日曜だけど木曜日のつぶやき 3
(木曜に投稿したつもりだったのですが、アカウント間違いで遅延しました・・・)
「歳のせい」と言う勿れ を読む!その3
腑に落ちると、自分のものになる⁈
今朝あわてていて、履いた靴下の指先がちょっと薄い…。ハラハラドキドキだった秋山です。訪問なので、靴脱ぐんです。今日の内容はリメイクです。焼き直しです。自分の過去の投稿が元ネタなので、パクリではないです(^^;)
10年近く前に、「CAMRの旅 お休み処」という用語や概念のミニ解説シリーズを書きました。CAMRは日々進化しているので、ちょっと合わなくなってきているものもありますが、今も昔も変わらないものを再掲します。
CAMRの旅 お休み処 その3
「人は生まれながらに運動問題解決者2 ~では、セラピストは?~」2013/1/24 (抜粋)
CAMRで言う「自律した運動問題解決者」は、セラピストに対しては道徳的なスローガンではありません。抽象的な概念を努力目標として据えているのではなく、専門職としてクライアントが主体的に動ける状況を具体的にどう作るかを問うものです。
「実践から生まれ、実践に役立つ」所以です。
書いてしまうと簡単そうですが、現実には、「クライアントのために」されていることがクライアントを置き去りにしてしまっていることは少なくありません。言葉での説明だけでは不十分で、クライアントが実感できる、自分の文脈の中で腑に落ちた時に、いきいきと課題に取り組まれます。(以下、略)
運動が続かない患者さんを「やる気がない」「依存的」というのは簡単ですが、常に前向きで意欲的なのが当たり前ではありません。必要性を理解していれば継続して実践できるはず、というわけではないのです。
と言っても、患者さんは何もできない、やろうとしないものだというわけでもありません。問題を解決しようとするけれど状況が変わってこれまでの方法では上手くいかず困惑している状態です。
最近は「黙って俺についてこい」的なセラピストは少ないと感じます。大抵の場面で患者さんに納得してもらってやる気を引き出して・・・と頑張っています。
ただ、「説明と納得」にとらわれると、言語的に正しく理解させようという姿勢になりがちです。これは困惑している患者さんには良い手ではないことも多いです。ちゃんと理解される方ももちろんおられます。正確な理解というより、理詰めの説明が肌に合う場合もあります。無自覚にしてもセラピストの枠組みで理解するということを患者さんに強いていることはないでしょうか。
次回は患者さんが自分の枠組みで腑に落ちるような技術、クライエント―セラピスト協働治療方略についての予定です。できるだけ具体例を入れるようにと思うのですが、今回は抽象的でつまんなかったですね、反省。
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