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感動の運動スキル!(その1)(第179週目)
僕は理学療法士としての経歴を、筋ジストロフィー症の子どもたちの施設から始めた。
卒業したばかりの僕はカシオのデジタル腕時計(G-SHOCKはまだ影も形もなかった)と角度計、すぐに壊れる巻き尺、そしてすぐにかすれてしまうボールペンを持って意気揚々と職場に向かったものだ。(現在でも巻き尺だけは壊れやすい。頑張れ、巻き尺!(^^;))
デュシャンヌ型筋ジストロフィー症の子どもたちは四肢の近位部の筋力群の低下が進行していく。進行すると腕や脚を持ち上げたりすることはできなくなる。
そして四肢の近位部の筋群は重力に逆らって動けないほど弱っているのに、尖足と反張膝、そして体幹を反らして肩甲帯を大きく後ろに引いてバランスを保ちながら歩いている。
僕はそれを見てたまげたものである。
弱った筋力では重力に逆らえないので、骨・靱帯の制限を上手く利用して重力に押しつぶされないようなアライメントをとっているわけだ。
「こんな歩き方、誰が教えたんですか?」
僕は思わず先輩の理学療法士に聞いたものだ。
先輩は「誰も教えられない。子どもたち自身が生み出した」と当たり前のように答えた。
実はこれがその後興味を持つようになった「運動スキル」との最初の衝撃的な出会いだった。
特に驚いたのは、筋ジスの子どもたちの喧嘩の場面だった。
ある日、二人の子供達が向き合って喧嘩をしていた。一人が唾を吐きかける。僕は慌てて「やめなさい」と声をかけた。注意された子供はシュンとした。
しかし吐かれた方の子供は、まず右手を左手で持ち、両手で体の前で祈るように両肘を曲げて、両手を胸の近くまで持ってくる。それから右手の親指を口でくわえている・・・
「一体何をしているのだ?」と思った。
彼はその後、口で指をくわえたまま、頭を大きく後方へ反らし、さらに左へ反らしながら右手を顔の右側面に置く。そして右手の指で這うように顔と頭を登らせる・・・僕は見当もつかず、あっけにとられてじっと眺めていた。
子供は遂に右手を頭の上まで持ってきた。そして体幹を少し後方へ反らせてから頭を前へ振り出すように動かしながら右手を鞭のように相手の頭の上めがけて振り下ろした!唾の仕返しを叩くことで見事にやって見せた。僕は叩かれて泣きじゃくる子供をなだめながら、叱るのも忘れてひどく感動したものだ・・・・
その当時はまだ運動リソースや運動スキルという言葉は知らなかったので、この子供の創造的な体の使い方を上手く表現することができなかった。ひたすら「ただならぬ何かが行われた!」と思って感動した。
「まるで魔法じゃないか!」と思ったものだ。
障害を持つとは、身体の筋力や柔軟性、体力、体と環境に関する情報などの運動リソースが貧弱になることである。たとえば脳卒中では麻痺によって、麻痺側の筋力が失われる。そうすると運動リソースを利用して課題達成を行う方法である運動スキルも失われる。結果、それまでできていたことができなくなる。座れなくなる、立てなくなる、歩けなくなる、食べられなくなる・・・
ただそんな中でも運動システムは、残されたわずかの運動リソースの最大限の利用方法を生み出したりするのである。つまり独創的な運動スキルを生み出して課題を達成するのだ。筋ジスの子どもたちのように支持性を得るために骨・靱帯の制限を利用したりする。
理学療法士になってからそのような思いもよらない独創的な運動スキルをたくさん見てきた・・・・
今回のシリーズでは、これまで見てきた様々な運動スキルを思い出して運動スキルというものについて少し考えてみたい。(その2に続く)
【CAMRの基本テキスト】
西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
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西尾 幸敏 著「脳卒中あるある!: CAMRの流儀」
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西尾 幸敏 著「治療方略について考える」CAMR入門シリーズ②
西尾 幸敏 著「正しさ幻想をぶっ飛ばせ!:運動と状況性」CAMR入門シリーズ③
西尾 幸敏 著「正しい歩き方?:俺のウォーキング」CAMR入門シリーズ④
西尾 幸敏 著「リハビリの限界?:セラピストは何をする人?」CAMR入門シリーズ⑤
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セラピストは失敗から学んでいるか?
