知覚システムについて考える(その1)

目安時間:約 4分

知覚システムについて考える(その1)


 学校では感覚系は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などとモダリティ毎に独立した感じで習ったと思います。


 しかしアフォーダンスを提案した生態心理学のギブソンはそれぞれの感覚は独立したものではなく、それぞれが互いに緊密に結びついていて一つの知覚システムとして理解するべきだと言っています。


 たとえばベルンシュタインがわかりやすい例を挙げていて、人の眼球を動かない様にすると、見ている対象の次元、大きさ、形や対象までの距離などもわからなくなるそうです。つまり対象を網膜の中心に据えたり、焦点を合わせたり、輪郭をなぞる眼球周囲の筋群の活動に伴う筋感覚も見えの知覚に参加して、これによって形や大きさや対象までの距離などがわかるのだと言うのです。


 つまり見るにしても聞くにしても触る、味わうなどにしても常に全身の筋群でそれを行っているわけです。機械の様に気温は温度センサー、見えは光学センサーなどと単独に情報を得ているわけではないのです。


 人は様々な感覚を同時に使っていろいろなものを理解しています。まあ、赤ちゃんを見ていると、見たものに手を伸ばして触って舐めて、いろいろな感覚で対象を理解していますしね。あんなイメージなのでしょうか。


 また知覚システムは、受け身ではなく能動的であるという特徴を持っています。目は単に見ているのではなく、見つめ、調べ、確認しているのです。耳も単に外界の音を流し込まれているのではなく、最も重要な音を選んで聞いているのです。


 ギブソンは、骨格とそれをつなぐ軟部組織や筋群などが一体になって構成される人の身体をボーンスペースと呼んでいます。彼の言う触覚系(筋の固有覚を含む)は、全身常に一体となって対象物を動きながら知覚し、同時に自分の体の状態も知覚しているのです。


 こうしてみると知覚システムとは、様々な感覚が緊密に連絡し合っていて単独の感覚では語れないものであり、動きながら知るシステムであり、知覚しているのは対象だけでなく同時に自分の身体のことも知るシステムであることがわかります。対象を知ることが自分の体の状態を知ることでもあり、自分の体の状態を知ることが対象を知ることでもあるのです。


 そうすると脳性運動障害後にひどい過緊張が現れることがあります。ひどい例だと全身の動きは失われ、顔は仮面様、眼球の動きも見られなくなります。となると、全身で動きながら触覚系について知るというボーンスペースが機能しなくなると思われます。つまり目は開いて見ていても、形や大きさや次元は認知できないかも・・・(その2に続く)


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西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版



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因果関係と相関関係の違い

目安時間:約 4分

因果関係と相関関係の違い


 片麻痺の臨床でよく出会う誤解は、「相関関係」と「因果関係」を混同することだ。たとえば「歩行がふらつくのは、立ち直り反応が悪いからだ」と言って、「立ち直り反応の促通」なるものをやっている。ここでは「立ち直り反応」が原因で、「歩行がふらつく」ことを結果とする因果関係を想定している。


 でもよく考えてほしい。どう考えても、原因は脳の細胞が壊れたことである。その結果として、マヒが出て、立ち直り反応が低下し、歩行がふらつくのである。マヒも立ち直り反応の低下も歩行のふらつきもどれも結果に過ぎない。つまり結果同士の間に因果の関係を想定しているのである。


 すると次の様な反論を受ける。「でも立ち直りが悪いから歩行がふらつくし、立ち直りが良いと歩行のふらつきもない。だから、立ち直りを良くするのだ」、と。


 でもこれは「マヒが軽いと立ち直りも良いし歩きも良い。マヒが重いと立ち直りも悪いし歩きも悪い」という相関関係を言っているに過ぎない。


 第一、「立ち直りを良くする」と言うが「立ち直りが悪くなったのは、脳の細胞が壊れて、マヒが起きているから」である。これが間違いなく因果の関係だ。だから立ち直りを良くするためには、脳の細胞を構造的あるいは機能的に再生して、マヒを治すしかないとなる。


 見ていると他動的に、つまり介助して立ち直り反応の形を真似させることを繰り返している。これで脳細胞の働きを機能的に再生し、歩行も良くなるという。でもこの理屈で言うなら、そのやり方で原因である脳細胞も機能的に再生して、マヒも治っている理屈になる。


