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治療方略について考える(その5)
治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策
さて、前回までで要素還元論の見方から「機械修理型」の治療方略が生まれたこと。その治療方略は一見して人と機械の似た構造を基に治療しようとしていること。しかし実際には機械と人の運動システムではまったく違った構造があり、それによって作動の性質もまったく異なっていることを説明してきました。
要素還元論が見た目のシステムの構造と機能を基に、問題のある要素に焦点を当てることに対して、システム論という視点は構造ではなくシステムの作動の性質に焦点を当てます。そうすると人の運動システムの作動の性質を基に、学校で習ったものとはまるっきり異なった治療方略が生まれてきます。
もっともシステム論と言っても、実は視点や対象、領域によって非常に沢山のものがあります。前シリーズ「システム論について話しましょう!」でも西尾の分類を基に、3種類のシステム論を紹介しました。
今回はその中から、「素朴なシステム論」の視点から見た運動システムの作動の性質を基にした治療原理と治療方略を紹介してみたいと思います。
「素朴なシステム論」とは臨床のセラピストが自然に行き着くシステム論の視点です。具体的には以下のエピソードを通して学んで行きましょう。
ある若いセラピストがいます。名前はとりあえず龍馬君としましょう。彼は学校で習った「機械修理型」の治療方略を引っ提げて臨床へ出ます。そしてしばらく患者さんの運動問題の解決に取り組みます。整形疾患などではこの治療方略で上手く解決する場合もあります。でも全体としては上手くいったり、行かなかったりを繰り返します。
そんなある日、二郎さんという腰痛の方と出会います。龍馬君は徒手療法の講習会で習ったように姿勢を見て、脊柱の可動域や周辺の軟部組織を触診し、筋力を評価し、結果痛み周辺の軟部組織が硬くなっていることを見つけます。そして適応のある徒手療法を実施します。二郎さんは「痛みが軽くなった。良くなるなんて初めてだ。先生、すごい!」と喜ばれます。そして龍馬君は「また痛くなったら来てください」と送り出します。表情には出しませんが、実は龍馬君も鼻高々です!「やはり学校で習った機械修理型の治療方略が上手く機能したな!」
ところが一週間後に二郎さんが、「腰がまた痛くなった!」と来られます。見ると前回と同じ様子で、また同じ徒手療法で治し、送り出します。しかしまた一週間後には・・・ このような経験を繰り返すうちに、龍馬君は次第に「痛み周辺の軟部組織の硬さ→痛み」というこの単純すぎる因果関係に疑問を持つようになります。龍馬君は次のように思います。「考えてみると筋膜で全身はつながっている。この方は姿勢も良くないし、腰以外の他の身体部位にも悪いところがあるに違いない。いろいろな要素が影響してるんだ。だからもっと広範囲に悪いところを探した方が良いな!」(その6へ続く)
≧(´▽`)≦
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今回は「CAMRの旅お休み処 シーズン3 その2」です。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
CAMRの旅お休み処 シーズン3 その2
「自由度ってやつは・・・ ベルンシュタイン問題続き」
秋山です。前回がちょっと適当(良い意味ではなくてね)だったので、追加です。
「運動制御がなぜ難しいか」について、ベルンシュタインが挙げている一番目の問題点。以下、著書の「デクステリティ」から。
「私達は体肢と頭にある装置だけでも100近くの動き(自由度)があり、首や体幹の柔軟性を加えれば、その数はさらに膨大なものになる。歩いたり投げたりする時、いくつもの関節で異なる動作が同時に行われる。複雑な動作の要素一つ一つに注意を向け個別に制御するとしたら、膨大な注意を配分しなければならない。」
個々の筋肉と運動野が1対1で対応し、脳が一つ一つに指令を出しているという考え方では無理があるのではないか?ということでしょうね。
まだ続く・・・
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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治療方略について考える(その4)
治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策