失敗と認知されない失敗(その9 最終回)(第178週目)
僕達リハビリの仕事は、失敗を繰り返しながら少しずつより良い結果が出るように修正していく仕事である。スポーツやその他の技能、仕事と一緒である。達成するべき課題を明確にして、その課題達成に少しでも近づけるように日々修正していく過程である。
また常に「達成するべき課題」の適・不適を判断するべきだ。
「本当にこの課題で良いのか?本当にこの課題達成方法で良いのか?」を日々の臨床の中で自問自答しながら進めていく仕事でもある。僕達の仕事の成功は、失敗の先にしかないのである。僕達の仕事の知識も技術も、日々のそれらの経験を通してしか進歩しない。試行錯誤とフィードバックの繰り返しである。
これがなければひたすら暗闇に向かってゴルフの球を打つようなものだ。何が良いのか悪いのか分からないまま仕事を進めてしまうことになる。
そして僕達セラピストが訓練効果のない訓練を続けてしまうことは失敗なのだが、これに気づけないのは以下の理由が考えられる。
まずそれを失敗と認められないからだ。これは医学界の悪しき伝統かもしれない。人の命や人生を預かる重要な仕事であるから、「失敗は許されない」という理想主義に囚われる。でも元々多様性や個別性の高い困難な仕事なのである。画一的なやり方が通じる訳ではない。失敗するのが当たり前の仕事なのだが、この理想主義のために簡単に失敗を認めなくなるのである。
2番目は評価のあやふやさである。何を持って訓練効果とするべきかがあやふやのままなのである。また主観的な評価に頼りがちである。それで臨床でのフィードバックがあやふやのまま行われるので、いつまで経っても臨床での判断能力が発達しないのだ。
そして3番目が、「これさえやっとけば大丈夫」という幻想である。「学校で習ったことだから」とか「この方法はEBMに基づいているからなにも考える必要はない。安心して実施していれば良いのだ」という幻想である。
こんなことを暢気に言っている人を見ると「僕達の仕事はそんな機械を扱うような単純なものなのか?」と言いたくなる。実際には機械を扱う技術者だって、「そんな単純なものじゃないよ。機械だって多様性と個別性があって教科書通りにはいかないものだ」と言う。だからこれらの幻想を捨てて、日々評価、特に動作レベルの評価を習慣化しておく必要がある。
たとえば定期的に10メートル歩行の結果を得るようにするといったことだ。こうすることで自分の訓練が一時的な揺らぎを起こしているだけか、持続的な変化を起こしているかがわかってくる。動作レベルの評価は運動リソースと運動スキルの変化をダイレクトに表しているからだ。
もし持続的変化を目標にしてそれが起きていないなら、訓練内容または課題設定の失敗である。だから課題の修正か訓練を工夫していかなければならないわけだ。たとえ上手くいかなくてもそれが僕達の仕事だ。やるしかない。考えていくしかないのだ。失敗はイヤなものだが、同時に大事な経験であり財産でもある。
日々の業務で自分の行っていることが上手くいっているのかいないのかに気づけず、流れ作業のように淡々と繰り返しているようでは進歩はないのである。(終わり)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その8)(第177週目)
さて臨床で患者さんの感想や自分の見たい現象ばかり見るような主観的な評価に頼っていると臨床での判断能力が発達しないだろう、そもそも自分の訓練に効果があるかどうかを考える必要を感じていないかもしれない。だから客観的な評価を習慣的に行う必要がある。
しかし要素レベルの評価は効果判定には使えない。行為レベルの評価は環境を一定にすれば効果判定に有効である。そしてもう一つ、動作レベルの評価の検討が今回の話である。
先に述べたように病院内のリハビリとは、限られた環境内でおこなわれる運動リソースの豊富化と運動スキルの多彩化である。そして僕達が目標とする生活課題の達成力の改善は、単純に運動リソース(筋力、柔軟性、身体・環境の情報量、体力など)が増えることとは単純に相関しない。生活課題達成力の改善と相関するのはむしろ運動スキルの多彩化である。とは言え、運動スキルの多彩化は、運動リソースの豊富化なしに達成できないので、運動リソースの豊富化と運動スキルの多彩化は共に必要なことである。
一方、運動スキルの多彩化を実現するには、多彩な環境、多彩な状況での課題実施が必要となる。病院内の貧弱な環境を思えば、そこにはセラピストなりの様々な工夫が必要ではある。
