感動の運動スキル!(その7)(第185週目)

目安時間:約 6分

感動の運動スキル!(その7)(第185週目)


 今回は運動スキルの訓練、あるいは運動スキル学習について考えてみたい。 


 医療的リハビリテーションはもともと整形疾患などの分野で始まったものだ。 だから伝統的に筋力や柔軟性、痛みを改善したりすることが主に行われてきた。つまり身体リソースの改善がメインである。


 と言うのも整形疾患では傷害は局所的であり、一時的であることが多い。早い話、たとえば右下腿骨を骨折しても、左下肢、体幹、上肢には何の問題もない。失われる運動スキルが少ないのである。もちろん免荷期に歩く場合、新たに松葉杖を使った歩行スキルを学ばないといけないが、他の身体部位が健康であれば、最初にコツだけを伝えて、しばらく一緒に歩いていれば使いこなせるようになることが多い。


 トイレでのズボンの更衣動作も片脚立位で行ったりしなければならないが、独りで手すりや壁などを使って何度かやるうちにすぐにできて、熟練してくる。


 つまり運動スキル学習については、実際にやってみるだけで特に問題なく行われるのである。だから運動スキルについてはあまり考える必要はないのである。しかも骨折であればやがて治癒してくるので、いつのまにか健康なときの運動スキルが復活するわけだ。


 だから伝統的な医療的リハビリテーションには運動スキルの考え方はあまり見られなかった。


 もちろん後に不安定ボードなどを利用した体の使い方、つまり運動スキルトレーニングは行われるようになる。特に筋力低下があったり、可動域低下が部分的に残っていたりすると、歩いたりするうちに痛みが生じたりするのでそのような運動スキルトレーニングの必要性があるのだが、多くの場合筋力や可動域の改善に伴い、さらに日常生活の中で多様に使われるうちに元の運動スキルが復活してめでたし、めでたし・・・ということも多いのである。


 しかしリハビリが脳性運動障害などを対象にすると状況が変わってくる。たとえば脳卒中後の片麻痺では、半身が麻痺するなど障害は広範囲になる。つまり健康時にできた様々な生活課題達成のための運動スキルはほとんど失われてしまう。しかもこの麻痺はずっと継続するのである。


 こうなると患者さんの生活課題達成力を改善するためには、新たに利用可能な運動リソースを探し、半身麻痺のある体で生活課題を達成するための新たな運動スキルを探し、試行錯誤し、熟練して身につける必要が出てくる。ちょうどこの第一話で筋ジスの子どもたちが、筋力低下に連れて骨靱帯の制限を利用した独特の歩行方法を編み出したように、である。


 歴史的に見ると脳性運動障害に対しては、日本では半世紀以上前から「正常化の運動学習」を売りにするアプローチが大きな影響力を持っていた。実際、僕も若い頃には「これが実現すればどんなに素晴らしいことか!」と思ったものだ。しかし、半世紀以上経っても麻痺は治ることはなかった。そこでスローガンは「正常に近づける」のように変化しているようだが、飽くまでも健常者の運動スキルに近づけることにこだわっているようだ。


 健常者は豊富な筋力、柔軟性、身体と環境とその相互作用に関する知覚情報量などの莫大な運動リソースを背景に、柔軟で多彩な運動スキルを発展させているのだ。それを半身麻痺によって貧弱になった運動リソースで、健常者の運動に近づける、という発想がそもそもいかがなものか。手段がないのに目標だけを掲げているように見える。


 また筋ジスの子どもたちのところでも述べたが、運動スキルを生み出すのは行為者本人である。運動スキル学習とは、行為者本人が利用可能な運動リソースを発見し、様々に試行錯誤して、達成可能な運動スキルを発見し、熟練する過程である。


 それを人の体を機械、脳はコンピュータと誤解して、他者が他動的な運動感覚によって運動学習させるなどは方法がまったく目的に適っていない。


 だからセラピストは運動スキル学習の過程をよく理解して、どのようなアプローチをするかを計画し、準備しておく必要がある。次回はそれについて考えてみよう。(その8に続く)


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感動の運動スキル!(その6)(第184週目)

目安時間:約 6分

感動の運動スキル!(その6)(第184週目)


 前回ベルンシュタインの協応構造と予期的知覚情報の利用スキルのアイデアを紹介した。


 今回はこれらについてもう少し検討してみたい。


 まず協応構造である。協応構造は脳の中に刻み込まれたプログラムの様に決まった形ではないだろう。


 協応構造を形作る筋力や柔軟性は周りの温度や痛み、ストレスなどにもよって変化する。つまり協応構造自体も様々な影響を受けてその状態は動揺するものである。


 たとえば私達の歩行時の協応構造も刻々と変化する。朝起きた時は一晩中あまり動かなかったせいで体が硬くなっていて、足裏が床を擦ったりする。私達はただちにこの状態変化に合わせて歩くわけだ。若い人にはわかりづらい例かもしれない。僕のような前期高齢者になると非常に大きな影響を感じるものである(^^;))まあ平地の歩行程度であれば、他に問題がなければそれでもなんとか課題達成する。


