脳性運動障害の理解を見直す(その3)
前回のまとめです。
人や動物は怪我をしたり、身体の一部に麻痺があったりしてもそれで活動を止めることはありません。生きるために問題解決を図りながら活動し続けます。右脚が痛いと左脚だけで、あるいは左脚と両手の支えを利用したりして移動します。麻痺のために片脚が動かなくても、分回し歩行のように身体の動く他の部位の働きで歩いたりもします。
CAMRの視点では、元々の症状は広範囲に弛緩性の麻痺が出現することです。それでは動けないので、動くために弛緩した部分をできるだけ硬くしようという問題解決を図っているわけです。
これが「自律的問題解決」という作動でした。脳性運動障害では、元々の症状にこの問題解決の作動による現象が加わるので、見た目が複雑になってしまうのでしょう。
さて、このような弛緩状態の部分を硬くする問題解決は、CAMRでは「外骨格系問題解決」と呼ばれます。昆虫などの甲殻類は外側に骨格を持っているため外骨格系動物と呼ばれます。硬い外骨格で支持性が得られます。脳性運動障害では体幹を含め広範囲に筋が硬くなるので、ちょうど外骨格を持つように感じられることからこの名前がついています。
この「外骨格系問題解決」は脳性運動障害の多くの患者さんで普通に見られる現象です。
学校ではこの筋肉が硬くなる現象は「痙性麻痺」と習います。本来神経学的に定義されている痙性麻痺は伸張反射の亢進状態のことです。つまり硬さは伸張反射の亢進によって生まれていると説明されるわけです。
でも実際に以前から知られていることは、ジャクソンの陽性徴候のうち、この過緊張とか「硬さ」だけは上田法のような手技やお風呂・プールに入ることで一時的に改善することがわかっていました。しかも硬さが低下した後では、クローヌスの亢進状態が顕著に見られます。クローヌス(伸張反射)の亢進と筋の硬さは別の現象、つまり臨床で普通に目にする脳性運動障害後の「硬さ」は、筋など軟部組織の硬さが主のようです。
それで神経要素だけではなく筋などの軟部組織の変化が筋の硬さを作っていると考えられます。ジャクソンの神経学では、神経要素だけで硬さを説明しようとしたのですが、それだけではうまくいかないということです。
CAMRでは「脳性運動障害の本来の症状は弛緩性麻痺で、陽性徴候は弛緩状態から動き出すために筋を硬くする」と考えます。「外骨格系問題解決の作動の結果として硬さの状態になっている」と考えると、一時的に改善したり、状況によって変化したりするのも上手く説明できます。
また脳性運動障害後に筋肉を硬くするメカニズムは、まだ詳しく研究されていないのですが、一つは伸張反射の亢進や原始反射の出現と考えられます。脳細胞が壊れて弛緩状態になっているため、傷ついていない脊髄レベルのメカニズムによって筋肉を硬くしようとしているのでしょう。
もう一つはキャッチ収縮という筋肉の固有のメカニズムが仮説として上がっています。これは筋内のカルシウム濃度が上がるとアクチンとミオシンが滑り込んで収縮します。通常カルシウム濃度が下がるとアクチンとミオシンも離れるのですが、ある蛋白群の働きで、悪つんとミオシンは収縮したままになります。これがキャッチ収縮で、最初は二枚貝の平滑筋で見られる現象として有名でした。
この収縮の特徴は、エネルギー消費がなく疲労がないので、長時間収縮状態が続くことです。更に筋電図活動が見られないことでも知られています。
今では骨格動物の横紋筋でも二枚貝と同様の蛋白群の存在が知られています。また1970年代にDietzらの発表した論文では、足関節の背側可動域が保持されていても尖足歩行をしている脳性麻痺児と成人片麻痺患者で、筋電図活動が調べられました。尖足位で歩いている患者の立脚期には腓腹筋の筋電図活動が見られませんでした。しかも尖足位で体重を支持しているのに、です。Bergerらは片麻痺患者の歩行中の両側アキレス腱の張力発生を調べました。立脚相の間、患側腓腹筋は張力を発生していましたが、やはり筋電図活動は見られませんでした。これらの例では関節の可動域はあり、筋電図活動が見られないにも関わらず、張力が発生して関節が固定されていることを示しています。
そのほかにもキャッチ収縮はタンパク質による現象なので温度を上げると解けるのです。それで脳性運動障害の患者さんもお風呂などに入って暖めると硬さが緩みます。色々とキャッチ収縮の説明が上手く当てはまります。
さてこの「外骨格系問題解決」には更に現象をより複雑にする問題がついて回ります。それは次回のお話。(その4に続く)
※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイを投稿しています。最新作は「君たちはどういきるか-リハビリのセラピストへ(その3)」https://note.com/camr_reha/
《このエッセイに使われた文献紹介》
「脊椎動物の横紋筋にもキャッチ収縮を起こすタンパク群に似たものが存在する」→盛田フミ: 貝はいかにして殻を閉じ続けるか?-省エネ筋収縮”キャッチ”の制御と分子機構. タンパク質核酸酵素Vol33 No8, 1988.
「尖足位で荷重出来るほどの硬さがあるが、下腿三頭筋に筋電図活動は見られない」→Dietz V, Quintern J, et al.: Electrophysiological Studies of Gait in Spasticity and Rigidity. Brain, 104:431-449, 1981.
「片麻痺患者の歩行中のアキレス腱の張力発生では筋電図活動が見られない」→Berger W, Quintern J, et al.: Pathophysiology of Gait in Children with Cerebral Palsy. Electroencephalography and Clinical Neurophysiology, 53:538-548, 1982.
