システム論の話をしましょう!(その9)

目安時間:約 4分

システム論の話をしましょう!(その9)
 さて、こんどはアメリカの課題主導型アプローチの実際の問題について伝えておきたいことがあります。



 1991年の2月の凍てついた朝、僕はアメリカのシカゴの整形外科クリニックを訪れました。当時この最新の「課題主導型アプローチ」の現場を見学させてもらえることになったからです。



 僕が見たもの。まずセラピストは患者に課題を出して、その内容を詳しく説明し、話し合います。そして患者を訓練室に残し、自分はさっさと机に引き上げ、コーヒーを飲みながら患者の様子を見ているのです。



 セラピストが僕に向かって説明します。「患者に必要なのは適切な課題だ。課題達成経験を繰り返し、更に次のより困難な課題に挑んでを繰り返すことで課題達成能力や適応力が改善していく」みたいな。(英語の苦手な方なら分かると思いますが、その場の状況と聞き取れる単語から想像するしかないのです(^^;それにこのアイデア自体は本で勉強していたので)



 「なぜセラピストは彼のそばを離れる?」と聞くと「彼は実生活では1人で課題達成の方法を見つけなければならない。セラピストがそばにいてセラピストの助けを借りる状況は彼の助けにならない。彼は試行錯誤を通じて1人で課題を達成する方法を身に付けた方が良いし、実際に身に付けることができる」と答えたように思います。(英語力の不足もあり、あまり正確ではありません(^^;)



 「従来の徒手による可動域訓練は?」と尋ねると「課題を通して必要な身体の構成要素は改善されていく。あの方は足関節が硬いが、両手で支えながら不安定板に乗ることで痛みなく必要な可動域も筋力も改善されていく」といった説明でした。(英語力の不足もあり、以下同文(^^;)



 僕はきつねにつままれたように感じました。こんなのが最新の訓練なのか?



 僕は悶々としました。別にセラビストがいても問題ないじゃないかと思ったのです。自己組織化されるものなら、セラピストがいればそれなりの、いなければ自然に別のやり方が組織化されるだけ。正常歩行を勧めるセラピストのそばではできるだけ分回しを押さえようとするけれど、1人の時は盛大にぶん回し歩行をする患者さんなどがその良い例です。状況に応じて変化する訳だから。(でも英語しゃべれないから伝えられない(^^;)



 あるいは親に手伝ってもらって泳ぐようになったり、自転車に乗ったりするのと同じことではないか?親に手伝ってもらったから、次から親がいないと泳げないという理屈と同じではないか。運動システムは一度泳ぐようになると、泳げなかった頃には戻れないのです。セラピストはそういうことには関係ないのでは?



 それに課題を出すだけならセラビストのリソースとしての価値はあまりないのではないか、などとも感じました。セラピストならではというか、一人の人間としてももっと意味や価値があるはず・・・・でも英語しゃべれないから以下同文)



 もしかしたらこれは課題主導型アプローチそのものというよりもそのセラピスト個人の問題かもと思っています。ただこれが初めての課題主導型アプローチとの出会いだったので、印象が良くなかった・・・・という、単に世間話になってしまいました(^^;)誰か実際のところを教えてくださると助かります。漠とした話で申し訳ない。次回は課題主導型アプローチの問題についてもっと根拠のある話をしますぜ(^^;(その10に続く)

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