セラピストは失敗から学んでいるか?(その7)失敗と認知されない失敗

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 「毎週火曜日に書くぞ!」と決めてから、第176週目に入りました。いつまで続けられるか?(^^;)

セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その7)

 行為レベルの評価にはADL検査などがある。これは生活行為がどのレベルでできるかという目安として役立つと考えられるが、これまた誤解を生み出しやすい評価である。よくあるのは「できるADLとしているADL」の問題である。

 「訓練室ではできるが、病棟ではできないのは問題である」と言われたりする。

 だが元々行為レベルは、身体能力のみならず環境や社会・文化的価値観など様々の要素の影響からなる状況から生まれるものである。訓練室での文脈と病棟での文脈は違っているのだから、同一人物の行為が変わっても当たり前である。

 訓練室では当たり前にやっていても、病棟では看護師さんも患者さんに取っての役割が違うし、あるいは患者さん自身が「病棟は休むところ」という価値観を持っていれば、動こうとしないのは当然だ。

 また屋外自立歩行をしているおじいちゃんが退院できないで、車椅子介助のおじいちゃんが退院することがある。家庭生活を行うという行為レベルは、各家庭の価値観や事情によって家庭復帰の条件は変わってくるのが当たり前である。他にも失禁があると「家では介護できない」となる場合もあれば失禁が在宅生活で受け入れられている場合もある。「できることは自分でやらないとダメよ」と言う家族もいれば、「なにも普段の生活で余計に苦労したりするよりは在宅での生活はもっと人生を楽しむべきよ」という家族もいる。

 更に一昔前、訪問リハビリをやっている人達の一部が、「今の病院リハは役に立たない。病院内でトイレ動作などができたというが、在宅ではできない。在宅で一からやり直しである。こんな病院リハはダメだ。在宅でもすぐにできるくらいまでやるべきだ」という批判をしていたことがある。

 これも行為レベルがそれぞれの環境と一体であるということを考えれば少し見当外れの批判であるとわかる。元々病院内リハビリでできることと言うのは、身体リソース(筋力、柔軟性、持久力、身体・環境情報など)を豊富にし、病院内の貧弱な環境リソース(病院では手すり、壁、一部の家具つまりテーブルや椅子など)を利用した動作レベルでの運動スキルを改善することである。

 将来家に帰ったときは、新たに出会ったその環境内での行為レベルの構築をやり直すのが当然である。その環境内でのもっとも適応的な課題達成スキルはその環境内でしか生まれない。課題達成スキルとは身体と環境がカップリングすることだからだ。

 もちろんもともと障害が軽ければ、運動リソースも運動スキルも豊富で多彩なので、ある程度、どんな状況でも適応的に振る舞えるのは当たり前である。これを基にいろいろな患者に当てはめて単純化してしまうのが問題なのである。

 だから病院内のリハビリとは、将来家に帰ったときに必要な課題達成スキルを獲得するためにできるだけ運動リソースを豊富にし、それを基にした運動スキルをできるだけ多彩にして、退院後の準備状態を作ることである。

 だから病院内での訓練効果の評価を考えるなら、訓練効果はその環境内での動作レベルで評価するべきだ。要素レベルの筋力、可動域ではなく動作レベルの評価である。

 また他の環境内での行為レベルの比較は無意味とは言わないが、その違いを考慮しておくべきだ。あるいは動作レベルのADL評価なら、身体能力と与えられた環境との相互作用の中で、安定してくる動作の状態を評価することができる。その同一環境内での課題達成力の変化を追うことができるからだ。

 そうするとこのADL検査は、環境や状況を固定すれば、単一環境での動作レベルを含む行為の変化を追う検査として使える。つまり訓練室なら訓練室だけでの経過を見ることで、家庭なら家庭だけの課題達成力の変化を追うことができる。

 訓練室と家庭でのADLを比較しても、その違いを問題視する理由はとても薄いのである。

 次回は、その動作レベルの変化を追う評価について検討してみたい。(その8に続く)

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