 でもスポーツのように課題達成がそもそも困難である場合はその場その場で行き当たりばったりに調整していたのでは間に合わなくなる。


 たとえばイチローはメジャーを代表する名選手になってからも、毎日素振りやキャッチボールのような基本練習を欠かさなかったばかりか、非常に重要視してかなりの量を行ったそうだ。その必要性を強く感じていたからだろう。


 おそらく心身の状態はその時、その場で変化するものだからその時、その場でもっとも課題達成に近づくように協応構造を常に修正する必要を感じていたに違いない。プロのバスケットボールでも、試合前のフリースロー練習の調整が必須だという。


 スポーツなどの達成の難しい課題では常に協応構造を探索し、調整し、その場その場で適正なものを創造していくことが重要なのである。一見その人らしいフォームだが必ずしも決まり切った同じ状態が再現しているわけではないのである。選手によって同一のルーティーンのような儀式めいた動きを繰り返すのもその場で適切な協応構造を創出するための手続きかもしれない。


 つまり協応構造は自動車のハンドルのような安定した構造ではなく、可変的で不安定なものなのだろう。


 「予期的な知覚情報の利用」にも気をつけたいことがある。


 まず第1に知覚はカメラやマイクロフォンの様に受身の存在では得られないということだ。ベルンシュタインは次のような例を挙げて説明する。眼球の動きを薬品で動かないようにするとものの形や大きさが知覚できなくなるそうである。形を知るには対象の形をなぞるような眼球の能動的な動きが必要なのだろう。


 知覚とは受身ではなく、非常に能動的な過程なのである。アフォーダンスを提唱したギブソンの生態心理学でも知覚情報は与えられるものではなく、能動的に動いていく運動システムであり、知覚システムでもある身体によって探られるものであるとしている。つまり自ら動くことによって始めて自分の体と環境のことがわかってくるのである。


 決して他動的な感覚入力などによって得られるものではないのである。


 さらに課題達成の予期的な知覚情報利用のスキルは、その達成するべき課題を通してしか得られないことがわかっている。つまり歩くための運動スキルは、重力の影響を受けながら様々な形状や性状の床や地面などを歩くことによって体がどのような影響を受けてどのような結果となるかを通してしか学習できないのである。だから歩行が不安定だから「横になって立ち直りの練習をする」とか「椅子に座って四頭筋を鍛える」は無意味とは言わないまでも歩行の運動スキル学習の目的にはそもそも適っていないのである。(その7に続く)


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感動の運動スキル!(その5)(第183週目)

目安時間:約 6分

感動の運動スキル!(その5)(第183週目)


 機械は同じ運動しか繰り返せない構造なので同じ結果を生み出す。しかし人はグニャグニャでルーズな体なので毎回同じ運動は繰り返せない。でもその毎回異なった運動で同じ結果を生み出している。これが何を意味しているか、ベルンシュタインのアイデアを見てみよう。


 まず人の体はグニャグニャでルーズである。これを正確に思い通りにコントロールするのは大変である。体は様々な方向に無限に動きうるし、コントロールしなければならないものが多すぎる。だからある程度筋や神経のレベルで一つの塊として組織的に動く単位を作ってやれば良い。ベルンシュタインはこれを「協応構造」と呼んでいる。


 佐々木正人は「自動車の前輪を左右それぞれ独立に操作するのは大変だが、ハンドルで両輪が同時に同じ方向に動く仕組みでコントロールが容易になる」という例を挙げて協応構造を説明している。わかりやすい。そのように一つの課題達成に対して、ある程度まとまった動きをする構造を作ることによってコントロールを簡単にすることができるわけだ。


 つまり良い協応構造を作ることが一つ目。


 そして一回毎に異なる運動で毎回同じ結果を生み出すには毎回ハンマーで釘の頭を打つ前の微妙な調整が必要になる。これは予期的な知覚情報学習によって行われる。つまり運動コントロールとは、過去に憶えた運動の形を再現しているのではなく、毎回異なる運動で同じ結果を生み出すために、毎回の状況に応じて予期的に起こりうる結果を修正するための「予期的な知覚情報の利用」というスキル獲得が必要である。


 これが二つ目。


 これは運動学習が単に「記憶して再現する」などと言う単純なことではなく、結果が出る前に、その一回毎に異なる運動を予期的に修正して成功に導くためのやり方を学習しているわけだ。これはゴムの様な体を予期的にコントロールして同じ結果を出すのだからとても困難な仕事だとわかるだろう。