話が評価から少しズレたが、動作レベルの評価は直接動作のパフォーマンスを表す評価だ。代表的なものに10メートル歩行検査がある。10メートルを歩く時の歩数、秒数を測るだけで、速度、平均歩幅、歩行率、歩行比などで歩行パフォーマンスの変化を追うことができる。他に10秒間で何回起立できるかとかTugなどもそうだろう。いずれにしても動作レベルのパフォーマンスを客観的数値で表すことができる。
他に長距離歩行で、歩行距離と時間でパフォーマンスを表せたり、左右への寝返り時間、臥位から起座までの起き上がり時間なども行ったりするが、あまり標準化されていないのが残念だ。これらの歩行、起立、起座、寝返りなどの動作を達成する時間は、結局特定の環境内での特定の動作課題での全身の筋力、柔軟性、体力、身体・環境情報などの運動リソースとそれらの運動リソースをどのように課題達成のために使うかという運動スキルの総合力の変化、つまりパフォーマンスの変化を見ることになる。
つまり動作レベルの評価は、明らかにリハビリの訓練効果をダイレクトに表していると考えて良いだろう。日々定期的にこれらの動作レベルの評価を用いることで患者さんに対する訓練効果を客観的に評価できるので、変化がなければ自分の訓練内容を見直すきっかけになるだろう。
ただ残念なのは、現在は動作レベルの評価において客観的な数値データで表すものはとても少ない。標準化されたものは更に少ない。セラピスト各自がそれぞれの患者さんに応じて工夫していく必要があるだろうし、標準化のためにたくさんの研究がこれからも必要だろう。
また評価についてはまだ考慮するべき点が多い。たとえば「一時的な運動変化と持続的な運動変化」といった問題も検討しなければならないが、今回のテーマからは外れてしまうのでまた次の機会に検討したい。
次回は最終回、今回のエッセイのまとめである。(その9 最終回へ続く)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その7)
行為レベルの評価にはADL検査などがある。これは生活行為がどのレベルでできるかという目安として役立つと考えられるが、これまた誤解を生み出しやすい評価である。よくあるのは「できるADLとしているADL」の問題である。
「訓練室ではできるが、病棟ではできないのは問題である」と言われたりする。
だが元々行為レベルは、身体能力のみならず環境や社会・文化的価値観など様々の要素の影響からなる状況から生まれるものである。訓練室での文脈と病棟での文脈は違っているのだから、同一人物の行為が変わっても当たり前である。
訓練室では当たり前にやっていても、病棟では看護師さんも患者さんに取っての役割が違うし、あるいは患者さん自身が「病棟は休むところ」という価値観を持っていれば、動こうとしないのは当然だ。
また屋外自立歩行をしているおじいちゃんが退院できないで、車椅子介助のおじいちゃんが退院することがある。家庭生活を行うという行為レベルは、各家庭の価値観や事情によって家庭復帰の条件は変わってくるのが当たり前である。他にも失禁があると「家では介護できない」となる場合もあれば失禁が在宅生活で受け入れられている場合もある。「できることは自分でやらないとダメよ」と言う家族もいれば、「なにも普段の生活で余計に苦労したりするよりは在宅での生活はもっと人生を楽しむべきよ」という家族もいる。
更に一昔前、訪問リハビリをやっている人達の一部が、「今の病院リハは役に立たない。病院内でトイレ動作などができたというが、在宅ではできない。在宅で一からやり直しである。こんな病院リハはダメだ。在宅でもすぐにできるくらいまでやるべきだ」という批判をしていたことがある。
これも行為レベルがそれぞれの環境と一体であるということを考えれば少し見当外れの批判であるとわかる。元々病院内リハビリでできることと言うのは、身体リソース(筋力、柔軟性、持久力、身体・環境情報など)を豊富にし、病院内の貧弱な環境リソース(病院では手すり、壁、一部の家具つまりテーブルや椅子など)を利用した動作レベルでの運動スキルを改善することである。
将来家に帰ったときは、新たに出会ったその環境内での行為レベルの構築をやり直すのが当然である。その環境内でのもっとも適応的な課題達成スキルはその環境内でしか生まれない。課題達成スキルとは身体と環境がカップリングすることだからだ。
もちろんもともと障害が軽ければ、運動リソースも運動スキルも豊富で多彩なので、ある程度、どんな状況でも適応的に振る舞えるのは当たり前である。これを基にいろいろな患者に当てはめて単純化してしまうのが問題なのである。
だから病院内のリハビリとは、将来家に帰ったときに必要な課題達成スキルを獲得するためにできるだけ運動リソースを豊富にし、それを基にした運動スキルをできるだけ多彩にして、退院後の準備状態を作ることである。