→Berger W, et al.: Tension development and muscle activation in the leg during gait an spastic hemiparesis: in dependence of muscle hypertonia and exaggerated stretch reflex. J Neurol Neurosurg Psychiatry. 47:1029-1033, 1984.
脳性運動障害の理解を見直す(その2)
前回述べたように、学校で習うジャクソンの神経学を学ぶと、「脳性運動障害では陰性徴候と陽性徴候の二つの症状が見られる」ことになります。
一つは脳細胞が壊れた結果、脳の機能が失われた現象としての陰性徴候です。これは姿勢反応や随意運動、筋力が低下・消失する現象です。ただ「筋力が消失・低下したために姿勢反応や随意運動が低下・消失した」ということでしょう。(以前は「脳性運動障害では筋力低下はない。筋収縮の異常があるだけだ」などと言っている人もいました。どうも痙性麻痺や過緊張の現象を見て、「筋緊張が生まれているのだから筋収縮がある、筋力低下はないはず」と思っていたようです。これまた変な話です。実際には過緊張が低下すると弛緩状態が露わになるだけで、基本的な筋収縮は低下・消失していることが分かるだけです)
もう一つは陽性徴候で、健常者では見られない原始反射などの優位な出現や伸張反射の亢進状態や過緊張状態の出現のことです。
ジャクソンの神経学ではこの二つの症状が見られるといっていたわけです。
しかしCAMRでは、運動システムの作動の特徴から運動システムを理解します。
前回述べたように、「人の運動システムはその人にとって必要な課題を達成しようとしますし、もし課題達成に問題が起こると運動システムは自律的に問題解決を図って課題を達成しようとする」のです。
たとえば脚が痛いとできるだけ使わないように移動したりします。腓骨神経麻痺があると下垂足の脚が床に引っかかって転倒してしまうので鶏歩という歩き方で問題解決を図ります。片麻痺後には半身が麻痺して脚が振り出せないので「分回し」という問題解決を図ります。
そうすると脳性運動障害後に見られる現象は全て症状なのでしょうか?それとも課題達成に問題が起きたので,問題解決の作動の現象が出現して元の症状に加わり、複雑な様相を呈しているのではないでしょうか?
CAMRでは後者の立場をとりますので以下のように説明します。
] 発症直後の脳卒中患者さんが病院に搬送された様子を見ると、麻痺側が弛緩状態です。弛緩状態というのは、筋が水の袋のようになってブヨブヨになります。ちょうどプラスチックバッグに水を入れたような状態です。
そうなると麻痺側の体は可動性のある骨格を水の袋に入れたような状態です。床上では重力に押されて安定するまで広がろうとします。
実際に急性期の患者さんの中には、ベッドの真ん中に静かに寝ているのに、「誰かがわしの体を引っ張る。このままではペッドから落ちてしまう」などと言われる方がいます。きっと弛緩した部分が重力に押されて広がって安定しようとしているので引っ張られているように感じるのでしょう。
そうするとこれは問題です。人間は動物、「動くもの」です。常に動いて課題を達成しようとしますが、それができないという問題が生じたのです。弛緩状態の麻痺側の上下肢は水の袋のように体を床に押しつけて動くこともままなりません。
そこで運動システムは問題解決を図ります。弛緩状態の部分を硬くするメカニズムを身体の内部に探索するのです。そうすると伸張反射や原始反射は、筋緊張を高める作動があるので部分的、あるいは全体的に体を硬くするのに活動します。
いったん収縮した筋肉はキャッチ収縮のメカニズムによって持続的に収縮状態を保つので、弛緩した上肢を一つの塊とすることができます。そうすると健側で引きずってでも動けるようになります。また弛緩した下肢を硬くして体重支持をすることも可能になります。
つまりCAMRの視点では、ジャクソンの提案した陰性徴候こそが本来の脳性運動障害の主症状です。そして陽性徴候に当たる現象は,「障害後の弛緩状態から動くために運動システムが実施した問題解決」である、と考えるわけです。
少しうがった見方をすると、ジャクソンは「人を機械として見ている」のではないでしょうか?機械は問題解決を図りませんので、故障後の現象は全て故障によるものでしょう。でも人や動物では問題解決を図るのが当たり前です。傷病による直接の症状とその後に自律的問題解決を図るので、その現象も加わって見た目を複雑にしているのではないでしょうか?(その3に続く)
※イラストの解答:男性は歩隔を広く、T字杖を前方に突いています。これが問題解決の現象です。男性には「軽い基礎定位障害があるために、重心が基底面から飛び出さないように広くとっている」と考えられます。特に前方にT字杖を突く場合は、「後方へ引っ張られるような感覚や不安」があることが予想されます。(絵が下手で申し訳ない(^^;))
※毎週木曜日にはNo+eにオリジナルのエッセイをアップしています。最新作は「君たちはどう生きるか-リハビリのセラピストへ(その1)」
以下のURLから
https://note.com/camr_reha/
脳性運動障害の理解を見直す(その1)
神経生理学者のジャクソンは、1932年に「階層型理論」を発表しました。脳性運動障害では、下位レベルの反射に対する高位レベルのコントロールが失われ、そのために下位レベルの反射が過活動になり運動を支配するようになると説明されます。
そして陽性徴候と陰性徴候の二つが出現するとしています。陰性徴候とは正常で見られるはずの姿勢反応や随意運動、筋力などが低下や消失する現象です。陽性徴候は正常では見られない原始反射の優位な出現や痙性,筋の硬さの出現を言います。陰性徴候は障害によって正常な機能が喪失した状態ですが、陽性徴候は障害によって破壊をまぬがれた下位中枢の解放症状であるとしています。
ややこしいですよね。僕も学生時代からずっと悩まされてきました(^^;)「じゃあ、どうするんだ?」って感じになります。
30年前くらいまでは下位レベルの原始反射や伸張反射の亢進、過緊張によって正常運動の出現が邪魔されるので、陽性徴候を抑えながら,陰性徴候の姿勢反射などを促通しましょう、なんて言っていました。
今は壊れた脳細胞が持っていた機能が失われているので,壊れていない他の脳細胞に失われた機能を学習してもらいましょう、正しい運動のやり方を憶えてもらいましょう、なんてことになってるらしいです。
どうも人の脳をコンピュータのように考えて、運動感覚を脳に学習してもらい、脳の中に運動プログラムを入力しようとしているわけです。脳をまさしくコンピュータと見做しているわけです。
これまた変な話です。人が作った機械に過ぎないものをモデルに人の脳を理解してると言うことですよね。コンピュータは今のところプログラムを入力しないとなんの役にも立ちませんが、人の脳も誰かが運動感覚という入力をして脳内に運動プログラムを作らないと役に立たないのでしょうか?どうにも納得のいかない話です。
実際、どうやってそれをするの?と思います。実際に見ていると健常者に近い姿勢をセラピストの手の介助で保持して荷重経験などをします。他人が動かすことで何か1人でできるようになるのでしょうか?これまた疑問だらけですよね。
ともかく不思議なのは90年以上前に提案されたこのアイデアを中心に未だにリハビリが回っているということです。90年前,約1世紀前ですよ!