 だからこのスキル獲得のために運動学習はとても時間がかかるのだ。


 こうしてみると運動課題達成の運動スキルが発見され、獲得され、熟練する過程は次のような段階で考えることができる。


 まずは課題達成運動の協応構造を作ることである。課題達成のための利用可能な運動リソースを見つけ、試行錯誤し課題達成に近づくような安定した協応構造を作るのである。


 たとえばバスケットボールのフリースローで、最初はボールがゴールに届かなくても、色々やり方を試しているうちに両膝のバネを使って安定的にボールがゴールに届くようになってくると、ある程度の協応構造ができたわけだ。


 そして次の段階に突入する。


 バスケットボールでは毎回体の知覚とその結果を様々に何万回も繰り返し、身体がある関係や状態を作ると課題達成の調整が上手くできるようになって、シュートの成功率が格段に上がってくる。つまり予期的な知覚情報の利用のスキルが上手く働き始める。


 このように二つの段階がある。


 確かに私たちの臨床でも二つの段階があることがわかる。まずは片麻痺患者さんが、はじめて歩き始めるとき。最初うまく麻痺側下肢が振り出せない。しかし体を探って様々な使い方を試行錯誤する。やがて健側の体幹などを使って患側下肢を振り出せることを発見し、繰り返すと、いわゆる分回しという安定した協応構造ができるわけだ。そして平らな床面を何とか歩けるようになる。


 しかしまだ不安定だ。やがてある程度平らな床上での歩行が安定してくると、坂道や階段や屋外歩行を何度も繰り返す。最初は簡単にデコボコに足底を引っかけてバランスを崩していたのが、やがて不意の引っかかりにもバランスを崩さなくなってくる。これまた環境や状況毎の歩行のための予期的な知覚情報が上手く利用できるようになって熟練してくるのである。こうして美しく安定した分回し歩行が獲得されるのである。


 運動学習を進めるためにはこのような二つの段階を経るわけだ。さて、このアイデアはどうだろう?次回、もう少し検討してみたい。(その6に続く)


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感動の運動スキル!(その4)(第182週目)

目安時間:約 7分

感動の運動スキル!(その4)(第182週目)


 セラピストが、患者さんの「生活課題達成の運動スキル獲得」を手伝うためには、運動スキルとは何か、どのように獲得されるか、について学ぶ必要がある。 


 まず「運動スキルとは何か?」という問題だが、従来の医療的リハビリテーション分野での伝統的な考え方は、「運動スキルとは、課題達成の運動を正確に何度も繰り返して経験し、その感覚入力の繰り返しによって頭の中に確立される運動プログラムである」ということだろう。


 一度プログラムとしてできあがるとそれを基に課題達成のための運動が状況に応じて適正に修正されて繰り返されるという訳だ。いわゆる「運動コントロールのプログラム説」だ。


 これはなんとも妙なアイデアである。


 元々人は動物や人の体を観察・研究していろいろな機能を達成する機械を作ってきた。その結果、いろいろな機能を実現する機械が生まれてきた。コンピュータの様な記憶し、判断し、命令する機械も作られた。


 ところが今度は逆に、人の脳を理解するために、コンピュータをそのモデルとして考えるようになってしまった。運動学習とは、憶えるべき運動を何度も繰り返してその動きをプログラムとして脳に蓄え、体を動かすときの指令として使うのだ、と。


 元々人の動きをモデルに作ったロボットだが、今度はそれをモデルとして人の運動を理解しようとしている。これではまるで主客転倒ではないか?


 昔から運動学習分野では、一つの運動を憶え学習するためには何度も何度も莫大に繰り返すことが重要だということはよく知られてきた。しかしながら、もし人が一つの運動を憶えるために莫大な繰り返し練習が必要だとすると、人の脳はとんでもなく低性能のコンピュータということになる。そんなことでは運動学習のためだけに莫大な時間を過ごすことになってしまう。それでは生存競争を生き残れなかったのではないか?


 これに他の方向性を示したのがソ連の運動生理学者のベルンシュタインだ。


 彼は最初労働者の運動技能を研究していたのだが、妙なことに気がついた。熟練した鍛冶屋がハンマーで釘の頭を打つのを観察する。ハンマーは毎回間違いなく釘の頭をヒットする。熟練の技である。しかしその様子を運動分析機で観察してみると、肩の角度や腕、ハンマーの軌跡は毎回微妙にずれていることに気がつく。


 ロボットの腕ではもし肩の動きが1ミリずれると、1メートル先のハンマーは何センチ以上も大きくズレてしまう。


 でもロボットは正確に同じ運動を繰り返すことができるのだ。というのも、体は硬いフレームや腕や関節を持っていてそれぞれの部分の動きはブレや誤差が極端に少ない。一つ一つの部品を見ても、ロボットの部品は軸の回りを回ったり行ったりきたりする自由度1の動きしかしない。それががっちりと組み合わされて動きを生み出すので常に同じ運動を繰り返す訳だ。だからコンピュータのプログラムで毎回同じ運動を生み出しうる訳だ。だからロボットは同じ運動を正確に繰り返す、いや、むしろその一つの運動しかできないのである。


(しかし実際には環境の条件で同じ動きを繰り返さないことも多いとか(^^))


