CAMRの勉強会で話をしていると、「ああ、○○のアプローチとよく似ていますね」とか「□□の治療法と同じですね」などとよく言われる。○○とか□□のアプローチとは全く違った考えや目的を持っているのだが、確かに一見、「同じようにやっている」ように見られるところがあるので仕方ない。でも動作・行為は同じように見えても、スタート地点や方向性が異なっているので、それを言われる度に「あーーっ」と力が抜けてしまう。
一般に学校で習う人の運動システムは、構造と各器官の働きから理解される。たとえば「筋肉は力を生み出し、骨・関節は力に支持と方向を与え、感覚は身体内外の刺激を受け、神経を通して脳に伝え、脳は感覚から身体の内外の状況を判断し、神経を通して命令し・・・・」などと理解する。これは「動く仕組み」を理解している訳だ。
「動く仕組みを理解する」というのは、機械を理解する時と同じ理解の仕方である。 もちろんこれは大事な視点で、構造と各部の働きが分かれば何ができるかが理解できることも多い。人の運動システムの動く仕組みのメカニズムを理解することは、リハビリの基本でもある。だが、人を理解するのにこの機械を見るような見方だけで良いのだろうか、と思う。
人の身体を単に機械の様に理解していると、いろいろ問題も出る。たとえば壊れた構造に焦点が当たるので、なんとか壊れた構造を治せば機能も回復すると考える。それで脳性運動障害でも脳を治そうとする。だがリハビリで脳が治って麻痺も治ったという科学的な報告はない。
また機械には設計者の意図した「正しい運動」がある。それで人にも「人体のメカニズムに適合した『正しい運動・作動』がある」となんとなく考えてしまう。そしてセラピストは正しい運動とは、たとえば歩行では「健康な若い人の颯爽とした活き活きとした歩き方」をなんとなくイメージしてしまう。
だから多くのセラピストは片麻痺患者さんが分回し歩行をするのを見ると、少し否定的な評価をすることが多いのは事実だろう。「それはあまり良い歩き方ではないです」とか「正しい歩き方を身につけた方が良いです」など。
CAMRは「動く仕組み」といったメカニズムの視点だけではなく、「人の運動が、どうしてどのように生じて変化するか」といった「運動出現の目的」や「運動変化の様子」など、運動システムの作動の特徴からも人の運動システムを理解しようとしている。
たとえば実際の人の歩行は、環境や状況によってどんどん変化する。水溜まりでは、靴が濡れないようにつま先立ちになり、片脚立ちで浅いところを探しながら歩く。これは尖足歩行だ。水田では足を抜く時、泥の抵抗を小さくするために下垂足の形で膝も高く挙げる。これは鶏歩の形だ。氷の上では、こけないようにすり足気味に小刻みにパーキンソン病の方のように歩いたりもする。暗闇では両手と片脚を前に出し、それらで探りながら少しずつ進む。
他にもいろいろあるが、健常者の歩行は環境や状況変化に応じて適切に歩行の形ややり方を変えているわけだ。特定の正しい歩き方の形で歩いているわけではない。
むしろ環境や状況の変化に応じて、「安全に・効率的」に歩行を維持できるように、運動の形ややり方を適応的に変化させることが健常者の「正しい歩き方」の特徴である。このような人の運動システムの作動の特徴を「状況性」とCAMRでは呼んでいる。
その視点で、片麻痺患者さんの分回し歩行を見ると、マヒ側下肢が思うように動かない状況では、体幹や健側下肢を使って「分回し」という新たな歩行スキルを生み出して、歩行されているわけで、マヒに対応した「状況性」の作動が見られる。
だから単に若い健常者の歩き方と形が違うから、「正しい歩き方ではない」と評価するのはおかしい。
そして運動スキルというのは適切な訓練によって「より安全に・より効率的」に洗練、熟練していくものだ。
実際「健常者の歩行と違うので矯正する。健康な若者の歩行に近づける」という目標を達成するためには「マヒを治していく」より方法はない。この目標が日本に入って半世紀以上経つが、前述のようにこれがリハビリにより達成されたという科学的報告は、残念ながら、ない。
だから「分回し歩行の運動スキルをできるだけ安全に効率的に洗練・熟練する」という目標を持ち、全身の柔軟性・筋力・持久力、杖、靴、装具などの運動リソース(資源)を改善すること。
そして様々な環境・状況内で、変化に対してより安全に、効率的に運動スキルを修正しながら歩行を達成する経験を積み重ねることで、歩行の安全性や効率性、歩行速度や距離を改善することが可能だ。またその過程で歩行はより滑らかになり、極端な分回しスキルが次第に自然な歩様の歩行スキルに変化していくこともよく経験することだ。
つまりCAMRでは人の運動システムの「メカニズムの視点」に加えて、運動システムの「作動の特徴」からも人の運動を理解しようと提案している。そうするとこれまでとは異なった視点、理解の評価やアプローチが生まれてくるのである。(中編に続く)
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約1世紀前にイギリスの神経生理学者ジャクソンは、階層型理論というアイデアを提案した。この階層型理論の簡単なポイントは、以下の通り。
①中枢神経系は進化的に階層の構造をしている
②上位中枢は大脳皮質(特に前頭葉)など。意識的行動や思考、判断、創造性などを司る。また下位・中位の中枢をコントロール・統合する
③中位中枢は、大脳皮質下の脳幹・大脳基底核など。運動制御や自律神経系のコントロールを行う
