人の運動を「正しい」とか「間違っている」と言えるか?(その1)
最近は減ってきたが、テレビなどでは「今日は正しい歩き方を教えていただくために理学療法士の先生に来ていただいています」などという企画がよくあった。
僕は色々な意味で興味津々で見てしまうのだが、大抵「胸を張って前を見て、腕を大きく振り脚も大きく振り出すのだ」みたいに指導している。
やはりそんなことかと思う。もし僕が司会者なら次のように言うところだろう。
「あ、なるほど。若者のような颯爽とした歩き方ですね。では上り坂になるとどうなるのでしょう?もっと急な上り坂なら?今度は下り坂なら?凍った路面での正しい歩き方はどうなりますか?水田の中では?真夏の炎天下では?・・・・・なるほど、なるほど!正しい歩き方というのは、形ではなくて状況変化に応じて適切な歩き方を選ぶことなんですね」
しかしどうして世の中はこんなにも正しい歩き方や正しい姿勢を求めるのだろうか?そして一体何が正しいのか正しくないのか、一体誰が決められるのだろう?
そう言えば正しい運動や作動がはっきり明確なものがある。それは機械である。機械では設計者の意図通りに動くことが間違いなく「正しい運動」である。 たとえばオモチャの歩行ロボットは正確に左右の脚を一定のリズムで振り出していく。平らな床面におくと、正確に同じ運動を繰り返して歩いて行く。
もし何らかの部品が壊れて左右対称に脚が出ないとバランスを崩して転倒し、歩けなくなってしまう。機械は予め決められた運動が正しい運動であり、それ以外の運動は故障などが原因の悪い運動、間違った運動である、と言えそうだ。
それでふと気がついたのだが、西欧文明の根底には、人は神(又は自然)が作った機械であるという「人間機械論」という思想があるらしい。デカルト以来の伝統などと言う人もいる。そう言えば昔読んだデカルトの「方法序説」の中に、人の頭の中にある松果体は神との連絡装置であるみたいな記述があって(あやふやで申し訳ない(^^;))「やややっ、ロボットみたいで格好いい!」なんて思ったりしたことがあった(^^;)
なるほど!人が機械であると無意識にでも考えているのなら、機械には設計者の意図した正しい運動、作動があるわけで、それを目指そうとするのは自然な考え方なのだろう。
西洋医学は、「悪いところを探して治す、元に戻す」という方向性を基本的に持っている。最近では治せない臓器は移植によって元に戻そうとする。
そして「悪いところを見つけて治す、交換する」というのは機械の修理方法そのものではないか。治して元に戻すとすると、当然元の(健常者の頃の)正しい歩き方に戻そうとするのだろう。だからマヒも治せないのに、目標だけは「正しい、健常者の様に」と思ってしまうのかもしれない。意識はされなくとも学校教育の影響もあるのではないか?
まあ、色々考えると大変なことである!(その2に続く)
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初めまして。理学療法士のつるかめと申します。突然のコメント失礼致します。
ブログ拝読しました。
冒頭の部分で引き込まれました。そして、「正しい」とは何かという疑問点に非常に共感を抱きました。正しさって場面や状況によっても変わりますし、そもそも人それぞれだと思います。
私は職業柄、小児分野で働くことが多いのですが、似たようなことで考えさせられたことが多々あります。それは「普通」と言う言葉です。
発達障害や先天性障害があるお子さんの「普通」は一般的に言う正常発達の「普通」とは異なります。親御さんや本人に言葉かけする時も細心の注意を払って言葉かけをします。
多様性を認めようという現代社会になってきましたが、その実「普通」という言葉が「普通」を否定しているような気分になります。
「正しい」答えを求めたがる風潮や「普通」を許容しきれない社会的側面はあると思います。
そんなことを考えらせられた記事でした。今一度、自分の正しさや普通を考えるきっかけになりました。ありがとうございました。
駄文ですが、私もブログを運営しております。
お時間がありましたら、チラ見していただけたら嬉しく思います。
https://dontthinkwell-bootstrapping.com/
これからも記事更新。楽しみにしています^^
ご感想、ありがとうございました。鶴亀さんのブログ、拝見しました。確かに療法士の未来は不安だらけですね。
知人の職場でも理学療法士を辞めて、工場に就職し直した人もいるようです。「効果が出ない例があっても職場でリハビリのやり方まで決められていて面白くない。まるで流れ作業のようで、同じ流れ作業なら給料の高い方が良い」といって辞めたそうです。
科学的とかエビデンスとかガイドラインとかの「正しさ」に縛られている職場なのかな、と思います。給料が安くて、仕事にも魅力がないのなら無理がないですね。なんだか残念な話です。