 「でも、マヒは見た目変わらないようでも歩行は良くなる。つまり基のマヒも良くなっている」と反論されるが、別に介助して立ち直り反応を繰り返さなくても、歩行練習や他の動作練習を繰り返すと、人の知覚システムは使えるリソースを見つけ出し、それを有効に使う運動スキルを発達させるので、マヒのある体でも自然に安定した歩行を生み出すことは珍しいことではない。歩行が良くなったからと言って、マヒが良くなっているわけではない。


 ともかく自分の頭で考えて、理屈に合うか合わないかをよく考えてほしいのです。相関関係を因果関係のように考えてアブローチするのは間違いだと言うことを。



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セラピストは何をする人?(最終回)

目安時間:約 4分

セラピストは何をする人?(最終回)


 日本に帰ってもしばらくは教員だったので臨床に出ることはなかった。その代わり、自分の経験したことや学習したこと、考えたことを文章としてまとめることができた。論文、特に欧米の有名なシステム論の論文を何本か選んでレビューとして2本書いて雑誌に投稿したが、「科学的根拠のない考えで紹介するに値しない理論である」みたいなことを言われて2本とも拒否された。


 まあ教官時代は他にも多くの文章を書きまくった。半分近くは上田法の会誌に載ったが、他のものはほったらかしである。しかしそれらは今となっては僕の良い財産だ。


 やがて現場に戻る日が来た。その頃には自分なりの計画はできあがっていた。課題主導は間違いないが、要素訓練は必要だ。課題を通して必要な知覚学習をするにしても、患者の持っているリソースは豊富な方がより柔軟で選択肢の豊富な運動スキルの発達に導くだろう。そして現場で試行錯誤を繰り返した。


 現在では、「多要素多部位同時方略」で運動リソースを豊富にし、「課題達成スキル方略」で運動スキルを柔軟で多彩にすると言うのがCAMRの中心の二本柱になっている。


 ただその間も、「セラピストは何をする人?」という疑問は持ち続けた。


 現時点ではなんとなくこう思う。セラピストは運動のやり方を教える人でも、治らない障害を治そうとする人でも、客観的なフリをして運動変化を起こそうとする科学者でもない。


 具体的には「セラピストは、患者さんの状態を基に患者さんの必要な生活課題達成能力の改善を助ける人」だと思っている。そのためには運動システムの作動の性質を科学的にも経験的にも良く熟知することが必要だ。たとえば人の運動システムは自律的、能動的、予期的に必要な課題を達成しようとする。そして課題達成に問題が起きると自律的に問題解決を図る性質(生まれながらの自律的な運動問題解決者)であるということを理解しておく必要がある。


 人は生まれながらにずっと運動問題を一人で解決して必要な運動課題を達成しようとしているのだ。問題解決の方法もそこから自然に生まれてくる。


 そしてセラピストは外部の客観的な観察者ではなく、患者さんの運動システムの「一時的に」重要な要素として働く。セラピストがどう振る舞うかで患者さんの運動システムの振る舞いも変わってくる。そして患者さんは生まれながらの運動問題解決者であり、問題解決の主役である。セラピストはその主役を輝かせるための「通りすがり」ではあるが誠実な脇役でなければいけない・・・・


 さて、自分の凡庸ぶりを説明するだけだが、ここに至るまでものすごく時間がかかった。約30年。それでもCAMRは今動き始めた、未完成過ぎるアプローチに過ぎない。ただ将来は、人を機械のように考え、扱うアプローチよりは良いものになるだろうと確信している。そのためにもこれからの若い人たちのCAMR研究会への参加と創造活動が必要です!集え!Young CAMRer!(カムラー:CAMRを実施する人)) v(^^)(終わり)



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セラピストは何をする人?(その4)

目安時間:約 4分

セラピストは何をする人?(その4)


 初めて僕が見学させて貰ったのは元優秀な学生で、今も優秀なセラピストだと評判の女性セラピストだったが、患者さんに課題を指示したあと、隣のガラス張りのオフィスに座り、コーヒーを飲みながら患者さんを観察していた。


 でもまあ、科学を基に実施すると言うことはそういうことなんだろうかと思いもした。彼女が優秀なのは、適切な観察で適切な運動課題と実施条件を考えだし、良いタイミングで提供できるところにあるのだろう。教授の評価はまさしくそれだった。


