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俺のウォーキング-理学療法士らしく(その1)

目安時間:約 4分

俺のウォーキング-理学療法士らしく(その1)


 俺がウォーキングを始めようと思ったのは、長らく務めた老健施設を退職する2週間前だった。居間に置いてあった女房の中年女性向け雑誌のウォーキングの記事が目にとまったからだ。退職後は新たな事業に取り組むつもりであったが、やはり気になるのは健康のことだ。やりたいことを続けるためにも健康問題は、とにかくとり組むべき重要課題である。


 何しろずっと高血圧の状態である。いつ測っても上は少なくとも150くらいである。「うーむ、これは大変である。なんとかせねば・・・」と思いつつ、ずっとほったらかしてきた(^^; それにやや肥満気味(^^; また30代に起こしたバイク事故の怪我後、右膝の変形性膝関節症にも悩んできた。44歳の時、階段を降りていたら右膝が膝折れを起こしそうになった。「こけるかと思ったぜ!」と、見てみると右膝は浮腫の状態でぷっくらと膨れ上がっていた。力が入らなかったのである。時々痛みも起こし、MRIでみると半月板などはぐちゃぐちゃになって消失し、軟骨もすり減っている状態であった。


 「まだ若いのに・・・」と不安に駆られた俺は、早速サプリメントを買って飲んだのだ。結局わかったのはサプリメントを飲んでいても痛いときもあれば、痛くないときもあるのである。もともと飲んでいなくても痛いときもあり、痛くないときもありの状態であった。結局、「ややや!同じではないか!」つまり効果はないというのが俺の結論である。


 もともと初期の変形性膝関節症は痛い時と痛くない時をくり返すものである。もし痛いときに飲んだらそのうち痛みは軽くなるが、別に飲まなくたって軽くなるのである。ただ心理的には、解決手段があると言うのは心強いものである。「痛くなれば飲めば良い」という問題解決の選択肢は大きな安心感になるだろう。


 だが解決の選択肢がサプリメントだけだと、徐々に悪くなることが予想される。膝関節は有り余る筋力と多様な筋活動のスキルでもって安定性と運動性を保証されている関節である。


 変形性膝関節症の多くは、運動不足や活動性低下などによって貧弱になった筋力やスキルのために関節の機能低下が起きたためと考えられる。俺もちょうど44歳の頃は、肥満と運動不足の絶頂期であった。


 もしサプリメントを飲んだだけで、適切な運動をしなければ、そして更に肥満などが加わると余計にストレスがかかり、膝関節の機能は更に低下して、変形性膝関節症は重度化していくのである。


 僕の場合、サプリメントの失敗の後は理学療法士らしく、「探索歩行」と「いくつかの運動課題設定プログラム」を工夫して痛みを改善してきた。今は通常痛みを感じることはないが、普段しない活動(斜面での草刈り、バトミントンなどで頭に血が上って無理な動きをする(^^;など)で痛みが出るときもある。しかし上記のプログラムをくり返しながら、なんとか痛みは改善した状態を維持している。このプログラムは実際、デイケアなどで痛みを訴えて訪れる利用者の痛み改善にも大いに役立ったものだ。(その2に続く)

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リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?(その3)

目安時間:約 3分

≧(´▽`)≦
みなさん、ハローです!



「CAMR Facebookページ回顧録」のコーナーです。
今回は「リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?(その3)」です。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?「その3」



 「その1」では、リハビリスタッフこそが「運動余力」を最も有効に改善できる専門家である、と述べました。また「その2」では「運動余力の改善」と「従来の運動機能改善」とは違っていることを説明しました。


 さて、では実際に運動余力の改善はどう行うか?一つにはクライエントの希望に沿った運動課題を工夫していくことです。人は適切な運動課題を通して、必要な運動リソースを豊富にし多様な運動スキルを発達させることができます。



 もう一つは柔軟性を徒手療法で変化させたり、環境調整や自助具、介助者のシステムなどを持ち込んだりと運動リソースを直接変化させることです。さらに痛みは運動リソースやスキルの出現を邪魔するので、可能なら痛みの軽減を図ります。こうして構成要素間の関係と運動リソースの両方に同時にアプローチします。