前回ではロボットは特定の機能を達成するために組み立てられたもので、できあがった段階から特定の機能達成のための最低限のメカニズムしか持っていないと説明しました。しゃべって歩くのなら、そのことしかできないのです。
一方人の運動システムは、驚くほど余剰なリソースと豊富な運動可能性を備えています。人にとって必要な課題はその時、その場でどんどん変わっていきます。移動し、隠れ、探し、捕まえ、加工し、食べるなどです。多様な課題を達成するためには、その時その場で常にその状況に相応しい新しい運動や機能を生み出す必要もあります。ロボットのように機能特定ではなく、その時々で必要な課題を達成するためには必要な機能を無限に生み出す能力を持っているのです。その可能性を生み出すための余剰なリソースであり、多様な運動可能性を最初から持っているわけです。
そして人の運動システムは機械とは構造も作動も違うのに、機械修理型の治療方略で良いのだろうかというのが大きな疑問なのです。
さて、「感覚入力は脳の栄養であり、それを通じて運動を学習する」というアイデアが広く受け入れられていますが、これも機械修理型の治療方略の考え方です。体は脳によってコントロールされている→脳性運動障害は脳が壊れて生じる。体は悪くない→だから、コンピュータのように脳のプログラムが健常者のものに書き換えられれば、からだも上手くコントロールされる、と考えているわけです。機械修理型はまず悪い部分や要素を見つけます。脳性運動障害では悪いのは脳だけで体は悪くない、脳だけを治すと考える訳です。
だからこのアプローチにおける運動学習というのは、コンピュータのプログラム入力のように、感覚入力によって筋活動のパターンや収縮のタイミングのプログラムを一から学ぶことだと考えています。そして臨床ではこの考えに基づいて毎日毎日「正しい」と思われる運動がセラビストと患者によって他動的に繰り返されたりします。
でも実際人の運動学習が、1つの運動を獲得するのに何度も何度も、あるいは何ヶ月も何年も同じ運動を繰り返さないと獲得できないような低性能なコンピュータなら、めまぐるしく変化する現実世界の中で、人類はとっくに滅びてしまったことでしょう。
更に大事なのはセラピストによって他動的に動かされる運動は、とても自律的な運動プログラムに変化するとは思えませんよね。他人によって体を動かされている状態を入力、経験しているだけだからです。
ロボットは壊れると自分で直すことができないので、人が直す必要があります。それで機械修理型の考え方だと、壊れた脳はセラピストが直接感覚入力で操作するというやり方に抵抗がないのかもしれません。
実際にはこの運動学習の考え方自体が、ロボットをモデルに考えられていて、現実の人の運動システムはまったく違う構造、作動であることに気がついていないのです。(システム論による神経系の機能や運動学習はまったく別のアイデアになります。いずれ紹介しようと思います)
この機械修理型の治療方略を基にしたアブローチは日本では50年以上の歴史がありますが、未だにマヒが治ったという報告がないのは、この考え方ややり方が間違っているかもしれないと考えた方が現実的です。
機械修理型の治療方略が特に脳性運動障害で上手くいかない理由は他にもありますが、ここではこれだけにしておきます。
一方整形分野などでは、機械修理型は実は上手く機能することもあります。もっとも上手くいく場合には一定の条件があります。その条件の説明はここでは脇道にそれてしまうので省きます。まあ上手くいったり、行かなかったりです。
さて、次回からは機械修理型ではなく、臨床で自然に発生する、多くのセラピストに自然に獲得される治療方略について紹介していきたいと思います。(その5に続く)
≧(´▽`)≦
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今回は「CAMRの旅お休み処 シーズン3 その1」です。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
CAMRの旅お休み処 シーズン3 その1
「What is ベルンシュタイン問題?」
秋山です。シーズン3はCAMRを支える理論などの中から、私がよくわからなかった(時として今もわからない)ものを、徒然なるままに復習していこうと思います。いい加減、別タイトルでも良いような気もしますが・・・。
何かの参考になれば幸いです(^_^)
「ベルンシュタインを読む!」シリーズの中に、「ベルンシュタイン問題」というのが出てきます。最近の運動制御の話にはちょこちょこ出てきています。まず、自由度の問題について。
上肢だけを見ても、複合関節である肩・肘・手、手指の関節、それぞれに筋肉がいろいろ付き、また神経が・・・となると、制御しなければならないものが膨大になります。手を使うとなると両手、そして姿勢制御と考えると、脳は瞬間的にものすごいコントロールを行わなければならない。それはあまり現実的ではない。
