運動の専門家って・・・何?(その2)
前回は、リハビリのセラピストは「運動の専門家だから、患者さんに正しい運動のやり方を教えて」と他職種から言われて悩んでいたところ、「正しい運動感覚入力で脳に運動プログラムを再学習させる」と言われて、「おお、スゴイ!これなら良いじゃん、リハビリ!」と思ったところまでです。
早速僕はそのアプローチの講習会に申込みの電話をしたのですが、「2年先まで一杯だから・・・」と断られてしまいました。 「これは困ったぞ」と言うことで、僕の住んでいる地域で開かれるその手の勉強会・講習会には全て申込み、色々と資料も集めて勉強もしてみました。
ただ勉強会などで実技の実演などを見るとまた疑問が湧いてくるのでした。
一つは「正しい運動感覚入力」というのは、セラピストが動きを口で指示し、できないときはセラピストの手で介助するということだったのです。(介助とは呼ばずに「ハンドリング」が正式名称らしい)また収縮の欲しい筋肉にタッピングを入れて収縮を促したりします。
インストラクターの動きは迷いがなく、患者さんの患側上肢は滑らかに動くのです。会場の反応は「おお、スゴイ!あのぎこちなく、動きが小さかった患手が滑らかに大きく動いている」と好意的です。
日本人はだいたい礼儀正しいのでみんなスゴイ、スゴイで会場の雰囲気が作られます。その中で患者さんも喜んでいるようです。みんなも盛り上がっています。
でも僕はへそ曲がりなのでしょう、インストラクターはむしろ人形浄瑠璃の人形使いのように見えてしまいます。
患者さんの思いとは関係なく滑らかに動いている、いや、動かされている患側上肢。これを繰り返したら健常者と同じ動きになるのか?つまり麻痺が治るのか?
歩行練習もそうで、インストラクターが体幹から重心移動と脚の動きを介助(ハンドリング)して他動的に動かします。
終わってから質問します。「えーと、セラピストが介助して感覚入力を繰り返すと、患者さんの麻痺が治って、健常者の動きになるのですか?どれくらいかかりますか?」
「麻痺が治ると言うより繰り返していくと、健常な動きそのものに近づいていきます。時間は・・・・人によって違いますが、まあ年単位で見ていただくと最初の動きと変わっているのがわかると思います」
その日のインストラクターは珍しく饒舌で具体的にはっきりと答えてくれました。それでも「うーん」と思います。 疑問はいくつも浮かぶのですが、特に気になるのは、プログラム説では筋の収縮のタイミングや強さ、筋群間の協調などが再学習される訳です。でも実際にやっているのは教科書に載っているような健常な若者の歩行に近づけるようなことです。そして歩行動作を「他動的」にやっているのに過ぎません。
それで何を学習しているかというと、セラピストに動かされ、セラピストの感覚入力に対応する運動を学習していることになるので、その動きを出すためにはセラピストの感覚入力が必要ということになって、いつまで経っても独りではその動きは出てこないのではないか、と思います。
だって子どもは大人が感覚入力しなくても、自分から動いて運動感覚入力を経験しているわけです。自から動いて必要な課題を達成して、その運動スキルを発見・学習・発達させているのです。この「自ら動いて必要な課題達成をする」ことこそが運動学習の本質ではないでしょうか?
他人が動かすのはまるで脳をコンピュータの様に、セラピストをプログラマーの様に考えているわけです。セラピストが操る運動感覚で頭の中に運動プログラムを作る?人間はロボットとして考えられているわけです。まあ、変なこと!
