セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その5)
さて前回は、「学校でも習ったし、本にも載っていたし、EBMでも裏付けられている。だから、このアプローチで良いのだ!」などという特定のアプローチに対する幻想を持ってやっているのではないか、ということを述べた。
「そのアプローチで良い」という幻想を持っているのでその結果、訓練実施に当たってそれは失敗とは考えないし、フィードバックも必要としていないのではないか。
リハビリの中でも、特に脳性運動障害はやはり複雑であやふやで明確に説明されない現象が多く、セラピストも何をどうやったらよいか不安なのである。だからリハビリの権威や「EBMでは・・・」などという下りに弱いのである。
「ああ、これをやっておけば、自分の義務を果たせるらしいぞ。これで安心!」などという心の動きが生まれるのではないか。しかも盲目的に従ってしまうので、自分で変化を判断できなくなるのだろう。あるいは、ありのままを見るのではなく、見たいものだけを見るようになってしまうのではないか。
こうなると自分のやっていることは失敗ではなくなってしまう。権威者や一論文の言うままにやっているのであって、悪いのは自分でなく、他の誰かさんである。だから自分のせいではない。権威のある人達のアイデアに従っているので、暢気にもまさか失敗しているとも思わない。
これでは自分のやっていることの修正ができないのが当たり前である。先にも述べた通り僕達の仕事は多様性や個別性に富む運動システムを相手にしている仕事である。当然失敗はつきものだ。順調に全てがうまく進むことはあり得ない。
もちろんEBM自体は価値のあるものだし、目安にはなると思う。だからといって自ら効果判定に関する判断を止めてしまって良いということにはならない。
僕達セラピストの仕事の成功は失敗の先にある。日々の仕事は失敗の連続であって、それを活かしてこそ、その先に漸く数少ない成功を得るのが普通である。だからEBMや権威ある人達の言うことを盾にとって、「それが正しい」などという幻想を持つのは間違っているし、自ら訓練効果の判断を止めて盲目的にその方法を実施するのはもっての他だ。
EBMは聖書ではない。手続きの基準であり、そして批判の対象でもある。
科学は批判によって進化する体系である。EBMに盲従し、何も考えなくて良いと言うことではない。そのために各個人で客観的な評価の重要性を知って実施するべきだ。
次回はこの客観的な評価について検討してみたい。(その6に続く)
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