俺のウォーキング-理学療法士らしく(その1)

目安時間:約 4分

俺のウォーキング-理学療法士らしく(その1)


 俺がウォーキングを始めようと思ったのは、長らく務めた老健施設を退職する2週間前だった。居間に置いてあった女房の中年女性向け雑誌のウォーキングの記事が目にとまったからだ。退職後は新たな事業に取り組むつもりであったが、やはり気になるのは健康のことだ。やりたいことを続けるためにも健康問題は、とにかくとり組むべき重要課題である。


 何しろずっと高血圧の状態である。いつ測っても上は少なくとも150くらいである。「うーむ、これは大変である。なんとかせねば・・・」と思いつつ、ずっとほったらかしてきた(^^; それにやや肥満気味(^^; また30代に起こしたバイク事故の怪我後、右膝の変形性膝関節症にも悩んできた。44歳の時、階段を降りていたら右膝が膝折れを起こしそうになった。「こけるかと思ったぜ!」と、見てみると右膝は浮腫の状態でぷっくらと膨れ上がっていた。力が入らなかったのである。時々痛みも起こし、MRIでみると半月板などはぐちゃぐちゃになって消失し、軟骨もすり減っている状態であった。


 「まだ若いのに・・・」と不安に駆られた俺は、早速サプリメントを買って飲んだのだ。結局わかったのはサプリメントを飲んでいても痛いときもあれば、痛くないときもあるのである。もともと飲んでいなくても痛いときもあり、痛くないときもありの状態であった。結局、「ややや!同じではないか!」つまり効果はないというのが俺の結論である。


 もともと初期の変形性膝関節症は痛い時と痛くない時をくり返すものである。もし痛いときに飲んだらそのうち痛みは軽くなるが、別に飲まなくたって軽くなるのである。ただ心理的には、解決手段があると言うのは心強いものである。「痛くなれば飲めば良い」という問題解決の選択肢は大きな安心感になるだろう。


 だが解決の選択肢がサプリメントだけだと、徐々に悪くなることが予想される。膝関節は有り余る筋力と多様な筋活動のスキルでもって安定性と運動性を保証されている関節である。


 変形性膝関節症の多くは、運動不足や活動性低下などによって貧弱になった筋力やスキルのために関節の機能低下が起きたためと考えられる。俺もちょうど44歳の頃は、肥満と運動不足の絶頂期であった。


 もしサプリメントを飲んだだけで、適切な運動をしなければ、そして更に肥満などが加わると余計にストレスがかかり、膝関節の機能は更に低下して、変形性膝関節症は重度化していくのである。


 僕の場合、サプリメントの失敗の後は理学療法士らしく、「探索歩行」と「いくつかの運動課題設定プログラム」を工夫して痛みを改善してきた。今は通常痛みを感じることはないが、普段しない活動(斜面での草刈り、バトミントンなどで頭に血が上って無理な動きをする(^^;など)で痛みが出るときもある。しかし上記のプログラムをくり返しながら、なんとか痛みは改善した状態を維持している。このプログラムは実際、デイケアなどで痛みを訴えて訪れる利用者の痛み改善にも大いに役立ったものだ。(その2に続く)

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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その4 最終回)

目安時間:約 4分

正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その4 最終回)


 さて、僕としては今回は、機能や運動システムの作動の性質を基に「正しい歩行」とは何かを提案し、その実践に当たった男の苦難の記録を述べることが目的でした。


 しかし!次回の投稿の後でまた新たに以下のような意見を頂いてしまったのだ。


 「あなたの言うこともわからないでもないが、患者さんの中には『私はきれいに歩きたい』という人も実際にいるのだ。そんな人の要望にも応えることは必要ではないか?」


 実は15年くらい前に上田法の講習会でシステム論の講義をするためにドイツを何度か訪れた。その時一人の高齢の女性PTから同じようなことを言われた。それは講習会の最後の講義の一つ前の休憩時間だった。「システム論では歩けば良いみたいなことを言うけれど、私はイヤだ。どうせ歩くなら健常者のようにきれいな形で歩きたいのだ。あなただって歩く姿は気になるはずだ。だから私にはシステム論は不要だ」のようなことを言われた。その時の僕にはまだはっきり答えるだけの準備はできていなかったし、あいにく通訳もそばにおらず、講習会の最後の方でバタバタしていて、僕の英語ではほとんど何も伝えられなかった。今でも大きな心残りの一つである。