 一方人間の体は、柔軟な筋肉を収縮させて引っ張る力だけで動きをコントロールする。筋はゴムの様に粘性を持つので同じ運動を繰り返すのは難しいのだが、骨の何方向にもこの柔軟な筋肉が付着していてそれらでバランスをとりながら骨をコントロールしていることになる。関節も平面関節や球関節では無限の動き方を靱帯で制限している。しかしそれでも二軸・三軸の動きを生み出すので一つの往復運動しかしない機械とは比べものにならないくらい豊富で多様な動きとなる。


 極端に言えば、コントロールしにくいグニャグニャでルーズな体で、毎回微妙に違う運動を生み出し、それでもなお正確に同じ運動結果を生み出せるようになることが運動学習の本質なのである、とベルンシュタインは指摘したのだ。


 つまり機械と人の運動システムの根本的な作動の違いは、機械は同じ運動しか繰り返せないので同じ結果を生み出すのだが、人は毎回同じ運動は繰り返せないのだが、その毎回異なった運動で同じ結果を生み出していることになる。ここに難しさがあるというわけだ。


 ではどうやってその難しい課題をこなしているのだろうか・・・・? どうです?おもしろくないですか?次回はそれをどうやっているのか、そしてその運動学習がどのように行われているかをもう少し考察して、運動学習の本質に迫ってみましょう(^^) (その5に続く)


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感動の運動スキル!(その3)(第181週目)

目安時間:約 6分

感動の運動スキル!(その3)(第181週目)


 親父との問題解決の経験はその後随分役立った。


 それまでの僕の運動スキルのイメージは、「残された数少ない身体のリソースを効率的に使って課題を達成する」であった。前々回のデュシャンヌ型筋ジストロフィー症の子供のように残り少ない筋力を最大限利用したり、骨靱帯の制限を最大限利用したりといったところだ。


 だからそれまでの僕は身体リソースの改善ばかりに注意が向いていたように思う。筋力が弱ければ筋力を改善、体が硬くなれば柔軟性を改善といった感じだ。何か運動問題が起きれば身体リソースの改善によって課題達成力を改善しようとしたわけだ。


 しかしこれだと必ず壁にぶち当たる。脳卒中片麻痺の方では、麻痺の改善はあまり見られない。麻痺が軽度で急性期なら時間経過とともに軽くなることもあるが、回復期で中度から重度になるとほとんど見られない。


 もちろん動作訓練や筋トレを行うと筋力自体、少しは改善するのだが、生活課題の達成力がそれで改善するわけでもないことを実感する。


 しかし親父との経験は環境リソースの重要さに気づかせてくれた。自分の身体だけでできないとき、あるいはもっと楽に課題達成したければ環境内の様々なものをリソースとして利用すれば良いわけだ。


 たとえば脳卒中片麻痺の重度の患者さんが平行棒を掴んで立位保持ができるようになる。それで両脚間での重心移動、片脚保持の運動課題を行い歩行練習に移行する。


 そうとすると患側下肢が振り出せない。体幹部や健側上下肢に力が入って重心移動を起こそうという動きも見られるが、新品の訓練用の靴は床にピッタリと貼り付いて患側下肢は動きそうもない。


 見ていると新人のセラピストなどは自分の足で蹴って患側下肢を振り出して歩行練習をしている。しかしそれでは患側下肢の振出しの運動スキル学習にはならない。


 僕は親父のおかげで環境リソースの利用をすぐに考えるので、古い靴下の先っぽを切った袋をいつもポケットに入れている。それを患足の靴の先にかぶせてやるわけだ。そうすると摩擦がなくなって小さな力と重心移動で患側下肢が振り出せるようになる。


 そうすると他のセラピストが口を尖らせて問題を指摘してくる。


「靴下を履いて振り出していたのでは、将来的にも靴下なしでは振り出せないのではないか?」


 いや、大丈夫である。最初は靴下なしでは振り出せないが、何度も振り出している間に自身のどの動き方や力の入れ方がより下肢を振り出すかを試行錯誤し、適切な運動スキルを発見し、熟練してくる。アクティブに使われることによって、特に健側下肢や体幹の筋力も上がってくる。患足の振出だが、遠く離れた健側上肢の動きも変化してくる。やはり部分の動きとは言っても全身が参加して動かしているのだ。


 もちろん患者さんにとって、それらが言語化されることはない。運動スキルとは言語化されない運動に関する知能によって発達・熟練するのだ。


 そうしてしばらくすると靴下なしで患側下肢を力強く振り出されるようになる。多くは「分回し」という運動スキルへと発達する。少数の方は「健側下肢の伸び上がり」という運動スキルを発達させる。


 現在は靴下の先ではなく、ホームセンターや百円ショップで手に入るポリプロピレンの板やマジックベルト、紐などを使って「スベラース」という装具に仕立てている。大小作っていろいろな障害の患者さんに使っていただいている。


