治療方略について考える(その9)
治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策
前回龍馬君が理解したような内容は、多くのセラピストも経験していて、直感的に漠然と自分だけの治療方略として身に付けていることを述べました。しかしそれは感覚的に理解したもので、決して明確に言語化されないし、体系化されることもありません。そのため必ずしもその治療方略は他の場面で応用されなかったり、他人に伝えることもできないのです。惜しいことです。
だから今回は「素朴なシステム論」を基に、いつでも臨床で使えるように、簡単に「運動システムの作動の性質」と「治療原理」、「治療方略」としてまとめておこうと思います。
ただし龍馬君の経験はまだまだ不十分なので、ここではCAMRの知識体系を追加してより臨床で使えるように修正しています。
【素朴なシステム論によって生まれるアプローチの体系】
① 人の運動システムの作動の性質①運動問題は、問題の見られる部位の周辺の要素だけでなく、全身の様々な要素が関係している。つまり運動問題は全身の様々な部位や要素などの相互作用として生まれている
②更に運動問題は、仕事内容や環境、生活習慣、性格なども影響している。身体を含めそれらの沢山の要素の相互作用から生まれる状況によって運動問題が生まれている
③また徒手療法で身体の一部位を変化させて治ったように見えても、上記の慢性痛を生み出す状況の中で変化は消耗され、痛みを生み出す状況は元に戻ってしまう。つまり一時的な変化を起こしているだけ。
④一時的な変化は元々持っている揺らぎの範囲に過ぎないかもしれない。いくら繰り返しても持続的な変化にはならないかもしれない。(一時的な変化と思われるものが持続的な変化に変わることも時々往々にしてありますが、それには条件があり、ここでは述べません)
⑤結局、繰り返す問題とは、その問題を維持するような頑固な状況の中にある
⑥セラピストが問題解決にしゃしゃり出て主人公になってしまうと、患者は依存的に振る舞うのではないか。
そして上記のことから、次のような治療原理と治療方略が生まれてきます。(その10に続く)
毎週火曜日の連続エッセイもいつの間にか連続100週を超えていました(^^)何か記念のイベントすれば良かった(^^;)
治療方略について考える(その8)
治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策
また龍馬君は、沢山の要素の複雑な相互作用によって作られる状況下では、1つの要素を変化させたところで、その変化は相互作用の中ですぐに消耗されて元の状況に戻ってしまうということに気が付くのです。ちょうどビー玉の入っている金魚鉢を揺するところを想像してください。金魚鉢を揺するとビー玉は動き出しますが、重力と摩擦によってやがて止まってしまい、再び元の同じ場所に落ち着きます。
つまり最初に行っていた痛み周辺の軟部組織の徒手療法は、一時的な痛みの改善という変化を起こしているだけで、その改善も日々の生活の中ですぐに消耗されてしまって元の痛みの状態に戻っていたのです。
また一時的な変化を繰り返しても決して持続的な変化にはつながらないなら、それは運動システムが持っている揺らぎを起こしているに過ぎないと思いました。だからやり方を変えないとダメだということに気がついたのです。つまり金魚鉢を揺すっているようなもので、一時的な変化は起こしてもまた元の状態に落ち着いてしまうのです。
さらに龍馬君は「自分が患者さんの運動問題を解決してあげるのだ!」と意気込んで、そのように努力し、振る舞ってきました。二郎さんに褒められたため、更にその傾向を強めたのです。しかし実はその振る舞いは二郎さんとの関係の中では、「どうするべきかを指示する龍馬君とそれに依存する二郎さん」という強い依存関係を作っていたことに気がつきます。
龍馬君は一生懸命に考え、努力して、問題解決の主導権をいつの間にか強く握っていたし、二郎さんは「この先生について行けば、この問題は大丈夫、いつか解決する」と依存してしまったのです。
そして龍馬君は、二郎さんが自分に依存していること、しかし問題解決の主役は自分ではなく、二郎さん自身だと気がついたのです。誰より二郎さんの腰痛が治ることを願っているのは二郎さん本人に違いないからです。それで問題解決の主導権を自分から二郎さんに返してあげることにしました。そのためには患者教育が大事であることに気がつき、痛みの原因と解決の丁寧な説明をしました。こうして治療の主体はセラピストから患者自身に移っていったのです。結果、二郎さんは運動によって自分の痛みが解決できることを知ったのです。痛みに支配されていたのに自ら痛みをコントロールされるようになったのです(その9に続く)