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運動の専門家って・・・何?(その2)

目安時間:約 6分

運動の専門家って・・・何?(その2)

 前回は、リハビリのセラピストは「運動の専門家だから、患者さんに正しい運動のやり方を教えて」と他職種から言われて悩んでいたところ、「正しい運動感覚入力で脳に運動プログラムを再学習させる」と言われて、「おお、スゴイ!これなら良いじゃん、リハビリ!」と思ったところまでです。

 早速僕はそのアプローチの講習会に申込みの電話をしたのですが、「2年先まで一杯だから・・・」と断られてしまいました。 「これは困ったぞ」と言うことで、僕の住んでいる地域で開かれるその手の勉強会・講習会には全て申込み、色々と資料も集めて勉強もしてみました。

 ただ勉強会などで実技の実演などを見るとまた疑問が湧いてくるのでした。

 一つは「正しい運動感覚入力」というのは、セラピストが動きを口で指示し、できないときはセラピストの手で介助するということだったのです。(介助とは呼ばずに「ハンドリング」が正式名称らしい)また収縮の欲しい筋肉にタッピングを入れて収縮を促したりします。

 インストラクターの動きは迷いがなく、患者さんの患側上肢は滑らかに動くのです。会場の反応は「おお、スゴイ!あのぎこちなく、動きが小さかった患手が滑らかに大きく動いている」と好意的です。

 日本人はだいたい礼儀正しいのでみんなスゴイ、スゴイで会場の雰囲気が作られます。その中で患者さんも喜んでいるようです。みんなも盛り上がっています。

 でも僕はへそ曲がりなのでしょう、インストラクターはむしろ人形浄瑠璃の人形使いのように見えてしまいます。

 患者さんの思いとは関係なく滑らかに動いている、いや、動かされている患側上肢。これを繰り返したら健常者と同じ動きになるのか?つまり麻痺が治るのか?

 歩行練習もそうで、インストラクターが体幹から重心移動と脚の動きを介助(ハンドリング)して他動的に動かします。

 終わってから質問します。「えーと、セラピストが介助して感覚入力を繰り返すと、患者さんの麻痺が治って、健常者の動きになるのですか?どれくらいかかりますか?」

 「麻痺が治ると言うより繰り返していくと、健常な動きそのものに近づいていきます。時間は・・・・人によって違いますが、まあ年単位で見ていただくと最初の動きと変わっているのがわかると思います」

 その日のインストラクターは珍しく饒舌で具体的にはっきりと答えてくれました。それでも「うーん」と思います。 疑問はいくつも浮かぶのですが、特に気になるのは、プログラム説では筋の収縮のタイミングや強さ、筋群間の協調などが再学習される訳です。でも実際にやっているのは教科書に載っているような健常な若者の歩行に近づけるようなことです。そして歩行動作を「他動的」にやっているのに過ぎません。

 それで何を学習しているかというと、セラピストに動かされ、セラピストの感覚入力に対応する運動を学習していることになるので、その動きを出すためにはセラピストの感覚入力が必要ということになって、いつまで経っても独りではその動きは出てこないのではないか、と思います。

 だって子どもは大人が感覚入力しなくても、自分から動いて運動感覚入力を経験しているわけです。自から動いて必要な課題を達成して、その運動スキルを発見・学習・発達させているのです。この「自ら動いて必要な課題達成をする」ことこそが運動学習の本質ではないでしょうか?

 他人が動かすのはまるで脳をコンピュータの様に、セラピストをプログラマーの様に考えているわけです。セラピストが操る運動感覚で頭の中に運動プログラムを作る?人間はロボットとして考えられているわけです。まあ、変なこと!

 また年単位で一つの運動を繰り返して漸く健常者の歩行の形に近づくと言うのだけれど、「健常者のたった一つの歩行の形を繰り返し練習するだけ?あるいは健常者のたった一つの歩行の形に近づくことに意味があるの」ということです。

 「正しい歩行練習」とは教科書に載っている若い健常者の歩行の形で、これを再現できることを目標に真似をさせようということです。なんだかモヤモヤします。

 世の中は、坂道や階段、狭い通路にアスファルト道路、凍った路面に砂浜、岩だらけの開墾地などと異なった環境を挙げればきりがありません。

 健常者はそれらのどの路面でも適切な歩行を柔軟に生み出して適応します。つまりそれぞれの状況に応じて異なった形の歩行を生み出して対応しているわけです。

 たった一つの歩行の形を年単位で繰り返して、様々な状況に対応した歩行を生み出せるようになるのでしょうか?

