異常歩行は誰の問題?その1

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異常歩行は誰の問題? その1

 異常歩行は、正常な歩行の形やパターンから逸脱した歩行のことらしい。歩容(歩行の形)が左右非対象であるとか、歩隔(足と足の間)が広いとか、ふらついているとか、足の振り出し方が違うなどがその例となる。
 では正常な歩行の形やパターンとはなんだろうか?どうも教科書を見ると、健康な若者が颯爽と歩いている時の歩行の形が正常歩行として挙げられているようだ。どうも僕のように猫背でポケットに手を突っ込んでダラダラとすり足で歩いていると「正常歩行」と認められないらしい(^^;)だから僕も異常歩行をしている?
 もちろん身体の異常や問題は歩行の形にも表れるので、歩行の形ややり方を標準的な歩行の形と比べること自体は有意義であることに間違いない。
 だがそもそも見た目の形ややり方が正常歩行から逸脱しているだけで、「異常」だと言ってしまうのは問題である。というのも「異常」という日本語としても非常に強い否定的、悪い意味の「ラベル」を貼ることになるから。
 考えてみてほしい。片麻痺の患者さんは障害直後から半身に弛緩麻痺があり、思うように動けない。それでも試行錯誤して自分なりに歩くためのやり方を身につけられたわけだ。汗と努力の結晶と言っても良いものだ。
 だがセラピストから「それは異常な歩行ですね。治しましょう」などと言われたらどんな気持ちになるだろうか?かなりやるせないと思う。そんな場面を何度か見てきた。もちろん「異常」という強い言葉を簡単に口にするセラピストはそんなにはいないだろうとは思っている。
 ただセラピストにとっても「異常」という言葉の影響は大きい。なんだか無条件に「修正、あるいは矯正しないといけない」と思ってしまうのではないか。
 実は僕自身がそうだった。このことはいろんなところで書いてきたが、初めての実習に出たときの今から40年以上も前の話である。
 ある片麻痺のおじいちゃんを担当することになった。初めての実習生にとっては何もかもが不安である。何をするべきかも分からない。霧の中を手探りで進むようなものだ。
 でもそのおじいちゃんは典型的なぶん回し歩行をされていたので、僕はすぐそれに跳び付いてしまった。心の中で「異常なパターンだからそれを治すべきだ」とやるべきことが見つかって安心したものだ。
 それで早速、「脚はできるだけまっすぐに出してみましょう」と偉そうに指示をする。「よしっ!」とおじいちゃんはまっすぐに出そうとするがその努力は1回で終わって、元のぶん回しに戻ってしまう。結局、これを何度も繰り返してしまうことになる。
 普段はとても優しくて気の良いおじいちゃんだった。僕はそこに甘えていたのだろう。
 そしてある日、ついに突然おじいちゃんが立ち止まり、僕に向かって怒鳴ったものだ。「よーし、分かった!お前の言う通りにしちゃろう!じゃが、その前にわしの脚を治せ!やれと言われてもできんのんじゃ!治ったらいくらでもお前の言う通りにしちゃるわい!」と大きな声で怒鳴られた・・・
 全く言われる通りで、ぐうの音も出なかった。それにそもそも指示しただけでできるものなら誰も苦労はしないわけだ。(これがきっかけで僕はその当時、「麻痺を治す」ことを主張するアプローチにしばらくの間向かうことになるのだが、まあ、それは別の話)
 ともかくそのおじいちゃんに怒られたおかげで、僕はその後ずっとこの件について考えることになったのです。(その2に続く)

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