前回までで、脳卒中後に見られる伸張反射の亢進や筋の硬さは、弛緩状態という問題を解決するための「外骨格系問題解決」の作動であると説明してきた。ただ過剰に繰り返されて「偽解決状態」になって新たな問題を生み出している。
弛緩状態では動けないので、問題解決として筋を硬くしたのだが、硬く成りすぎて動くこと自体が困難になっているわけだ。元々の弛緩麻痺という症状に新たな現象(筋が硬くなって柔軟性が低下するなど)が加わって、より複雑な全体像になって僕たちの理解も混乱するわけだ。
ただその過緊張状態は、障害後の運動システムの問題解決の作動である。症状ではないので、その硬さは改善可能であると前回述べた。
たとえばその方法の1つは、「上田法」という徒手的療法である。上田法は過緊張状態の筋肉を柔らかくする。低下していた柔軟性が再び表れる。すると本来存在した運動能力が表れるようになる。
上田法の特徴の一つは誰でも身につけることができ、効果を実感できる徒手的療法だ。ご家族や教師、生活指導員、介護職など専門知識がなくても治療効果を生み出すことができる。
もちろんセラピストは姿勢や硬さの観察・評価の技術を通して、個々の患者さんに応じた適切な手技選択を通して、より大きな効果を生み出すことができる。学べば学ぶほど奥の深い評価・治療技術である。
上田法を通して過緊張が消えて、運動範囲や重心の移動範囲が広がり、運動速度が改善する。硬さが取れることで動くための努力が軽減する。それで発汗や息切れが軽減する。また痛みや不快感も改善する。
さらにできなかった寝返りや起き上がりが、そして低い椅子から立ち上がりが可能になることもある。股関節周囲の過緊張が緩んで歩行時の歩隔や歩幅が広がって楽に、速く、安定して歩けるようになることもある。
つまり外骨格系問題解決の「偽解決状態」の袋小路から、患者さんを救い出すことができる。
外骨格系問題解決は、過剰に繰り返されて硬くなりすぎて動けなくなってしまう。そうすると患者さん一人ではこの「偽解決状態の袋小路」からは抜け出すことができない。運動システムが硬くなりすぎた筋を緩めるための問題解決の方法を持たないからだ。だから硬くなった患者さんは一人で抜け出すことができない。過緊張の偽解決状態は、患者さんに取って袋小路なのだ。
だが上田法は柔軟性という運動リソースを改善し、その偽解決の袋小路から患者さんを救い出すことができる。
ただ上田法を実施するだけでは、時間経過と共に再び過緊張状態に戻ってしまう。
ただ上田法は硬さの改善が従来のストレッチと違って、長く続くという特徴を持つ。それで、筋が柔らかく柔軟性のあるうちに、運動リソースを増やし、新しい運動スキルを試行錯誤、発展させるための時間的余裕が生まれる。
それでCAMRの臨床経験から分かったのは、上田法で過緊張を改善した後、
①改善可能な運動リソースをできるだけ改善すること。たとえば支持性や持久力を改善し、杖や環境内の利用可能なものを工夫して行く。環境内の利用可能なものを発見する能力を高めるなどである。
②さらに増加した運動リソースを利用して、必要な運動課題を達成するための運動スキル学習(有用な運動リソースの探索活動、課題達成のための運動スキルの発見・創造の試行錯誤など)を実施することだ。
また昔から脳卒中片麻痺の現場では、経験的に「動くことが体を硬くすることを防ぎ、運動性を維持することができる」ということが言われてきた。
CAMRでも同様に「多様に動き続けることこそが、外骨格系問題解決の過剰な繰り返しを抑制する」ということが経験的にわかっている。
つまり従来とは少し異なったアプローチを試すことができる訳だ。これまでのやり方で変化や改善が見られないときは、この方法を試してみる価値はあると思う。(その6に続く)
人の運動システムには「なんとか問題を解決して課題を達成するために、自律的に身体の内外に利用可能な運動リソースを探し、問題解決と課題達成のための運動スキルを生み出して、必要な課題を達成しようとする」性質がある。
これはCAMRでは「自律性」と呼ばれる作動の性質である。
この作動の性質は、たとえ障害が起きても変わらずに作動する。問題を解決して必要な運動課題を達成するというのは、運動システムのもっとも基本的な作動だからだ。もし仮にこの作動の性質が見られないとしたら、人の運動システムとしては崩壊していると言える。