だから病院内での訓練効果の評価を考えるなら、訓練効果はその環境内での動作レベルで評価するべきだ。要素レベルの筋力、可動域ではなく動作レベルの評価である。
また他の環境内での行為レベルの比較は無意味とは言わないが、その違いを考慮しておくべきだ。あるいは動作レベルのADL評価なら、身体能力と与えられた環境との相互作用の中で、安定してくる動作の状態を評価することができる。その同一環境内での課題達成力の変化を追うことができるからだ。
そうするとこのADL検査は、環境や状況を固定すれば、単一環境での動作レベルを含む行為の変化を追う検査として使える。つまり訓練室なら訓練室だけでの経過を見ることで、家庭なら家庭だけの課題達成力の変化を追うことができる。
訓練室と家庭でのADLを比較しても、その違いを問題視する理由はとても薄いのである。
次回は、その動作レベルの変化を追う評価について検討してみたい。(その8に続く)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その6)
さて、前回までのまとめ。
臨床で患者さんの感想や自分の見たい現象ばかり見るような主観的な評価に頼っていると臨床での判断能力が発達しないだろう。また、「これさえやっておけば大丈夫」とEBMで言われて、「では何も考えずにこれさえやっていれば良い」と思い込むのは間違っている。リハビリはその患者毎に経験と失敗から学ぶ仕事だからだ。EBMのような一般論を全てに当てはめるのはナンセンスだ。その患者さん毎の評価はしなくてはならない。だから客観的な評価が必要である・・・と言うところまで話が進んだ。
今回からしばらく僕達の用いる評価について検討しよう。
僕達、リハビリのセラピストが用いる評価は要素レベル、動作レベル、行為レベルの3つに分けられる。
要素レベルには、筋力や関節可動域、感覚、痛みなどの検査がある。
この検査はもともと「全体の振る舞いは個々の要素の振る舞いを調べることで理解できる」とする要素還元論の考え方に基づくものだ。この考え方は現在の科学の主要な考え方でもある。何か問題、たとえば「転倒しやすい」が起きると、全体を個々の要素や部分に分けてそれぞれを調べるのだ。そして問題のある要素と部位、たとえば下肢筋に筋力低下があれば「これが原因で転倒しやすくなっている」と因果の関係を想定するのである。
もちろんこのような単純な因果の関係が成り立つ場合もある。しかし人の運動システムのような複雑なシステムでは、通常要素レベルの問題と全体の問題との間に必ずしも因果関係が成立するわけではない。筋ジストロフィーの子どもたちは股関節周囲の筋力が重力に逆らえないくらい弱くても、骨・靱帯の制限を利用する骨靭帯方略によって歩くことができる。肩回りの筋力は弱くても、拳を頭の上まで持ちあげ、振り下ろして相手の頭を叩いて喧嘩することもできる。96歳のおじいちゃんで、片脚立ちはできなくても立ったまま靴下を履くこともできる。
要は人の運動システムでは、筋力や可動域のような要素レベルだけでは動作レベルの問題を説明できないことは多々あるのである。なぜなら人の動作レベルは筋力や柔軟性などの要素、つまり運動リソースだけではなく、それらの利用方法である運動スキルによっても成り立つからだ。
筋ジスの子どもたちも96歳のおじいちゃんも、筋力という運動リソースの不足を運動スキルの発達によって補うことができるからだ。つまり元々要素レベルの評価は、全体の問題の原因を要素レベルに探るための評価なのである。僕達の訓練効果を表す評価としては不適ではないか。
というのも「筋力や可動域が改善したので訓練効果があった」というセラピストもいるのだが、元々僕達の仕事はそういった要素を改善するのが目的の仕事ではない。
僕達の仕事の目的が身体の部分や要素などの改善だけにあるとすると、とても寂しい話だ。機械の修理で言うなら、「ギアが壊れていたから交換しました。ええっ?まともに動かない?それは僕には関係のないことです。僕の仕事は壊れた部品を直したり、交換することですから」と言っているようなものだ。とても一人前の修理工とは言えないだろう。可動域が改善したから「訓練効果が出ました」などと言っているようではやはり仕事は任せられない。
痛みの治療だって同じだ。動作レベルの問題が変わらないなら、「楽になりました」とセラピストに気を使って言っているだけかもしれない。
つまり要素レベルの評価はそもそもが、訓練効果の判定のためにメインで使える評価ではないのである。効果判定のためには、リソースの変化はもちろんスキルの変化を含む評価が必要なのである。
次は行為レベルの評価であるADL検査について検討しよう。(その7)
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