不自由な体で孫の仇討ち-新興犯罪組織首領殺人事件
小説から学ぶCAMR 最終回
ここまでノートパソコンに一気に文章を打ち込んだ。既に4時間が経っていた。
頭がすっきりして、何をするべきか、どう振る舞うべきかがはっきりとした。
藤田さんは僕が復讐に気がついたと判った瞬間から、僕に迷惑をかけるつもりはないとみんなに言って回ったわけだ。もし僕が復讐に気づいていたとしても、藤田さんが僕を騙し続けていたとみんなに判らせるためだろう。
いずれにしても僕の今の気持ちは固まってきた。僕一人、うろたえてここに逃げ込んでいるわけにはいかない。知っていたのに止めることができなかったということに道義的責任を感じているとみんなに言おう。どうなるか判らないが、できれば仕事に戻りたい。僕はこのリハビリの仕事が大好きなのだ。
荷物を片付け、フロントでチェックアウトを済ませるとホテルを出て、車で職場に向かった。その日の午後遅くには事務長と向き会っていた。
その後の経過や判ったことを書いておきたい。
藤田さんが正月明けにデイケアに来た目的は、入浴して清潔な格好をし、体は不自由だが、目立たない一市民として町に溶け込むためだったようだ。タンスから清潔な服を出したり、新しいものを買ったりしては、毎週デイサービスの入浴時にそれに着替えた。1週間毎に泥だらけになって現れる藤田さんには、入浴スタッフも閉口していた。
藤田さんの自宅や自宅倉庫の壁、家具、建具、布団、そして裏の空き地の立木には、先を尖らせた手製の槍で突いた跡が無数にあったという。空いた時間があればそこで駆け寄っては突く練習をしていたという。
デイケアの翌日からしばらくは、清潔な姿をしてタクシーで青木の住む町を訪れた。そしていろいろな場所や角度から青木を探しては観察したらしい。
そのうちに青木は週に何回かは夕方、事務所から歩いて十数分の自分のマンションに向かって歩いて帰ることが判った。青木は普段ビジネスマンらしく見せるためにスーツを着用していた。そしてマンションに帰って派手な遊び人らしい服に着替えて、夜の町に繰り出していたとのこと。
マンションに向かうときはいつも一人だ。その道は鉄道に沿っていて、車道脇に幅1メートルの狭い歩道がついている。所々に外灯がある。まだ暗い時期だった。所々がスポットライトを浴びたように明かりの柱ができる。藤田さんは青木が通るだろう夕方の時間帯にはよくそこを青木のマンションに向かって歩くようにしていた。週に2~3回は青木が追い越していく。
青木がそばを追い越すとき、「おっと、ごめんよ!」と必ず大きな声をかけることがわかった。親切心と言うよりは、自分が追い越すときに触って倒れて、自分に面倒がかかることを恐れてのことだろう。
そのようにして藤田さんは青木にとってのいつもの町の風景に溶け込んだらしい。杖は突かず、いつも手に持って歩くようにしていたが、夕方には暗い時期だったし青木は元来、そんなことは気にもかけなかったろう。
最初は追い越されたその時に後ろから背中を突こうと考えたらしい。当然、前から目的が果たせる訳はないだろうことは判っていた。いくら体が不自由で相手が油断していたとしても、瞬間的に避けられる可能性がある。しかし青木が藤田さんを追い越すときには、少し横向きになって急ぎ足に追い越すので、一気に前に出てしまい、少し距離が空いてしまう。実際に二度襲う予行演習をしたが、青木の脚は速く、自分の力が安定して出せる距離に詰めることは難しかった。急ぎ足で近づくのは、自分が確実にできること以上のことになってしまう。つまり転倒の恐れも高まる。
結局、刑事に語ったところによると、青木が急ぎ足で追い越して前に出て普通に歩き出そうとした瞬間、「おい、青木!」とできるだけの大声で呼びかけた。青木は一瞬立ち止まった。そして今にもゆっくりと振り向いて「なんだ、このじじい!なんで俺の名前を知っている?」とでも言いそうだったという。
しかしそれより早く藤田さんは青木が立ち止まった瞬間に杖を胸に構えて青木の背中に突き進んだ。そして練習通りに突き刺してそのまま青木とともに前方に倒れ込んだ。付近で悲鳴が聞こえた。やり遂げた達成感と満足感でもう動けなくなった。そして息があるかどうかわからない青木に向かって「昭の仇じゃ」と言い、そのまま気を失ったという。
どうも話を聞いていると、バランスを崩す実験をやったとき、このやり方を思いついたのではないか。後ろからとは言え、自分より早く進む相手を確実に刺し通すことは困難だと悟っていた。そして自分で確実にできることを中心に状況を変化させる、つまり青木を立ち止まらせることを思いついたのだろう。だからそれ以降、デイケアには来られなくなったのだろう。
イヤ、単に僕が復讐に気がついたから来られなくなったのか。もちろん僕の思い過ごしかもしれない。藤田さんならそれくらいは自分で思いついただろう。
これから裁判なども行われるが、結果はどうなるかは判らない。
僕はみんなから「考えすぎだよ」と言われ、何事もなかったように職場に復帰した。警察にも連絡し、事情を話した。しかし施設に持ってきた鉄筋の杖の先が尖っていたことは黙っていた。ずるいとも思ったが、藤田さんも僕が関わるような状況は望んでいないだろうと思ったからだ。
結局、復讐をするという確かな証拠もなく、藤田さんがとびきり頑固な性格だったことからも、やむを得ないこととして片付けられた。マスコミも利用者さんなどを取材した後「担当理学療法士にはなんとなく藤田さんの復讐を疑っていたようだが、明確な証拠もなく、藤田さんも頑固に企みを隠し続けたようだ。担当理学療法士はそれでも道義的責任を感じて、一時落ち込んでいた」といったニュアンスで報道した。全てが落ち着いた。
僕としては、もっと藤田さんといろいろと話したかったし、犯行を止められなかったことは悔やまれる。とは言っても藤田さんが選んだ人生はそれだったのだ。藤田さんはまたしても自分の人生で、一つの大きな目標を達成したわけだ。
もし話せる機会があれば、「良く頑張られましたね」と一言、労(ねぎら)いたい。きっと「おう、当たり前だ!」という威勢の良い言葉が返ってくるに違いない。(終わり)
【CAMRの基本テキスト】
西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
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西尾 幸敏 他著「脳卒中片麻痺の運動システムにダイブせよ!: CAMR誕生の秘密」運動システムにダイブ!シリーズ①
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