 今思うと、むしろセラピストが目指すべきは、患者さんに若い健常者の歩行の形を再現してもらうことなどではなく、「状況変化に応じてその場に相応しい自分なりの歩行の形を柔軟に多様に生み出して適応的に歩く」能力ではないか、ということです。

 「他動的に動かして感覚入力する」とか「一つの運動を繰り返す」など、なんだか色々な疑問が湧いてきて期待したものではなかったのです。(その3に続く)※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイを投稿しています。 最新の記事は「『正しさ幻想』はどうして生まれるのか?」 以下のURLから https://note.com/camr_reha

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運動の専門家って・・・何?(その1)

目安時間:約 5分

運動の専門家って・・・何?(その1)

 このページでは、「どんな立場に立つかで、障害の理解やアプローチは大きく異なる」ということを述べてきました。

 「学校で習う要素還元論の立場」か「システム論を元にしたCAMRの立場」かで、障害の理解もアプローチも異なっている訳です。

 単純にこの二つの立場を見比べると、お互いに対立して否定し合う、あるいは真逆のことを言っているように見えますが、実は得意とするところが違っているだけです。それで良く見ていくと両者の長所と短所は、お互いの長所と短所で補えるような関係でもあるのです。

 「でも、CAMRは学校で習う知識やものの見方にかなり批判的ではないか!」とお叱りを受けることもあるのですが、それは要素還元論という方法論自体を批判しているのではなく、それに伴って生まれる様々な思い込みや勘違い、価値観を批判しているのです。

 今回は要素還元論にはどんな思い込みや勘違い、価値観がともなっているのか、そしてその原因は何かを考えてみようと思います。たとえば以下のような説明を聞くことがあります。

 「医療的リハビリテーションのセラピストは運動の専門家であり、正しい運動を指導するのが仕事の一つである」

 これをどう考えますか?あなたは運動の専門家ですか?運動の専門家って何を知っていて、何をしているの?

 僕がまだ新人の頃、「リハビリのセラピストは運動の専門家である。だから患者さんにちゃんと正しい運動のやり方を教えてあげなさい」みたいなことを、他の医療職からも患者さんからも言われたりしていました。今もそんなこと言われてます?

 だから僕は歩行介助が少しプレッシャーでした。というのもただ患者さんが転倒しないようについて歩いているだけでは「ダメではないか!専門家らしく、なにか教えたり指導したりしないといけない」などと内心で焦ったものです(^^;)ただ黙ってついているだけでは、仕事をしていないように感じてしまったのです。

 それでやたらと口を出したがる。「背筋を伸ばして!」とか「脚をまっすぐ振り出して!」、「足は踵から着いて!」などです(^^;)すると、「頑張ってもできんのじゃ!まずお前が足を治してみろ!そしたらお前の言う通りに歩いちゃる!」と患者さんに怒られたりする(^^;)なるほど、運動の専門家ならそれが当然ですよね。でも、できない・・・

 他の患者さんで、注意をすると1-2歩は、指示に従って何とか変化するのですがすぐに元に戻ります。これを何度も繰り返すと、「一々言ったところで無駄なんじゃないか?」と思うようになります。「だって、麻痺があるからできないわけで・・・本人もやろうと努力しながらもできないわけで・・・患者さんだって、頑張ってるのにできないんだから、しつこく繰り返すのは気分良くないだろうな、やっぱり・・・」などと思ったものです。

 周りの人達に話すと、「いやいや、繰り返すことによって次第にできるようになる。繰り返しが大事なのだ!これを途中で諦めたら、そこでおしまいだ。セラピストは根気が大事」などと言われてしまいます。

 そんな時に「言葉で言ったところで無理だ。運動を変化させるためには、正しい運動感覚をセラピストが入力して『脳というコンピュータにその正しい運動感覚を再学習して』もらえば良いのであーる!」という話を聞いて夢中になりました。

 「何だ、これこそセラピストの仕事ではないか!『運動プログラムの再学習!』なんと魅惑的な言葉だろう。これは間違いなくセラピストの仕事を価値のある唯一無二のものにするに違いない」などと思ったものです。

 まずは「ただ指示を繰り返しても無駄」と言われてすっきりしました。その代わりに「正しい運動感覚入力による再学習」だと説明してきます。これもなんだか新しいアイデアの感じがして好ましく思ったものです。(後にこのアイデアは運動コントロールの「プログラム説」と呼ばれることを知ります)

 ただこれは新たな困惑と疑問への入り口だったわけです(^^;)(その2に続く)※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイをアップしています。最新の記事は、「リハビリのセラピストはプログラム説がお好き?」https://note.com/camr_reha/n/n839fe9ed4275

