「毎週火曜日に書くぞ!」と決めてから、第176週目に入りました。いつまで続けられるか?(^^;)
セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その7)
行為レベルの評価にはADL検査などがある。これは生活行為がどのレベルでできるかという目安として役立つと考えられるが、これまた誤解を生み出しやすい評価である。よくあるのは「できるADLとしているADL」の問題である。
「訓練室ではできるが、病棟ではできないのは問題である」と言われたりする。
だが元々行為レベルは、身体能力のみならず環境や社会・文化的価値観など様々の要素の影響からなる状況から生まれるものである。訓練室での文脈と病棟での文脈は違っているのだから、同一人物の行為が変わっても当たり前である。
訓練室では当たり前にやっていても、病棟では看護師さんも患者さんに取っての役割が違うし、あるいは患者さん自身が「病棟は休むところ」という価値観を持っていれば、動こうとしないのは当然だ。
また屋外自立歩行をしているおじいちゃんが退院できないで、車椅子介助のおじいちゃんが退院することがある。家庭生活を行うという行為レベルは、各家庭の価値観や事情によって家庭復帰の条件は変わってくるのが当たり前である。他にも失禁があると「家では介護できない」となる場合もあれば失禁が在宅生活で受け入れられている場合もある。「できることは自分でやらないとダメよ」と言う家族もいれば、「なにも普段の生活で余計に苦労したりするよりは在宅での生活はもっと人生を楽しむべきよ」という家族もいる。
更に一昔前、訪問リハビリをやっている人達の一部が、「今の病院リハは役に立たない。病院内でトイレ動作などができたというが、在宅ではできない。在宅で一からやり直しである。こんな病院リハはダメだ。在宅でもすぐにできるくらいまでやるべきだ」という批判をしていたことがある。
これも行為レベルがそれぞれの環境と一体であるということを考えれば少し見当外れの批判であるとわかる。元々病院内リハビリでできることと言うのは、身体リソース(筋力、柔軟性、持久力、身体・環境情報など)を豊富にし、病院内の貧弱な環境リソース(病院では手すり、壁、一部の家具つまりテーブルや椅子など)を利用した動作レベルでの運動スキルを改善することである。
将来家に帰ったときは、新たに出会ったその環境内での行為レベルの構築をやり直すのが当然である。その環境内でのもっとも適応的な課題達成スキルはその環境内でしか生まれない。課題達成スキルとは身体と環境がカップリングすることだからだ。
もちろんもともと障害が軽ければ、運動リソースも運動スキルも豊富で多彩なので、ある程度、どんな状況でも適応的に振る舞えるのは当たり前である。これを基にいろいろな患者に当てはめて単純化してしまうのが問題なのである。
だから病院内のリハビリとは、将来家に帰ったときに必要な課題達成スキルを獲得するためにできるだけ運動リソースを豊富にし、それを基にした運動スキルをできるだけ多彩にして、退院後の準備状態を作ることである。
だから病院内での訓練効果の評価を考えるなら、訓練効果はその環境内での動作レベルで評価するべきだ。要素レベルの筋力、可動域ではなく動作レベルの評価である。
また他の環境内での行為レベルの比較は無意味とは言わないが、その違いを考慮しておくべきだ。あるいは動作レベルのADL評価なら、身体能力と与えられた環境との相互作用の中で、安定してくる動作の状態を評価することができる。その同一環境内での課題達成力の変化を追うことができるからだ。
そうするとこのADL検査は、環境や状況を固定すれば、単一環境での動作レベルを含む行為の変化を追う検査として使える。つまり訓練室なら訓練室だけでの経過を見ることで、家庭なら家庭だけの課題達成力の変化を追うことができる。
訓練室と家庭でのADLを比較しても、その違いを問題視する理由はとても薄いのである。
次回は、その動作レベルの変化を追う評価について検討してみたい。(その8に続く)
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西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その6)
さて、前回までのまとめ。
臨床で患者さんの感想や自分の見たい現象ばかり見るような主観的な評価に頼っていると臨床での判断能力が発達しないだろう。また、「これさえやっておけば大丈夫」とEBMで言われて、「では何も考えずにこれさえやっていれば良い」と思い込むのは間違っている。リハビリはその患者毎に経験と失敗から学ぶ仕事だからだ。EBMのような一般論を全てに当てはめるのはナンセンスだ。その患者さん毎の評価はしなくてはならない。だから客観的な評価が必要である・・・と言うところまで話が進んだ。