 また最初、会話が理解できないためかなり時間がかかったが、何度もいろいろなところで見学しているうちに、セラピストとして患者あるいは患者の運動システムにあまり関わらないようにしているのではないか、ということがわかってきた。最小限の関わりで、患者さんに対するセラビストのインパクトを小さくし、患者さんへの影響(セラビストへの過度の依存や過剰な信頼?)を抑え、患者自身の自主自立の態度を発達させるというか・・・


 「イヤ、違うんだなー!それだと動物の行動を変容させようとする実験心理学者みたいじゃないか?俺の憧れたセラピストはそんなんじゃないんだなー!」というのが次第に僕の感想となった。


 「このセラピストの態度はどうしたって、神の視点じゃないか。自分はその場から離れて、客観的な立場で患者を観察し、患者に気がつかれないように影響を与えようとしている。『自分は客観的な存在だ』というフリをしているのだ! でもどうしたって、セラピストは患者さんの運動システムの一部になっちゃう。影響を与えちゃう。となりの部屋のガラス越しに自分のことを観察する他人はとても気になるものだ。それが現場だ。それがシステム論だ。それなのに臨床場面を実験室のようにしようとしている。そこはもう開き直って、その影響を最小にするよりは、患者に対するセラピストの役割を明確にした方が良いんじゃないか?」


 今思うと、僕を招いてくれた教授とその周辺の人たちの狭い間での方針だったのかもしれない。僕は結局教授の教え子達の働くシカゴの中心部周辺のクリニックしか回っていないので、課題主導型アプローチの様子はそこしか知らなかったのだ。


 ただそういう現場を見たことは僕にとっては有益だった。自分がどんなセラピストを目指しているかがほんの少しだが明らかになってきたからだ。(最終回に続く)


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セラピストは何をする人?(その3)

目安時間:約 5分

セラピストは何をする人?(その3)


 システム論を教えてくれたのは、上田法の上田先生だ。直接会うとハチャメチャなことを言ったりされるが、一方で文章はどれを読んでも実にしっかりと考え込まれている。型破りで魅力的な人だった。


 それから時間はかかったが少しずつシステム論の勉強を進める。まず人の運動システムは、構造も作動も機械とはまるっきり異なっているということがわかる。人の体はプログラムの様なものではコントロールできない、しているはずがない。そして健常者相手でも運動の方法を他人が教えることはできないらしい。世間でセラピストが運動の方法と思って指導しているのは実は課題の提示である、なぜなら誰も運動の方法は教えられない。また同じように見えても運動方法は各人各様で同じではない。さらに一時的な変化と持続的な変化は違う。運動発達における脳の階層説や成熟説も間違いではないか、エトセトラ、エトセトラ・・・


 まるで今まで習ってきたことと概ね反対のことばかりではないか!


 ではどうすれば良いのか?アメリカではシステム論を基にした「課題主導型アプローチ」なるものが生まれていると上田先生から教えてもらう。その頃母校の教官になった僕は、幸い厚生省の海外留学の制度を使ってシカゴのイリノイ大学に1年間留学させて貰うことになった。


 だが実際留学はしてみたものの、英会話の理解力が乏しい僕は、現場でますます混乱してしまう。


 現場で見せて貰った課題主導型アプローチは「なーんだ、こんなものか」というくらいある意味、シンプルだった。セラピストは運動課題を指示して、座って見ているだけ。患者さんだけが一人で一生懸命運動している。特に要素的な改善(筋力や可動域の改善など)を目指す訓練はまるっきり行われていなかった。(1991年当時。この当時特にハンド・セラピーは科学的根拠がないと非難されていた。現在の様子は知らない)


 セラピストは患者の状態を調べ、必要な課題を考え、話し合い、それを指示する。そして運動の状況を見て次の適切な課題と実施条件を考え、指示する。他人が感覚入力するのではなく、自ら必要な運動課題を実践して必要な知覚学習を進めるという理屈だ。課題達成のために必要な知覚学習は、その課題を通してしか得られないからだ。(知覚学習は従来言ってきた運動の感覚学習とは全く異なる。ギブソンらの言う知覚システムではモダリティ毎に感覚を分けたりしないし、いや、そもそも従来の感覚の考え方とは根本的に異なる)