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過剰な情報と知識の中で

目安時間:約 5分

過剰な情報と知識の中で

 僕は30代の後半から10年間、リハビリ養成校の教官をしていた。その頃は科学的な知識や最新の情報は「パワーである」みたいなことを感じていたと思う。

 だから講義・講義準備や事務仕事以外には図書室にある英語雑誌を読むことに当てていた。

 友人との議論でも科学論文から仕入れたアイデアを振り回したものだ。一応リハビリ医学は科学を礎としているという共通認識があるので、科学論文から得られる情報と知識は業界人には特別にパワーを感じさせるものだった。

 だからその頃はますますたくさんの最新情報と知識を得ようと頑張ったものだ。

 ただ40代の後半になって臨床の場面に戻ると、なんだか勝手が違うことに気がついた。論文で得た知識や情報はしっくりこないことも多い。中には実際の患者さんで試すと全然うまくいかないばかりか却っておかしくなるようなものまである。

 それで漸く知識や情報だけではダメで、経験も同様に大切であることに改めて気がついた。先輩セラピストの経験的なアプローチの優れた点に驚かされた。患者さんが自ら発見した運動スキルや課題達成のための工夫の素晴らしさにも感動した。

 今思えば、知識や情報を偏重する姿勢はアベノミクスの金融政策にも似ている。理屈では金利を下げればお金が市場に潤沢になり、経済の好循環を起こすはずだった。しかし結果はご存知の通り。市場は様々な要素の相互作用から成り立っており、金利などの一要素だけで単純・素朴に期待通りの結果に反映されるわけではない。

 同じようにリハビリ医学関係の知識や情報も、実際の経験の中で吟味される必要がある。

 科学的視点からの研究では一要素の振る舞いと全体の振る舞いの間に因果関係を想定しているものが多い。アベノミクスのように一因子が全体の結果に与えると想定される単純な因果関係を述べているだけだ。

 でも現実の現象、社会の動きや経済,そして人の運動変化なども一要素の影響だけでなく、様々な要素の相互作用の中で安定状態にいたるものだ。科学論文で言っているような一要素で効果が得られるものでもない。他の要因が異なれば、むしろ害を及ぼすことだってある。

 現在も科学的知識や情報を丸呑みして信じているセラピストに会うことがある。いわゆるガイドラインとかEBMである。「私は科学的に効果が証明されているアプローチしかしない」と宣言する。「それ以外の方法は,民間療法のようなものでやるに値しない」とまで言う。

 だが科学だって間違う。珍しいことではない。コレステロールだって最近「体内で作られる」と言われるようになったが,以前は食物から摂取すると言われていた。僕はゆで卵が好きでいくつでも食べたいのだが、食べると「コレステロール値が上がるからダメ!」と言われて何度悔しい思いをしたことか!(^^;)

 実際、人のすることだから様々な雑念に影響される。米国の疾病対策予防センターはコロナが流行るまでは「科学的にマスクは医療職以外がしても効果がない」と言っていた。でもコロナ禍になると「マスクは効果的」と言い出した。また日本の研究者は、虚構の科学論文をいくつも提出していたしね(^^;)

 つまり科学とは、元々丸呑みして信じるようなものでもないだろう。科学は疑問が常に起きて議論が起こり、時間と共に修正されていくものなのだ。

 それに人が「正しい」と決めたことしかやらないのなら、マニュアルに従って工場の生産ラインに立つようなものだ。工場の生産ラインでは部品の均一性が高いのでそれで良いのだが、人は個別性が高いものである。だからセラピストは勉強するし、工夫もしてなんとかしようとする。それが「経験」と呼ばれる一つの大きな能力のようなものになるのである。

 「そのあなたの言う科学的に認められた方法で効果が出なかったらどうするの?」と聞くと彼は言ったものだ。「それは・・・僕が悪いのではない」

 いやはや、そもそも科学とは一人一人が疑問に向き合い、答えを探求し、議論することで成り立つのではないか。科学の信奉者というより自分では全くなにも考えないマニュアルの信奉者であった。(終わり)

※No+eには毎週目標日に別の記事を投稿しています。こちらもよろしくお願いします(^^)以下のURLから。https://note.com/camr_reha

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CAMRベーシック講習会《脳卒中入門コース》開催のお知らせ

目安時間:約 2分

 CAMR(カムル)は、システム論を基にした日本生まれのリハビリテーション・アプローチです。運動システムの「作動の特徴」を理解してアプローチを組み立てます。

 リハビリの学校では人の運動システムを、「人体の構造と機能から理解」して問題解決を図ります。それに加えて、CAMRの考え方を身につけると問題解決能力が飛躍的にアップします。

 今回は1日4時間の講義開催です。前回も「1回の受講で脳卒中の理解や評価、リハビリが劇的に変化する」とご好評をいただきました。

※CAMRはContextual Approach for Medical Rehabilitationの短縮形で、和名は「医療的リハビリテーションのための状況的アプローチ」