もう一つ、文脈性の問題。同じようにやったからといって、いつも同じ結果になるとは限りません。環境の変化でも運動の結果は変わってきます。でも、異なる運動で同じ結果は出せる・・・。自由度の方は「ほほー、なるほど」と思ったのですが、文脈性の方は理解が今ひとつ(^^;)
動作から見ると、机の上のコップをとる時、手がコップに行き着くまでの通り道は無数にあります。どのように持つかも無数にある。無限にある解の中から、1つを選んで行っている。これは、従来の運動プログラム説では説明しきれない、ということになります。
続く~
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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治療方略について考える(その3)
治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策
前回は学校で習う治療方略は「機械修理型」であると述べました。人の運動システムを構造として理解し、問題のある部分や要素を探して治療する過程は、機械の修理と共通しているからです。
実際、人の運動システムとロボットのシステムの構造を簡単に比べてみましょう。たとえば力を生み出すのは人では筋肉、機械ではモーターでしょうか。神経系はコンピュータだし、呼吸・循環系は電池やその配線に喩えられるでしょう。構造で比べると、一見、人の運動システムとロボットには沢山似た点が見つかリます。
でも運動システムの作動の性質で見ると両者はまるっきり異なってきます。実はそこには大きな構造の違いもあるのです。
たとえばロボットがどんな仕事ができるかは、ロボットができあがったときに決まっています。人と話したり、移動できる能力はできあがったときに決まっていて、急にトランポリンやボルタリング、料理をしろと言われても無理です。それらをするための機能が手足にもコンピュータのプログラムにもないからです。でも人の運動システムは、一つの体で、移動し、探し、食べ、作り,戦い、逃げます。更に新しい運動課題を自ら学び、無限と言って良いほど活動を増やし続けることができます。
というのも機械の部品はいつも同じ役割・作動を繰り返します。ギアは回転し、力を伝達するだけです。それぞれの部品を組み合わせたユニットでできることも決まっています。でも人の運動システムでは、各要素・各部位に特定の固定的な機能は定まっていません。
身体の部分で見ても、上肢はものを操作したり、ぶら下がったり、投げたりできますが、体重を部分的に支えて歩く助けもします。手の機能は無限で何に使うかは状況次第です。脚だって歩くだけでなく、字を書いたりものを操作したりもします。 また、1つの筋肉は状況によって、求心性にも遠心性にも異なった運動を生み出します。筋の張力を生み出すメカニズムには、通常の随意的な神経筋ユニットの他に、反射やキャッチ収縮、あるいは単に粘弾性の性質自体があり、1つの運動をするにしても状況によってどのメカニズムが使われるかは異なってきます。(Keshnerの頭部保持の実験などにその具体的な例、頭部の保持に用いられるメカニズムは体幹を揺らす速度によって変化する、があります)
また神経系も1つの神経細胞が多くの入力と出力の構造を持っており、状況によって働きを変化させていると考えられます。神経への1つの入力が状況によって異なった反応を生み出し、神経細胞の1つの出力は状況によって異なった運動になるからです。
早い話、1つの運動を様々な異なった筋群で達成するし、逆に1つの筋群で異なった様々な運動をする可能性があるのです。
一見して共通している構造のように見えて、実は大変な構造の違いがあることがおわかりでしょう。ロボットではそれを構成する部品は決まった作動を繰り返すだけで、全体としてできることも決まっています。まあロボットは実現しようとする機能に特定され、それしかできない、いやそれを実現するための最小限のシステムなのです。人ではそれを構成する様々な構成要素は柔軟で多様な働きをし、全体としても信じられないくらい多様で無限の機能を生み出す可能性に満ちているのです。そしてこのことはそれぞれの作動に大きな違いを生み出していくのです。 ロボットの修理のように動きの悪いところに油を差すような考え方ではとても追いつかないところもあるのです。(その4に続く)
E.A.Keshner, Controlling stability of a complex movement system, Physical Therapy 1990:70:844-855