 「人の運動システムの作動の性質に精通し、それを基に提案する課題を通して、そこでしか得られない知覚学習をして課題達成の能力が改善する」ということだ。確かにその通りだと思う。が、何かしっくりとこない。理屈はそうなんだけどな・・・・ そのうちに気がついた。日本では「他人の体を他動的に動かして感覚入力をしているセラピスト」に人の体を機械のように扱う冷たさを感じた。しかしアメリカでは、セラピストが見ているのは運動システムとその性質であり、自ら能動的に動いて課題達成の知覚学習を進める患者の変化を客観的に観察・コントロールしようとする科学者のような姿だった。(その4に続く)



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セラピストは何をする人?(その2)

目安時間:約 5分

セラピストは何をする人?(その2)


 それらのボバースに対する批判を読むうちに何が問題かということがわかってきた。「セラピストが他動的に患者さんの体を動かし、その動きの感覚入力が脳に蓄えられてやがて自律的に患者さんが動き出す」と仮定している点である。どうも他人が身体を動かした感覚経験が本人の自律的に動き出す基になるとは思えない。どこまでやっても他人からの感覚入力の学習に過ぎない。


 それとは別に僕も以前から疑問に思っていたことがある。それは簡単な運動でも何度も何度も繰り返して、神経の結びつきを強くしないといけないと言う考え方。それに加えて、間違った運動は憶えやすく、一度憶えたらもう修正は難しい。それ以降正しい運動は学習できないので、間違った運動を覚えないようにしないといけないという考え方。(当時はそんな考え方をいろんな講習会で頻繁に聞いた。現状は知らない)


 本当だろうか?簡単な運動でさえ、何千回、何万回も繰り返さないと覚えないような低性能な脳なら、とっくに人類は生存競争に負けて滅びているのではないか。おまけに人の運動システムはレコードのように一度ブログラムを書き込むともう書き換えができないというのだ。しかも悪い運動は簡単に憶えるという。そんな理屈の通らない、柔軟性に欠ける脳では状況変化に対応できないだろう。


 本を読むと、元々西欧社会にはデカルト以来の人間機械論という思想があって、思考の根底に「人は自然(神)が生んだ機械」という前提があると言う。なるほど、他人が動かして感覚入力をするなどはまさしく患者を機械として扱っているようだ。脳をコンピュータに喩えていて、コンピュータは自ら学べないので、人が教えているというイメージだ。そして脳の中にプログラムが運動をコントロールするロボットのようだ。更に時には脳をレコードのように考えたりもする・・・他にもいろいろと矛盾点が見つかってくる。


 考えてみれば学校で習った人の体も機械として習っている。筋肉は力を生み出す装置。骨・関節・靱帯は力に支持と方向を与える装置。呼吸循環消化器系はエネルギー供給の装置など。もし運動に問題が起きれば、どの部位、どの要素に問題があるかを見つけ、それを治すというのは、機械の修理と同じ考え方だ。


 人の体を機械の構造と作動に喩えても良いものなのか?脳性運動障害では脳が壊れているから、脳を治そうとしているようだが、脳はコンピュータとはまるっきり違ったものではないか? まあ、「脳の機能を改善する」という方向性はありかもしれないが、その方法論は今のところ間違っているように思う。そして実効性のある方法が見つかっていない、あるいは実際にはりリハビリでそれをするというのは無理な話なのかもしれない。


 最初は健常者の運動を教えようとして、それは無理なことだとわかる。根本的に元の障害を治さないと教えることなどできないからだ。だからまずマヒを治そうとしたが、これも無理だ。ではどうすれば良いのか?セラビストは何をすれば良いのか? その段階でセラピストになってすでに6年が経っていた。そんな時システム論に出会った。(その3に続く)


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セラピストは何をする人?(その1)

目安時間:約 4分

セラピストは何をする人?(その1)


 セラピストの役割は運動のやり方を教えることだ、指導することだと考えているセラビストは多い。


 そして起立なら、患者さんに「脚を後ろに引いて、頭を下げて棒を引っ張りながらお尻を挙げる」方法を指導する。もし出来ないと何度もこのやり方を繰り返す。


 上手くいかないときは「感覚を覚えさせるため」とズボンの後ろを持って引き上げ、介助で起立を行う。ひどい奴は、「頭を下げて!」と言いながら後ろから頭を下に押しつけ、お尻を持ち上げて「こうやるんですよ!」などと言っている。そして「もう一回!」とセラピストが正しいと思うやり方を繰り返し練習させる・・・・どうなんだろう、と思っていた。それで上手く行くこともあるが、上手くいかない患者さんではとことん上手くいかない。特に脳性運動障害では難しいことに何度も出会う。