今回からしばらく僕達の用いる評価について検討しよう。
僕達、リハビリのセラピストが用いる評価は要素レベル、動作レベル、行為レベルの3つに分けられる。
要素レベルには、筋力や関節可動域、感覚、痛みなどの検査がある。
この検査はもともと「全体の振る舞いは個々の要素の振る舞いを調べることで理解できる」とする要素還元論の考え方に基づくものだ。この考え方は現在の科学の主要な考え方でもある。何か問題、たとえば「転倒しやすい」が起きると、全体を個々の要素や部分に分けてそれぞれを調べるのだ。そして問題のある要素と部位、たとえば下肢筋に筋力低下があれば「これが原因で転倒しやすくなっている」と因果の関係を想定するのである。
もちろんこのような単純な因果の関係が成り立つ場合もある。しかし人の運動システムのような複雑なシステムでは、通常要素レベルの問題と全体の問題との間に必ずしも因果関係が成立するわけではない。筋ジストロフィーの子どもたちは股関節周囲の筋力が重力に逆らえないくらい弱くても、骨・靱帯の制限を利用する骨靭帯方略によって歩くことができる。肩回りの筋力は弱くても、拳を頭の上まで持ちあげ、振り下ろして相手の頭を叩いて喧嘩することもできる。96歳のおじいちゃんで、片脚立ちはできなくても立ったまま靴下を履くこともできる。
要は人の運動システムでは、筋力や可動域のような要素レベルだけでは動作レベルの問題を説明できないことは多々あるのである。なぜなら人の動作レベルは筋力や柔軟性などの要素、つまり運動リソースだけではなく、それらの利用方法である運動スキルによっても成り立つからだ。
筋ジスの子どもたちも96歳のおじいちゃんも、筋力という運動リソースの不足を運動スキルの発達によって補うことができるからだ。つまり元々要素レベルの評価は、全体の問題の原因を要素レベルに探るための評価なのである。僕達の訓練効果を表す評価としては不適ではないか。
というのも「筋力や可動域が改善したので訓練効果があった」というセラピストもいるのだが、元々僕達の仕事はそういった要素を改善するのが目的の仕事ではない。
僕達の仕事の目的が身体の部分や要素などの改善だけにあるとすると、とても寂しい話だ。機械の修理で言うなら、「ギアが壊れていたから交換しました。ええっ?まともに動かない?それは僕には関係のないことです。僕の仕事は壊れた部品を直したり、交換することですから」と言っているようなものだ。とても一人前の修理工とは言えないだろう。可動域が改善したから「訓練効果が出ました」などと言っているようではやはり仕事は任せられない。
痛みの治療だって同じだ。動作レベルの問題が変わらないなら、「楽になりました」とセラピストに気を使って言っているだけかもしれない。
つまり要素レベルの評価はそもそもが、訓練効果の判定のためにメインで使える評価ではないのである。効果判定のためには、リソースの変化はもちろんスキルの変化を含む評価が必要なのである。
次は行為レベルの評価であるADL検査について検討しよう。(その7)
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西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その5)
さて前回は、「学校でも習ったし、本にも載っていたし、EBMでも裏付けられている。だから、このアプローチで良いのだ!」などという特定のアプローチに対する幻想を持ってやっているのではないか、ということを述べた。
「そのアプローチで良い」という幻想を持っているのでその結果、訓練実施に当たってそれは失敗とは考えないし、フィードバックも必要としていないのではないか。
リハビリの中でも、特に脳性運動障害はやはり複雑であやふやで明確に説明されない現象が多く、セラピストも何をどうやったらよいか不安なのである。だからリハビリの権威や「EBMでは・・・」などという下りに弱いのである。
「ああ、これをやっておけば、自分の義務を果たせるらしいぞ。これで安心!」などという心の動きが生まれるのではないか。しかも盲目的に従ってしまうので、自分で変化を判断できなくなるのだろう。あるいは、ありのままを見るのではなく、見たいものだけを見るようになってしまうのではないか。
こうなると自分のやっていることは失敗ではなくなってしまう。権威者や一論文の言うままにやっているのであって、悪いのは自分でなく、他の誰かさんである。だから自分のせいではない。権威のある人達のアイデアに従っているので、暢気にもまさか失敗しているとも思わない。