日 時: 2024年6月16日 9時30分~13時30分

 場 所: エディオンピースウィング 会議室C3 広島市中区基町15−2−1

受講料: 2,000円(4時間の受講料です)

参加資格: PT・OT・ST

募集人員: 15名

申込み: camrworkshop◎mbr.nifty.com

(面倒ですが上の◎を@の半角に置き換えてお申し込みください。氏名、職種、経験年数を書いてください)

申込み期限: 6月15日土曜日午後8時まで

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二つの視点の評価を身につけて問題解決能力をアップ!(その4: 最終回)

目安時間:約 5分

二つの視点の評価を身につけて問題解決能力をアップ!(その4: 最終回)

 さて、今回は「肢位や動作・歩容などを観察して言葉で表す視点の評価」をCAMRの視点から考えてみましょう。

 CAMRでは人の運動システムの作動の特徴として5つ挙げていますが、今回はその中から「自律的問題解決」を挙げて評価を考えてみます。

 人の運動システムは人にとって必要な課題を達成しようとするし、「もし課題達成に問題が起きるとその問題を自律的に解決して課題達成しよう」とする性質が自律的問題解決です。

 簡単なところでは、荷重によって脚が痛むときは、その脚にあまり荷重しないで荷重時間が短くなる跛行になるとか、腰椎ヘルニアの時はヘルニア部を圧迫しないように反対に側彎が起きて動かないように体幹を硬くして動くとかです。

 また従来ジャクソンの神経学では陽性徴候は脳性運動障害後の症状として考えられてきましたが、CAMRでは脳卒中後の弛緩状態では動けないので、「動くために体の中にある筋を硬くするメカニズムを動員して硬くしている」という問題解決であると考えます。

 これらの問題解決は人の意識とは無関係に運動システムが自律的に行っているという意味で「自律的問題解決」と名付けられています。

 学校で教える要素還元論の視点では、片麻痺後の分回し歩行ではどうしてそのような現象が現れるかをたとえば筋力という要素に還元して(戻して)説明します。股関節の屈筋が麻痺して働いていないから、他の筋群で代償してそのような歩容になるのだ」などと説明するわけです。

 この場合につきまとう問題は、「(健常者のような)本来の筋ではなく代償的に他の筋肉を使っている。だから代償運動あるいは健常者では見られない異常運動である」という価値観がまとわりついてくることです。(この理由は要素還元論の視点が人の運動システムを機械として見ることに関係していることはこれまでも述べてきました)

 「代償」あるいは「異常」と名付けられると、何とか健常者の歩行に近づけようということになるのでしょう。でも本来麻痺があれば違っていて当然です。実際に健常者の運動の仕方に近づけるなら、麻痺を治すしかないのですが、これはできないわけです。

 一方CAMRでは「運動システムの必要な課題達成に問題が起きたので運動システムが自律的に問題解決を図った結果である」と考えます。

 課題達成において問題が生じたので、運動システムは自律的に利用可能な運動リソースを身体の内外に探し、問題解決のための運動スキルを生み出して問題解決を図ろうとしていると考えるのです。

 もちろんだからなにもしないで良いと言うわけではありません。代償だから健常者の動きに近づけようとも思いません。

 ただもう少し柔軟性という運動リソースを改善したり、隠れた筋活動を引き出したりすれば、もう少しパフォーマンスの高い別の運動スキルが創出されるかもしれないと考えて試すのです。あるいは情況が変わっても課題達成できるような新しい運動スキルの可能性を探るのです。要するに今以上に課題達成力が改善する可能性を追求するわけです。

 そのためには実は要素還元論の考え方もとても参考になります。元々要素還元論は、全体の振る舞いを関係する要素の振る舞いや構造から説明しようとするものです。(元々「正しい運動を目指そう」などという価値観とは別物です。非常に優れた問題解決の方法なのです)

 だからもっと患側下肢の振り出しを大きくしたり、滑らかにしたりするには体幹や股関節の柔軟性を改善したり、杖をより外側に突いて重心移動を大きくしたりすれば良いといったことが各要素の性質や振る舞いと全体の関係を考えることで浮かびやすくなるものです。そして関係する各要素をどう変化させるかという工夫のヒントを与えてくれます。

 つまりCAMRの視点で見たり、要素還元論の視点で見たりと両者の間を行ったりきたりしながら思考することが非常に大事になってきます。

 一つの現象をシステムの作動から見たり構造と各要素の働きから見たりすることで、より柔軟に様々な可能性を思いつくことができる訳です。(終わり)

追記 申し訳ない。今回のアイデアはかなり未成熟でした。いつかもう少しまとまった時点で二つの視点からの評価について書き直してみたいと思います。

※毎週木曜日にはノートには別の新しいエッセイをアップしています。

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