④下位中枢は脊髄・延髄レベル(最も原始的な中枢)など。生命維持や基本的な反射等を司る
⑤上位中枢が損傷すると、下位中枢への活動のコントロール・抑制と統合が失われて原始的な反射や単純な反射などが優位に現れるようになる。痙縮は伸張反射の亢進状態などと説明される
このアイデアは現代でも主流であり、国家試験などでもこの考え方を正解としている。学校では国家試験に合格するために、これを正解というよりはむしろ真実として教えてしまうのでいざ臨床で脳性運動障害の患者さんに接すると以下のような様々な疑問を感じてしまう事がある。
①脳性麻痺の赤ちゃんは生まれたときは低緊張だが、徐々に筋の硬さ(痙縮)や原始反射が見られるようになる。脳卒中も発症直後は低緊張だが、徐々に痙縮や共同運動が見られるようになる。この陽性徴候(痙縮、原始反射の出現、共同運動など)が弛緩状態に遅れて出てくるのはなぜか?
②伸張反射の過活動によって痙縮が現れると言うが、実際には多くの患者さんで特に伸張反射の過活動は見られない。むしろ活動性の見られない硬さが多い。それで拘縮かと思っていると上田法などの徒手療法で可動域が広がるのでやはり収縮していたのか、と驚くことがある
③伸張反射の亢進なら神経活動が伴うので、疲労が見られ減弱するはずだが、硬さが何日もそれ以上も継続している。伸張反射の過活動では説明できないのではないか?
④お風呂に入るなどして温めると緊張が解けて柔らかくなる。お風呂に入るなどして温めると上位中枢の抑制コントロールが回復するとでも言うのか?(^^;)それとも筋の粘弾性の低下?
⑤体温程度の温度のプールに入っても痙縮は緩む。むしろ重力が関係しているのでは?
⑥陰性徴候・陽性徴候のうち、陽性徴候だけが徒手療法で改善するのはおかしいではないか。どちらも症状だとしたら、どうして陽性徴候だけが改善するのか?
⑦筋の痙縮で硬いと歩けたりするが、ボトックスや上田法などで硬さが緩むと歩けなくなる。逆に適度に硬さが取れると動きが滑らかに速く、力強くなることもある。同じ痙縮の改善で矛盾した現象が見られる。これは伸張反射の亢進で説明できるか?
⑧Dietzらやその他の研究では、足関節の可動域がある子どもや成人片麻痺の方の尖足歩行中の下腿三頭筋の筋電図を調べると筋電図活動がほとんど起きていない例が報告されている。どういうことか?
等と実に多くの疑問が湧いてくるものである。
考えてみればジャクソンの階層型理論は、約1世紀前の仮説に過ぎないので未だにそれが主流の考え方であるというのがむしろおかしなことである。この仮説は間違っているのではないか。様々な現象を矛盾なく説明できないのではないか。
CAMRは、これらの現象を矛盾なく説明するためのアイデアを提案している。
是非とも勉強会にご参加下さい。現在毎月1回、無料勉強会を開催中。オンラインでの勉強会も開始しています。勉強会の詳細はCAMRのフェースブックページなどで。
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「三つ玉のジャグリングを通して、運動スキル学習における運動課題設定のコツを学ぼう!」
リハビリの現場で時々、課題達成のやり方を教えることが難しいことがあります。たとえば片麻痺の方が寝返りをするとか車椅子を健側下肢で操作するなどの指導で、ひどく苦労する実習生や新人さんを見ます。
患者さんが寝返りや車椅子操作という課題の達成方法を身につける過程を、CAMRでは「運動スキル学習」と呼んでいます。これに苦労している新人さんの愚痴を聞いていると、「患者さんは○○ができない」、「□□が理解できない」などと「できない」ことばかりに意識が集中していて解決の糸口が見つからないようです。
CAMRの運動スキル学習は、基本的に「できる」ことを探して、その積み重ねで運動スキル学習を進めるようにします。つまり運動課題の設定を、「できる」ことを中心に組み立てていくのです。これが一つのポイント。
もう一つのポイントは、CAMRでは「運動スキルとは、課題達成のために利用可能な運動リソースの利用方法や応用方法である」と定義しています。つまり運動スキルは、運動リソースという「運動の資源」をどのように利用、応用するかという工夫や利用のやり方が創造されたものです。だから資源となる運動リソースの種類が多様で量が豊富であれば、運動スキルはより柔軟に、創造的に発達するわけです。
そこで運動スキル学習と並行して身体の柔軟性などの身体リソースや環境リソースの豊富化も図ります。
「できる」ことを積み重ねる運動スキル学習と運動リソースの豊富化、この両方を同時に進めていくことで患者さんの運動スキル獲得はより容易になります。
CAMRの勉強会では、三つ玉のジャグリングを課題としてこの運動スキル学習のコツを学びます。最初にやってみて「三つ玉のジャグリングは素人には難しすぎる」と評価されますが、きっと片麻痺になったばかりの患者さんにとっても、寝返りや起座もそれと同じくらい難しく感じると思います。
でも三つ玉のジャグリングも、「できる」ことに着目して課題を設定し、ほんの少し運動リソースを工夫すると、比較的短時間にできるようになる人がほとんどです。
「とても難しいと思っていた運動課題ができるようになる」という経験は、きっと患者さんの運動スキル学習にも役立ちます。是非参加してみてください。
毎月1回、東広島市のくららで無料勉強会の開催中!