 今ならこんな風に伝えるのではないか。「では健常者のように歩けないなら、あなたは歩くのを止めますか?僕なら、歩けるようならどんな形であれ歩きたい。 それに人前で歩くのが恥ずかしいと思っている患者さんのために『頑張れば健常者のように歩けるよ』と嘘も言えない。


 僕にできることと言えば次のように正直に説明することだ。『一緒に協力すれば今より早く、安定して歩くことは可能かもしれない。その結果、今とは異なった歩行の形になると思います。今より少しは颯爽としているし、今より力強い形になっているかもしれない。でも元通りの健康な頃の形で歩くことはできないと思います。


 でもあなたは最初寝たきりの状態から、座って立って、ものすごい努力と勇気でここまで歩かれるようになってきた。これはものすごいことだ。とても困難な状況にチャレンジしてなんとか歩けるようになったのです。あなたの歩行は努力の結晶です。あなたはもっとその歩き方を誇りに思って良いと思います』と。


 もしそれでも『健常者の歩行に近づきたい』と言われれば『もし僕で良ければ、僕のできる範囲で最大限努力する』と伝えます。それは患者さんからの希望だから。その時点でもう断られるかもしれないが(^^;


 ただ最初からセラピストが『患者は健常者のように歩くべき、美しく歩くべき』という単一の価値観を持って患者さんに当たるのは間違いではないか?『とりあえず歩いて、早く家に帰りたい』と思っている患者さんもいるだろう。たしかに僕たちとしては最大限患者さんの希望に添うべきだ。セラピストの価値観だけで、訓練の方針と内容を決めるのもおかしいと思う。セラピストとして自分のできる事を正直に伝えて、患者さんにどうするかを選んで貰うことが基本では?」


 さて、あなたはどう思うだろう?(終わり)(申し訳ない。今回のシリーズはこのタイトルをつけてしまったので、この流れになってしまいました。僕のウォーキング物語はまた別のシリーズで改めて書きます)

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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その3)

目安時間:約 3分

正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その3)


 前回の投稿の後、ある病院で働く新人セラピストから次のようなメッセージが届いた。


 彼の片麻痺の担当患者が、いくつかの運動課題と歩行練習を繰り返して、歩行速度が速くなった。歩行速度とADLの関係のデータを基にして、彼の主任に「歩行も実用的になってきた」と報告した。するとその主任は「歩行は早くなっただけではダメだ。私はより美しく歩くことも必要だと思う。いや、私は美しく歩かせたいのだ。私が見たところ、体幹の硬さが問題だと思う。体幹をリラックスさせて、より美しい歩き方ができるように目指しなさい」と言われて面食らったそうだ。まさしく前回述べたことがそっくりそのまま起きていたらしい。


 機能改善は褒められず、美しさの改善だけを言われてガッカリしたし、困ったそうだ。そして美しさって若い健常者の歩き方?と悩んだそうだ。そんなことができるのか?と悩んだそうだ。


 しかし「私がきれいに歩かせる」には驚いた。こんなことを言う人もいるのだ。自分の姿勢や運動を変えることだってなかなか難しいのに、障害のある他人の運動を「思い通りに変化させる」などととんだ思い上がりではないか。他人の運動を支配できる人などいない。そんなことを言うならまずマヒを治して見せるべきだろう。


 そもそもセラピストが美しい形、健常者からの形のズレでしか運動を評価できないとは情けないことである。形で見る限り健常者の運動の形とのズレを問題にし、障害のある方にも健常者の運動に努力して近づくように無理な要求をしてしまうことになる。


 逆に言えば機能や運動システムの作動の特徴から運動を評価することができない、そしてそれで人を説得することができないということである。つまり機能や作動の特徴に詳しくないと自ら言っているようなものである。これは情けないことである。そもそもそれこそが私たちの専門性ではないか?