これでは自分のやっていることの修正ができないのが当たり前である。先にも述べた通り僕達の仕事は多様性や個別性に富む運動システムを相手にしている仕事である。当然失敗はつきものだ。順調に全てがうまく進むことはあり得ない。
もちろんEBM自体は価値のあるものだし、目安にはなると思う。だからといって自ら効果判定に関する判断を止めてしまって良いということにはならない。
僕達セラピストの仕事の成功は失敗の先にある。日々の仕事は失敗の連続であって、それを活かしてこそ、その先に漸く数少ない成功を得るのが普通である。だからEBMや権威ある人達の言うことを盾にとって、「それが正しい」などという幻想を持つのは間違っているし、自ら訓練効果の判断を止めて盲目的にその方法を実施するのはもっての他だ。
EBMは聖書ではない。手続きの基準であり、そして批判の対象でもある。
科学は批判によって進化する体系である。EBMに盲従し、何も考えなくて良いと言うことではない。そのために各個人で客観的な評価の重要性を知って実施するべきだ。
次回はこの客観的な評価について検討してみたい。(その6に続く)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その4)
「訓練効果が見られないまま同じ訓練を続ける」場合は、次のような理由もあると思う。それは以下のような強い思い込みである。
たとえば「○○というアプローチをすれば、脳性運動障害は改善するものだ」という信念というよりは幻想があるのだ。「学校や講習会で教えられたから」という理由だったりする。あるいは「EBMで客観的な効果判定が証明されている。だから間違いない。これさえやっとけば大丈夫!」という安易で、暢気な強い思い込みがあるのではないか。
リハビリの世界ではこのような「思い込み」が意外に多いのである。
ずっと以前は「脳性運動障害後には体が硬くなる痙性麻痺が見られるが、この痙性麻痺が随意運動の出現を邪魔している。だから硬さを改善すれば、随意運動が自然に出てくる」と科学的根拠もないままに言われ、信じられていたものだ。
実際には硬さを落としても、重度麻痺では低緊張や筋力低下が露わになる。軽度~中等度では、硬さが取れると柔軟性という運動リソースが改善し、筋の硬さによる抵抗がなくなるので動きがスムースになったり運動や重心の移動範囲が大きくなったりする。これをまるで脳性運動障害そのものを改善していると勘違いする場合もある。実際には麻痺による低緊張状態を解決するために運動システムが採った外骨格系方略だし、その偽解決状態となった硬い状態によって低下している運動パフォーマンスを改善しているので、脳性運動障害を直接改善しているわけではない。
また「運動の不正確さは深部感覚の低下が原因である。だから深部感覚の訓練をして、深感覚を改善する必要がある」という例もある。しかし、運動の不正確さも深部感覚の低下もたとえば脊髄細胞が壊れたことが原因である。因果の関係を間違えているのである。因果の関係なら、運動と深部感覚低下の両方の原因である壊れた脊髄細胞を構造的に再生するしかない。しかし今のところ、リハビリでは不可能である。さらに脳卒中後に「歩行が不安定なのは立ち直り能力の低下である」と言って、座位で立ち直りの訓練を行うのも間違った思い込みである。歩行が不安定なのも立ち直り能力が低下しているのも、脳の細胞が壊れたことが原因である。
正しく因果の関係を採るなら、「壊れて失われた脳の機能を構造的・機能的に再生する」ということになる。これまた今のところリハビリでは不可能である。
最近聞いたところでは、「脳卒中後に早くから歩行することはEBMで訓練効果が認められている。アクティブに運動をすると、脳の血流が増えて、壊れた脳細胞が再生しやすいのだろう」と発言しているセラピストに出会った。本当にそうなのか?目の前で起きている現象もそれを表しているのか?
しかし頭からそれを信じている様子で全身麻痺で動きのない患者さんを二人がかりで立たせて歩かせる訓練を日々繰り返していた。結果、日々体が硬くなっただけだ。家族は以前、右の手脚はもっと動いていたのに、最近では全身が硬くなってほとんど動かなくなったと思う、と不安を持たれていたのだが。
まあ、昔から医学界にはこのような幻想がつきもののようだ。中には運良く結果がよかったりすることもあるのでこの風習の様なものは止まないのではないか。早い話、「これさえやっとけば大丈夫。学校でも習ったし、本にも載っていたし、EBMの後ろ盾もある。だから、このアプローチで正しいのだ!」などという幻想を持ってやっているので訓練実施に当たって、フィードバックや効果判定を必要としていないのではないかと思われる。あるいは自分の見たいものだけを見て、「この変化もこの訓練のおかげ」などと信じているのではないだろうか?