脳性運動障害を説明するためのもっと新しい理論がないものでしょうか?で、実はそれがあるんですよ、お客さん!・・・・ごめんなさい、安っぽいですね(^^;)
それの一つがCAMRです。CAMRはシステム論を基にした日本生まれの医療的リハビリテーションの知識・治療体系です。
学校では人体の構造や各器官・組織などの働きから人の運動システムを理解しますよね。脳が命令して、神経が伝えて、筋肉が収縮し、関節が動く,といった具合です。もし関節が動かなければ、関節か筋肉か,神経か脳かと悪いところを探して治します。まあ、機械の修理と同じやり方です。
一方でCAMRでは運動システムの作動の特徴から運動システムを理解します。その運動の作動の特徴とは以下のようなものです。
①人の運動システムは,常にその人にとって必要な運動課題を達成しようとする→人の運動システムは生まれながらに自律的な課題達成者である
②必要な課題の達成に問題が発生すると、なんとか問題を解決して課題を達成しようとする→人の運動システムは生まれながらに自律的な問題解決者である
③人の運動システムは達成するべき課題や解決するべき問題があると、身体の内外に利用可能な運動リソース(運動の資源。筋力・柔軟性や大地・道具など)を探し、適切な運動認知によってその課題達成や問題解決を行うための運動スキルを生み出す
④健常な人の運動システムは身体リソースである筋力や柔軟性、持久力、感覚・知覚が豊富で、適切な運動認知によって無限に運動を生み出し、変化させることができる
⑤健常者の運動システムは課題や問題などの状況変化に応じて多様な課題達成や問題解決のための運動スキルを生み出し、修正することができる⑥障がい者では傷病によって,筋力・柔軟性・持久力・感覚などの身体リソースが貧弱になる。そうなると運動認知も不適切になり、柔軟で適応的な運動スキルを生み出すことができない,あるいは難しくなって生活課題達成力が低下する
これだけでは分かりにくいですが、以上のような①~⑥の作動の特徴を基にリハビリのアプローチを組み立てるのがCAMRのアプローチとなるのです。
このシリーズでは、システム論を基にしたCAMRを基にすると、脳性運動障害の理解がどうなるか、そしてアプローチがどうなるかを見ていきます。(その2に続く)
CAMRが他のアプローチともっとも違うところは?
今回もCAMRの勉強会から、あるベテラン作業療法士からの質問を取り上げてみます。「→」で始まるのが受講生さんの言葉です。
→課題達成力を改善するためにまずやるべきことは、身体リソースや環境リソースをできるだけ豊富化すること。それと同時に増えたそれらの運動リソースの利用の仕方である多彩な運動スキル学習を進めていくのですよね。
ふと、気がついたんですけど、それって冷静に見ると運動リソースとかいう言葉は使わないけれど、これまで臨床でみんながやってきた「筋力、柔軟性、補装具などを改善して目的の動作・行為の練習をする」という伝統的なアプローチと本質的に変わらないように思います。
だけど同じようなことをしているはずなのに何か印象が違うというか、違和感があるというのがとても気になっています。どういうことかわかりますか?