脳卒中では発症直後に弛緩麻痺が見られる。弛緩状態の体というのは、可動性のある骨格が水の袋に入っているようなものだ。プラスチックの袋に水を入れてテーブルの上に置くと重力に押されて安定するまで広がろうとする。弛緩状態の体もそんなことになる。不安定に揺れながら安定するまで広がろうとする。
そして健側の体を常に患側に引っ張り続ける。常に揺れて体全体を不安定にする。体重を支えたり重心を移動したりすることができない。これでは体を安定させたり、動いたりすることができなくなる。
それで運動システムは自律的に問題解決を図る。弛緩状態の部位の筋肉を硬くするわけだ。身体の内部に筋肉を硬くするためのメカニズムを探して総動員する。
傷ついていない脳幹から下のレベルでコントロールされる伸張反射や原始反射を亢進させることで、少しでも筋肉に収縮を起こそうとする。また筋肉自体にはキャッチ収縮というメカニズムがあってエネルギー消費無しに収縮状態を維持することができる。これを強めて筋肉を硬くする。
硬くなると体重を支え、重心移動のための支点もできる。これで動くことが可能になる。あるいは硬くなって塊となった上肢は揺れることなく健側の体についてくるようになる。それで動けるようになるわけだ。
CAMRでは、体を硬くするのは障害後の弛緩状態という問題を解決するための運動システムの自律的な問題解決であると理解する。これはCAMRでは「外骨格系問題解決」と呼ぶ。筋肉を硬く固めて、カニや昆虫などの外骨格動物のようにそれで支持を得るからだ。
だが、これで「めでたし・・・」とはいかない。この問題解決は、あり合わせのメカニズムを使った急場しのぎの対処である。抑制が利かない。次第に過剰に繰り返されるようになる。体は徐々に硬くなって、運動範囲を小さくしてしまう。硬くなった筋肉は抵抗になり、動く速度が遅くなる。あるいは動くためにより努力が必要になる。ちょっとした運動でも発熱、発汗、息切れが見られるようになる。
さらに過剰に繰り返されると硬く成りすぎて動けなくなってしまう。あるいは不快感や痛みなどが見られるようになる。
初期には問題解決の作動だったのに、次第に新たな問題を生み出して患者さんを苦しめてしまう。このように問題解決が新たな問題を生み出してより悪い状況を作り出すような問題解決を、CAMRでは「偽解決(psuedo-solution)」と呼ぶ。
実はこの偽解決が患者さんの障害による状況をかなり悪くしている。偽解決状態を改善するだけで患者さんの持っている隠れた運動能力が発揮されやすくなってくる。
これら伸張反射や原始反射の亢進や筋肉が硬くなって過緊張状態になることは、Jacksonの階層型理論では脳性運動障害の症状として理解されていた。
Jacksonは陽性徴候の原因は、中枢神経系の上位レベルの下位レベルの解放現象として説明した。それで治療方針としては、上位レベルの機能を回復するという方針を持つ。壊れた脳細胞の再生を目指したり、壊れていない脳細胞にその機能を再学習してもらったりしようとするわけだ。
この考えは日本に入って60年近く経つが、未だにそれがなされた、成功したという科学的報告はない。きっと実現不可能な方針なのだろう。
さて、CAMRでは外骨格系問題解決によって生まれた筋の硬さは、障害後の運動システムの問題解決の作動によって生まれた状態である。症状そのものではない。それでその過緊張状態という偽解決状態を改善することは可能である。
たとえば上田法という徒手療法がある。(その4に続く)
運動理解のための新しい視点:CAMR(その3)
前回まとめたように、人の運動システムには「なんとか問題を解決して課題を達成するために、自律的に身体の内外に利用可能な運動リソースを探し、問題解決と課題達成のための運動スキルを生み出して、必要な課題を達成しようとする」性質がある。
これはCAMRでは「自律性」と呼ばれる作動の性質である。
腓骨神経麻痺になると下垂足になり、つま先が床に引っかかり転倒しやすくなる。それでは安心して歩けないので、「鶏歩」という歩行スキルを生み出して問題解決して、安全に歩くという課題を達成するわけだ。
腰椎ヘルニアになると体幹が動く度に疼痛のために動けない。そこで体幹を硬く固めて痛みをできるだけ抑えようという問題解決を図る。
失調症では歩隔を広げて立ち、基底面をできるだけ広くして重心が基底面から飛び出さないようにするという問題解決を図る。こんな例はいくらでもある。