 しかし僕がこのことをその新人セラピストにメールしたもので、新人さんは少し腰が引けたのだろう。「でも良い人なんですよ」と返してきた。いや、良い若者だ。いい歳をして、大人げなくてごめんなさい。


 リハビリ界でも「美しさ」という価値観の影響は強くあるが、機能より美しさに遙かに重きを置いているこんなセラピストが支配的でないことを心より強く願う。いや、我々の職業のこの多様性こそを喜ぶべきなのか?よくわからなくなってきた。


 今回はまたまた話が逸れて、前置きが長くなってしまった。次回こそ、困難なウォーキングに挑む男の苦難の記録である(^^;))(その4へ続く)

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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その2)

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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その2)


 さて、猫背や膝痛・股関節痛のあるPTとしてどのようにプロらしく歩くかがまず最初の課題である。


 前回書いたように、「健康な若者が颯爽と歩くように」などと運動の形を挙げて「それが正解!」というのはいかにも美容指向の人たちが言いそうなことである。しかも「正しく歩かないと効果がないばかりか、却って悪くなる」という脅し付きである。


 つまり「きれいな形で歩け」と言い、そうでなければ「ダメだ!」と否定する訳だ。これは僕のような猫背で痛み持ちの人間には辛い。しかもこの考え方は、リハビリ界でも割と支配的である。これは注意しないといけない。


 たとえば障害のある方、特に脳性運動障害の方達に健常者の運動に近づくような目標を掲げる流れがある。実はこの背景には、マジョリティである健常者から、障害のあるマイノリティに対する同化思想があることにプロとして気がつくべきだ。「あなたたちはみかけも機能も私たちに劣るから、私たち以上に努力して私たちの動きに近づきなさい」と言っているようなものだ。


 マヒがあるから動きが異なってくるのだから、そんなこと言うならまず「マヒを治してから言ってみろ!」と言いたくなる。


 これは学校で「形で運動を評価する」ということを主に習うことも大きく影響しているのではないか?学校では他にも機能で運動を評価することも習うのだが、なんとなくメインが「形で評価する」という流れがあるからだ。患者さんを一目見て、「やれ、緊張の分布がどうのとか、代償運動があれだから」とか言う方が格好いいということもあるに違いない。だから、形で運動を見ると、ついつい健常者と比べて「ああだ、こうだ」と言ってしまう傾向が作られるに違いない。そして形を評価するなら当然健康な若者の形との比較になり、そのズレが問題になるわけだ。


 たとえば患者さんが速く歩くようになってもあまり評価せず、「ただ歩けば良いってもんじゃないだろう!代償運動が強まってるじゃないか!」と後輩を注意する先輩達はよく見てきた。そして何をやるかというと患者さんをゆっくり歩かせて分回しなどの動きを小さくしたり、体幹の立ち直りを改善すると言って患者さんを座らせたり、横にしたりして自動運動をさせたりするのである。まるで脳性運動障害の中で、立ち直り運動だけが独立して改善するかのように考えているようだ。マヒがあって力が出ないのだから、立ち直り運動だけが独立して改善することはない。


 もちろん形で見ることも意味はあるが、しかしいい加減、運動は形だけでなく、機能や、運動システムの作動の特徴から評価できるようになるべきだ。形だけから評価していたのでは美容系の人たちと同じではないか。


 従って僕がこれから述べる「正しい歩き方」とは形からではなく、機能や作動の特徴から捉えた「正しい歩き方」であるべきである(その3へ続く)

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関東のコロナを巡る状況は停滞・・・(^^;))

目安時間:約 3分

関東のコロナを巡る状況は停滞・・・(^^;))


 関東でのコロナの感染数は下げ止まりの状態だ。一旦下がったところから少しの増減を繰り返している。そして緊急事態宣言が2週間延長されることになった。


 小池都知事が「原点に立ち返って」とテレビで言っていた。つまり手洗い、マスク、会食を避けるというこれまで続けてきたお願いを更に繰り返そうということだ。


 確かにこの解決方法で一定の効果が得られた。地方に行くとこの方法で十分に感染状況は改善したと言える。だから地方では悪い解決方法ではないのだと思う。


 だがコロナ感染のような問題は、特定の原因だけで起きているとは考えられない。つまり会食だけが原因ではなく、他の様々な要因の相互作用から生まれる状況から生まれると考えられる。


 特に一都三県は、広域に大きな人流がある地域だし、他にもいろいろと地方にはない独特の要因があるのだろう。東京を含む一都三県では、既に停滞の状況を生み出している。


 問題はシステム全体の特定の状況の中から生まれるのである。今は停滞を生み出す安定した状況の中にあると思われるので、少し状況を変化させることを考えるべきだろう。


 たとえば国立競技場にアスリートやミュージシャンを集めて、菅総理が司会を務めて様々なパフォーマンスのテレビ・ショウをやるのである。最後に「楽しんでいただけたか?今はライブで楽しめないが、みんなで感染を抑えて、今度はここに来て楽しまないか?」と涙ながらに訴えれば少しは状況が変わるのではないか?(あまり良い方法ではないか・・・(^^;))