 でもまあ、実際僕も若い頃は、セラピストの仕事は運動のやり方を教えることだと思っていたので、そんなことをやっていた。


 が、そのうちに違うのではないかと思うようになった。


 きっかけはある片麻痺のおじいちゃんで、分回し歩行をしながら歩いておられた。僕は何か指導しないと行けないと思い「脚をまっすぐに出して」と繰り返し言っていたのだが、そのうちにおじいちゃんはムッとして、「そがに偉そうに言うんなら、まずこの脚を治してみいや!治してくれたらおまえの言う通りにやっちゃるわい!治せもせんくせに、偉そうに言うな!」と一喝されてしまった。


  僕は頭の中が真っ白になった。ものすごいショックだった。言われてみれば「確かに!間違いない。マヒも治せない人間が、偉そうに無理な運動を強いただけ・・・では、どうしたら良いのだ」と思うようになった。


 若い頃はまだボバース全盛で、近隣でも再々そのアプローチの講習会が開かれていた。ボバースは中枢神経系に働きかけて、その機能を治すという。つまりマヒを治すということではないか!それでマヒを治せば、あのおじいちゃんも文句はあるまい!それで何度も習いに行ってみたが、どうもわからない。一時的な変化は見られるが、それ以上のことはない。毎日同じ変化を繰り返す。


 講習会で偉いインストラクターに聞くと、「一時的な変化でも繰り返すと持続的な変化に変わる」と言われて更に頑張ってみる・・・この頃の流行(はやり)は、変化がない場合は「自分の技術が未熟だから・・・」と自分を責めるのが一般的だったので、僕もそれなりに悩んだ。


 このままではダメだと思い、本格的に講習のコースを電話で申し込むが、二年待ちだと言われる。それでも申し込もうとしたが、今この長い待ち状態で申し込まれても困る、みたいなことを言われてその場は断念。対応した人の横柄な態度にも腹が立った(^^; ただその頃、ボバースをやっている友人から「まあ、やっていることで変化は起こせるが、マヒを治しているわけじゃない」という意見を聞いたりもする。その後ボバース批判を言う人が何人も出てきて・・・(その2に続く)



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俺のウォーキング:理学療法士らしく(最終回)

目安時間:約 5分

俺のウォーキング:理学療法士らしく(最終回)


 前回デュエルは偶然を待つしかないと書いたが、実は翌日、俺は公園の裏の脇道でひっそりと白い狩人が現れるのを待ったのである。勝負が待ちきれなかったので仕方ない。そしていよいよいつもの時間帯にやはり白い狩人は現れて歩き始めた。俺は一つ深呼吸をしてからその後を追った。灰色のオオカミ、出陣!である。


 追いつき、追い越すのは思ったより苦労した。急に体が重くなったように感じた。「挑戦するのはまだ早かったか?」と一瞬後悔したが、もうやるしかなかった。デュエルロードに入って700メートル辺りでやっと追い越した。すぐ後ろに白い狩人の力強い足音が聞こえる。すぐに追い越されると思ったが、ずっとすぐ後ろをついてくる。これはこれでとても大きなプレッシャーだ。「俺が疲れるのを待っているのか・・」と思った。「ふふふ、いつでも追い越してやるぜ!」という白い狩人の心の声が聞こえる・・・


 「あと2キロ以上歩かなくてはならぬ・・・」と思う。脚が地に着かぬ。手と脚の動きがバラバラになるように感じる。このままバランスを崩してこけるのではないか、と思った。


 一度もあとを振り返ることなく折り返し地点手前まで来た。ここは少しきつめの上り坂になっている。息が切れてきた。が、そこで変化が起きた。白い狩人の足音が急に遠のき始めたのだ。折り返し点で向きを変えると、すでに白い狩人との間には差がつき始めていた・・・折り返して、お互いに見ないフリですれ違った・・・・