目の前の現象がいくらでもあるのに、まったく自分で見て、判断しようとしないのだ。(その5に続く)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その3)
さて、このシリーズでは「セラピストが変化のない訓練を続けるが、これが失敗と認知されない問題」を検討している。
「失敗の科学」では心理療法士の例も挙げられている。
心理療法士の仕事は、患者の精神機能を改善することだが、治療が上手くいっているかどうかの判断基準が曖昧ではないか。治療結果のフィードバックはどこにあるか?彼らのほとんどの判断基準はクリニック内という特殊な状況下での患者の観察あるいは反応である。また患者はセラピストを喜ばせようと「良くなった」と誇張して言うことはよくあるそうだ。(これは僕達の臨床でもよく経験します(^^;))
更に治療後患者がどうなったかという長期的なフィードバックもない。だから心理療法士は多くの時間をかけて臨床経験を積んでも臨床的な判断能力が発達しないという。
この説明についてこの本ではゴルフスィングの練習が例としてあげられている。
ゴルフ練習場で的に向かって撃つ練習では、一球一球打つ毎にフィードバックが得られる。それで的に近づけるように一球一球集中して的の中心に近づくような修正が図られる。スポーツの練習はこのように試行錯誤の連続だ。この一つ一つの失敗が修正を生み、的確に的に近づけるスキルを獲得していく。失敗から学ぶとはまさしくこういうことだ。
しかしもし暗闇でゴルフをしたらどうなるだろう?一球一球のフィードバックがないので、修正も起きない。結局いくら打っても必要なことは学べないと言う。
なるほど、これらのことは僕達の臨床でもよく見られそうである。
たとえば患者さんに「訓練してみてどうですか?」と聞くことはよくある。この意見は大事だ。しかし中には「最近動くのは楽になりましたか?」とか「どうでしょう、楽になったでしょう?」などとあからさまに聞くセラピストもいる。これでは患者さんもセラピストの求めているものを慮(おもんばか)って「おかげで大分良いですよ」などと答えざるを得なくなるだろう。
もちろん患者さんの主観的な意見を聞くことは大事なことだが、患者さんの感想や自分の見たい現象だけを見ているようではその訓練を失敗としてみないだろう。これでは客観的な効果の判定はできそうにないし、自分の訓練が失敗だと判断することもないだろう。
これを防ぐために客観的評価があるのだが、この訓練効果の評価の問題はなかなか複雑である。この客観的な評価についてはこのエッセイの後半で少し検討できればと思っている。
次回は、変化のない訓練が失敗と考えられない他の理由を探ってみたい。(その4に続く)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その2)
ここでは「変化の起きない訓練を繰り返す」ということの問題について考察するのに、最近読んだ本の内容を紹介したい。今回の議論に大きなヒントになるかもしれない。
「失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織」マシュー・サイド(Kindle版電子書籍か単行本)
本ではまず次のような内容が紹介される。手術や診断に失敗した医者が失敗を認めようとせず、「最善を尽くしましたが、期せずしてこういうことが起こるものなんです」などとその結果を正当化することはよく見られるらしい。
この言い訳をする医師が決して不誠実というわけではない。医師はまじめで真剣に患者さんのことを治そうと思っている。しかしそれを失敗だとは認めない。
一方、対照的なのが航空業界である。航空業界では事故やヒヤリ事例が起きると、徹底的に検討して事故やヒヤリ、すなわち失敗の原因を徹底的に探り、解決策が検討され、その結果はわかりやすい言葉で世界に公開される。皆が失敗から学び、次の失敗を回避することで安全な運行ができる分けだ。
しかし医学界には完全さの神話(「私は失敗しない」)のような理想主義があり、自分が失敗したとは容易に認められないらしい。これがあると、失敗を認める自分は「間抜けで医者として失格」のように思われる。
まあ人は誰でも「自分は頭が良く、できる人間だ」と信じることが多いので、目の前の失敗を認めると自らの存在に矛盾を感じてしまう。
そこで「失敗ではない。あれは非常に難しい状況だったので誰もが成功するはずのない例だったのだ、だから失敗ではない」と自分に説明するわけだ。
現実に医療の仕事は複雑な多くの状況が同時に繰り広げられていることが多いので、そのような言い訳をしたくなるのもよくわかる。1日何十人も診てそれぞれに個別性も高い。複雑さのレベルが非常に高いと言える。だから元々失敗して当たり前の職業なのだが、医師自体は上記の「失敗してはいけない」という強力な理想主義の枠組みに縛られているわけだ。
