過剰な情報と知識の中で

目安時間:約 5分

過剰な情報と知識の中で

 僕は30代の後半から10年間、リハビリ養成校の教官をしていた。その頃は科学的な知識や最新の情報は「パワーである」みたいなことを感じていたと思う。

 だから講義・講義準備や事務仕事以外には図書室にある英語雑誌を読むことに当てていた。

 友人との議論でも科学論文から仕入れたアイデアを振り回したものだ。一応リハビリ医学は科学を礎としているという共通認識があるので、科学論文から得られる情報と知識は業界人には特別にパワーを感じさせるものだった。

 だからその頃はますますたくさんの最新情報と知識を得ようと頑張ったものだ。

 ただ40代の後半になって臨床の場面に戻ると、なんだか勝手が違うことに気がついた。論文で得た知識や情報はしっくりこないことも多い。中には実際の患者さんで試すと全然うまくいかないばかりか却っておかしくなるようなものまである。

 それで漸く知識や情報だけではダメで、経験も同様に大切であることに改めて気がついた。先輩セラピストの経験的なアプローチの優れた点に驚かされた。患者さんが自ら発見した運動スキルや課題達成のための工夫の素晴らしさにも感動した。

 今思えば、知識や情報を偏重する姿勢はアベノミクスの金融政策にも似ている。理屈では金利を下げればお金が市場に潤沢になり、経済の好循環を起こすはずだった。しかし結果はご存知の通り。市場は様々な要素の相互作用から成り立っており、金利などの一要素だけで単純・素朴に期待通りの結果に反映されるわけではない。

 同じようにリハビリ医学関係の知識や情報も、実際の経験の中で吟味される必要がある。

 科学的視点からの研究では一要素の振る舞いと全体の振る舞いの間に因果関係を想定しているものが多い。アベノミクスのように一因子が全体の結果に与えると想定される単純な因果関係を述べているだけだ。

 でも現実の現象、社会の動きや経済,そして人の運動変化なども一要素の影響だけでなく、様々な要素の相互作用の中で安定状態にいたるものだ。科学論文で言っているような一要素で効果が得られるものでもない。他の要因が異なれば、むしろ害を及ぼすことだってある。

 現在も科学的知識や情報を丸呑みして信じているセラピストに会うことがある。いわゆるガイドラインとかEBMである。「私は科学的に効果が証明されているアプローチしかしない」と宣言する。「それ以外の方法は,民間療法のようなものでやるに値しない」とまで言う。

 だが科学だって間違う。珍しいことではない。コレステロールだって最近「体内で作られる」と言われるようになったが,以前は食物から摂取すると言われていた。僕はゆで卵が好きでいくつでも食べたいのだが、食べると「コレステロール値が上がるからダメ!」と言われて何度悔しい思いをしたことか!(^^;)

 実際、人のすることだから様々な雑念に影響される。米国の疾病対策予防センターはコロナが流行るまでは「科学的にマスクは医療職以外がしても効果がない」と言っていた。でもコロナ禍になると「マスクは効果的」と言い出した。また日本の研究者は、虚構の科学論文をいくつも提出していたしね(^^;)

 つまり科学とは、元々丸呑みして信じるようなものでもないだろう。科学は疑問が常に起きて議論が起こり、時間と共に修正されていくものなのだ。

 それに人が「正しい」と決めたことしかやらないのなら、マニュアルに従って工場の生産ラインに立つようなものだ。工場の生産ラインでは部品の均一性が高いのでそれで良いのだが、人は個別性が高いものである。だからセラピストは勉強するし、工夫もしてなんとかしようとする。それが「経験」と呼ばれる一つの大きな能力のようなものになるのである。

 「そのあなたの言う科学的に認められた方法で効果が出なかったらどうするの?」と聞くと彼は言ったものだ。「それは・・・僕が悪いのではない」

 いやはや、そもそも科学とは一人一人が疑問に向き合い、答えを探求し、議論することで成り立つのではないか。科学の信奉者というより自分では全くなにも考えないマニュアルの信奉者であった。(終わり)

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