 意外にもあっさりと勝ってしまったし、その後ももう負けることはなかった。 今では挨拶や話をする仲になった。よく白い狩人から話かけてくる。「初めて会ったときは両手をポケットに突っ込んで、猫背で歩いとったが、すぐにしゃんと速う歩くようになったのう。やっぱり若いのう」


 そうなのだ。俺自身も気づいていた。前シリーズで散々、若者の形で颯爽と歩くことにケチをつけた俺だが、いつの間にか俺なりに「胸を張って両手を大きく振り、弾むように颯爽と歩く若者の歩き方」で歩くようになっている。イヤ、あんなことを書いてごめんなさい。俺が悪かった。


 最初、歩幅が広がらずに悩んだが、色々試すと両手に軽く力を帯びて、大きく振ると歩幅も速度も自然に上がった。体幹の振動に合わせて、四肢の振動が協調されると歩幅は広く、歩きは速くなるらしい。


 「速く歩くという課題」が俺の運動システムに自然にその形を生んだのだ。アメリカでの主流のアプローチの一つ、「課題主導型アプローチ」である。課題を中心に運動が自己組織化される、ということを自ら実感することができた。


 今では股関節の痛みはほとんど消えている。2ー3時間座りっぱなしでも痛むことはない。驚いたのは膝関節のむくみが減ったことだ。以前は見えなかった膝蓋骨の形がはっきり見えるようになっている。血圧は上が130位になってきた。たまに140になるが以前のようにいつも150ということはなくなった。そしてなんと腹回りは目に見えて減少してきた。ただ残念ながら体重はほとんど変化していない。(どゆこと?)これからも持続可能なウォーキングを目指すつもりである。 そして、俺、灰色のオオカミはいつ、誰の挑戦でも受ける!(^^;(終わり)♯持続可能な社会のために今、この場でできる事を考えてみよう!


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俺のウォーキング:理学療法士らしく(その5)

目安時間:約 4分

俺のウォーキング:理学療法士らしく(その5)


 さて、俺、通称「灰色のオオカミ」は3週間の間、一人で牙を磨いた。意外に計画は順調に進んだ。ゆっくりと歩幅をひろげながら歩く練習をした。色々試すとやはり両手に軽く力を帯びて、大きく振ると歩幅も自然に広がった。俺は別に若者の颯爽とした歩行の形を目指したわけではないが、速く歩こうとすると自然にその形になるのだから仕方ない。


 また競歩選手は、歩隔が狭いイメージがある。まるで直線上を歩いているようだ。だから俺も歩隔を狭くして歩くように努めた。重心移動が小さくなって速くなるかもと思ったので、まねをして肘を曲げて身体に付け、お尻を振りながら歩いてみたがすぐに疲れてしまった止めてしまった。しばらくは歩隔を狭くするよう努力だけしようと思った。


 3週間の間に、頑張って歩いても息切れもしなくなってきている。始めた時は1キロ12分40秒台だったが、この段階で10分30秒まで上がっていた。やはり歩幅を広くしたのは正解だった。なんだか自分が速くなって無敵の感じもした。 しかも嬉しいことに速度は上がっているのに痛みは出ていない。むしろ膝がしっかりと大地を捉える感覚がはっきりしてきて以前よりは良い感じである。


 デュエル・ロードは片道1.5キロの往復である。片側一車線対抗の道だが、両側には幅3メートル以上のきれいな歩道が整備してある。道はなだらかな丘陵を波打ちながら、ため池や丘の間を流れていく。美しい自然を愛でながら歩くには良いところである。


 俺は再び決戦の地に臨んだ。久しぶりだが、3週間前とは大いに違っている。脚が軽い。


 しかし残念ながら戦いは偶然に任せるしかないのである。まさか公然とデュエルを挑むわけにはいかない。「やあ、俺とデュエルしようぜ!」なんて、恥ずかしいではないか。たまたまデュエル・ロードでの出発時間が近いときだけに偶然、自然に始まるのがデュエルである。その日は白い狩人が俺より少し早くに歩いていたため、俺とは途中ですれ違っただけに終わる。


 遠くから見たとき、白い狩人は胸を張って腕を大きく振って歩いていた。以外に颯爽と歩いている。あのときはたまたまのんびりしていたのだろう。近づきながら俺のことを意識しているのだろう、腕をより大きく速く振ってくる。俺も負けじと速く大きく振った。俺が意外に速く歩いているものだから、焦っているに違いない、と思った。


 すれ違った後、大きく息をついた。力が入りすぎてそれだけで疲れてしまったのだ。白い狩人もきっと、今頃息を弾ませているに違いない、と思った。


 そして実際にデュエルが始まったのはその翌日のことであった。果たして結果や如何に?(その6へ続く)♯持続可能な社会のために今、この場でできる事を考えてみよう!