運動システムは常に問題解決を図り、必要な課題を達成するという自律的な作動を行っているものだ。
一方で、学校で習う運動理解の視点は、構造と各部の働きから動きを理解する。よく臨床で、「この運動が上手くいかないのは、○○筋が働いていないからだ」などと言われる。これはまるで人の体を機械のように理解している。
というのも「○○ができないのは△△筋が働かないから」のような公式は機械ではよく当てはまる。機械の部品はがんじがらめに組み立てられているので、一定の決められた動きしかしない。部品が一つ壊れると止まるか、ある異常動作をする。たとえば「その異常動作の原因は、Aユニットの駆動ボックスに問題があるようだ」などと言い当てることができる。構造的にはそれが納得できる場合が多いからだ。
しかし人の運動システムは単純に構造と各部位からだけでは理解できない。何か問題が起こると、自律的に問題解決を図るという性質があるからだ。
たとえば脳性運動障害の理解を一つの例として挙げよう。1932年に提案されたJacksonの階層型理論が現在の脳性運動障害の一般的な理解の枠組みとなっている。
このアイデアでは、「脳性運動障害後に見られる現象は全て、脳の細胞が壊れたことが原因だ。つまり脳の細胞が持っている機能が失われたから、それらの症状が現れた」と説明する。だから基本的には壊れた脳の構造を治そうとする。あるいは他の細胞で壊れた脳細胞の機能をカバーさせようとする。あくまで「治す」ことが目標になる。
脳性運動障害後には、健常者で見られる機能が失われる。随意性や協調性、姿勢反応が低下あるいは失われる。これらの現象群を陰性徴候と名付けた。また健常者では見られない現象が見られる。伸張反射の亢進や原始反射の優位な出現、また筋の過剰な硬さ(過緊張)などが見られる。これらを陽性徴候と名付けた。
これらの現象は全て中枢神経系の機能で説明される。脳細胞が壊れたから、その後の現象は全て壊れた脳細胞の機能が失われたからだという素朴な因果関係で説明する。陰性徴候も陽性徴候も上位脳細胞が壊れることで、それらが持っている機能が失われることによる、と説明する。
随意性をコントロールする回路が壊れるから、随意性が失われるわけだ。特に「上位脳細胞は下位中枢の脊髄などの働きを制御・統御する」働きを持っていると「仮定」している。それで上位脳細胞が壊れて、下位の細胞の働きを抑制・コントロールできなくなるため、下位レベルの働きである伸張反射や原始反射の機能を抑制できなくなり、それら下位レベルの解放現象として陽性徴候が見られるようになるのだ、と説明する。
ただし気をつけないといけないのは、これは真実ではなくあくまでも「Jacksonの仮説である」ということだ。誰も真実は知らない。(もちろん僕も(^^;))
しかしCAMRの仮説は脳性運動障害後に見られる現象をもっと上手く説明できる。この「自律性」という運動システムの持つ作動の特徴に焦点を当てることで。(その4に続く)
人が必要な課題を達成する場面を具体的に考えてみよう。たとえば以下はスパイの逃走場面のストーリーである。
武器を持った敵に追われて、俺は8階建てのビルの屋上に追い詰められる。今、敵は1階辺りで俺を探しているはずだ。後戻りはできない。問答無用で銃で撃たれてしまう。グズグズもできない・・・
隣のビルの屋上までは約3メートルか。ここは下の道路から20メートル以上の高さがある。落ちたらイチコロだ。なんとか飛び移るしかない。もし平地であれば、3メートルの間隔なら軽く助走すれば俺は十分に跳び渡ることが可能である。
しかし飛び移るためには、高さ1.5メートル、幅20センチの塀の上に立たなければならない。「やややっ、助走ができないではないか!」
しかも俺は高所恐怖症である。全身がすくんで、実力を発揮できないに違いない。「いつもそうだ!俺は緊張すると、できてることができなくなってしまう。やれやれ・・・」
俺は辺りを見回す。「何とかしなくては・・・」
物干し台があり、長さ3メートル以上はある物干し竿が5本かかかっている・・・
急に閃いた!
一本の物干しは俺の体重を支えることはできないが、五本まとめると支えることができるのではないか?毛利元就の言うとおりではないか!一本の物干しは折れても、五本が束になると折れないに違いない!