 こうしてみると、僕達医療的リハビリテーションのセラピストの最初の仕事は主に筋力や柔軟性などの身体リソースの改善や杖やスベラースなどの環境リソースの提供にあるのではないか。つまり運動リソースの豊富化である。


 そうすると患者さんは豊富になった運動リソースの効率的な課題達成のための利用方法、つまり運動スキルを自然に考えていかれるのだ。人は生まれながらの運動問題解決者であるとつくづく思う。


 もちろん運動スキルの獲得についてはセラピストの手伝えることも多い。しかしここでセラピストが「俺が正しい運動スキルを教えてやろう!」などと、とんでもない勘違いをしていると患者さんは大変なことになるのである。


 次回はこの点についてもっと考えてみたいと思う。(その4に続く)


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感動の運動スキル!(その2)(第180週目)

目安時間:約 6分

感動の運動スキル!(その2)(第180週目)


 僕の父は70代の終わり頃に脳梗塞で左片麻痺になった。病院でリハビリを受け、何とか見守りで杖歩行ができるということで退院となった。退院当日、家にある普通のベッドを用意したが、ベッドに横になると起き上がれなかった。


 父は「ここにこうロープをつけてくれ。そしたらそれを引っ張って起きられる」と言ったのでつけてみたが、いざ実際にロープを握ると思ったように上手くはいかなかった。


 次に「手すりをここにつけてくれ。病院ではそれで上手く起きられた」と言う。


 手すりはなかったし、僕はその頃上田法という徒手的療法を習っていたので、まずはそれで体幹部の柔軟性を改善してみた。そうすると体幹の運動範囲や重心移動範囲が広がり特に手すりがなくても独りで起き上がれるようになった。


 最初は1日もすると体が再び硬くなって独りでできなくなる。そこで上田法をまたする。できてはできなくなり、また上田法実施を2週間も繰り返している間に、改善した柔軟性という運動リソースを使い続けて柔軟性が維持されたせいもあるのだろう、またその寝返りから起座のための運動スキルも熟練してきたのだろう、上田法をしなくても常に独りで寝返りからベッドの端座位へと起座できるようになった。


「どうだ、これが運動の専門家たる僕の実力だ。見直したか、親父!」と心の中で自慢したものだ。


 しかし起立はベッドが低かったこともあってなかなか出来ない。起立練習を繰り返せばそのうちにできるかもしれないが、「それまでは立ち上がり用の手すりをおいた方が良いだろう」と言った。専門家らしく偉そうに言った・・・


 親父はしばらく考えていたが、杖をとると握り部分とは反対の杖先を握ると僕に言ったものだ。「そこをどけ!」


 僕はムッとしてその場を離れたのだが、親父は僕のすぐ後ろにあったテレビ台のキャスターに杖の持ち手部分を引っかけて、杖を引っ張り、よいしょと立ち上がって見せた。


「ここよ、ここ!」と親父はニヤリと笑って自分の頭を人差し指で指して見せた。


「頭を使えよ!」とやって見せたわけだ。僕が子供の頃から、将棋などして僕を負かせるといつもそうやって威張っていたものだ!(^^;)


 またどうしても怖がって独りで歩こうとしない。付添がいるという。しかし「手すりがあれば独りで歩ける」という。しかしうちの家は農家の古い造りで、親父の部屋から台所までは和室二間があって、障子になっている。


 「どうしよう、手すりはつけられんなあ」と悩んでいると、親父は「立たせてくれ」という。


 立たせると、いきなり右手で障子をブスリと破いた。そして障子の真ん中にあった太めの骨組みを握ると障子を押しながら歩き始めた。そして「他の障子をのけてくれ」という。一枚の障子を押して歩き、次の部屋の一枚の障子をまた持って歩き始めた。帰りはそれを持って横歩きに歩いて自分の部屋に戻った。


「うーむ」と僕はうなった。「なるほど、親父は患側下肢の支持性に問題があるのではなく、基底面内に重心を保持したりバランスをとったりすることに不安があるので、体重を支えるような頑丈な手すりは必要ないのだ。重心を上手く保持できる程度の支えで十分なのだ」と今なら納得できる。


 親父はCAMRで言う基礎定位障害を持っていたわけだ・・・・ 


 結局、運動問題に関する問題解決では親父の二勝一敗である。(イヤ、勝負ではないのだが(^^;))


 しかも僕の一勝は、親父の体幹部の柔軟性という運動リソースを改善しただけで、寝返りから起座、杖とテレビを使った起立、障子を使った移動と主な運動スキルはほとんど親父が自身で発見し、生み出したものだ。


 それも無理がない。必要で利用可能な運動リソースはなかなか外部から観察してもわからないものだ。言い訳ではないが、特にその頃僕は小児の臨床経験が主だったので経験不足もあったのだろう。


 もちろん親父との経験はその後の僕のセラピスト人生に大いに役立っているのだが、この続きは次回の心なのだ。(その3に続く)