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俺のウォーキング:理学療法士らしく(その4)

目安時間:約 5分

俺のウォーキング:理学療法士らしく(その4)


 俺のウォーキングの目的は、痛みを予防・改善しながら、身体リソースを豊富にし、痛みが起きない歩行で健康をアップさせることであった。しかし、現実の世界ではしばしば目的の達成を邪魔してくるものがあるのである。


 「俺のウォーキング」においてそれは「デュエル」であった。俺がそれに最初気がついたのは歩き始めて3日目だった。毎日同じ時間に歩いているのだが、いつも決まった5-6組の人たちが歩いている。その中に白髪の70代前半と思われる男性がいる。3日目のこと、その男性が前をゆっくりと歩いているので追い越したのだが、その後すぐに抜き返されたのである。俺は少し脚を速めて抜き返そうと思ったが、むしろ距離はどんどん離されていく・・・結局「デュエル・ロード」とその後に呼ぶことになった道路の端にたどり着いてしまった。彼はそこにある公園に小休止という風に立ち止まる。素知らぬ顔で僕の方を見ようともしない。しかし、明らかに勝ち誇っているのである。


 俺は汗をかき、息を乱していた。結構真剣に歩いたのだ。だが早く歩けないし、体力もない。白髪の年上の男性は明らかに息も乱していない。涼しい顔である。


 もちろんなんと言うことはない。少し悔しかったので早足で追い抜き返そうと思ったのだ。ただそれだけである。が、これがなぜか抜けない・・


 そもそもが俺のウォーキングの目的は「痛みが出ないように」であるから、デュエルなどはもってのほかである。無理をすれば痛みが出るものだ。だから「俺は抑えながら歩いているから、遅いのが当たり前である」と努めて冷静に考える・・・


 しかし、その後、なんと一週間の間に、3回も追い越され、突き放されてしまった。そして公園で立ち止まり、素知らぬ顔で「ふふん!」とやっているのである。まるで俺が歩き始めるのを隠れて待っていて、後から追い抜くことを計画しているのではないか?と思わせる。


 もちろんなんと言うことはない。歩行時にはナイキの提供しているランニング・ソフトを利用しているのだが、開始時の俺の1キロ当たりの時間は12分40秒以上もかかっている。元々速く歩くつもりはなかったのでのんびりと景色を楽しみながら歩くつもりだった。だから遅いのだ!と思うのだが、やはり悔しい。「今に見ておれ!」などという言葉が自然に湧き上がってくるのだから仕方ない(^^; 俺は彼に尊敬の念を込めて「白い狩人」という通り名を捧げた。白髪でいつも俺を後から追ってくるからだ。


 早速家に帰ってプログラムを考え直した。開始前の体幹のストレッチと下肢のリリースを念入りにすることにした。また歩行時に「歩幅を少しずつ広くする」という課題を取り入れることにした。元々痛みを避けるために人より歩幅が小さいのだ。俺は家の近くのガードレールで色々試す。このガードレールの三本の柱の間を普通に歩くと9歩強で歩くのだが、まずこれを8歩で歩くという課題とした。ただいきなり速度を上げた歩行でこれを試してみると、膝に軽い痛みのような微妙な違和感が生じる。先々では痛みになりそうだ・・・ゆっくりと慣らさなくてはならぬ。


 そこでしばらくデュエル・ロードを歩くのを止めた。他の道路で自分のペースで牙を磨くことにしたのである。そして俺の通り名は「白い狩人」に対抗して「灰色のオオカミ」とした(^^;(灰色は頭の色からとった)


 そして「白い狩人」との決戦は3週間後と定めた!3週間あれば筋力・体力などの身体リソースも改善し、安定しているだろう。さて、勝敗はいかに!?(その5へ続く)♯持続可能な社会のために今、この場でできる事を考えてみよう!

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