俺は五本の物干し竿をかき集めた。そしてそれをあちらのビルの屋上の塀にかけようと急いだが、ここで躓いてしまった。俺は前方の床に倒れ込み、はずみで持っていた物干し竿が前方に飛び出し、壁を飛び越えて下に落ちてしまった。
「ぎゃっー!」と叫ぶ声がはるか下から聞こえる。通行人の誰かに当たったのかもしれないが、今はそれどころではない。俺の命が危ういのである。「知ったこっちゃない!」と思わず声に出る。
再び辺りを見回すと、ビルの反対側の壁に、さびた鉄ばしごと思われる物体が立てかけてあった。近づくと長さが3メートル以上はありそうだ。「やったー!」俺は小躍りしながら鉄ばしごに駆け寄る。「渡りに舟ではないか!なんという幸運だ!いや、もっと早く気づくべきだった。俺のばかばか!おまぬけちゃん!」意味の分からない言葉が自然に口をついて出てくる。
俺は鉄ばしごをむんずとつかむと、両手で持ち上げて反対の壁に走る。重くてよろめくが必死で走る。壁につくと鉄ばしごを立てて持ち上げ、あちらのビルのコンクリートの塀に渡すと大きな音をたてて震えながら乗っかった。こちらもしっかり壁に乗っかっている。俺は壁によじ登り、四つ這いになって鉄ばしごの橋の上をおっかなびっくり渡り始める。
しかし半分来たところで後から複数の駆ける足音が聞こえてきた・・・・・「あそこだっ!撃てっ!」と叫ぶ声が聞こえる。俺の体が不意に思いもかけず鉄ばしごの細い鉄の棒の上に立ち上がり、ビルの壁の向こうにダイブした!銃弾が耳元をかすめる・・・・後から思うと命の危機に、高所の恐怖が吹き飛んでしまったようだ。
長い例になってしまった(^^;)この課題達成のポイントをまとめると以下のようになる。
「人の運動システムは必要な課題を自律的に達成しようとする。もし課題達成に問題が生じると、自律的に問題を解決しようとする。そのために身体の内外に利用可能な運動リソースを探索する。そして課題達成や問題解決のための実現可能な運動スキルを生み出して実行する。失敗すれば、さらに別の運動リソースや運動スキルを探して、課題達成・問題解決しようとする」のである。
そしてこのことは、お腹が空いていても、背中が痒くて手が届かないときも、カップ麺の箸がないときも、おしっこが漏れそうなときも同じである。
人の運動システムには、その時その場でなんとか問題を解決して課題を達成するために、自律的に身体の内外に利用可能な運動リソースを探し、課題達成のための運動スキルを生み出して実施するのである。(その3に続く)
この記事はNo+eに掲載されたものです。以下のURLから。
https://note.com/camr_reha/n/n5305e6ff98c8
まずは「立ったまま靴下を履く」という運動課題を考えてみよう。
あなたなら、どうやってこの課題を達成しますか?
元気で活動的に動いている人なら、「靴下を履く方の脚を床から持ちあげて片脚立ちになる。そして両手で靴下の履き口を広げて挙げた足の前に持っていき、靴下を履く」という「方法」で靴下を履くはずである。
この場合は、重力と床の間で力なり柔軟性によって体幹を安定させるための基礎定位の能力が必要だろう。また片脚で重心をコントロールしながら支持し続けるための筋力が必要である。両手で持った靴下に足先を持っていく柔軟性も必要である。また片脚立ちしながら両手で靴下をコントロールするにつれて重心が動揺するが、その揺らぎを吸収してバランスを保つことを容易にする体幹や下肢の柔軟性も必要である。
もし、基礎定位の能力や筋力や柔軟性のどれかが劣っていると、この「方法」は利用できない。
それでその場合は、「壁にお尻をつけてもたれかかり、片脚立ちになって靴下を履く」という「方法」によって課題達成が可能となるかもしれない。壁を利用して、支持や柔軟性や基礎定位の能力低下を補う訳だ。
もし筋力が弱くても身体前方への柔軟性が極めて高ければ、両脚で立ったまま「片脚を前に出してつま先を挙げ、体を前方に屈曲して両手で靴下をかぶせ、その後つま先を下ろして踵を挙げ、靴下を引き上げる」という「方法」で課題達成が可能である。
こうして見ると、運動の成り立ちを以下のように説明することができる。
基礎定位の能力や体を支え動かす筋力、柔軟性などは、運動課題達成のための運動の資源(リソース)である。それでこれらの身体や身体の持つ能力、性質などはCAMRでは「身体リソース」と呼ぶ。
壁にすがって履く場合、壁は環境内にあって課題達成に利用できるので、環境内の資源であり、「環境リソース」と呼ぶ。