しかし、医師は失敗の存在を認めないので、結果的に失敗から何も学べないという。そして熟練した医師でさえも同様にいとも簡単に失敗してしまうし、むしろ熟練したあるいは社会的評価が高い医師ほど失敗を認めない傾向があるようだ。
実際、アメリカやイギリスの研究では、医療過誤は莫大な数だが、現場の医師はそれを認めていないそうだ。これでは航空業界に比べてなかなか改善は望めない。
しかし医療界でも医師が失敗と認めて改善に取り組んだ結果、大いに成果を出した例がこの本では紹介されている。それまでは「それは起きても仕方ない」と言われていたものが実際には大いに改善されるわけだ。
さて今回の例は、「セラピストが変化のない訓練を続けるが、これが失敗と認知されない問題」とは少し状況が違うか?ただセラピストの中にも失敗を認めないものは多い。かくいう僕もそうだった。自分のミスを認めるのは大変しんどいものである。
まだ結論は出さないで、もう少し別の視点を検討してみよう。(その3に続く)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その1)
以前から気になっているのだが、「その患者さんには改善らしい変化が見られない訓練なのに、日々同じ訓練が繰り返されている」例を見ることがよくあった。
リハビリの訓練を行う意味は、色々に言われるかもしれないが、基本的には「可能で必要な生活課題達成力の改善」ではないだろうか。生活課題達成力とは、患者さんの一人一人が工夫と練習で獲得可能であり、それによって何らかの生活の充実あるいは利益が得られるような生活課題を達成する能力である。
たとえば健常なスポーツ選手なら全速で走って、跳び、安全に止まるなどに加えて非常に高度で複雑で個々の競技に応じた運動課題の達成力が求められる。一方四肢麻痺で動けない人では、身体をできるだけ安心・快適な状態にしたり、維持したりするという生活課題の達成力が求められるかもしれない。まあ、個々の患者さんによって求められる生活課題は随分異なるし、そのために求められるリソースやスキルも患者さん毎に千差万別だろう。
僕達セラピストは、達成可能で必要な患者さんの生活課題を患者さんと共に探索し、決定し、その改善に向けて計画・修正・工夫・試行錯誤をしてその達成力の改善に努めなくてはならない。
しかしどうもそのような目標を持っているのかいないのか、ひたすらどの患者さんにも似たような訓練を実施、繰り返してはいるもののあまり変化の起きない例を見る。達成可能で必要な生活課題の達成力が改善していないようだが、どうもこれは失敗と認知されていないのではないか?セラピスト本人も回りの同僚もそれを失敗とは思っていないのかもしれない。そしてそれは失敗と認知されないから反省もなく、改善も進歩もない。
もちろん現場では好ましい変化のある例もたくさん見るが、問題は両者にどのような違いがあるかと言うことかもしれない。
僕達は失敗から反省し、修正し、多くを学ぶ職業についている。だから何が失敗であるかを知っておくことは非常に有意義である。もちろん全ての例で容易に変化を起こせる訳ではないだろう。しかし明らかに最初から「それさえやっておけば良いんだ」という態度の訓練もあって、それが失敗と捉えられないのがとても気になるわけだ。
本シリーズでは、僕自身の自戒も込めて「変化の起きない訓練を続ける」ことについて、いろいろの視点から考えてみたいと思っている。(その1)
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不自由な体で孫の仇討ち-新興犯罪組織首領殺人事件
小説から学ぶCAMR 最終回
ここまでノートパソコンに一気に文章を打ち込んだ。既に4時間が経っていた。
頭がすっきりして、何をするべきか、どう振る舞うべきかがはっきりとした。
藤田さんは僕が復讐に気がついたと判った瞬間から、僕に迷惑をかけるつもりはないとみんなに言って回ったわけだ。もし僕が復讐に気づいていたとしても、藤田さんが僕を騙し続けていたとみんなに判らせるためだろう。
いずれにしても僕の今の気持ちは固まってきた。僕一人、うろたえてここに逃げ込んでいるわけにはいかない。知っていたのに止めることができなかったということに道義的責任を感じているとみんなに言おう。どうなるか判らないが、できれば仕事に戻りたい。僕はこのリハビリの仕事が大好きなのだ。
荷物を片付け、フロントでチェックアウトを済ませるとホテルを出て、車で職場に向かった。その日の午後遅くには事務長と向き会っていた。
その後の経過や判ったことを書いておきたい。
藤田さんが正月明けにデイケアに来た目的は、入浴して清潔な格好をし、体は不自由だが、目立たない一市民として町に溶け込むためだったようだ。タンスから清潔な服を出したり、新しいものを買ったりしては、毎週デイサービスの入浴時にそれに着替えた。1週間毎に泥だらけになって現れる藤田さんには、入浴スタッフも閉口していた。