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感動の運動スキル!(その1)(第179週目)

目安時間:約 6分

感動の運動スキル!(その1)(第179週目)


 僕は理学療法士としての経歴を、筋ジストロフィー症の子どもたちの施設から始めた。


 卒業したばかりの僕はカシオのデジタル腕時計(G-SHOCKはまだ影も形もなかった)と角度計、すぐに壊れる巻き尺、そしてすぐにかすれてしまうボールペンを持って意気揚々と職場に向かったものだ。(現在でも巻き尺だけは壊れやすい。頑張れ、巻き尺!(^^;))


 デュシャンヌ型筋ジストロフィー症の子どもたちは四肢の近位部の筋力群の低下が進行していく。進行すると腕や脚を持ち上げたりすることはできなくなる。


 そして四肢の近位部の筋群は重力に逆らって動けないほど弱っているのに、尖足と反張膝、そして体幹を反らして肩甲帯を大きく後ろに引いてバランスを保ちながら歩いている。


 僕はそれを見てたまげたものである。


 弱った筋力では重力に逆らえないので、骨・靱帯の制限を上手く利用して重力に押しつぶされないようなアライメントをとっているわけだ。


 「こんな歩き方、誰が教えたんですか?」


 僕は思わず先輩の理学療法士に聞いたものだ。


 先輩は「誰も教えられない。子どもたち自身が生み出した」と当たり前のように答えた。


 実はこれがその後興味を持つようになった「運動スキル」との最初の衝撃的な出会いだった。


 特に驚いたのは、筋ジスの子どもたちの喧嘩の場面だった。


 ある日、二人の子供達が向き合って喧嘩をしていた。一人が唾を吐きかける。僕は慌てて「やめなさい」と声をかけた。注意された子供はシュンとした。


 しかし吐かれた方の子供は、まず右手を左手で持ち、両手で体の前で祈るように両肘を曲げて、両手を胸の近くまで持ってくる。それから右手の親指を口でくわえている・・・


 「一体何をしているのだ?」と思った。


 彼はその後、口で指をくわえたまま、頭を大きく後方へ反らし、さらに左へ反らしながら右手を顔の右側面に置く。そして右手の指で這うように顔と頭を登らせる・・・僕は見当もつかず、あっけにとられてじっと眺めていた。


 子供は遂に右手を頭の上まで持ってきた。そして体幹を少し後方へ反らせてから頭を前へ振り出すように動かしながら右手を鞭のように相手の頭の上めがけて振り下ろした!唾の仕返しを叩くことで見事にやって見せた。僕は叩かれて泣きじゃくる子供をなだめながら、叱るのも忘れてひどく感動したものだ・・・・


 その当時はまだ運動リソースや運動スキルという言葉は知らなかったので、この子供の創造的な体の使い方を上手く表現することができなかった。ひたすら「ただならぬ何かが行われた!」と思って感動した。


「まるで魔法じゃないか!」と思ったものだ。


 障害を持つとは、身体の筋力や柔軟性、体力、体と環境に関する情報などの運動リソースが貧弱になることである。たとえば脳卒中では麻痺によって、麻痺側の筋力が失われる。そうすると運動リソースを利用して課題達成を行う方法である運動スキルも失われる。結果、それまでできていたことができなくなる。座れなくなる、立てなくなる、歩けなくなる、食べられなくなる・・・


 ただそんな中でも運動システムは、残されたわずかの運動リソースの最大限の利用方法を生み出したりするのである。つまり独創的な運動スキルを生み出して課題を達成するのだ。筋ジスの子どもたちのように支持性を得るために骨・靱帯の制限を利用したりする。


 理学療法士になってからそのような思いもよらない独創的な運動スキルをたくさん見てきた・・・・


 今回のシリーズでは、これまで見てきた様々な運動スキルを思い出して運動スキルというものについて少し考えてみたい。(その2に続く)


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西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版


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西尾 幸敏 著「脳卒中あるある!: CAMRの流儀」


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西尾 幸敏 他著「脳卒中片麻痺の運動システムにダイブせよ!: CAMR誕生の秘密」運動システムにダイブ!シリーズ①


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セラピストは失敗から学んでいるか?(その9 最終回)失敗と認知されない失敗(第178週目)

目安時間:約 5分

セラピストは失敗から学んでいるか?