 

 これはリハビリでも同じで、最初の頃に運動改善を生み出したからと同じアプローチを続けてもその後停滞してしまうことはよくある。更に同じアプローチを強力に繰り返しても、既に状況そのものが頑固に安定してしまっている。


 何か特定の原因、コロナの場合は「会食」を主な原因とみなし、そればかり重点的にやるのだが、そのアプローチ自体がやがて停滞という頑固な状況を生み出すことはよくあるのである。少し視点を変えて状況を変化させることを考えても良いだろう・・・というのが基本的なシステム論の状況変化のアプローチなのです。

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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その1)

目安時間:約 4分

正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その1)


 妻が買っている中高年女性向けの雑誌をたまたま手に取って見ると、ウォーキングを勧める記事があったので目を通してみる。


 ウォーキングのいろいろな効能が紹介され、「健康のために是非歩きましょう!」とあり、「うん、良いことだ」と思って読んでいると、よくあるように「正しい歩き方をしないと効果がない。イヤ、正しい歩き方をしないと却って逆効果!」みたいな展開になっている。


 僕は歩き方は人それぞれ、状況に応じても異なると思っているので、どうもこの「正しくやらないといけない」と言いながら、一律にたった一つの正解の形をモデルにしてしまうやり方があまり好きではないのだ。


 実際、どの本やテレビ番組でもそうなのだが、提示される「正しい歩き方」とは若い健常者が颯爽と歩く姿がモデルとしてイメージされる。胸を張るけど張りすぎない、自然に顎が引かれ、背が伸びても力が入り過ぎることなく、腕を大きく振って、弾むように「颯爽とした美しい若者らしさ」という印象を与える歩き方である。


 「若者の形だけを真似てどうするっ!」などとつい思ってしまう。人生に疲れた60代はすでに偏屈老人の匂いを醸してしまうが、これは性格なので仕方ない。 僕は普段から猫背だし、意識して良い姿勢で歩こうとすると、なにか手足が不自然に動いてすぐに疲れてしまい、歩くのがイヤになるのである。


 さらに若い頃のバイク事故で右膝関節内の脛骨骨折があり、一時期体重増加と運動不足がきっかけでそれなりの変形性膝関節症を持っている。明らかに浮腫が出て、歩行時に強い痛みとなることもあった。まあ徒手療法と工夫した運動を繰り返して普段は痛みはほとんど感じなくなっているが、土手の草刈りなどで慣れない体重のかけ方をするとやはり痛むことがある。今も浮腫はある。


 また若い頃からパソコンが好きで椅子座位で過ごす時間が長かった。50代の終わり頃には、2年間毎日10時間以上座っていたせいか、その後重心をかける左股関節に荷重時痛が現れた。歩行時に跛行が出るほど痛んだりする。何とかストレッチで誤魔化しながらここまで来た。


 高血圧も肥満気味の体も気にはなりながらずっと放ってきた(^^; しかし前期高齢者と言われる年齢も目前に迫ってきているのである。もう少し元気で、やりたいことを続けたい。それでいろいろと改善することを目標に、実は密かにウォーキングを計画していたのだ。それが4ヶ月前。その頃長年勤めた施設を辞めることになって、週に一度のパートタイムの仕事だけになったので、暇な時間が増える。だからそれを機に歩いてみようと思い立ったのだ。


 さて、どう歩くか?これが問題だ。一応これでも理学療法士の端くれである。同じ猫背でも、プロらしく歩きたい(^^;そして「形だけでしか見ない正しい歩き方」の流れに新風を吹き込みたい。


 このエッセイは、悪条件にも関わらず、果敢にもウォーキングに挑んだ男の記録である。(その2に続く)

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プロの運動問題解決者になれ!Be a Professional motor-problem solver!

目安時間:約 4分

プロの運動問題解決者になれ! 


Be a Professional motor-problem solver!


