運動の専門家って・・・何?(その1)

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運動の専門家って・・・何?(その1)

 このページでは、「どんな立場に立つかで、障害の理解やアプローチは大きく異なる」ということを述べてきました。

 「学校で習う要素還元論の立場」か「システム論を元にしたCAMRの立場」かで、障害の理解もアプローチも異なっている訳です。

 単純にこの二つの立場を見比べると、お互いに対立して否定し合う、あるいは真逆のことを言っているように見えますが、実は得意とするところが違っているだけです。それで良く見ていくと両者の長所と短所は、お互いの長所と短所で補えるような関係でもあるのです。

 「でも、CAMRは学校で習う知識やものの見方にかなり批判的ではないか!」とお叱りを受けることもあるのですが、それは要素還元論という方法論自体を批判しているのではなく、それに伴って生まれる様々な思い込みや勘違い、価値観を批判しているのです。

 今回は要素還元論にはどんな思い込みや勘違い、価値観がともなっているのか、そしてその原因は何かを考えてみようと思います。たとえば以下のような説明を聞くことがあります。

 「医療的リハビリテーションのセラピストは運動の専門家であり、正しい運動を指導するのが仕事の一つである」

 これをどう考えますか?あなたは運動の専門家ですか?運動の専門家って何を知っていて、何をしているの?

 僕がまだ新人の頃、「リハビリのセラピストは運動の専門家である。だから患者さんにちゃんと正しい運動のやり方を教えてあげなさい」みたいなことを、他の医療職からも患者さんからも言われたりしていました。今もそんなこと言われてます?

 だから僕は歩行介助が少しプレッシャーでした。というのもただ患者さんが転倒しないようについて歩いているだけでは「ダメではないか!専門家らしく、なにか教えたり指導したりしないといけない」などと内心で焦ったものです(^^;)ただ黙ってついているだけでは、仕事をしていないように感じてしまったのです。

 それでやたらと口を出したがる。「背筋を伸ばして!」とか「脚をまっすぐ振り出して!」、「足は踵から着いて!」などです(^^;)すると、「頑張ってもできんのじゃ!まずお前が足を治してみろ!そしたらお前の言う通りに歩いちゃる!」と患者さんに怒られたりする(^^;)なるほど、運動の専門家ならそれが当然ですよね。でも、できない・・・

 他の患者さんで、注意をすると1-2歩は、指示に従って何とか変化するのですがすぐに元に戻ります。これを何度も繰り返すと、「一々言ったところで無駄なんじゃないか?」と思うようになります。「だって、麻痺があるからできないわけで・・・本人もやろうと努力しながらもできないわけで・・・患者さんだって、頑張ってるのにできないんだから、しつこく繰り返すのは気分良くないだろうな、やっぱり・・・」などと思ったものです。

 周りの人達に話すと、「いやいや、繰り返すことによって次第にできるようになる。繰り返しが大事なのだ!これを途中で諦めたら、そこでおしまいだ。セラピストは根気が大事」などと言われてしまいます。

 そんな時に「言葉で言ったところで無理だ。運動を変化させるためには、正しい運動感覚をセラピストが入力して『脳というコンピュータにその正しい運動感覚を再学習して』もらえば良いのであーる!」という話を聞いて夢中になりました。

 「何だ、これこそセラピストの仕事ではないか!『運動プログラムの再学習!』なんと魅惑的な言葉だろう。これは間違いなくセラピストの仕事を価値のある唯一無二のものにするに違いない」などと思ったものです。

 まずは「ただ指示を繰り返しても無駄」と言われてすっきりしました。その代わりに「正しい運動感覚入力による再学習」だと説明してきます。これもなんだか新しいアイデアの感じがして好ましく思ったものです。(後にこのアイデアは運動コントロールの「プログラム説」と呼ばれることを知ります)

 ただこれは新たな困惑と疑問への入り口だったわけです(^^;)(その2に続く)※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイをアップしています。最新の記事は、「リハビリのセラピストはプログラム説がお好き?」https://note.com/camr_reha/n/n839fe9ed4275

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