失敗と認知されない失敗(その9 最終回)(第178週目)


 僕達リハビリの仕事は、失敗を繰り返しながら少しずつより良い結果が出るように修正していく仕事である。スポーツやその他の技能、仕事と一緒である。達成するべき課題を明確にして、その課題達成に少しでも近づけるように日々修正していく過程である。


 また常に「達成するべき課題」の適・不適を判断するべきだ。


 「本当にこの課題で良いのか?本当にこの課題達成方法で良いのか?」を日々の臨床の中で自問自答しながら進めていく仕事でもある。僕達の仕事の成功は、失敗の先にしかないのである。僕達の仕事の知識も技術も、日々のそれらの経験を通してしか進歩しない。試行錯誤とフィードバックの繰り返しである。


 これがなければひたすら暗闇に向かってゴルフの球を打つようなものだ。何が良いのか悪いのか分からないまま仕事を進めてしまうことになる。


 そして僕達セラピストが訓練効果のない訓練を続けてしまうことは失敗なのだが、これに気づけないのは以下の理由が考えられる。


 まずそれを失敗と認められないからだ。これは医学界の悪しき伝統かもしれない。人の命や人生を預かる重要な仕事であるから、「失敗は許されない」という理想主義に囚われる。でも元々多様性や個別性の高い困難な仕事なのである。画一的なやり方が通じる訳ではない。失敗するのが当たり前の仕事なのだが、この理想主義のために簡単に失敗を認めなくなるのである。


 2番目は評価のあやふやさである。何を持って訓練効果とするべきかがあやふやのままなのである。また主観的な評価に頼りがちである。それで臨床でのフィードバックがあやふやのまま行われるので、いつまで経っても臨床での判断能力が発達しないのだ。


 そして3番目が、「これさえやっとけば大丈夫」という幻想である。「学校で習ったことだから」とか「この方法はEBMに基づいているからなにも考える必要はない。安心して実施していれば良いのだ」という幻想である。


 こんなことを暢気に言っている人を見ると「僕達の仕事はそんな機械を扱うような単純なものなのか?」と言いたくなる。実際には機械を扱う技術者だって、「そんな単純なものじゃないよ。機械だって多様性と個別性があって教科書通りにはいかないものだ」と言う。だからこれらの幻想を捨てて、日々評価、特に動作レベルの評価を習慣化しておく必要がある。


 たとえば定期的に10メートル歩行の結果を得るようにするといったことだ。こうすることで自分の訓練が一時的な揺らぎを起こしているだけか、持続的な変化を起こしているかがわかってくる。動作レベルの評価は運動リソースと運動スキルの変化をダイレクトに表しているからだ。


 もし持続的変化を目標にしてそれが起きていないなら、訓練内容または課題設定の失敗である。だから課題の修正か訓練を工夫していかなければならないわけだ。たとえ上手くいかなくてもそれが僕達の仕事だ。やるしかない。考えていくしかないのだ。失敗はイヤなものだが、同時に大事な経験であり財産でもある。


 日々の業務で自分の行っていることが上手くいっているのかいないのかに気づけず、流れ作業のように淡々と繰り返しているようでは進歩はないのである。(終わり)


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セラピストは失敗から学んでいるか?(その8)失敗と認知されない失敗

目安時間:約 5分

セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その8)(第177週目)


 さて臨床で患者さんの感想や自分の見たい現象ばかり見るような主観的な評価に頼っていると臨床での判断能力が発達しないだろう、そもそも自分の訓練に効果があるかどうかを考える必要を感じていないかもしれない。だから客観的な評価を習慣的に行う必要がある。


 しかし要素レベルの評価は効果判定には使えない。行為レベルの評価は環境を一定にすれば効果判定に有効である。そしてもう一つ、動作レベルの評価の検討が今回の話である。


 先に述べたように病院内のリハビリとは、限られた環境内でおこなわれる運動リソースの豊富化と運動スキルの多彩化である。そして僕達が目標とする生活課題の達成力の改善は、単純に運動リソース(筋力、柔軟性、身体・環境の情報量、体力など)が増えることとは単純に相関しない。生活課題達成力の改善と相関するのはむしろ運動スキルの多彩化である。とは言え、運動スキルの多彩化は、運動リソースの豊富化なしに達成できないので、運動リソースの豊富化と運動スキルの多彩化は共に必要なことである。


 一方、運動スキルの多彩化を実現するには、多彩な環境、多彩な状況での課題実施が必要となる。病院内の貧弱な環境を思えば、そこにはセラピストなりの様々な工夫が必要ではある。


 話が評価から少しズレたが、動作レベルの評価は直接動作のパフォーマンスを表す評価だ。代表的なものに10メートル歩行検査がある。10メートルを歩く時の歩数、秒数を測るだけで、速度、平均歩幅、歩行率、歩行比などで歩行パフォーマンスの変化を追うことができる。他に10秒間で何回起立できるかとかTugなどもそうだろう。いずれにしても動作レベルのパフォーマンスを客観的数値で表すことができる。


 他に長距離歩行で、歩行距離と時間でパフォーマンスを表せたり、左右への寝返り時間、臥位から起座までの起き上がり時間なども行ったりするが、あまり標準化されていないのが残念だ。これらの歩行、起立、起座、寝返りなどの動作を達成する時間は、結局特定の環境内での特定の動作課題での全身の筋力、柔軟性、体力、身体・環境情報などの運動リソースとそれらの運動リソースをどのように課題達成のために使うかという運動スキルの総合力の変化、つまりパフォーマンスの変化を見ることになる。