藤田さんの自宅や自宅倉庫の壁、家具、建具、布団、そして裏の空き地の立木には、先を尖らせた手製の槍で突いた跡が無数にあったという。空いた時間があればそこで駆け寄っては突く練習をしていたという。
デイケアの翌日からしばらくは、清潔な姿をしてタクシーで青木の住む町を訪れた。そしていろいろな場所や角度から青木を探しては観察したらしい。
そのうちに青木は週に何回かは夕方、事務所から歩いて十数分の自分のマンションに向かって歩いて帰ることが判った。青木は普段ビジネスマンらしく見せるためにスーツを着用していた。そしてマンションに帰って派手な遊び人らしい服に着替えて、夜の町に繰り出していたとのこと。
マンションに向かうときはいつも一人だ。その道は鉄道に沿っていて、車道脇に幅1メートルの狭い歩道がついている。所々に外灯がある。まだ暗い時期だった。所々がスポットライトを浴びたように明かりの柱ができる。藤田さんは青木が通るだろう夕方の時間帯にはよくそこを青木のマンションに向かって歩くようにしていた。週に2~3回は青木が追い越していく。
青木がそばを追い越すとき、「おっと、ごめんよ!」と必ず大きな声をかけることがわかった。親切心と言うよりは、自分が追い越すときに触って倒れて、自分に面倒がかかることを恐れてのことだろう。
そのようにして藤田さんは青木にとってのいつもの町の風景に溶け込んだらしい。杖は突かず、いつも手に持って歩くようにしていたが、夕方には暗い時期だったし青木は元来、そんなことは気にもかけなかったろう。
最初は追い越されたその時に後ろから背中を突こうと考えたらしい。当然、前から目的が果たせる訳はないだろうことは判っていた。いくら体が不自由で相手が油断していたとしても、瞬間的に避けられる可能性がある。しかし青木が藤田さんを追い越すときには、少し横向きになって急ぎ足に追い越すので、一気に前に出てしまい、少し距離が空いてしまう。実際に二度襲う予行演習をしたが、青木の脚は速く、自分の力が安定して出せる距離に詰めることは難しかった。急ぎ足で近づくのは、自分が確実にできること以上のことになってしまう。つまり転倒の恐れも高まる。
結局、刑事に語ったところによると、青木が急ぎ足で追い越して前に出て普通に歩き出そうとした瞬間、「おい、青木!」とできるだけの大声で呼びかけた。青木は一瞬立ち止まった。そして今にもゆっくりと振り向いて「なんだ、このじじい!なんで俺の名前を知っている?」とでも言いそうだったという。
しかしそれより早く藤田さんは青木が立ち止まった瞬間に杖を胸に構えて青木の背中に突き進んだ。そして練習通りに突き刺してそのまま青木とともに前方に倒れ込んだ。付近で悲鳴が聞こえた。やり遂げた達成感と満足感でもう動けなくなった。そして息があるかどうかわからない青木に向かって「昭の仇じゃ」と言い、そのまま気を失ったという。
どうも話を聞いていると、バランスを崩す実験をやったとき、このやり方を思いついたのではないか。後ろからとは言え、自分より早く進む相手を確実に刺し通すことは困難だと悟っていた。そして自分で確実にできることを中心に状況を変化させる、つまり青木を立ち止まらせることを思いついたのだろう。だからそれ以降、デイケアには来られなくなったのだろう。
イヤ、単に僕が復讐に気がついたから来られなくなったのか。もちろん僕の思い過ごしかもしれない。藤田さんならそれくらいは自分で思いついただろう。
これから裁判なども行われるが、結果はどうなるかは判らない。
僕はみんなから「考えすぎだよ」と言われ、何事もなかったように職場に復帰した。警察にも連絡し、事情を話した。しかし施設に持ってきた鉄筋の杖の先が尖っていたことは黙っていた。ずるいとも思ったが、藤田さんも僕が関わるような状況は望んでいないだろうと思ったからだ。
結局、復讐をするという確かな証拠もなく、藤田さんがとびきり頑固な性格だったことからも、やむを得ないこととして片付けられた。マスコミも利用者さんなどを取材した後「担当理学療法士にはなんとなく藤田さんの復讐を疑っていたようだが、明確な証拠もなく、藤田さんも頑固に企みを隠し続けたようだ。担当理学療法士はそれでも道義的責任を感じて、一時落ち込んでいた」といったニュアンスで報道した。全てが落ち着いた。
僕としては、もっと藤田さんといろいろと話したかったし、犯行を止められなかったことは悔やまれる。とは言っても藤田さんが選んだ人生はそれだったのだ。藤田さんはまたしても自分の人生で、一つの大きな目標を達成したわけだ。
もし話せる機会があれば、「良く頑張られましたね」と一言、労(ねぎら)いたい。きっと「おう、当たり前だ!」という威勢の良い言葉が返ってくるに違いない。(終わり)
【CAMRの基本テキスト】
西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
