セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その6)
さて、前回までのまとめ。
臨床で患者さんの感想や自分の見たい現象ばかり見るような主観的な評価に頼っていると臨床での判断能力が発達しないだろう。また、「これさえやっておけば大丈夫」とEBMで言われて、「では何も考えずにこれさえやっていれば良い」と思い込むのは間違っている。リハビリはその患者毎に経験と失敗から学ぶ仕事だからだ。EBMのような一般論を全てに当てはめるのはナンセンスだ。その患者さん毎の評価はしなくてはならない。だから客観的な評価が必要である・・・と言うところまで話が進んだ。
今回からしばらく僕達の用いる評価について検討しよう。
僕達、リハビリのセラピストが用いる評価は要素レベル、動作レベル、行為レベルの3つに分けられる。
要素レベルには、筋力や関節可動域、感覚、痛みなどの検査がある。
この検査はもともと「全体の振る舞いは個々の要素の振る舞いを調べることで理解できる」とする要素還元論の考え方に基づくものだ。この考え方は現在の科学の主要な考え方でもある。何か問題、たとえば「転倒しやすい」が起きると、全体を個々の要素や部分に分けてそれぞれを調べるのだ。そして問題のある要素と部位、たとえば下肢筋に筋力低下があれば「これが原因で転倒しやすくなっている」と因果の関係を想定するのである。
もちろんこのような単純な因果の関係が成り立つ場合もある。しかし人の運動システムのような複雑なシステムでは、通常要素レベルの問題と全体の問題との間に必ずしも因果関係が成立するわけではない。筋ジストロフィーの子どもたちは股関節周囲の筋力が重力に逆らえないくらい弱くても、骨・靱帯の制限を利用する骨靭帯方略によって歩くことができる。肩回りの筋力は弱くても、拳を頭の上まで持ちあげ、振り下ろして相手の頭を叩いて喧嘩することもできる。96歳のおじいちゃんで、片脚立ちはできなくても立ったまま靴下を履くこともできる。
要は人の運動システムでは、筋力や可動域のような要素レベルだけでは動作レベルの問題を説明できないことは多々あるのである。なぜなら人の動作レベルは筋力や柔軟性などの要素、つまり運動リソースだけではなく、それらの利用方法である運動スキルによっても成り立つからだ。
筋ジスの子どもたちも96歳のおじいちゃんも、筋力という運動リソースの不足を運動スキルの発達によって補うことができるからだ。つまり元々要素レベルの評価は、全体の問題の原因を要素レベルに探るための評価なのである。僕達の訓練効果を表す評価としては不適ではないか。
というのも「筋力や可動域が改善したので訓練効果があった」というセラピストもいるのだが、元々僕達の仕事はそういった要素を改善するのが目的の仕事ではない。
僕達の仕事の目的が身体の部分や要素などの改善だけにあるとすると、とても寂しい話だ。機械の修理で言うなら、「ギアが壊れていたから交換しました。ええっ?まともに動かない?それは僕には関係のないことです。僕の仕事は壊れた部品を直したり、交換することですから」と言っているようなものだ。とても一人前の修理工とは言えないだろう。可動域が改善したから「訓練効果が出ました」などと言っているようではやはり仕事は任せられない。
痛みの治療だって同じだ。動作レベルの問題が変わらないなら、「楽になりました」とセラピストに気を使って言っているだけかもしれない。
つまり要素レベルの評価はそもそもが、訓練効果の判定のためにメインで使える評価ではないのである。効果判定のためには、リソースの変化はもちろんスキルの変化を含む評価が必要なのである。
次は行為レベルの評価であるADL検査について検討しよう。(その7)
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