身体リソースと環境リソースは合わせて単に「運動リソース」とも呼ぶ。
筋力は単に力という性質であり、柔軟性は単に運動範囲が広いという性質である。これら運動リソースが課題を達成することはできない。課題達成のためには力や柔軟性をどう使うかという「方法」である「運動スキル」が必要である。
そうすると「運動スキル」は、「課題達成のための運動リソースの利用の仕方」と説明することもできる。
さらに運動スキルはどのように生まれるかを考えると、「予期的に運動リソースの意味や価値を知り、それらを利用して課題達成のための運動スキルを生み出し、修正する能力」が必要である。それでこの能力のことを「予期的運動認知」と呼ぶ。
CAMRでは、上述のように課題達成の運動は「運動リソース」、「運動スキル」、「予期的運動認知」の3つから成り立つと考える。
そうすると従来学校で習ったように「脳が理解・学習・命令して、筋力が力を生み出し、骨・靱帯が力に支持と方向性を与え、感覚によって課題達成を修正する」という運動理解とは全く異なった運動理解の視点を持つことができる。
CAMRの視点を持ったセラピストはこの2つの異なる運動理解の視点から、運動を解釈することができるため、運動問題に対して幅広い柔軟なアプローチで対処できるようになる。
今回のシリーズは、この新しい運動理解の視点について簡単に説明してみたい。(その2に続く)
この記事はNo+eに掲載されたものです。以下のURLから。
https://note.com/camr_reha/n/n9fe5ffdb02af
CAMRは状況変化の技法?(その7 最終回)
Aさんはその3週間後に、自分の脚と杖で歩いて退所されました。まだ膝が痛むことはあるものの、痛みなく歩けるコツが少しずつ分かってきたそうです。
さらにAさんはご家族がいくら言っても聞いてもらえなかった紙パンツと尿パッドを付けての退所でした。
もちろん根本の原因である頻尿・失禁の問題は解決していませんが、元々それが私達の仕事ではありません。ご家族の要望通りに「失禁が大変負担」という問題を解決することが目標でした。
以前は尿失禁のために、毎日たくさんの洗濯物や毎回のトイレ掃除だけでたくさんの労力と時間を費やしていたそうですが、これ以降は全く問題がなくなったそうです。
ご本人さんは問題解決に向けて、皆にアドバイスを求めて、結局、骨盤底筋や腹横筋の筋力強化もやられるようになりました。「単に尿を止めるために締めるだけでなく、尿をたくさん出し切ることも大事だろう」とAさん自身が計画を立てられたので、それに応えてトレーニングを計画しました。
もともと機械の設計をしておられただけに論理的で現実的です。もちろんすぐに効果は見られていません。退院後に、ご家族が希望されていた泌尿器科の受診もされるとご本人が決められました。
どうも後から分かったことですが、Aさんは元々普段から妻が一方的に受診だの、歩けだの、施設でトレーニングだのとうるさく繰り返すので、それに対する反発がこじれてしまったようです。僕に対しても「妻は一旦言い始めると制御ができなくて、言い続けるから嫌になるんだ。だから妻の言う通りには絶対になるまいと意地を張っていた」と笑われていました(^^;))僕もそこは素直に共感しました・・・なんてウソです、僕は妻にはそんなこと思ってませんからね(^^;)
今回は、ユニットでの介護問題の解決がリハビリでの訓練拒否問題の解決にも繋がりました。Aさんとの経験で、僕たちのリハビリドック・チームは自信を付けたと思います。いつも「起こせる状況変化を起こし、良ければ繰り返し、ダメなら他の状況変化を!」と考えます。
特に状況変化のやり方は無限に存在すると言っても良いのですが、今回のようにコミュニケーションのやり方を変化させる、コミュニケーションの立場を変化させることはとても有効であると気づかされました。これ以降は状況変化の第一選択に、コミュニケーション関係の変化を持ってくるようになりました。
今回のエッセイは、2017年発行の拙書「PT・OTが現場ですぐに使えるリハビリのコミュ力」西尾幸敏(金原出版)で掲載しなかったエピソードの一つに加筆・修正したものです。本書には老健のリハビリドック・チームの取り組みがいくつか紹介されています。
たとえば徘徊の認知症老人と職員のコミュニケーションを変化させることで徘徊の問題が解決した例や支配的な夫の一方的な介護関係で苦しんでおられた妻にとっての「言葉のやりとり」から「身体のやりとり」というコミュニケーションに変化させることで問題解決が行われた例、その他などが載っています。