 つまり動作レベルの評価は、明らかにリハビリの訓練効果をダイレクトに表していると考えて良いだろう。日々定期的にこれらの動作レベルの評価を用いることで患者さんに対する訓練効果を客観的に評価できるので、変化がなければ自分の訓練内容を見直すきっかけになるだろう。


 ただ残念なのは、現在は動作レベルの評価において客観的な数値データで表すものはとても少ない。標準化されたものは更に少ない。セラピスト各自がそれぞれの患者さんに応じて工夫していく必要があるだろうし、標準化のためにたくさんの研究がこれからも必要だろう。


 また評価についてはまだ考慮するべき点が多い。たとえば「一時的な運動変化と持続的な運動変化」といった問題も検討しなければならないが、今回のテーマからは外れてしまうのでまた次の機会に検討したい。


 次回は最終回、今回のエッセイのまとめである。(その9 最終回へ続く)


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セラピストは失敗から学んでいるか?(その7)失敗と認知されない失敗

目安時間:約 6分

 「毎週火曜日に書くぞ!」と決めてから、第176週目に入りました。いつまで続けられるか?(^^;)


セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その7)


 行為レベルの評価にはADL検査などがある。これは生活行為がどのレベルでできるかという目安として役立つと考えられるが、これまた誤解を生み出しやすい評価である。よくあるのは「できるADLとしているADL」の問題である。


 「訓練室ではできるが、病棟ではできないのは問題である」と言われたりする。


 だが元々行為レベルは、身体能力のみならず環境や社会・文化的価値観など様々の要素の影響からなる状況から生まれるものである。訓練室での文脈と病棟での文脈は違っているのだから、同一人物の行為が変わっても当たり前である。


 訓練室では当たり前にやっていても、病棟では看護師さんも患者さんに取っての役割が違うし、あるいは患者さん自身が「病棟は休むところ」という価値観を持っていれば、動こうとしないのは当然だ。


 また屋外自立歩行をしているおじいちゃんが退院できないで、車椅子介助のおじいちゃんが退院することがある。家庭生活を行うという行為レベルは、各家庭の価値観や事情によって家庭復帰の条件は変わってくるのが当たり前である。他にも失禁があると「家では介護できない」となる場合もあれば失禁が在宅生活で受け入れられている場合もある。「できることは自分でやらないとダメよ」と言う家族もいれば、「なにも普段の生活で余計に苦労したりするよりは在宅での生活はもっと人生を楽しむべきよ」という家族もいる。


 更に一昔前、訪問リハビリをやっている人達の一部が、「今の病院リハは役に立たない。病院内でトイレ動作などができたというが、在宅ではできない。在宅で一からやり直しである。こんな病院リハはダメだ。在宅でもすぐにできるくらいまでやるべきだ」という批判をしていたことがある。


 これも行為レベルがそれぞれの環境と一体であるということを考えれば少し見当外れの批判であるとわかる。元々病院内リハビリでできることと言うのは、身体リソース(筋力、柔軟性、持久力、身体・環境情報など)を豊富にし、病院内の貧弱な環境リソース(病院では手すり、壁、一部の家具つまりテーブルや椅子など)を利用した動作レベルでの運動スキルを改善することである。


 将来家に帰ったときは、新たに出会ったその環境内での行為レベルの構築をやり直すのが当然である。その環境内でのもっとも適応的な課題達成スキルはその環境内でしか生まれない。課題達成スキルとは身体と環境がカップリングすることだからだ。


 もちろんもともと障害が軽ければ、運動リソースも運動スキルも豊富で多彩なので、ある程度、どんな状況でも適応的に振る舞えるのは当たり前である。これを基にいろいろな患者に当てはめて単純化してしまうのが問題なのである。


 だから病院内のリハビリとは、将来家に帰ったときに必要な課題達成スキルを獲得するためにできるだけ運動リソースを豊富にし、それを基にした運動スキルをできるだけ多彩にして、退院後の準備状態を作ることである。


 だから病院内での訓練効果の評価を考えるなら、訓練効果はその環境内での動作レベルで評価するべきだ。要素レベルの筋力、可動域ではなく動作レベルの評価である。


 また他の環境内での行為レベルの比較は無意味とは言わないが、その違いを考慮しておくべきだ。あるいは動作レベルのADL評価なら、身体能力と与えられた環境との相互作用の中で、安定してくる動作の状態を評価することができる。その同一環境内での課題達成力の変化を追うことができるからだ。


 そうするとこのADL検査は、環境や状況を固定すれば、単一環境での動作レベルを含む行為の変化を追う検査として使える。つまり訓練室なら訓練室だけでの経過を見ることで、家庭なら家庭だけの課題達成力の変化を追うことができる。


 訓練室と家庭でのADLを比較しても、その違いを問題視する理由はとても薄いのである。


 次回は、その動作レベルの変化を追う評価について検討してみたい。(その8に続く)


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