 僕たちの仕事は、患者さんの運動問題を解決することだ。もちろん簡単な仕事ではない。リハビリの無力さを感じることも多いし、自分では最善を尽くしたつもりでも患者さんから不満を言われることもある。「全然戻っていない」とか・・・ つい愚痴なども言いたくなるが、それでも「おかげで良くなった」などと言われると、もうこの仕事が好きで堪らなくなったりもする。


 僕たちの現場でよく見る問題解決の問題は、間違った因果関係である。


 たとえば「脊髄性失調症では、手足の随意性が低下するが、検査してみると深部知覚低下がその原因である。だからフレンケル体操で深部知覚をトレーニングすることが効果がある」といった内容である。どこがおかしいかおわかりだろうか?プロの運動問題解決者になるならこの論理の矛盾にすぐに気がつくようになる必要がある。


  哲学者の大森が用いた次のような例で説明しよう。


 イカヅチがピカッと光って、ゴロゴロという。するとイカヅチが原因でゴロゴロがその結果のように思われがちだ。しかし本当の原因は、空中での放電現象である。その結果、イカヅチがピカッと光り、ゴロゴロと鳴る。つまりどちらも結果である。結果同士の間に間違った因果の関係を想定してしまうのだ。


 同様のことが脊髄性失調症にも言える。原因は脊髄細胞が壊れたことだ。その結果、深部感覚の低下と随意性の低下が現れる。つまりどちらも結果であり、結果同士の間には因果関係は存在しない。


 これの矛盾は、「深部感覚の低下はフレンケル体操で改善できる」と考えていることだ。つまりこれの意味するところは、「フレンケル体操で壊れた脊髄細胞の機能は改善する」と言っているわけだ。でもこれは無理な話だ。


 このような因果関係の矛盾は脳性運動障害やパーキンソンなど中枢神経系の障害ではよく見られる。つまり中枢神経系の作動はまだよくわかっていないので、間違った因果関係を見てしまいがちなのだ。


 だがプロの運動問題解決者は、それがわかったからと満足するわけにはいかない。というのも間違った因果関係でのアプローチでもある条件がそろうと、不思議に状況が改善することもある。これが脳性運動障害に多様なアプローチが乱立する理由だ。


 これは何かしらのアプローチをして、状況変化の種を作り、これにある拘束条件がそろうと良い状況変化が起こると解釈できる。もちろん同じアプローチをしても、負の拘束条件が揃うと却って悪い状況にもなる。これが人の運動システムの作動の不思議さでもある。人の運動システムの作動にはある性質があり、そのためにそのようなことが起こるのだ。


 簡単に言えばプロの運動問題解決者になるには、問題解決の方法について学ばなければならないし、更に運動システムの作動の性質についても詳しく学ぶ必要がある。そうして初めて効果的にアプローチを行うことができるようになるのである。


 そしてもうじきネット上でのCAMRの勉強会が始まります。


 【プロの運動問題解決者になろう!】 近・日・公・開!乞うご期待!!

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プロの運動問題解決者Professional motor-problem solverになろう!

目安時間:約 4分

プロの運動問題解決者Professional motor-problem solverになろう!


  -プロの運動問題解決者になるためには


 僕たちセラピストはプロの運動問題解決者である。他人の運動問題を解決することを生業(なりわい)にしている。僕たちの仕事の場合、根本的な解決は無理であることが多いが、それでもその問題がより軽くなるよう、より良い状態になるような問題解決を目指すことが必要である。


 そのために必要なのが問題解決の手段である。少なくとも二つが問題解決の手段としてよく知られているが、それらの長所・短所の理解は必要である。


 学校では要素還元論を基にした問題解決方法を習う。これは問題が起こると、その問題の原因を探る方法だ。運動問題なら、運動の構成要素、つまり筋力・可動域・感覚・バランスなどと要素毎や部位毎に分けて どこに原因があるのか探る。次にその原因と問題との間に因果の関係を想定する。そしてその原因にアプローチするのだ。しかしこの方法は非常に有用ではあるが、万能ではない。


 たとえば脳性運動障害では脳細胞が壊れることが原因だが、今のところリハビリで脳細胞やその機能を再生することはできない。つまり原因がわかったからといって解決できるわけではない。


 また慢性痛のように様々な要素が関係し合って問題が形成されていると、一つの原因だけにアプローチしても大きな変化は起きない。問題はその一つの要素だけでなく他の要素も影響し合って生まれているからだ。


