CAMRが他のアプローチともっとも違うところは?

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CAMRが他のアプローチともっとも違うところは?

 今回もCAMRの勉強会から、あるベテラン作業療法士からの質問を取り上げてみます。「→」で始まるのが受講生さんの言葉です。

→課題達成力を改善するためにまずやるべきことは、身体リソースや環境リソースをできるだけ豊富化すること。それと同時に増えたそれらの運動リソースの利用の仕方である多彩な運動スキル学習を進めていくのですよね。

 ふと、気がついたんですけど、それって冷静に見ると運動リソースとかいう言葉は使わないけれど、これまで臨床でみんながやってきた「筋力、柔軟性、補装具などを改善して目的の動作・行為の練習をする」という伝統的なアプローチと本質的に変わらないように思います。

 だけど同じようなことをしているはずなのに何か印象が違うというか、違和感があるというのがとても気になっています。どういうことかわかりますか?

 「鋭い意見ですね・・・・まだよく分かりませんが、これを理解するには伝統的アプローチとCAMRの人間観というか運動システム観が違うのだということをまず理解する必要があるのかもしれません。

 学校で習うような伝統的なアプローチでは、人の運動システムは構造とその各部位の機能で理解しますよね。たとえば「脳が命令すると神経が興奮を伝えて筋肉が収縮して、関節を曲げたり伸ばしたりする」と理解します。そうすると関節が動かなくなると、筋肉か神経か脳のどこかが悪いということになります。そしてその「悪いところを見つけて治す」というのが基本的なアプローチになります。

 この理解の仕方は基本的には機械と同じです。機械は構造と各部品の機能で理解されます。もし問題があれば「悪い部品を探して、治す・交換する」ということになります。

 一方でCAMRでは運動システムは構造ではなく、作動の特徴から理解します。人の運動システムの作動の特徴は沢山あるのですが、講義でも言ったように、課題達成に問題が起きると、なんとか自律的に問題解決を図って課題を達成しようという『自律的問題解決』という作動上の特徴を持っています。

 たとえば脳性運動障害後は弛緩麻痺が出て動けなくなります。だから人は動くために問題解決を図ります。弛緩状態の部分を硬くして動こうとするわけです。 これが機械と一番違うところです。機械は壊れたらそれっきりですが、人はなんとかできる範囲で問題解決を図ります。その作動の現象が障害像に加わります。このことを理解していないと、「傷害後に現れる全ての現象は症状として理解して」しまい、因果関係を間違ったりするのです。

 また機械はこのように必要な課題を達成するためには外部からプログラムを入力してやり方を教えてあげる必要があります。それで人を機械として理解していると「私が正しい運動を教えてあげないといけない」とセラピストが考えたりします。他にも機械には「正しい運動」あります。設計者の意図通りの運動が正しいわけです。だから人の運動にも正しい運動があると思い込みます。だからセラピストは正しい運動を出すために「治す」という方針を持ちがちです。

 実際には人の運動システムは必要な生活課題を自律的に達成しようとしますし、その課題達成に問題が起きれば自律的に問題解決を図ります。そのための運動スキルは運動システム自ら生み出してきます。

 人を作動上の特徴から理解していると、課題達成や問題解決の運動スキルを人自ら生み出すことが分かっているのでセラピストの仕事は「やり方を教えることではなく、患者さんがやり方を自ら経験して発見する手伝いをすること」と理解できます。

 そしてそのために有利な条件を設定するお手伝いもできるようになります。たとえば運動リソースは豊富であればあるほど運動スキルが多彩に生まれ柔軟に発達しやすいのです。しかもどの運動リソースをどう使ってどのように運動スキルを生み出すかはその人の運動システムしか理解できません。

 それでセラピストは改善可能な運動リソースはできるだけ改善して、適切な課題を設定して後は患者さん自身がその課題を実施・経験する過程の中で自ら課題達成し、問題解決する方法を見つけだすというやり方でお手伝いするのです。

 もし人の運動システムを機械として理解すると、「悪いところを見つけて治さないといけない、そして正しいやり方を教えないといけない」とセラピストは思うはずです。基本的に解決の方向は「治す」ことだけになりがちです。

 でも人の自律的な問題解決や課題達成のやり方を理解しておけば、「予め改善可能な運動リソースはできるだけ豊富にしておき、適切な課題設定と環境を整えて生まれてきた課題達成の新たな運動が生まれれば良いと考えます。

 たとえば分回し歩行は、「麻痺のある体で歩く課題を達成する方法」なので、課題達成の方法として受け入れれば良いのです。わざわざ「健常者と比べて正しくない」とか特定の価値観で判断する必要もないのです」

→うーんよく分からないけど、これまでの理学療法とは違うなという印象はありました。根源に人を機械として見ていないところにあるのかも知れませんね。人は人であって、元々正しい運動というものはなくて、現れる運動は麻痺などの状況次第が当たり前で、何も健常者と比べて違うから健常者の運動に近づけようと考えてもいないというところがあるのかも知れませんね。実際にやってみながらもう少し考えを整理してみます。(終わり)

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