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西尾 幸敏 他著「脳卒中片麻痺の運動システムにダイブせよ!: CAMR誕生の秘密」運動システムにダイブ!シリーズ①
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不自由な体で孫の仇討ち-新興犯罪組織首領殺人事件
小説から学ぶCAMR その13
次の週の藤田さんのリハビリの時間、最初こう言った。
「久しぶりにまた実験してみませんか?」
「おう、なんだ?」
と興味を持たれたようだ。例の鉄筋で作った杖を持っている。
「現在のバランス能力の程度を見てみましょう。まずそこ、ベッドの前に立って見ましょう。それで僕が動きますのでそこにずっと立っていてください」
そうして、藤田さんに低い訓練用ベッドの前にたっていただいた。少し藤田さんから離れると、藤田さんの前を何度かランダムに通り過ぎた。そして何度目かに突然方向を変えて、藤田さんに向かっていった。藤田さんはいとも簡単にバランスを崩して後ろのベッドに尻餅をついて座ってしまった。
「何をする!なんだ、びっくりしたぞ!」
やや怒りが感じられた。
「そうですね。申し訳ない。もう一つ行います。ではもう一度立ってみましょう」
藤田さんは渋々と立ち上がった。
「そこに衝立(ついたて)がありますよね。それをここに持ってきますので・・・」
と衝立を持ってきて藤田さんの正面に置いた。
打ち合わせ通り涼君を呼んで、衝立の後ろに立ってもらう。この衝立は以前、姿勢調整の実験に使っていたもので倉庫から引っ張り出してきた。畳ほどの大きさの白い壁に10センチ四方の碁盤の目のように縦横に黒い線が引いてある。この碁盤の目の模様が描いてある板は衝立の上の枠にぶら下げられているが、下は固定されていない。前後や左右にわずかに動かせるようになっている。
「まっすぐに立っていてくださいね」と言った。
涼君が後ろから板をわずかに遠ざけると藤田さんは前に体が出そうになる。慌てて抱きとめる。同様に板を近づけると後ろに、右にずらすと体は右に傾いた。いずれも抱きかかえて転倒を防いだ。
それらが終わると涼君に衝立を片付けてもらった。涼君にはもちろん僕の意図は話していない。バランスの実験を行うとしか伝えていなかった。
落ち着いてから藤田さんに話した。「この実験は視覚的な刺激で、いとも簡単に体のバランスが崩れてしまうという実験です。特に藤田さんはバランス能力が健康なときより低下している分、小さな刺激でも影響を受けて倒れやすいのです。実際に手を触れなくても見ているだけでバランスを崩されましたね。
人混みなどで健康な人に対する場合、相手がこちらの体が不自由なことを知って振る舞ってくれれば大丈夫ですが、気づかないで、あるいは悪意を持って近づかれるともう逃げることもできませんよね」と言葉を切った。
藤田さんの表情を見る。途中から何か考え込んだ様子だ。
実はこの板の実験は健康な人でもバランスを崩してしまうこともある。しかし藤田さんには体のバランスが非常に悪いと理解してもらうためにそのことは黙っていた。
しばらくして藤田さんは口を開いた。
「わかった。そういうことだな。自分にできることを中心に考える。そして回りの環境や状況を変化させるわけだ」
「いや、そんなことじゃなくて!・・・・危険なことはやめていただきたいのです!藤田さんは昭君のために何か危険なことをしようとしているんじゃないですか?」
藤田さんはしばらくあっけにとられていたが、そのまま考え込んだ。長い沈黙が続く。そして口を開いた。
「海よ、お前は何か勘違いしとる。海は俺の恩人だ・・・・・俺の人生の恩人だ。おかげでこうしてまた一人暮らしができるようになった。やりたいことができるようになった。そんな恩人のお前を裏切る気はない。お前にもらった人生だからな、昭のためにも精一杯人生を生きるつもりだ。
それに今海も言ったように、俺の体はバランスが崩れやすい。こんなことは言われるまでもなく、これまで何度も経験してきた。
お前は俺が昭の復讐でもするんではないかと心配しとるようだが、とんだ杞憂だ。俺は確かに執着するが、これまでも自分にできると思ったことだけに執着してきたのだ。自分にできないと思ったことは諦めるようにしてきた。それが俺の成功の秘訣だ。いいか、あんな青木のようながっしりした大男に俺が復讐なんて考えるだけでもできそうにもない。そんなことで、お前にもらった人生を無駄にしたくはないんだ!」と最後は力を込めて締めくくった。
僕はその迫力に推されて頭の中が真っ白になった。なにか言うべきだったが、なにも言えなくなってしまった。
「今日は訓練はいいぞ。いろいろと俺のことを心配してくれてありがとうな!」と中庭の方に向かって行った。
後から「なんで相手の名前やがっしりした大男だと知ってるんだ?」とかすかに感じた。また「杖先を尖らせているのを知っている」と言うつもりだったのを思い出した。また次回、言い方を考えて説得し直してみようべきか・・・・それとも本当に僕の杞憂だったのか?