「鋭い意見ですね・・・・まだよく分かりませんが、これを理解するには伝統的アプローチとCAMRの人間観というか運動システム観が違うのだということをまず理解する必要があるのかもしれません。
学校で習うような伝統的なアプローチでは、人の運動システムは構造とその各部位の機能で理解しますよね。たとえば「脳が命令すると神経が興奮を伝えて筋肉が収縮して、関節を曲げたり伸ばしたりする」と理解します。そうすると関節が動かなくなると、筋肉か神経か脳のどこかが悪いということになります。そしてその「悪いところを見つけて治す」というのが基本的なアプローチになります。
この理解の仕方は基本的には機械と同じです。機械は構造と各部品の機能で理解されます。もし問題があれば「悪い部品を探して、治す・交換する」ということになります。
一方でCAMRでは運動システムは構造ではなく、作動の特徴から理解します。人の運動システムの作動の特徴は沢山あるのですが、講義でも言ったように、課題達成に問題が起きると、なんとか自律的に問題解決を図って課題を達成しようという『自律的問題解決』という作動上の特徴を持っています。
たとえば脳性運動障害後は弛緩麻痺が出て動けなくなります。だから人は動くために問題解決を図ります。弛緩状態の部分を硬くして動こうとするわけです。 これが機械と一番違うところです。機械は壊れたらそれっきりですが、人はなんとかできる範囲で問題解決を図ります。その作動の現象が障害像に加わります。このことを理解していないと、「傷害後に現れる全ての現象は症状として理解して」しまい、因果関係を間違ったりするのです。
また機械はこのように必要な課題を達成するためには外部からプログラムを入力してやり方を教えてあげる必要があります。それで人を機械として理解していると「私が正しい運動を教えてあげないといけない」とセラピストが考えたりします。他にも機械には「正しい運動」あります。設計者の意図通りの運動が正しいわけです。だから人の運動にも正しい運動があると思い込みます。だからセラピストは正しい運動を出すために「治す」という方針を持ちがちです。
実際には人の運動システムは必要な生活課題を自律的に達成しようとしますし、その課題達成に問題が起きれば自律的に問題解決を図ります。そのための運動スキルは運動システム自ら生み出してきます。
人を作動上の特徴から理解していると、課題達成や問題解決の運動スキルを人自ら生み出すことが分かっているのでセラピストの仕事は「やり方を教えることではなく、患者さんがやり方を自ら経験して発見する手伝いをすること」と理解できます。
そしてそのために有利な条件を設定するお手伝いもできるようになります。たとえば運動リソースは豊富であればあるほど運動スキルが多彩に生まれ柔軟に発達しやすいのです。しかもどの運動リソースをどう使ってどのように運動スキルを生み出すかはその人の運動システムしか理解できません。
それでセラピストは改善可能な運動リソースはできるだけ改善して、適切な課題を設定して後は患者さん自身がその課題を実施・経験する過程の中で自ら課題達成し、問題解決する方法を見つけだすというやり方でお手伝いするのです。
もし人の運動システムを機械として理解すると、「悪いところを見つけて治さないといけない、そして正しいやり方を教えないといけない」とセラピストは思うはずです。基本的に解決の方向は「治す」ことだけになりがちです。
でも人の自律的な問題解決や課題達成のやり方を理解しておけば、「予め改善可能な運動リソースはできるだけ豊富にしておき、適切な課題設定と環境を整えて生まれてきた課題達成の新たな運動が生まれれば良いと考えます。
たとえば分回し歩行は、「麻痺のある体で歩く課題を達成する方法」なので、課題達成の方法として受け入れれば良いのです。わざわざ「健常者と比べて正しくない」とか特定の価値観で判断する必要もないのです」
→うーんよく分からないけど、これまでの理学療法とは違うなという印象はありました。根源に人を機械として見ていないところにあるのかも知れませんね。人は人であって、元々正しい運動というものはなくて、現れる運動は麻痺などの状況次第が当たり前で、何も健常者と比べて違うから健常者の運動に近づけようと考えてもいないというところがあるのかも知れませんね。実際にやってみながらもう少し考えを整理してみます。(終わり)
「健常者のように歩きなさい!」
今回はCAMRの勉強会から、セラピスト歴3年の理学療法士からの質問を取り上げてみます。「→」で始まるのが受講生さんの言葉です。
→「CAMRでは、分回し歩行は「代償運動」とか「異常運動」とか呼ばないとのことですよね。これらは健常者とは違うやり方、違う形という意味で、麻痺があれば健常者とは違ったやり方、形になって当然だということでした。
確かに麻痺が治せないのに健常者の歩行になれるわけはないし、『健常者の歩行を真似したら麻痺が治るかも?』みたいな間違った変な流れが僕の周りでは自然になっているのもおかしいです。
でもそもそもどうして麻痺がある体でも「健常者のように歩かないといけない」と言うことになったのでしょうか?そこのところがどうもわからなくて・・・」
確かにその通りですよね。色々検討するべき視点があるのですが、簡単に説明します。
「障害者も健常者の様に歩くべきだ」というアイデアは、リハビリ業界では根強い思い込みの一つです。
たとえば分回し歩行は教科書に「代償運動」とか「異常歩行」とか説明されています。これに教官も疑問を持ちませんし、生徒はそれこそ素直に従いますよね。
これに対する一つの説明は、「リハビリの夜」の著者である熊谷晋一郎さんが書いています。簡単にまとめると「障害者というマイノリティに対して、健常者であるマジョリティから『そんな歩き方をしないで、もっと努力して私たち健常者の様に歩いてごらん』という上から目線の同化主義ではないか」ということです。
これは一見健常者から親切に言っているようですが、健常者は障害者を全く理解しようとしないで自分勝手な価値観と達成不可能な課題を押しつけているわけです。障害者にとっては迷惑至極でしょう。今でも現場でこのような価値観を振りかざしている人を見ることがあります。
