セラピストは何をする人?(その2)

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セラピストは何をする人?(その2)


 それらのボバースに対する批判を読むうちに何が問題かということがわかってきた。「セラピストが他動的に患者さんの体を動かし、その動きの感覚入力が脳に蓄えられてやがて自律的に患者さんが動き出す」と仮定している点である。どうも他人が身体を動かした感覚経験が本人の自律的に動き出す基になるとは思えない。どこまでやっても他人からの感覚入力の学習に過ぎない。


 それとは別に僕も以前から疑問に思っていたことがある。それは簡単な運動でも何度も何度も繰り返して、神経の結びつきを強くしないといけないと言う考え方。それに加えて、間違った運動は憶えやすく、一度憶えたらもう修正は難しい。それ以降正しい運動は学習できないので、間違った運動を覚えないようにしないといけないという考え方。(当時はそんな考え方をいろんな講習会で頻繁に聞いた。現状は知らない)


 本当だろうか?簡単な運動でさえ、何千回、何万回も繰り返さないと覚えないような低性能な脳なら、とっくに人類は生存競争に負けて滅びているのではないか。おまけに人の運動システムはレコードのように一度ブログラムを書き込むともう書き換えができないというのだ。しかも悪い運動は簡単に憶えるという。そんな理屈の通らない、柔軟性に欠ける脳では状況変化に対応できないだろう。


 本を読むと、元々西欧社会にはデカルト以来の人間機械論という思想があって、思考の根底に「人は自然(神)が生んだ機械」という前提があると言う。なるほど、他人が動かして感覚入力をするなどはまさしく患者を機械として扱っているようだ。脳をコンピュータに喩えていて、コンピュータは自ら学べないので、人が教えているというイメージだ。そして脳の中にプログラムが運動をコントロールするロボットのようだ。更に時には脳をレコードのように考えたりもする・・・他にもいろいろと矛盾点が見つかってくる。


 考えてみれば学校で習った人の体も機械として習っている。筋肉は力を生み出す装置。骨・関節・靱帯は力に支持と方向を与える装置。呼吸循環消化器系はエネルギー供給の装置など。もし運動に問題が起きれば、どの部位、どの要素に問題があるかを見つけ、それを治すというのは、機械の修理と同じ考え方だ。


 人の体を機械の構造と作動に喩えても良いものなのか?脳性運動障害では脳が壊れているから、脳を治そうとしているようだが、脳はコンピュータとはまるっきり違ったものではないか? まあ、「脳の機能を改善する」という方向性はありかもしれないが、その方法論は今のところ間違っているように思う。そして実効性のある方法が見つかっていない、あるいは実際にはりリハビリでそれをするというのは無理な話なのかもしれない。


 最初は健常者の運動を教えようとして、それは無理なことだとわかる。根本的に元の障害を治さないと教えることなどできないからだ。だからまずマヒを治そうとしたが、これも無理だ。ではどうすれば良いのか?セラビストは何をすれば良いのか? その段階でセラピストになってすでに6年が経っていた。そんな時システム論に出会った。(その3に続く)


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西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版



【CAMR入門シリーズの電子書籍】
西尾 幸敏 著「システム論の話をしましょう!」CAMR入門シリーズ①
西尾 幸敏 著「治療方略について考える」CAMR入門シリーズ②
西尾 幸敏 著「正しさ幻想をぶっ飛ばせ!:運動と状況性」CAMR入門シリーズ③



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治療方略について考える(その4)

目安時間:約 5分

治療方略について考える(その4)


治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策


 前回ではロボットは特定の機能を達成するために組み立てられたもので、できあがった段階から特定の機能達成のための最低限のメカニズムしか持っていないと説明しました。しゃべって歩くのなら、そのことしかできないのです。


 一方人の運動システムは、驚くほど余剰なリソースと豊富な運動可能性を備えています。人にとって必要な課題はその時、その場でどんどん変わっていきます。移動し、隠れ、探し、捕まえ、加工し、食べるなどです。多様な課題を達成するためには、その時その場で常にその状況に相応しい新しい運動や機能を生み出す必要もあります。ロボットのように機能特定ではなく、その時々で必要な課題を達成するためには必要な機能を無限に生み出す能力を持っているのです。その可能性を生み出すための余剰なリソースであり、多様な運動可能性を最初から持っているわけです。


 そして人の運動システムは機械とは構造も作動も違うのに、機械修理型の治療方略で良いのだろうかというのが大きな疑問なのです。


 さて、「感覚入力は脳の栄養であり、それを通じて運動を学習する」というアイデアが広く受け入れられていますが、これも機械修理型の治療方略の考え方です。体は脳によってコントロールされている→脳性運動障害は脳が壊れて生じる。体は悪くない→だから、コンピュータのように脳のプログラムが健常者のものに書き換えられれば、からだも上手くコントロールされる、と考えているわけです。機械修理型はまず悪い部分や要素を見つけます。脳性運動障害では悪いのは脳だけで体は悪くない、脳だけを治すと考える訳です。


 だからこのアプローチにおける運動学習というのは、コンピュータのプログラム入力のように、感覚入力によって筋活動のパターンや収縮のタイミングのプログラムを一から学ぶことだと考えています。そして臨床ではこの考えに基づいて毎日毎日「正しい」と思われる運動がセラビストと患者によって他動的に繰り返されたりします。


 でも実際人の運動学習が、1つの運動を獲得するのに何度も何度も、あるいは何ヶ月も何年も同じ運動を繰り返さないと獲得できないような低性能なコンピュータなら、めまぐるしく変化する現実世界の中で、人類はとっくに滅びてしまったことでしょう。


 更に大事なのはセラピストによって他動的に動かされる運動は、とても自律的な運動プログラムに変化するとは思えませんよね。他人によって体を動かされている状態を入力、経験しているだけだからです。


 ロボットは壊れると自分で直すことができないので、人が直す必要があります。それで機械修理型の考え方だと、壊れた脳はセラピストが直接感覚入力で操作するというやり方に抵抗がないのかもしれません。


 実際にはこの運動学習の考え方自体が、ロボットをモデルに考えられていて、現実の人の運動システムはまったく違う構造、作動であることに気がついていないのです。(システム論による神経系の機能や運動学習はまったく別のアイデアになります。いずれ紹介しようと思います)


 この機械修理型の治療方略を基にしたアブローチは日本では50年以上の歴史がありますが、未だにマヒが治ったという報告がないのは、この考え方ややり方が間違っているかもしれないと考えた方が現実的です。


 機械修理型の治療方略が特に脳性運動障害で上手くいかない理由は他にもありますが、ここではこれだけにしておきます。


 一方整形分野などでは、機械修理型は実は上手く機能することもあります。もっとも上手くいく場合には一定の条件があります。その条件の説明はここでは脇道にそれてしまうので省きます。まあ上手くいったり、行かなかったりです。


 さて、次回からは機械修理型ではなく、臨床で自然に発生する、多くのセラピストに自然に獲得される治療方略について紹介していきたいと思います。(その5に続く)

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