興味のある方は是非ご一読くださいv(^^)
CAMRは状況変化の技法?(その6)
先週末のユニット内の出来事は月曜日の朝にリハビリにも知らされました。 Aさんが来られ、いつも通り最初に挨拶と短い会話をした後に、「あなたも困るだろうから、今日はマッサージでもしてもらおう」と言われます。ユニットの状況変化の流れがそのまま訓練室でも起きています。調子にのって、「運動もどうですか?」と聞きましたが、「運動はやらない」と言われます。それでも良い状況変化です。
早速車椅子からプラットフォームへ移ってもらいます。移乗から端座位へ、端座位から側臥位、背臥位へとなられますが、どうも動きが硬く顔をしかめたりされます。
初めて動いていただくと、体幹部の動きも悪く,痛みを我慢しながら動かれている様子です。まずは体幹部の筋膜リリースをしながら上田法の体幹法という手技を実施します。その後、起き上がってもらいます。
「では起き上がって車椅子に座ってみましょう」と勧めます。「おう」と1人で何とか起き上がられます。車椅子に乗り移ると、ご自分から話されます。
「僕は動くと体の色々なところが痛いんだが、歳だから体の各部は劣化してもう良くならないと思っていた。でもたったこれだけのことでも動きやすくなるね。今は痛みもあまり感じなかったよ」と答えられます。
その「劣化」という言葉で、これまでのことが一気に頭の中で繋がります。 「Aさんは機械に関わってこられたから、自分の身体を機械のように考えておられるのかもしれませんよ。機械は劣化したら部品を交換するか作り直すしかありませんよね。でも人の体は違います。劣化するだけでなく、回復もするんです!」
Aさんは何も答えられません。焦ります、急ぎすぎたか?でもしばらく間を置いて「そうかもしれんな」と言われます。「関節は劣化していて、動くとますますすり減って劣化が進むと思い込んでた」と言われます。状況変化の流れはまだ続いているようです。
「リハビリで膝の痛みは良くなるかね?」と聞かれるので、「ええ、やってみないと分かりませんが、見たところ大丈夫だと思います」と答えます。「では、頼むかな。僕の膝の修理を!」と笑われます。
この後は、順調にリハビリが進むことになりました。
どうもご本人は痛い方の膝をかばう意識で、「劣化を防ぐためにあまり使わないように」歩かれていたようです。だから逆に「膝周囲に力を込めて膝関節を安定させて歩きましょう」と提案しました。最初は両手で平行棒を支えて、痛い膝の荷重時に「力を入れて膝を安定させる」つもりで荷重練習を行います。また痛みの出ないように、「軽い膝の屈伸運動やつま先立ち、step練習」などの運動スキル練習も行います。
最初は変化があるのかどうか分からなかったけど、一旦変わり始めると雪崩(なだれ)の如く変化することもある、と思ったものです。(その7 最終回に続く)
CAMRは状況変化の技法?(その5)
翌日5日目、介護主任がAさんと話し合います。この問題の解決はご本人さんの努力が必要で、そしてAさんはとても努力していることは分かっているということ。
だからAさんが問題解決の難しさは一番良く分かっている。だから私達もできるだけ解決策を提案しますから皆で協力しましょう。早く解決すればご家族も安心されるし、Aさんの希望通り、1ヶ月で退所できること。最後に「もし何か思いついたり、考えがあれば教えてください。皆で協力して解決しましょう。いつでも話しかけてください」と伝えたとのこと。
それに対してAさんは「特にない」と答えられたそうです。それ以降、介護士全員がAさんには「注意しない」ようにしました。
これまでは皆がAさんを世話する意識だったのですが、逆にその意識や態度を止めたのです。Aさん自身が問題解決者だからです。「我慢強くAさんからの指示を待つ」と話し合いました。
問題解決をAさんにお願いした5日目は、変化はなかったそうです。しかし6日目の土曜日に最初の変化がありました。Aさんをさりげなく観察していると、できるだけ長くトイレにいて色々されているということでした。一人で問題解決に取り組んでおられるようです。
そして介護士がトイレに呼ばれて行くとAさんが困っておられました。Aさんは便器に座ったまま、おしっこがしたたり落ちるタオルを持って固まっておられたそうです。どうも衣服を脱いでいるうちに、我慢できなくなって思わず首にかけていたタオルでおしっこを受けたようです。床を濡らさないように頑張られたのでしょう。