もう一つの説明は、リハビリや西洋医学には、人を機械として見る伝統があるということです。機械には必ず「正しい運動」があります。つまり設計者が意図したとおりの動きが「正しい運動」となるわけです。
そもそも西欧の思想史の根底には「人間機械論」と呼ばれる思想が大きな影響を与えているといわれます。それは「人は神(又は自然)が作った機械である」というものです。だからこの場合は「健常者の運動こそが神の意図した正しい運動である。障害者の運動は壊れた状態だから治さないといけない」と思ってしまうのでしょう。
それに私たちはこどもの頃から様々に動く機械に囲まれて育ってきました。だから「動くものは機械であり、人の体もやはり機械のようなものだ」と人を機械のように見ることに抵抗がないのだと思います。
その証拠に脳をコンピュータとして理解することが普通に見られます。本来、人が作った機械に過ぎないものに、それを通して人の脳を理解したつもりになるというヘンテコなことが起きているわけです。
そして人の体を機械として見て、悪いところを探しては、その悪いところを治したり交換したりすることが治療であるという風にも考えてしまいます。病気や障害を持つと壊れた機械のように止まったり、異常な動作をしたりするものだと考えてしまいます。
でも人は機械と違って、病気になって必要な課題達成ができないと、なんとか自分なりに問題解決を図るものです。ロボットは腕が壊れると腕を使った作業ができなくなります。しかし人は手が使えなくなると代わりに脚や口で課題達成するという問題解決を図るものです。
この「人は機械とは違うんだ」という基本的な視点がないと、障害像を誤って理解したりするわけです。特に脳性運動障害ではその間違った理解が大きな問題になるというのが今日の講義でした。
→「ああ、なんとなくわかる気がします。僕も患者さんの体を機械として接する傾向があるのかもしれません。よく先輩から、『そんなに急いでちゃ、ダメだ!もっと患者さんの気持ちを考えて』と注意されますので・・・・・
この話はこれ以降テーマが脱線してしまいますのでここで切ります。
CAMRでは人を人として接しながら、どのように治療するかの方法論があります。いずれまた整理して書いていきたいと思います(終わり)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!「「脚が動かんぞ!」患者さんからの訴え」https://note.com/camr_reha
「先輩PTの説明が納得できない!」(後編)
前回は先輩の因果関係の説明が間違っていること、相関関係の説明と混乱していることなどを説明しました。
ただそれでも運動変化が起きている可能性について説明しました。先輩は立ち直り反応を促通しているつもりなのでしょうが、結果として柔軟性が改善していてそれが歩行変化として先輩には見えているということです。
僕自身は、リハビリで意図していることとは別に、まず患者さんに動いていただくことで色々な可能性を生み出しているんだろうと思っています。
今回は、新人PTさんが密かに思っている「歩行不安定には下肢筋力の改善をした方が良いのではないか」について答えます。(以下、→以降が受講生の会話内容です)
→今日の講義の中で、「人は自律的な問題解決者である」と話してきました。もし歩行が不安定なら、患者さんはどのような問題解決を図ると講師が言いましたか?→えーと・・・・まず歩隔を広げる、家具や壁に手をつくなどして基底面を広げて重心が基底面から出にくくするでしたっけ?他に手を広げてバランスをとるとか。
そうですね。この患者さんは体が硬くて動きもぎこちなく、運動範囲も小さいのでしたね。そうなら可動域の低下があって歩隔を広くとって基底面を広げられないとか、体幹が棒の様になって重心移動が困難なのかも知れませんね。
そうすると先輩のやっている立位から臥位へ、臥位から立位へと大きく姿勢変換すると全身の大関節に動きが入るので、少し柔軟性が改善し、歩隔が広がって基底面が広くなり、体幹の柔軟性が改善して重心を基底面に保持しやすくなったから先輩の目からは少し安定して歩いていると見えたのかも知れません。
柔軟性という身体リソースが改善しただけで運動は変化します。当然筋力という身体リソースが変化しても運動は変化します。そうするとより大きな運動変化を起こそうと思うなら?
→えーと、柔軟性も筋力もできるだけ改善してあげる・・・・つまり身体リソースを全体的に豊富にすることがまず変化の条件ですよね?
その通り!その上で運動スキル学習を進めるのでした。たとえば上田法で体幹の柔軟性を改善すると、いきなり運動範囲や重心の移動範囲が大きく広がってしまい、患者さんは却ってコントロールできなくなくて戸惑ってしまいます。
だから患者さんに広がった柔軟性を色々に使ってもらい、こんなことができる、こんなことはできないという運動認知を適切化することで、その柔軟性や筋力をどう使うかという運動スキルを適切に発達させることができます。
セラピストができることは、まず身体リソースや環境リソースを豊富化すること。それらを使うための運動認知の適切化と運動スキルの創造を促すために、患者さんにとって意味や価値があり、適切なレベルの運動課題を設定して実施します。そして患者さんとセラピストが協力して工夫しながら運動課題を進めるのでしたね。
→でも心配があります。先輩にはなんて説明しましょう?僕がこんなこと先輩に言っちゃあいけないと思うし・・・・・・なんだか怒ったり、拒否されたりすると思うんですよね。
あ、そこは難しい問題です。先輩はこれまで「立ち直り反応の促通が歩行安定性に繋がる」という因果関係を信じてこられて、さらにそれを後輩にも誇りを持って教えていますよね。だから間違っても正直には言えません。これまでの先輩の人生を否定することになってしまいます。そうなると人間関係はおしまいです。僕は若い頃、それで良く失敗しました(^^;)
実際に職場の人間関係は大事ですから。大変なストレスになるかも知れませんが、今まで通り接しながら少しずつ小出しに説明するか、可能ならCAMRの資料が自然に目に触れるようにしたらどうでしょうか?