 この視点に立ってクライエントに接するうちに、以下のことに気がつくようになりました。


  1. クライエントは見た目以上に沢山の「隠れた運動余力」を持っている。が、クライエント自ら動くまではこれらに気がつかれないことが多い。
  2. 良循環と呼ぶべき状態がある。急性期や軽度のクライエントでは、ほんの少しの運動課題達成の経験によって、「隠れた運動余力の発見→活動の多様化→更なる運動余力の改善・・」といった良循環に入ることが多い。
  3. 逆に「袋小路」と呼ばれる状況に陥るクライエントも多い。「偽解決」や「貧弱な解決」をひたすら繰り返し、「隠れた運動余力」に気がつかれない。脳性運動障害や高齢者などのケースが多い。セラピストには、袋小路からクライエントを救い出す知恵と工夫が必要である。
  4. 急性期に、運動余力の改善を図らないでいきなり歩行のような動作訓練を行うと、貧弱な解決(たとえば患側下肢支持期の膝伸展ロック)のような安易な方法を取ってしまうため、袋小路に入りやすい。


 20分という時間は少ないものの、運動余力の探索と改善に焦点を絞り込むことで、リハビリ訓練の効果を生み出すことができます。(詳しくは講習会で・・・・)



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その4 最終回)

目安時間:約 4分

正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その4 最終回)


 さて、僕としては今回は、機能や運動システムの作動の性質を基に「正しい歩行」とは何かを提案し、その実践に当たった男の苦難の記録を述べることが目的でした。


 しかし!次回の投稿の後でまた新たに以下のような意見を頂いてしまったのだ。


 「あなたの言うこともわからないでもないが、患者さんの中には『私はきれいに歩きたい』という人も実際にいるのだ。そんな人の要望にも応えることは必要ではないか?」


 実は15年くらい前に上田法の講習会でシステム論の講義をするためにドイツを何度か訪れた。その時一人の高齢の女性PTから同じようなことを言われた。それは講習会の最後の講義の一つ前の休憩時間だった。「システム論では歩けば良いみたいなことを言うけれど、私はイヤだ。どうせ歩くなら健常者のようにきれいな形で歩きたいのだ。あなただって歩く姿は気になるはずだ。だから私にはシステム論は不要だ」のようなことを言われた。その時の僕にはまだはっきり答えるだけの準備はできていなかったし、あいにく通訳もそばにおらず、講習会の最後の方でバタバタしていて、僕の英語ではほとんど何も伝えられなかった。今でも大きな心残りの一つである。


 今ならこんな風に伝えるのではないか。「では健常者のように歩けないなら、あなたは歩くのを止めますか?僕なら、歩けるようならどんな形であれ歩きたい。 それに人前で歩くのが恥ずかしいと思っている患者さんのために『頑張れば健常者のように歩けるよ』と嘘も言えない。


 僕にできることと言えば次のように正直に説明することだ。『一緒に協力すれば今より早く、安定して歩くことは可能かもしれない。その結果、今とは異なった歩行の形になると思います。今より少しは颯爽としているし、今より力強い形になっているかもしれない。でも元通りの健康な頃の形で歩くことはできないと思います。


 でもあなたは最初寝たきりの状態から、座って立って、ものすごい努力と勇気でここまで歩かれるようになってきた。これはものすごいことだ。とても困難な状況にチャレンジしてなんとか歩けるようになったのです。あなたの歩行は努力の結晶です。あなたはもっとその歩き方を誇りに思って良いと思います』と。


 もしそれでも『健常者の歩行に近づきたい』と言われれば『もし僕で良ければ、僕のできる範囲で最大限努力する』と伝えます。それは患者さんからの希望だから。その時点でもう断られるかもしれないが(^^;


 ただ最初からセラピストが『患者は健常者のように歩くべき、美しく歩くべき』という単一の価値観を持って患者さんに当たるのは間違いではないか?『とりあえず歩いて、早く家に帰りたい』と思っている患者さんもいるだろう。たしかに僕たちとしては最大限患者さんの希望に添うべきだ。セラピストの価値観だけで、訓練の方針と内容を決めるのもおかしいと思う。セラピストとして自分のできる事を正直に伝えて、患者さんにどうするかを選んで貰うことが基本では?」


 さて、あなたはどう思うだろう?(終わり)(申し訳ない。今回のシリーズはこのタイトルをつけてしまったので、この流れになってしまいました。僕のウォーキング物語はまた別のシリーズで改めて書きます)

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リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?(その2)

目安時間:約 3分

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「CAMR Facebookページ回顧録」のコーナーです。
今回は「リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?(その2)」です。



