運動の専門家って・・・何?(その3)
前回までのお話。
リハビリのセラピストは「運動の専門家だから、患者さんに正しい運動のやり方を教えて」と他職種から言われて悩んでいたところ、「正しい運動感覚入力で脳に運動プログラムを再学習させる」というアイデアを知ってすごく惹きつけられました。
でも実際に見てみると、教科書に載っているような若い健常者の平地での歩き方の形を繰り返して真似してもらうことでした。しかもできないところはセラピストが介助(ハンドリング)あるいはタッピングなどで感覚入力してその形を再現して、それを繰り返す。しかも年単位で、たった一つの歩行のパターンを繰り返す・・・・
見ているとセラピストはまるで人形浄瑠璃の人形使いです。でもセラピスト本人は、運動感覚の入力を通して患者さんの頭の中に運動プログラムを入力しているプログラマーのつもりなのかも知れません。
しかし他人が動かし、他人が入力する感覚を学習しているわけで、セラピストの活動に依存した動きの学習です。つまりセラピスト無しではできない運動の学習です。つまり人形遣いの動きに合わせて動くためのプログラムを入力しているのではないか?
また世の中の環境は多様です。セラピストが目指すべきは、患者さんに若い健常者の歩行の形を再現してもらうことではなく、「状況変化に応じてその場に相応しい歩行の形を柔軟に多様に生み出して適応的に歩く」能力ではないか、ということです。
それでセラピストが考えるべきは、どうやったら「状況変化に応じてその場に相応しい歩行の形を柔軟に多様に生み出して適応的に歩く」ことができるようになるか?ですよね。ただこの問題はこのシリーズの最後でまとめて説明します。
さて、今回問題とするのは、「セラピストが目標とするべき『正しい歩き方の形』なるものがある」という思い込みです。
この思い込みは実は学校で習っているのではないかと思います。
学校では要素還元論を基に、全体の振る舞いはそれを構成する要素の振る舞いから理解します。たとえば歩行不安定という全体の振る舞いがあれば、各部位の筋力や柔軟性などの構成要素を調べて、両下肢の筋力低下があれば、「両下肢の筋力低下が原因で歩行不安定が現れる」と因果の関係で理解します。そうすると両下肢の筋力強化が実施され、問題解決に繋がるわけです。
この前提はまず人体の設計図が頭の中に作られる必要があります。だから学生は解剖学や生理学、運動学を基礎学問として習います。そして頭の中に作られたこの設計図を基に患者さんの運動を観察します。問題があれば設計図を基に因果関係を想定して原因となる構成要素にアプローチする訳です。
でもこれはかなり難しいことです。臨床経験もないし、人体の設計図も習ったばかりです。なかなか観察を基に因果関係を見いだすなんてとんでもなく難しい課題です。
一方で片麻痺患者さんの分回し歩行は、健常者の歩行の形と明らかに違います。左右差が大きく、重心移動も大きく、患側下肢は明らかに健常者とは違う軌跡を描きます。ちょっとコツさえつかめば、誰でも違いを観察することができます。
だから運動の形を区別することは非常にわかりやすいのです。教科書に載っている 若い健常者の颯爽とした歩行や自分たちの歩行の形と比べてみればすぐにわかります。
僕もリハビリ養成校の教官を8年くらいはしていたのでわかるのですが、形で区別することは教官にとっても教えやすいのです。だから教官も安易に形に焦点を当ててしまう(^^;)学生もわかりやすい。そしてこのわかりやすさが「運動の形だけに焦点を当て続ける」原因となります。
「若い健常者のやり方や運動の形」が「正しい運動」としていつのまにか基準になり、どれだけズレているかが「問題になってしまう」のです。「異常なパターン」とか言って、障害を形の問題として理解してしまうのです。
今でも臨床で沢山のセラピストが分回しやその他の歩行をしている患者さんのそばで、「左右差をなくす」、「踵から着く」、「患脚をまっすぐに振り出す」などと指導しているのを見ます。形の違いを言葉で指示して繰り返し、治そうとしています。(昔の自分を思い出します(^^;)) 以上のように「要素還元論の視点」とは別のところで、「障害の問題」を「わかりやすい形の問題」と矮小化してしまうことが問題なのです。
次回はこれをもう少し掘り下げて考えてみます。(その4に続く)
※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイを投稿しています。
最新の記事は「人の運動システムの作動の特徴(その5)『状況性』」 以下のURLから https://note.com/camr_reha
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