あるいは立ち直りの促通をする振りをして柔軟性の改善をする、筋力強化は板跨ぎなどの課題を通して色々工夫してできるので、先輩の指導に上手く合わせてそれらをやっていかれると良いと思います。観察力のある方であれば変化に敏感でしょうし、興味を持ってもらえるかも知れません。後は言い方に気をつけてください。とは言え、まあ、その辺り先輩の性格とか職場の人間関係とか色々とあると思うので、何とも言えません。ただ職場内で強い対立関係とか敵対関係はできるだけ作らない方が良いです。
それとあくまでも人の意見を丸呑みにしないで。もちろんCAMRのアイデアも含めてね、自分でやって納得できるかどうかをまず試して見てください。
→はい、頑張ってみます!とりあえず言われたことは試して納得できれば続けてみるし、そうでなければまた自分でも色々考えてみます。
CAMRの学習会はこんな感じです。次回からもCAMRの学習会で出た色々な質問についての説明を紹介していきます(終わり)※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!最新の投稿「CAMRの流儀 その6」https://note.com/camr_reha
先輩PTの説明が納得できない!」(前編)
今回は過去のCAMR講習会や勉強会を通して寄せられる様々な質問・疑問についてCAMRの立場から答えたものを紹介します。読みやすいように会話形式で整理しています。多少なりとも参考になればと思います。
さて、最初に取り上げる質問は理学療法士になって10ヶ月の新人さんです。
僕の職場の指導担当の先輩は、片麻痺患者さんの歩行がやや不安定なのを見て、「歩行不安定なのは立ち直り反応の低下が原因である。だから臥位になって立ち直り反応の促通をしっかりするべきだ」と言ってやって見せてくれます。
そして歩いてもらって、「ほら、立ち直りをやった方が安定しているだろう」と言ってきます。一応「そうですね」と答えるのですが、どうも僕にはあまり変化していないように思えます。
僕はどちらかというと下肢筋力を鍛えた方がより歩行が安定するようにも思うのですが・・・どう思いますか?
これはよく聞く話です(^^)
まずは患者さんの大まかな状態を以下の質問で明確にしましょう。
①T字杖で歩いておられるのですね。発症後、どのくらいの方ですか?
→6ヶ月を過ぎたところです。
②その患者さんは体が硬くなってます?動きがぎこちないとか、動きが小さいと?
→はい、やや硬く、ぎこちない感じです。脚の振り出しも小刻みほどではないですがやや小さいです。
これで少し患者さんの様子が想像できます。
さて、では一緒に考えてみましょう。
まず、僕が考えるに先輩の「歩行不安定なのは立ち直り反応の低下が原因である」は間違った因果関係です。
原因は明らかです。つまり血管の詰まりや出血によって脳細胞が壊れたことです。その結果、立ち直り反応をはじめとする姿勢反応の低下や弛緩性麻痺、そして低緊張・過緊張の歪んだ分布、麻痺肢の随意性の低下、そして歩行不安定が見られるのです。つまりこれらは全て結果なのです。そして先輩はその結果同士に因果の関係を想定しています。だから間違った因果の関係を想定しているということです。
ここまでよろしいですか?
→少しわからないところが・・・・脳細胞が壊れて立ち直りが悪くて、その結果として歩行不安定になるのでは?それに先輩の説明で「立ち直りが悪いと、歩行不安定も大きい、立ち直りが良くなれば、歩行も良くなる」というのはなんとなく納得できます。
そうですね、ではこう考えてみましょう。コロナウィルスに感染して発熱や頭痛、関節痛、鼻水などの上気道炎症状、倦怠感がみられます。この場合、結果同士「発熱が原因で倦怠感が見られる」というのは正しい因果関係でしょうか?
→ああ、正しい因果関係とは言えませんね。原因は明らかにコロナウィルスの感染です。
でも解熱剤を飲めば倦怠感は多少楽になるかもしれませんね。この場合、解熱剤は原因を改善しているのではなく、現在の状態である高熱を改善しますので、全体として状態は少し良くなるかもしれません。もちろん原因は解決していませんけど。
一方リハビリで臥位になって立ち直り反応を促通する行為は、多少現状を変化させるかも知れません。たとえば立位から臥位へ大きく姿勢を変えますので色々な動きが各関節に大きく起きて、柔軟性を少し変化させます。その結果、先輩の目には、動きに変化があるように見えるのでしょう。でも変化の度合いはそれほど大きくないので、あなたの目には余り大きな変化には見えないのかも知れませんね。
→ああ、なるほど・・・・僕にはまだ観察力がないのかもしれません・・・・そうか、因果関係は間違っていても違う動きをすることによって状態が少し変化したということですね!
そうかもしれません。もう少し説明します。「立ち直りが良いと歩行バランスも良い、悪いと歩行バランスも悪い」というのは因果関係ではなく相関関係ですね。「麻痺が軽いと動きが良く、重いと動きが悪い」という当たり前のことです。つまり相関関係によって因果関係を説明するという混乱が見られます。
基本的には先輩の言っていることは、「立ち直り反応の低下という結果に感覚入力という手段ぽいものでそれを促通すると、脳の機能が改善して歩行バランスが良くなる」と言っているわけです。つまり「結果にアプローチして原因を改善する」という矛盾を主張していることになります。
まあ因果関係を間違え、相関関係と混同して変な説明をしていることになります。因果関係って、意外に難しくて誰もがよく間違うんですよ。
→すいません、一度にたくさんの話で頭が少し混乱します・・・ともかく先輩がやっているのは、違う姿勢になることで多少柔軟性が変化して、歩行の安定性も変化したように先輩には見えるということで・・・・・元々因果関係とは全く関係ないところで現状を変化させているということですね。僕も指摘されるまで全然間違いに気づきませんでした。因果関係って難しいですね!
→では僕が思っている、下肢筋力の改善はどうなんでしょうか?
残念ながら文字数が多くなってきました。続きは後編に。
生活課題を達成するのは、筋力ではない!