 だからプロの運動問題解決者としては、他の問題解決方法も身に付けて、状況に応じて使い分けるのが良い。


 CAMRで勧めているのは、システム論を基にした状況変化アプローチである。問題が起こる状況を変化させて少しでも良い状況を作り出すことを考えるのである。CAMRには状況を変化させるための理論と技術がある。視点を全く変えることで意外な解決方法を生み出したり、今、この場でできる事をできるだけ沢山見つけてそれを積み重ねていったりする。マヒや認知症は治せなくても、状況変化は必ず起こせるのである。


 こうしてセラピストとして2種類の問題解決手段を持つことになる。学校で習った原因を探して原因にアプローチする方法と状況を理解して状況を変化させるアプローチである。どちらの方法にも長所と短所があるので、それを熟知して、状況に応じて適切に使い分けられるようになればプロの問題解決者としての力量はそれまでとは比べものにならないくらいアップするだろう。


 CAMRでは、ようやく、ようやくネット上での情報提供の準備が整ってきました(^^;近・日・公・開!乞うご期待!!

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私はまだ習っておりません!

目安時間:約 5分

私はまだ習っておりません! -問題解決を巡るいろいろの問題


 ある新人セラピストが、「私はまだ習っておりません!」といって仕事を引き受けようとしなかったことがある。


 「習ったことがない」というのはその通りだと思う。人生は習っていない問題に次々と直面するのが普通だ。絶対大丈夫と思って告白したのに失恋したり、ソフトクリームを他人のおろしたてのスーツに押しつけてしまったり、路上で美女の詐欺に遭ったり、人には言えない場所に痛みが出たり、これは絶対安いと思って勝負に出たら役満でロンされたり・・・などと未知の問題、想定外の問題はいつもいつも起こってくるものである。


 だが、それが人生だ。「習っていない」と言って済ましている場合ではない。人生は常にその場その場で未知の問題にも柔軟に対応していかなければならないのだ。


 自分で解決法を考えることはできなくても、誰かに助けて貰ったり、アドバイスを貰うことはできる。上記のようなのは「習っていない」とその問題から逃げ出しているのだろう。それはこの人なりの慣れ親しんだ問題解決方法なのだと思う。とりわけ困難な問題からはすぐに逃げ出してしまうのだろう。


 しかしセラピストの仕事は基本、他人の運動問題を解決することだ。ブロの運動問題解決者だ。それなのに『習っていません』とか『この患者はやる気がないからしかたない』とか『認知症がひどくて・・・』とか、そんな言い訳ばかりで自分がその問題から逃げるという解決法ばかりを選んでいては仕事にならない。 まあ、無理はないとは思うのだ。解決困難の問題から逃げ出したくなるのは自然のことだし、問題解決というのは、策もなく無理して突っ込んでいくと新たな問題を生み出してややこしくなるものだ。最後は「こんな仕事、辞めてしまいたい」ということになってしまうかもしれない。だから逃げてしまうという選択肢も時には必要なのかもしれないが・・・


 ともかく他の解決方法も試みてほしいものだし、先輩や回りの人たちも別の選択肢に目を向けるような援助が必要だろう。


 また問題解決を巡る問題にはもっとシビアなのもある。たとえば「脳卒中の方に健常な運動を学習してもらい、マヒを治して貰おう」などというアプローチである。これは「理想主義者の解決方法(ユートピアン・ソリューション)」と呼ばれる。実現不可能な目標を持ってしまうからだ。実際、未だにマヒが治ったという例は聞いたことがないし、現時点でも実現不可能な目標である。


 しかし「諦めたらそこでおしまいだ。ダメなんだ!諦めずに続けていくことが大事だ。続けていればいつか夢は叶うんだ」という思考方法はいつの時代も多くの人の心をつかんで離さない。だから何年も何十年も変化なく、同じことを繰り返している患者さんとセラピストのペアを見ることもある。また多くの若いセラピストがユートピアン・ソリューションに惹かれて、ユートピアンになっていく。まあ、それはそれで人生の問題解決の選択肢の一種なのだが、あまり良いことではないと思う。


 結局、何が言いたいのかというと「セラピストは問題解決が生業(なりわい)であるし、もっと問題解決方法とそれらの分類、特徴についてよく知らないといけない」ということだ。自分が問題から逃げ出すタイプか、ユートピアン・ソリューションを持ちやすいタイプか、他人に頼ってしまいがちなタイプか、とりあえず「その場で自分にできる事をやってみる」タイプか、などである。