★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆



リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?「その2」



 「その1」の投稿へいくつか意見をいただきました。たとえば「運動余力の改善は当たり前としても、運動機能改善に偏りすぎているのではないか?」というものです。(なんだか厚労省の介護予防のご意見いただいたみたいです(^^))これについてはいろいろあるのですが、一つだけ紹介しておきます。



 このアイデアを理解するためにはCAMRにおける「運動リソース」という言葉の意味を理解しておく必要があります。運動リソースは運動に使われる資源のことですが、普通は「からだ」のことをイメージされると思います。しかしシステム論を基にしていますので、システムは目に見える構造ではなく働きで考えられます。たとえば水溜まりでは水溜まりなりの、氷の上では氷の上なりの歩行の形が現れますので、水溜まりや氷が運動システムの一部として歩行を生み出していると考えられます。身体は真空中で動いているのではなく「環境」の中で「環境を資源」として利用しながら働いているのです。それで環境内のものや人や動物もその時々で運動リソースとなっている訳です。



 たとえば家庭内にある手すりは、元気なおかあさんにとってはタオル掛けとして使用されますが、片麻痺のおじいちゃんにとってはからだのバランスをとるための大事な運動リソースとなります。手すりをからだのバランスをとるために使うには、それなりの運動スキルが必要です。(更に詳しくは講習会で)



 電動車椅子は指先の動きを移動に変えるための運動リソースです。こう考えるとテクノロジーの進歩で新しい介護機器などが生まれてくるに連れて、運動リソースは無限に増えていきます。介護保険制度化で訪問介護が始まると、「介助者」という運動リソースも一時的に運動システムに参加する訳です。「運動余力の改善」が、世間で言う「運動機能改善(筋力や持久力の改善など)」とイコールにならないのはこのためです。(その3に続く)



(なお秋山が「リハビリはADLに対して何ができるのか?(その1)」というこのシリーズのスピンオフを開始していますので、そちらの方でも何かしら説明があると期待しています(^^))



★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆



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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その3)

目安時間:約 3分

正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その3)


 前回の投稿の後、ある病院で働く新人セラピストから次のようなメッセージが届いた。


 彼の片麻痺の担当患者が、いくつかの運動課題と歩行練習を繰り返して、歩行速度が速くなった。歩行速度とADLの関係のデータを基にして、彼の主任に「歩行も実用的になってきた」と報告した。するとその主任は「歩行は早くなっただけではダメだ。私はより美しく歩くことも必要だと思う。いや、私は美しく歩かせたいのだ。私が見たところ、体幹の硬さが問題だと思う。体幹をリラックスさせて、より美しい歩き方ができるように目指しなさい」と言われて面食らったそうだ。まさしく前回述べたことがそっくりそのまま起きていたらしい。


 機能改善は褒められず、美しさの改善だけを言われてガッカリしたし、困ったそうだ。そして美しさって若い健常者の歩き方?と悩んだそうだ。そんなことができるのか?と悩んだそうだ。


 しかし「私がきれいに歩かせる」には驚いた。こんなことを言う人もいるのだ。自分の姿勢や運動を変えることだってなかなか難しいのに、障害のある他人の運動を「思い通りに変化させる」などととんだ思い上がりではないか。他人の運動を支配できる人などいない。そんなことを言うならまずマヒを治して見せるべきだろう。


 そもそもセラピストが美しい形、健常者からの形のズレでしか運動を評価できないとは情けないことである。形で見る限り健常者の運動の形とのズレを問題にし、障害のある方にも健常者の運動に努力して近づくように無理な要求をしてしまうことになる。


 逆に言えば機能や運動システムの作動の特徴から運動を評価することができない、そしてそれで人を説得することができないということである。つまり機能や作動の特徴に詳しくないと自ら言っているようなものである。これは情けないことである。そもそもそれこそが私たちの専門性ではないか?


 しかし僕がこのことをその新人セラピストにメールしたもので、新人さんは少し腰が引けたのだろう。「でも良い人なんですよ」と返してきた。いや、良い若者だ。いい歳をして、大人げなくてごめんなさい。


 リハビリ界でも「美しさ」という価値観の影響は強くあるが、機能より美しさに遙かに重きを置いているこんなセラピストが支配的でないことを心より強く願う。いや、我々の職業のこの多様性こそを喜ぶべきなのか?よくわからなくなってきた。


 今回はまたまた話が逸れて、前置きが長くなってしまった。次回こそ、困難なウォーキングに挑む男の苦難の記録である(^^;))(その4へ続く)

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