「疾風に勁草を知る」
この意味は、勁草(風に強い草)は強い風が吹いてみないと分からない、つまり困難や苦難にあって初めてその人の強さや人間性が分かるという風に使われます。
人の運動システムも、障害などの困難に出会うとその優れた性質が分かってきます。つまり障害に対して自律的に問題解決を図るものです。
たとえば腓骨神経マヒが起こると下垂足が見られます。つま先がダラッと垂れ下がるため、歩いているとつま先が床に引っかかって転倒したりします。そうすると運動システムは意識から自立していつのまにか「鶏歩」という歩行スキルを生み出して安全に歩かれるようになります。
片麻痺になると麻痺側の脚は力が出ないので振り出せなくなります。そうするとやはり運動システムは自律的に「分回し」という歩行スキルを生み出して歩かれるようになります。
人の運動システムは障害などで困難に遭遇しても、風に為されるがままの小枝のようなものではないのです。困難にあらがって、必要な課題を達成するために何とか頑張って、工夫して問題解決を図るのです。
でも従来リハビリの学校ではこのようには教えてこられませんでした。脳卒中片麻痺では、マヒのために筋力や協調性、随意性が低下し、さらに痙直による筋の硬さや共同運動、原始反射などの「異常な現象」が現れて患者さんは脳の障害に打ちひしがれているのだ、というイメージを学生に植え付けてしまうのです。
これは約1世紀前にジャクソンが提案した「階層型理論」の考え方の影響が強いと思います。そしてこの階層型理論は未だに主流の考え方でもあるのです。
ジャクソンは人間を機械のように考えていたと思います。脳が壊れた後の現象は、全て症状として見てしまったのです。機械が壊れると止まったり異常動作をしたりしますが、これは全部部品や構造が壊れたことが原因です。間違いありませんね。
西欧ではデカルト以来、「人は神(自然)が創った機械である」という考えが思想の根底に流れているという意見もあるようです。まあ、機械と考えた方が理解しやすいわけです。
でも人や動物は機械ではありません。人や動物の特有の作動があるのです。病後に見られる現象が全て病気の症状という訳ではないのです。症状だけではなく問題解決による現象も見られるのです。だから体の一部が傷害されてもそのまま傷害に押しつぶされてしまうわけではありません。人は腓骨神経マヒの鶏歩のスキルを生み出すように、片麻痺の分回し歩行スキルを生み出すように、なんとか問題を解決して必要な課題を達成しようとするのです。当たり前です。生きているから、動物だからです。
たとえば弛緩麻痺の部位は、可動性のある骨格が水の袋に入っているようなものです。力が出ないばかりか重力に押されてブラブラ揺れたりして動く邪魔になります。だから痙直による硬さというのは、実は運動システムが身体内に体を硬くするメカニズムを見つけて何とか硬くする問題解決を図っていると考えられます。上肢を屈曲して硬くして健側の体に近づけると、一つの塊として動きやすくなります。
このメカニズムは伸張反射や原始反射を亢進させて少しでも弛緩した筋を硬くすることができますし、筋固有のキャッチ収縮なども利用してより持続的に硬くしていると考えることもできます。
さてこのように考えると脳卒中のメインの症状は弛緩性のマヒです。その後に現れる「異常」と呼ばれた痙直による硬さや共同運動や原始反射の亢進は、弛緩性マヒのある体で動き出すための運動システムの問題解決であると考えることができるのです。
そうすると脳性運動障害の本来の弛緩性マヒの症状と、それに対する運動システムの自律的な問題解決を分けて理解できるようになって、アプローチも全く従来とは異なったものを思いつくようになります。それであっさりと問題が解決したこともあるのです。CAMRは、そのような視点で人を見ていきます。
階層型理論は約1世紀前にジャクソンが提案した「仮説」に過ぎないのです。国家試験ではこのアイデアを正解としますので、いつのまにか教師も生徒もこれが仮説ではなく、真実であると信じてしまったように思えます。
もちろんこのCAMRのアイデアも仮説です。でも階層型理論よりは上手く色々な現象を説明できるように思います。















コメントフォーム