 そして僕のようなずぼらで不器用な人間でもなんとかそれなりの問題解決をして、ずっと続けられる方法もある。いつもすべて上手くいくわけではないけどね。それでもこれまで試した中では良い方法だと思う。それがCAMRの「状況変化のアプローチ」で、これを知ってからは、仕事がなんとなく面白くなったので、今は人に勧めているわけです(^^)v(終わり)

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リハビリのファーストフード化について考える

目安時間:約 5分

リハビリのファースト・フード化について考える


 世の中全体がスピードと効率に価値を求めているのだろう。無駄を避けるマニュアルと商品のメニュー化によってファースト・フード店はスピードと効率を達成するための代表的なシステムの1つに違いない。


 それが良いとか悪いとか言うつもりは全くない。食事を摂るという行為の選択に多様性があるのである。手早く済ませたい状況もあれば、ゆっくりと味わいたい時もある。単に腹を満たしたい人もいれば、食事そのものを味わいたい人もいる。それぞれの立場、状況と必要に応じて各人が使い分ければ良いことである。ただ社会全体としては、スピードと効率は求められる傾向にある。


 もちろんこのスピード化と効率化はリハビリ分野でも求められている。一番大きな理由は経済的なものだろう。1つは医療費の節約であり、もう一つはリハビリ期間を短くして早く社会復帰・家庭復帰を促す、つまり時間の節約の必要があるからだ。社会にとっても個人にとっても重要なところだ。つまりリハビリも効率を考えれば、ファースト・フード店のシステムを真似てマニュアル化・メニュー化して行くのは自然である。


 ただリハビリの価値は多様化せずに、このスピード化・効率化だけに向かうだろう。「リハビリを楽しもう」とか「リハビリによって新しい人生の意味を生み出そう」などという価値観は社会には不要であり、これからもリハビリにはひたすらスピード化、効率化が求められるだろう。


 こうして「このときはこれをする」、「この場合はこれをしてはいけない」などとマニュアルに従って仕事をする傾向が強まる。現在もそうだろう。誰かの作ったリハビリメニューに従って仕事を進めていく。こうなると目の前の患者さんを流れ作業的にこなしていくことになる。もちろんマニュアルとメニューの内容がある程度しっかりしていれば、そこそこのリハビリ成果を均一に生み出すことになる。


 従ってセラピストがファーストフードの店員化していくのは避けられないだろう。つまりファーストフード店の店員は優れた接客の技術とそつのない振る舞いを発達させるが、使っているマニュアルやメニューの妥当性を判断し、よりすぐれた改善ができるようにするのは難しいだろう。セラピストもそのような現場での必要な技術のみを発達させるようになり、創造性は脇に置かれることになる。


 人は様々な経験を積むことで生活や仕事、問題解決、状況判断のスキルが発達するのだと思う。マニュアル化やメニュー化された単調で均一な流れ作業的な仕事の経験を繰り返していては、セラピスト一人一人が問題解決のスキルや技術を発達させるのは難しい。


 そうなるとスピード化と効率化を目指しつつも、患者一人一人の問題に耳を傾け、患者一人一人に適した解決方法を生み出すような仕組みを作って、その成果を広く現場にフィードバックしていくようなシステムも必要になってくるだろう。つまり企業の商品開発部のようなシステムである。企業の命運はその部署の成果にかかっている。リハビリもそんな時代になるのではないか。リハビリの場合は大学などの研究機関がそんな役割を果たすのだろうか?(僕は臨床に関わる人間がやった方が良いとは思う・・・)


 というのも現在セラピストは大量に生まれるようになった。個人個人が総合的なリハビリ能力を備える時代は終わったのではないか。現場では接客と適切な治療技術、臨機応変の能力が求められる。一方、開発部ではより創造力を求められるようなメニュー開発が行われ、現場にフィードバックされる。そんな社会全体のシステムとしてリハビリを考える時代になったのだと思う。


 それでもまあ、CAMRは未だに個人の問題解決能力の改善に焦点を当てているし、これからもそのつもり(^^;だって現場で個別のメニューを考える人間は絶対に必要だもの。いつだって想定されていない問題、未知の問題は起きてくるものだから(終わり)

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