外骨格系の支持で体重を支えるより安心感が大きいようで、運動システムはそこから変化しなくなります。
もちろんこれで安全に歩くという課題を達成できるので問題ないと言えばないのですが、歩容が独特になってしまうので患者さん自身が嫌がられて歩容の修正を希望されたりもするのですが、やはりここからの修正は困難です。
意識的には「反張膝歩行を治そう!」と思っていても、運動システムはある程度意識から自立して活動します。無意識に「より安全で楽な運動スキルを選んでしまう」ので、変化しなくなるわけです。
これを防ぐためには初期の立位訓練開始時より、麻痺側の膝関節をやや屈曲した状態で体重支持する練習を繰り返して外骨格系問題解決を促していくことです。方法は患者さん毎に多少違っているのですが、コツをつかめばそれほど難しいことではありません。初期からこの半伸展位での荷重を行っていると、反張膝になることなく体重を支えて実用的な歩行を獲得できます。(その8に続く)
脳性運動障害の理解を見直す(その6)
今回は不使用の問題解決です。
不使用の問題解決は、片麻痺などで「麻痺の上下肢を使おうとするとかえって手間になる、あるいは不利な状況が生まれてしまう場合に、それらの上下肢を使わなくなる、あるいは最低限の使用で済ませてしまう」という問題解決です。
たとえば菓子パンの袋を開ける場合を考えてみます。健常者なら両手で袋の上部を前後からつまんで上部をバリッと破いて広げます。もし片方の麻痺が重いと非麻痺側の手でパンの袋を持ち、口まで持っていき、手の反対側の袋の部分を口で咥えて、手と口でバリッと開きますよね。
これが片手の麻痺が軽度~中等度であると、両手でなんとか袋の前後を持つのですが、両手でバリッと引き破ろうとすると麻痺側の手が把持しきれないので袋がするっと指の間から抜けてしまいます。もっと袋をしっかりつかもうと袋を大きな範囲でつかみますが、健側の手で破ろうとするとやはりスルッと袋が抜けてしまいます・・・・
こうなると患側の手で袋を持つよりは、口で咥えたほうが遙かに楽で効率的に見えます。ただ見た目の麻痺の程度や潜在能力によってはこの辺りの判断は難しくなります。
25年以上前になるでしょうか。夢のみずうみ村で有名な藤原氏と二人である若い患者さんに健側上肢の拘束アプローチを試したことがあります。結果は全国の作業療法学会で発表しました。2週間の拘束が済んだその朝患者さんとお母さん二人と僕たちで評価のために会うことになりました。
するとお母さんもご本人さんもやや興奮気味で話されます。お母さんが朝食に菓子パンの袋を出すと「いつもは良い方の手と口で袋を開けるんですけど、思わず両手で袋を開けたんです!」と喋られます。「まだあるんです。コーヒーカップを持ってドアの前に行き、いつもはコーヒーカップをそばのテーブルにおいて、良い方の手でドアノブを回すんですけど、今日は悪い方の手が自然に出てドアを開けたんです!」と二人が興奮して喋られます。
健側拘束法では健側上肢を拘束している間は日中のほとんどの行為を患側の手を中心にやっていただきます。その他に簡単な筋トレなどもやっていただきました。
それで自然に潜在的な能力が引き出されたことが一つ。もう一つは身体と環境の関係の意味や価値を知る「運動認知」がアップデートされたこともあるのでしょう。拘束訓練法の前には、運動認知は「患側上肢を使うよりは使わない方が効率的で価値がある」という内容だったのですが、拘束法のあとでは「この患側上肢は色々な課題で使う意味や価値がある」とアップデートされたのだと思います。
またほとんどの脳卒中患者さんでは、患側下肢は通常健側下肢よりも歩行時の荷重時間がかなり短くなる傾向があります。つまり患側下肢は必要最低限の使い方しかしないわけです。足音を聞いていると「タ・ターン、タ・ターン・・・」と患側下肢での支持時間が健側下肢に比べて短くなります。まあ傷害直後には患側下肢はフニャフニャの弛緩状態だったわけで、なんとなく支持性に不安があるためでしょう。最小限の使用になってしまうのです。
こんな時は「板跨ぎ」などの課題で、患側下肢を支持脚にして、健側下肢を様々な方向へ出しては戻す練習を繰り返します。支持しながら様々な方向への重心移動練習をするわけですね。
そうすると「あれ、意外にも俺の悪い脚は随分としっかりしているなあ」と運動認知が変化してくるわけです。もちろん意識的に理解しているのではなく、運動システムは意識からは少し独立した存在なので、そんな無意識な運動認知のアップデートが行われるわけです。
この不使用の問題解決は外骨格系問題解決に次いでよく見られる問題なのです。
この不使用の問題解決に起こりうる偽解決状態は、ある程度の時間経過後に、麻痺がある程度改善して麻痺側上下肢が十分以上に使える状態になっていることがあります。しかし運動認知は「使えない、使う価値がない」という認識のままで、折角の隠れた改善に気がつかないことです。
セラピストが注意深く観察して、あるいは試して見て使えそうなら折角の運動リソースなのでまずは運動認知をアップデートするような運動課題を提案してみることが大事です。(その7に続く)