それでも予め打ち合わせた通りに「自分で考えて頑張られてたんですね」とコンプリメントをしました。それに対して「ごめん、他にやりようがなかった」と謝られました。謝られるなんて、とても良い状況変化の徴候です。
担当した介護士さんは,思わず「だから、皆が言ってるように尿パッドを使ったらいいじゃないですか」と言いそうになったけれど、すごく我慢してそれには触れなかったそうです。もちろんこの介護士さんの対応が後の状況変化を大きく決定づけたと思います。
彼女は、この経験を機に話をよく聞くようになったし、話すときに落ち着いて話す癖がついたと後から言っていました(^^)彼女自身の介護の仕事の転機にもなったそうです。
またAさんにとっても一人で問題解決に取り組むことの限界を悟られたのでしょう。
そのすぐ後Aさんは介護主任を探して自分から提案されたそうです。「色々やってみたが、やはり小さなパッドというのか、小さな板のようなおしっこを吸うやつを使った方が良いと思うのだが・・・」とのこと。
介護主任は心の中で小躍りしながら、「ああ、それなら良いものがいくつかあります。すぐに持ってきますね」と冷静に答えて、いくつかパッドを持って行き、選んでもらったそうです。
この日を境に、ユニット内での尿漏れ問題は大きく解決に向かいます。
でもまだリハビリ拒否問題があります。(その6に続く)
CAMRは状況変化の技法?(その4)
2日目、3日目も、話しかけを無視されたり、時々返事だけを繰り返します。どうもなかなか会話が成り立ちません。また評価や運動、マッサージ、ストレッチ、散歩などに誘いますが全て穏やかに拒否されます。
「僕の時間は休んだら良いよ」とAさんは言われますが,「そういう訳には・・・仕事なんで」と答えます。何もできないまま訓練時間を過ごすのはとても苦痛です。
4日目には話がポツポツと続くようになります。救いだったのは、全て無視し続けるのはAさんにとってもしんどそうに見えたことです。話の内容、たとえば機械関係の質問などには応えていただきます。時には興味ある内容を付け加えてもらいますので、少しだけ話が膨らみます。リハビリに対して敵意というか拒否の感情を持たれているようですが、どうも「僕自身に対してではない」と思えました(^^;)そう思えたのが心強い。
4日目の夕方、介護、看護、相談員、リハビリなどのリハビリドック・チームが集まって最初のカンファレンスを開きます。
リハビリドック・サービスが運用される前に、チームの全員にCAMRの基本的な考え方は伝えてあります。元々リハビリ・ドックは僕の企画で始まったので、ここはやりたいようにできます(^^;)
原因を探してそれにアプローチするよりは、まずは「どんな問題が繰り返し起きているか?どう繰り返されているか?」を観察します。「その過程の中で、変化が起こせそうなものをとりあえず変化させましょう。まずはやってみましょう」と伝えて、簡単な実習なども行っています。
「問題の原因を探して」とすると意外に、手も足も出なくなるものです。原因はたくさんでるときは出て迷うし、出ない時は全く出ません。出ても解決できないこともあります。問題の観察内容を話すだけなら、意外に簡単にみんなが話し合いに参加できることは、リハビリ・ドックの経験で少しずつみんなも実感しているようです。そして状況変化はいつでもどこででもアプローチできるものです。
会議ではまずリハビリの様子を報告します。最後に「人に指示されたり、世話をされたりすることが嫌なご様子です」と感想を述べます。みんな「あー」と同意します。
老健のユニットの方では、「トイレの時はスタッフに伝えてください」と伝えているものの、初日から黙って室内のトイレを使っているとのことです。洋式トイレで、おしっこは座ったままされているそうですが、「服を脱ぐのが間に合わない」と報告されます。しかし皆で観察した内容を話し合うと、「服を脱ぐのが間に合わないのではなく、服を脱ぎ始めるとおしっこの我慢ができなくなる」のような失敗です。そんな時ズボンやパンツを少なからず濡らしていても平気で車椅子にもどります。ただご家族が言われるほど、びしょびしょになるわけでもないようです。施設で過ごす分、家よりは緊張して過ごしておられるのかもしれません。
本人は更衣を嫌がって「すぐ乾く」などと頑固に構えているとのこと。やはり 「人に世話を焼かれたくないのだろう」と印象が話されます。
介護の1人が「早めにトイレに行って」などとアドバイスすると「急に行きたくなるから難しいのでできない」などと不機嫌に反発されたそうです。