-運動スキルの重要性(その8 最終回)
必要な生活課題達成力の回復のリハビリは、麻痺の程度やその他の要因の影響で必ず頭打ちになります。
実際にご本人やご家族の要望通りに回復しないこともしばしばです。言われてみれば当然なのですが、リハビリは限界だらけにも見えますよね。
でも恥じることはありません。限界だらけなのはリハビリだけではありません。世の中の難しい仕事というのはどれも限界だらけです。もしいつでも色々な要望通りに応えることができるとしたら、誰でもできる簡単な仕事に違いありません。
難しい仕事は、たとえば僕たちの身の回りで見ると弁護士があります。こちらの希望が通らないことは多いものです。それでもその人達に頼るのは、専門家として代替案を提案してもらえるからです。
僕の経験ですが、ある弁護士さんにこちらの希望を伝えると「それは無理です。○○ですし、□□の法律もあってご希望通りにはなりません。でも実現可能な中では△△は可能です。これならこれこれというメリットがあります。あるいは××なら、先ほどのメリットに代わってこのようなメリットもあって部分的にはご希望に添えると思います。どうされますか?」という対応をされたことがあります。
最初できないと言われてガッカリしましたが、それはそれで仕方のないことです。世の中はそんなものです。それでも全く打つ手がないわけではなく、多少こちらで判断してできることもあったので、自分で考えて決定することができました。まあ、それなりに自分にできることはやったという達成感はありました。
「今、自分にできることは全部やった!」と思えることはやはり良いことです。リハビリでも同じだと思います。リハビリも限界は多いのでそれははっきりと患者さんやそのご家族には伝えるべきだと思います。特に脳性運動障害などでは。
しかしその上で代わりの提案をするべきです。わかりやすい例で言うと、「トイレでの排尿」は無理でも、ポータブル・トイレや尿器、オムツなどの環境リソースを少しでも満足のできる形で利用できるように工夫してみましょう。訪問介護などの社会的資源とその利用方法についてもできるだけ知恵を絞ってみましょう。
今できることを明確にして、それをきっちりやることが大事です。専門家だからこそ限界をはっきり認め、その代わりに代替案を提案できるのです。そうすればリハビリが限界だらけだと恥じることもないです。
というのも、これまでもできないことを簡単に引き受けて、代替案も提案できないで放り投げてしまっているセラピストを見ることがよくありました。
またできないことでも「諦めない姿勢」をただ闇雲に貫いてみせるセラピストも見てきました。逆にそんな姿勢が良いこともあるのでしょうが、それで患者さんを長く巻き込んでしまうのはどうだろうと思います。
これまでの日本のリハビリの歴史ではセラピストの人数が少なく、縦や横の繋がりも薄く、内容や環境もどんどん変化していて、プロの職業として成熟する暇がなかったのかも知れません。
限界が多いからこそ、上手くいったときの喜びも大きいのです。限界を認めることは決して悪いことでも恥ずかしいことでもないはずです。プロならむしろ客観的に判断するべきところだと思います。
まあ、難しくて実現できないことが多くても、それゆえにやりがいがある仕事です。むしろできないことが多いからこそ、できることはきっちりとやっていきたいものです。
それで患者さんやご家族にとっても「自分にできることは全部やった」という満足感が得られるようにお手伝いができると思います。
ごめんなさい、最後何を言いたいのか混乱してきましたが(^^;)、今できることには精一杯知恵と体を使っていきましょう!ってことで・・・・(^^;) ともかく長い間読んでくださってありがとうございました(終わり)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!最新の投稿「CAMRの流儀(その4)」https://note.com/camr_reha
生活課題を達成するのは、筋力ではない!-運動スキルの重要性(その7)
具体的にどんなアプローチをするかということについてのまとめ。
患者さんの運動スキル学習がより柔軟に適応性を持って発達するためには運動リソースができるだけ豊富な方が良いので最初に改善可能な運動リソースはできるだけ改善しながら運動スキル学習を始めます。そして適切な運動課題の実施を通して運動スキルが創造されます。さらに実施条件や課題を少しずつ難しい方向に変化させていくと、運動スキルは多様性を増したり熟練したりします。そしてそれらの課題を通してさらに必要な筋力や多様な筋の活動性などの運動リソースを改善することができるという話でした。多様で変化する課題設定を通して、運動リソースと運動スキルはお互いに影響し合って改善するのです。
ただし痛みや脳性運動障害後の筋の硬さや過緊張はセラピストが徒手的療法などで改善する必要があります。
さて、今回はどんな運動課題を行うか、つまり「適切で多様な運動課題の設定」はどのように考えれば良いのかという話です。
患者さんは運動課題を通して、それを達成するための運動スキルと運動リソースを生み出します。ただ運動スキルを生み出すためには、運動課題が「行為者にとって意味や価値のある課題で、しかもなんとか達成可能である」ことが必要であることはこれまでにも述べた通りです。
最初の「行為者にとって意味や価値のある課題」は、通常脳卒中後、急性期の片麻痺患者さんでは比較的簡単に見つかります。多くの場合動けなくなった、あるいはうまく動けなくなった患者さんにとって、「動いてみましょう、寝返ってみましょう、座ってみましょう、立ってみましょう、歩いてみましょう。手伝いますから大丈夫です」という基本動作の課題に患者さんは意欲的に取り組まれます。
最初は障害で変化した「未知の体」に患者さんは戸惑っておられます。だから実際に使って理解して、できること・できないことがわかるようになる過程は患者さんにとても意味や価値のある課題なのです。だから自然に意欲を示したりされます。
障害という状態になったものの、元々小さいときから運動スキル学習を繰り返して、自らの体を動かす専門家です。いったん体を動かし始めて、できること・できないことが明確になるにつれてご自分の身体の状態を把握され、達成の可能性が少しでも感じられるようになると自然に頑張られるようになります。