その日の午後、藤田さんはデイケアの他の利用者さんやスタッフに向かって、積極的に話をして回ったようだ。「海先生は、俺の人生の恩人だ。ろくに歩けんかった俺をここまでにしてくれた。感謝してる。これからもこの体を大事にして、先生にも迷惑をかけないように生きていきたい」などと言って回ったようだ。
これまでは孫の自殺についての話題を避けるように僕と涼君、相談員以外とは話をすることを避けてきたようなのだが、「少しびっくりした」とその日の夕方、職員達は話し合った・・・・この日以降、藤田さんはデイケアに来なかった。その2週後に復讐を果たした訳だ。(最終回に続く)
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不自由な体で孫の仇討ち-新興犯罪組織首領殺人事件
小説から学ぶCAMR その12
新年早々、デイケアに藤田さんが来られた。汚い服のまま、新しい服を鞄に入れてこられた。入浴後見違えるほど清潔な姿でリハビリを受けられた。古い服は捨ててもらったとのこと。自作の杖ではなく、市販の杖を突いておられた。
体は確かに幾分こわばっているが、可動域自体は予想以上に保たれていた。多様な身体活動を続けておられるのだろう。僕の経験、「多様な全身運動を続けると硬くなることを防ぐ」はここでも証明されたわけだ。
お互いに以前のように打ち解けて話すことはなくなった。僕も少し遠慮していたし、藤田さんは以前のように自分から話をされることはなくなった。こちらが質問すると、それに答えるだけだ。上田法が終わると「久しぶりに体が軽くなった。ありがとうな」と笑顔で言われた。
それ以来、週1回デイケアに来られる。入浴をして、リハビリで上田法をした後、前の坂道を早足で歩く練習をされた。もう少し難しい課題にしてくれと言うので、バックパックを背負ってもらい、その中に重りや水の半分入った2リットルのペットボトルを入れたりした。背中でペットボトルの水が揺れて、バランスを崩す刺激になるのだ。また手脚に重りを巻いたりもした。
デイケアには中庭があり、なだらかな起伏のある芝生広場になっている。自立している利用者さんは空いた時間はそこで自由に過ごして良いことになっているため、藤田さんは入浴とリハビリ、食事の時間以外はそこで歩いて過ごされた。短距離でダッシュするような動きを再々されていたので気になって聞いたが、「なんとなく良い気がする」と言われるのみだ。雨の日は傘と重りを持って歩いたりされた。
2月の終わりには自作の杖を突いて来られた。軸の部分は直径1センチ、長さ1メートルの鉄筋で、一端に普通の杖よりは太く、長い丸太が握りとしてついていた。杖の先にはゴムのキャップが突いていた。市販のトレッキングポールの先ゴムをはめたのだろう。しかし鉄筋のデコボコの軸の部分が無骨で見た目にも異様だった。みんな目を丸くした。
庭ではバックパックを背負い、杖を突かずに浮かせて持って歩いていた。
「鉄筋の杖だと少し無骨なので」と青いビニールテープを軸に巻くことを提案した。藤田さんもそう思ったらしく「おう、頼む」と言ったので、預かってテープを巻いた。
涼君が話かけて気を逸らせていたので、隙を見てゴムのキャップを取ってみた。鉄筋の先は鋭く尖っており、磨かれた銀色で油を塗っているため鈍く光っていた。思わず唾を飲み込んだ。予期したこととはいえ、ビックリした・・・明らかに凶器の見栄えだった。
慌ててキャップを元通り戻し、「できたよ」と言って渡した。喉が渇いた。涼君にはこのことは黙っていた。今思うと、藤田さんは時間の全てを復讐の準備のために使っていたのだろう。「時間がもったいない」というのはそういうことだ。
作っていた杖のうちの一つが凶器となった鉄の槍だ。長さ1メートル、直径1センチの鉄筋で、先は鋭く尖らせていたそうだ。そして反対側には、太さ3センチ、長さ20センチの丸太がT字型になるように杖の握りとして取り付けられていた。
杖の握りとしては明らかに大きすぎて不自然だ。犯行時、藤田さんはその木製の握りを右胸に当て、右手で先端を支えて青木の胸を後ろから突いたのだ。最終的に胸にしっかり固定できるよう太く長い握りにしたのだろう。
訪ねたとき、3本目と言うことは、それまでにも2本作っておそらくそれで何かを突いて練習をしていたのだろう。そして壊れたか、更に改良しながら何本か作っては試していたのだろう。持ってこられた杖が何本目かは聞かなかったのでわからない。
それからの一週間は悩んだ。藤田さんの復讐の企ては明らかだ。なんとか説得して復讐を諦めてもらうべきだと考えた。でなければ藤田さんの先の人生が終わってしまう。でも人に言われて考えを変える人ではないのかもしれない。何とかしなくては・・・・(その13に続く)
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西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
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