一人の介護士が言います。「言うこと聞かないんだから!問題にしているのか、いないのか、何がやりたいのか、わかんないわよ」なるほど、そんな風にも見られますね。
介護主任が言います。「多分あの方は、みんながアドバイスするような解決策は一人でやっておられるような気がします。だからアドバイスに対して『そんなことはもう試しているが、できないんだよ』と反発しているのかもしれません」
「なるほど!」と思います。「じゃあ、どうしたら良いの?」と誰かが聞きます。しばらくしんとします。こんな時いつも明るく発言してくれる介護士さんがいるので助かります。場違いな甲高(かんだか)い声で、「本人が納得する方法が良いんじゃないの?」と言います。何人かが「あー、そうなんだけど・・・」と言います。
急に介護主任がピンと背を伸ばします。皆が気づいて介護主任を見つめます。「では、状況変化の一案として、Aさんに問題解決の方法を考えて、こちらに指導してもらったらどうかしら?つまり、問題解決策を考えてもらい、その指揮をご本人さんにとってもらって、私達がそれに協力するってのはどう?」
みんな唖然としたようです。でもなんとなく魅力的な状況変化の方向が一つ明確になります。
僕も面白い提案だと思いました。「あ、それは試して見る価値があるかも・・・Aさんならできそう。今はリハビリも何も進まない状態なので,やってみましょう!ダメならまた他の方法を考えれば良いから」と賛成します。
一旦やってみようとなるとみんなからいろいろな具体的意見が出ます。ご本人は早く家に帰りたがっておられるので、これを動機付けとして試しましょう、などとなります。(その5に続く)
CAMRは状況変化の技法?(その3)
Aさんに初めて会った印象は、意外に穏やかな感じの男性です。最初は身体の状態などを聞くのですが、「別に」と答えられます。少しうんざりだという素振りをされます。
仕方なく、「こちらの施設の見学でもしてみましょうか?」と誘うと、「いや、見ればわかりますよ」と答えられます。なるほど、少しリハビリとかに心を閉ざされているご様子です。
なんとかお話ができるきっかけが欲しいものです。そのうち車椅子に乗って手が色々なところを触っているのに気がつきます。「車椅子の操作はどうですか?」と聞くと、「うん、これは・・」といってブレーキや駆動輪などを触り、車輪を手で持って前後に動こうとされます。
ひたすら無言で色々に動かされます。見かねて声をかけようとすると、どうも嫌がられる雰囲気です。ひたすら1人で試行錯誤されます。そのうち左右へゆるりとと方向転換をされます。前へ進み、後方に進み、方向転換も徐々に大きくなります。ともかく試行錯誤を一生懸命されているので、口出しを止めます。
そのうち「どこか・・・あっちの方へ行っても良いだろうか?」と聞かれるので、「ええ、良いですよ」と答えます。意外にも早くも状況変化のきっかけが見つかったかもと思います。
景色の見える大きな窓際までなんとか漕がれます。「車輪は左右独立で、駆動もブレーキも・・・・」などと呟かれます。どうもほとんどが独り言です。「車椅子は初めてですか?」と聞くと「今までは人が押すばかりでね」と不満そうに言われます。とりあえず「人に指図されたり世話されたりが嫌な方なのだろう。それに機械に非常に興味がある方だろう」と仮定します。やはり手伝いにしゃしゃり出なくて良かった、と思います。
「今まで耕運機とか使われたことがありますか?」と聞くと「いや、ない」と言われます。でもこの「妙な質問」に興味をすこし持たれたようです。「こちらの車輪をとめて、こちらの車輪を進めると車輪と反対側に方向を変えます。これで農家の方が耕運機と同じだな、なんて言われるんです」と説明すると、「うん、そうか、耕運機か?」と呟かれます。
「耕運機は操作されたことがありますか?」と聞くとまた無視されました。この後、また会話が途切れました。でも機械に興味を持たれているのは確かなようです。
男性の場合、仕事の話は意外によくされるので、「お仕事は何をされていたんですか?」と聞くと「まあ色々な機械の設計と組立をしてたよ」と答えられます。 「よし!」と思います。ところが後は質問をしても無視されます。ともかく沈黙の時間が長い。僕は元々あまり社交的な性格ではないので、話を上手く繋いでいくことが苦手です。
そんなこんなでこの日の訓練は終わりました。結局少しの会話だけでした。どうもコミュニケーションを意図的に避けているような感じです。でも、車椅子の操作は未熟なので明日はやることがあるかも・・・などと考えます。(^^)(その4に続く)