スポーツから学ぶ運動システム(その3)
前回は人の運動システムが同じ運動を繰り返せない理由の1つとして人の運動システムの粘弾性の性質を挙げた。
ベルンシュタインは他に自由度と多義性の問題を挙げている。
自由度はコントロールするべき対象の数と考えることができる。たとえば自由度1は線上を行ったり来たり、あるいは軸周りを回転する運動で、どの位置に止めるかは線上あるいは軸周りの一点を指定すれば良い。つまり一つの変数を決定すれば良い。人の関節でたとえるなら蝶番関節である。
自由度2は平面上の一点の運動で、位置を決定するにはxとyの二つの変数を決定すれば良い。人の関節で言うなら平面関節。
自由度3はそれに高さが加わり空間内の一点の運動となるので三つの変数を決定する。人の関節で言うなら球関節である。
機械は基本どの可動部分も軸周りか線上を行ったり来たりする運動である。つまり自由度1の運動に制限されている。それらの組み合わせであるから、硬い基礎の上に設置された一つの可動部分が他の可動部分とお互いに動きを制限する。全体としてどんなに複雑そうな動きをする機械でも、どの部品もその組み合わせである一ユニットの動き方はいつも一つである。
一方人では自由度2や3の関節の組み合わせである。右手人差し指で壁のスイッチを繰り返し押すとき、人差し指の位置は毎回決まっていても、肩の位置や肘、前腕の位置の組み合わせは無限に存在し、一つに決定されるわけではない。運動の軌跡や速度は無限に存在しうるし、結果はその時の状況による。つまり様々な運動方法で同じ結果を生み出しうる。
多義性は、人の運動は状況によって、同じ筋収縮が別の運動を生みうるし、異なった筋収縮が同じ運動を生みうると言うことだ。たとえば上腕三頭筋が姿勢や状況によって異なった働きをすることを考えてみれば良い。
またベルンシュタインは言っていないが、神経構造も1つの細胞がたくさんの細胞に繋がり、1つの細胞はたくさんの神経細胞を受けている。つまり1つの電気命令が多様な反応を生みうるし、たくさんの命令が1つの同じ運動を起こしうる構造なのだ。つまり神経構造で見ても1つの命令が1つの運動に対応していない。 これらをまとめると、状況によっても神経の構造によっても、1つの命令が異なった運動を生み出しうるし、一瞬一瞬に変化する状況の中では、1つの同じ命令が次から次へと異なった運動を生み出すということになる。
まあ、回りくどくなってしまったが(^^;)、結論としては、人の運動システムは機械と違ったやり方で作動しているし、同じ運動を繰り返せないのだ。
実際、職人のハンマーを打つ動作は、一回毎に肩や肘の動きや速度の関係が異なっているにも関わらず同じ結果を生み出しているのだが、これをどうやって実現しているのか?これが次回からの話なのだ!(その4に続く)
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CAMRの旅お休み処 シーズン3 その2
「自由度ってやつは・・・ ベルンシュタイン問題続き」
秋山です。前回がちょっと適当(良い意味ではなくてね)だったので、追加です。
「運動制御がなぜ難しいか」について、ベルンシュタインが挙げている一番目の問題点。以下、著書の「デクステリティ」から。
「私達は体肢と頭にある装置だけでも100近くの動き(自由度)があり、首や体幹の柔軟性を加えれば、その数はさらに膨大なものになる。歩いたり投げたりする時、いくつもの関節で異なる動作が同時に行われる。複雑な動作の要素一つ一つに注意を向け個別に制御するとしたら、膨大な注意を配分しなければならない。」
個々の筋肉と運動野が1対1で対応し、脳が一つ一つに指令を出しているという考え方では無理があるのではないか?ということでしょうね。
まだ続く・・・
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CAMRの旅お休み処 シーズン3 その1
「What is ベルンシュタイン問題?」
秋山です。シーズン3はCAMRを支える理論などの中から、私がよくわからなかった(時として今もわからない)ものを、徒然なるままに復習していこうと思います。いい加減、別タイトルでも良いような気もしますが・・・。
何かの参考になれば幸いです(^_^)
「ベルンシュタインを読む!」シリーズの中に、「ベルンシュタイン問題」というのが出てきます。最近の運動制御の話にはちょこちょこ出てきています。まず、自由度の問題について。
上肢だけを見ても、複合関節である肩・肘・手、手指の関節、それぞれに筋肉がいろいろ付き、また神経が・・・となると、制御しなければならないものが膨大になります。手を使うとなると両手、そして姿勢制御と考えると、脳は瞬間的にものすごいコントロールを行わなければならない。それはあまり現実的ではない。
もう一つ、文脈性の問題。同じようにやったからといって、いつも同じ結果になるとは限りません。環境の変化でも運動の結果は変わってきます。でも、異なる運動で同じ結果は出せる・・・。自由度の方は「ほほー、なるほど」と思ったのですが、文脈性の方は理解が今ひとつ(^^;)
動作から見ると、机の上のコップをとる時、手がコップに行き着くまでの通り道は無数にあります。どのように持つかも無数にある。無限にある解の中から、1つを選んで行っている。これは、従来の運動プログラム説では説明しきれない、ということになります。
続く~
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今回は「ベルンシュタインを読む!(その6)」です。
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ベルンシュタインを読む!(その6)2013/1/14
いまだに根強い古典的な運動プログラム説に対して、ベルンシュタインは自由度と多義性という問題を提起しました。これらの問題を乗り越えて運動を制御するための彼自身のアイデア…、それが感覚調整による制御と協応による自由度の制限です。
かような冗長なシステムにおいては、もし中枢神経系からある筋を収縮させるような命令が出されたとしても、10回中10回とも異なる動きになってしまう可能性があるわけです。このようなシステムの制御は「感覚器が継続的にシステムを監視してはじめて可能になる」とベルンシュタインは述べています。
そして協応とは「運動器管の冗長な自由度を克服すること、すなわち運動器管を制御可能なシステムへと転換することだ」と説明されています。これだけだとちょっとわかりにくいので、川人光男 他編「岩波講座 認知科学4 運動」の第1章「運動制御への生態学的アプローチ」(佐々木正人著)を参考にして、もう少し具体的に見てみましょう。
例えば自動車にはタイヤが4つあります。もしこの4つのタイヤをそれぞれ別々に制御するように設計された車があったとしたら? 誰も安全に運転できないですよね。しかし実際には車輪が結合されることで操縦の際の自由度は大幅に削減されています。
これが協応のイメージです。「複数の筋や関節などが、それぞれお互いを拘束し合い、ひとつの機能的な単位として作動する仕組み」と言ってもいいかもしれません。
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