セラピストは失敗から学んでいるか?(その3)失敗と認知されない失敗

目安時間:約 5分

セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その3)


 さて、このシリーズでは「セラピストが変化のない訓練を続けるが、これが失敗と認知されない問題」を検討している。


 「失敗の科学」では心理療法士の例も挙げられている。


 心理療法士の仕事は、患者の精神機能を改善することだが、治療が上手くいっているかどうかの判断基準が曖昧ではないか。治療結果のフィードバックはどこにあるか?彼らのほとんどの判断基準はクリニック内という特殊な状況下での患者の観察あるいは反応である。また患者はセラピストを喜ばせようと「良くなった」と誇張して言うことはよくあるそうだ。(これは僕達の臨床でもよく経験します(^^;))


 更に治療後患者がどうなったかという長期的なフィードバックもない。だから心理療法士は多くの時間をかけて臨床経験を積んでも臨床的な判断能力が発達しないという。


 この説明についてこの本ではゴルフスィングの練習が例としてあげられている。


 ゴルフ練習場で的に向かって撃つ練習では、一球一球打つ毎にフィードバックが得られる。それで的に近づけるように一球一球集中して的の中心に近づくような修正が図られる。スポーツの練習はこのように試行錯誤の連続だ。この一つ一つの失敗が修正を生み、的確に的に近づけるスキルを獲得していく。失敗から学ぶとはまさしくこういうことだ。


 しかしもし暗闇でゴルフをしたらどうなるだろう?一球一球のフィードバックがないので、修正も起きない。結局いくら打っても必要なことは学べないと言う。


 なるほど、これらのことは僕達の臨床でもよく見られそうである。


 たとえば患者さんに「訓練してみてどうですか?」と聞くことはよくある。この意見は大事だ。しかし中には「最近動くのは楽になりましたか?」とか「どうでしょう、楽になったでしょう?」などとあからさまに聞くセラピストもいる。これでは患者さんもセラピストの求めているものを慮(おもんばか)って「おかげで大分良いですよ」などと答えざるを得なくなるだろう。


 もちろん患者さんの主観的な意見を聞くことは大事なことだが、患者さんの感想や自分の見たい現象だけを見ているようではその訓練を失敗としてみないだろう。これでは客観的な効果の判定はできそうにないし、自分の訓練が失敗だと判断することもないだろう。


 これを防ぐために客観的評価があるのだが、この訓練効果の評価の問題はなかなか複雑である。この客観的な評価についてはこのエッセイの後半で少し検討できればと思っている。


 次回は、変化のない訓練が失敗と考えられない他の理由を探ってみたい。(その4に続く)


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