難しいのはたとえば認知症のある患者さんです。状況理解が難しく、不安や恐怖が先走ってしまう場合があります。身体リソースの改善のために体に触れることができない、課題の意味を理解してもらえず一向に運動スキル学習が進まないということもあります。最初は言葉かけと同時に易しく体に触れることに慣れるといったことから始めることもあります。もの凄く根気のいることも多いです(^^;)
次の「なんとか達成可能である課題」については、課題達成の全ての過程を経験して結果として何をするべきかがわからなければ、当然運動スキルそのものは生まれないわけです。課題達成のために動いて、その動きの中からなんとか課題達成の可能性を患者さん自ら見つけられるような課題設定が必要です。
たとえば端座位で、前方から介助してなんとか立ち上がってもらえる患者さんであれば、「両手で手すりなどをつかみ立ち上がる」という課題にします。手と脚、体幹の力が上手くかみ合わずになかなか立ち上がれないときは、その状態からセラピストが「少し持ちあげや重心移動を介助して立ち上がる」という少し易しい課題に変更します。それでなんとか立ち上がれるならそれを繰り返して、その課題達成のための運動スキルの熟練の様子を見ます。上手く行くようなら少しずつ介助を減らして、「自分一人で手すりを持って立ち上がる」という課題に戻していけば良いのです。それができるなら、手すりは片手だけにする、両手を膝に置くなどと状態に合わせて変更していきます。
セラピストは体幹を前により倒したり、両脚を椅子の下に持っていくと前方への重心移動が容易になるなどの運動スキルの細かなコツを知っていますので、それらを介助したり指示するのも助けになります。
また運動リソースの面では、体幹の柔軟性などを徒手的療法で予め改善しておくと、前方への重心移動なども大きくなります。あるいは椅子の座面に座布団を置いて座面を高くして立ち上がりやすくする工夫もあります。あるいはご家族に適切な声かけの見本を真似してもらうと、セラピストが声をかけるよりは効果を発揮することもあります。利用可能な運動リソースはできるだけ見逃さずに工夫して利用すると良いでしょう。
一般的には最初は患者さんの状態に合わせて適切な基本動作課題を、そしてなんとか達成可能となるように工夫すれば良いのです。
さて生活課題達成力改善のアプローチの概略は以上の通りです。
改善できる身体リソースはできるだけ改善しておくこと。利用可能な環境リソースはできるだけ見落とさずに試して見ること。同時に「患者さんにとって意味や価値があり、少し工夫すれば達成可能な運動課題」を設定して繰り返し実施してもらいます。できるようになれば更に課題を少しずつ難しく変更するのです。
次回はこの課題達成力の改善が壁に当たって変化しなくなった場合、つまりプラトーになったと思われる場合を考えてみます。
(その8に続く)※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!最新の投稿「CAMRの流儀 その2」https://note.com/camr_reha
生活課題を達成するのは、筋力ではない!-運動スキルの重要性(その6)
前回は、患者さんの運動スキル学習がより柔軟に適応性を持って発達するためには運動リソースができるだけ豊富な方が良い、そしてその方法は運動課題を通してという話でした。
それに座位での基礎定位の話を例にしましたが、座っているだけで筋力・筋活動・持久性は改善するかもしれないが、柔軟性はあまり改善しないのでは?と思われたかもしれません。
まあ、確かにその通りです。特に姿勢保持などの静的で身体活動が目立って大きくない運動課題の間はセラピストが直接患者さんの柔軟性を改善する必要があります。
他のエッセイで説明していますが、体を硬くするのは脳性運動障害で基本的に動き出すための問題解決です。しかし時にこの「体を硬くする」作動が暴走して、偽解決となり新たな問題を引き起こします。体が硬くなりすぎて運動範囲が小さくなり、動くことに抵抗が生まれて大きな努力を必要とします。また硬さのために血流なども悪くなり、不快感や痛みが生じたりします。
この硬さとそれに付随する問題を改善するためには、学校で教わるような関節可動域訓練やストレッチ訓練も良いのですが、学校で習うストレッチでは関節ごとや筋群毎に個々に局所的に行っていきますよね。そこが少し弱点です。
全身の軟部組織は繋がっていてお互いに影響し合います。それで身体の一部の柔軟性を改善しても、他の大部分が硬いままであれば、改善した一部の柔軟性も全体の硬さとの相互作用で引き込まれてまたすぐに元の硬さになってしまうからです。それで柔軟性の改善訓練もできるだけ全身的に多要素も同時に行う方が効率的です。
この硬さを改善するのに僕のお勧めは上田法という徒手的療法です。全身の広範囲に多要素・多部位同時に柔軟性を改善します。広範囲に過緊張が低下しますので効果も比較的長続きし、その間に様々な身体活動を行う機会が広がるわけです。
また痛みの問題も筋活動を制限して運動パフォーマンスを低下させます。できればセラピストがマニュアル・セラピーなどの徒手的療法で直接痛みを改善することが求められます。
痛みにしても脳性運動障害後の硬さにしても運動や重心の移動範囲を狭く制限しますし、筋活動の多様さや強さも制限してしまいますので、運動スキル練習の効果を低下させてしまいます。
そして痛みにしても脳性運動障害後の硬さにしても患者さん自身では改善が難しいので、セラピストが直接手を下して痛みや柔軟性の改善を行う必要があります。
ここまでのまとめです。運動スキル学習を進める上で、身体リソースを豊富にすることで運動スキルはより柔軟で適応的、多様に生み出される可能性があります。
また痛みや脳性運動障害後の硬さは、負の運動リソースと呼ばれ、運動パフォーマンスを低下させます。これらは患者さん自身では改善できないことが多く、セラピストが徒手的療法などで関与する必要があります。
筋力や筋活動の多様さ、持久性などは運動スキル創出の適切な課題を通して同時に豊かにすることができます。
もう一つ運動リソース改善にセラピストが多く関われるのは環境リソース(装具や自助具、生活環境など)の工夫と提案です。ここでは長くなってしまうので、これについてはこれだけにしておきます。
次回は、運動スキル学習におけるポイントである課題設定について説明します。(その7に続く)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!最新の投稿「運動スキル学習-運動スキルが創造されるまで(その3)」https://note.com/camr_reha