正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その3)

目安時間:約 3分

正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その3)


 前回の投稿の後、ある病院で働く新人セラピストから次のようなメッセージが届いた。


 彼の片麻痺の担当患者が、いくつかの運動課題と歩行練習を繰り返して、歩行速度が速くなった。歩行速度とADLの関係のデータを基にして、彼の主任に「歩行も実用的になってきた」と報告した。するとその主任は「歩行は早くなっただけではダメだ。私はより美しく歩くことも必要だと思う。いや、私は美しく歩かせたいのだ。私が見たところ、体幹の硬さが問題だと思う。体幹をリラックスさせて、より美しい歩き方ができるように目指しなさい」と言われて面食らったそうだ。まさしく前回述べたことがそっくりそのまま起きていたらしい。


 機能改善は褒められず、美しさの改善だけを言われてガッカリしたし、困ったそうだ。そして美しさって若い健常者の歩き方?と悩んだそうだ。そんなことができるのか?と悩んだそうだ。


 しかし「私がきれいに歩かせる」には驚いた。こんなことを言う人もいるのだ。自分の姿勢や運動を変えることだってなかなか難しいのに、障害のある他人の運動を「思い通りに変化させる」などととんだ思い上がりではないか。他人の運動を支配できる人などいない。そんなことを言うならまずマヒを治して見せるべきだろう。


 そもそもセラピストが美しい形、健常者からの形のズレでしか運動を評価できないとは情けないことである。形で見る限り健常者の運動の形とのズレを問題にし、障害のある方にも健常者の運動に努力して近づくように無理な要求をしてしまうことになる。


 逆に言えば機能や運動システムの作動の特徴から運動を評価することができない、そしてそれで人を説得することができないということである。つまり機能や作動の特徴に詳しくないと自ら言っているようなものである。これは情けないことである。そもそもそれこそが私たちの専門性ではないか?


 しかし僕がこのことをその新人セラピストにメールしたもので、新人さんは少し腰が引けたのだろう。「でも良い人なんですよ」と返してきた。いや、良い若者だ。いい歳をして、大人げなくてごめんなさい。


 リハビリ界でも「美しさ」という価値観の影響は強くあるが、機能より美しさに遙かに重きを置いているこんなセラピストが支配的でないことを心より強く願う。いや、我々の職業のこの多様性こそを喜ぶべきなのか?よくわからなくなってきた。


 今回はまたまた話が逸れて、前置きが長くなってしまった。次回こそ、困難なウォーキングに挑む男の苦難の記録である(^^;))(その4へ続く)

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