次回は2026年5月17日(日曜日) 詳しくは以下の◎をアットマークに変えてメールしてください。
camrworkshop◎mbr.nifty.com
テレビ番組でもインターネットでも「正しい運動を身につけましょう!」や「正しく運動しましょう!」というテーマが再々登場します。それらのメインのアイデアは、おおよそ「人には正しい運動の形ややり方があって、これをしないと不利益が生じるよ。だから『正しい運動』を身につけましょう」ということです。
たとえば正しい歩き方は、「胸を張って腕を振って大股で颯爽と歩きましょう」みたいなことです。
本当でしょうか??そもそも「正しい運動の定義」ってなんでしょう??
上の歩き方の説明を見ると、「元気で夢と希望に満ちたはつらつとした若者の歩き方」のようです。もしこのモデルの若者が大好きな恋人にひどい振られかたをしたばかりなら、きっと肩をすくめ、俯いて猫背でトボトボと歩くはずです。もし慣れない氷の上を歩く時は、両手でバランスをとりながら腰を引いて小刻みにヨチヨチと歩くはずです。水田では泥から足を引き抜くために下垂足の形で膝を高く挙げて体全体でよいしょっと次の一歩を振り下ろすはずです。
つまり正しい運動の形ややり方があるわけではなく、心身や環境の変化に応じて適応的に歩行を維持するような歩き方をすることがきっと正しい歩き方なのでしょう。つまり状況変化に応じて安全に効率的に歩くことが「正しい歩き方」なのでしょう。
そもそもどうして人の運動の形ややり方で「正しい運動」を定義するようになったのでしょうか。
生態心理学で有名な心理学者の佐々木正人さんが、「運動研究は映画撮影によって始まったから」と説明しています。フィルムの一コマ一コマには姿勢が少しずつ変化していますので、「運動は姿勢の変化」として理解できます。それで形の変化を基準に見るようになったのでしょうか?
むしろ動くものを機械に喩えて理解するようになったことも大きいのではないか、と僕は思います。身の回りで動くものということで機械をモデルに人の運動を理解するようになったからではないでしょうか?
デカルトも人を機械として説明しています。脳の中の松果体は神との通信機械であるみたいな記述があって、高校生の時には驚いたものです。学校でも筋肉は力を生み出すエンジンに喩えて、脳は見て理解し、判断し、命令するコンピュータに喩えて習ったりします。
そして機械には「正しい運動」があるのです。機械は命令された同じ運動を正確に繰り返します。というより機械は設計者に設計・意図された運動しか繰り返さないようにできているのです。(最近のAIによるロボットなどは違うようですが(^^;))
つまり今の世の常識としては、人を機械と見做して、「正しい運動の形、やり方がある」と考えているので、「人も正しい運動の形ややり方で運動してください」と言っているように思います。人と機械では作動の性質も課題達成のための運動発生の過程も全く違っているのに、です。
せめて医学的リハビリの専門職は、「状況変化に適応的に運動の形ややり方を変化させてできるだけ安全に効率的に課題達成を目指すのが正しい運動である」と考えていったらどうでしょう?そうすれば脳卒中片麻痺後の分回し歩行は、「麻痺の存在という状況変化に応じて歩くために生み出した適切な歩行スキル」となるでしょう。間違っても異常歩行などというレッテルを貼ることにはならないでしょう!