また年単位で一つの運動を繰り返して漸く健常者の歩行の形に近づくと言うのだけれど、「健常者のたった一つの歩行の形を繰り返し練習するだけ?あるいは健常者のたった一つの歩行の形に近づくことに意味があるの」ということです。
「正しい歩行練習」とは教科書に載っている若い健常者の歩行の形で、これを再現できることを目標に真似をさせようということです。なんだかモヤモヤします。
世の中は、坂道や階段、狭い通路にアスファルト道路、凍った路面に砂浜、岩だらけの開墾地などと異なった環境を挙げればきりがありません。
健常者はそれらのどの路面でも適切な歩行を柔軟に生み出して適応します。つまりそれぞれの状況に応じて異なった形の歩行を生み出して対応しているわけです。
たった一つの歩行の形を年単位で繰り返して、様々な状況に対応した歩行を生み出せるようになるのでしょうか?
今思うと、むしろセラピストが目指すべきは、患者さんに若い健常者の歩行の形を再現してもらうことなどではなく、「状況変化に応じてその場に相応しい自分なりの歩行の形を柔軟に多様に生み出して適応的に歩く」能力ではないか、ということです。
「他動的に動かして感覚入力する」とか「一つの運動を繰り返す」など、なんだか色々な疑問が湧いてきて期待したものではなかったのです。(その3に続く)※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイを投稿しています。 最新の記事は「『正しさ幻想』はどうして生まれるのか?」 以下のURLから https://note.com/camr_reha
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運動の専門家って・・・何?(その1)
このページでは、「どんな立場に立つかで、障害の理解やアプローチは大きく異なる」ということを述べてきました。
「学校で習う要素還元論の立場」か「システム論を元にしたCAMRの立場」かで、障害の理解もアプローチも異なっている訳です。
単純にこの二つの立場を見比べると、お互いに対立して否定し合う、あるいは真逆のことを言っているように見えますが、実は得意とするところが違っているだけです。それで良く見ていくと両者の長所と短所は、お互いの長所と短所で補えるような関係でもあるのです。
「でも、CAMRは学校で習う知識やものの見方にかなり批判的ではないか!」とお叱りを受けることもあるのですが、それは要素還元論という方法論自体を批判しているのではなく、それに伴って生まれる様々な思い込みや勘違い、価値観を批判しているのです。
今回は要素還元論にはどんな思い込みや勘違い、価値観がともなっているのか、そしてその原因は何かを考えてみようと思います。たとえば以下のような説明を聞くことがあります。
「医療的リハビリテーションのセラピストは運動の専門家であり、正しい運動を指導するのが仕事の一つである」
これをどう考えますか?あなたは運動の専門家ですか?運動の専門家って何を知っていて、何をしているの?
僕がまだ新人の頃、「リハビリのセラピストは運動の専門家である。だから患者さんにちゃんと正しい運動のやり方を教えてあげなさい」みたいなことを、他の医療職からも患者さんからも言われたりしていました。今もそんなこと言われてます?
だから僕は歩行介助が少しプレッシャーでした。というのもただ患者さんが転倒しないようについて歩いているだけでは「ダメではないか!専門家らしく、なにか教えたり指導したりしないといけない」などと内心で焦ったものです(^^;)ただ黙ってついているだけでは、仕事をしていないように感じてしまったのです。
それでやたらと口を出したがる。「背筋を伸ばして!」とか「脚をまっすぐ振り出して!」、「足は踵から着いて!」などです(^^;)すると、「頑張ってもできんのじゃ!まずお前が足を治してみろ!そしたらお前の言う通りに歩いちゃる!」と患者さんに怒られたりする(^^;)なるほど、運動の専門家ならそれが当然ですよね。でも、できない・・・
他の患者さんで、注意をすると1-2歩は、指示に従って何とか変化するのですがすぐに元に戻ります。これを何度も繰り返すと、「一々言ったところで無駄なんじゃないか?」と思うようになります。「だって、麻痺があるからできないわけで・・・本人もやろうと努力しながらもできないわけで・・・患者さんだって、頑張ってるのにできないんだから、しつこく繰り返すのは気分良くないだろうな、やっぱり・・・」などと思ったものです。
周りの人達に話すと、「いやいや、繰り返すことによって次第にできるようになる。繰り返しが大事なのだ!これを途中で諦めたら、そこでおしまいだ。セラピストは根気が大事」などと言われてしまいます。
そんな時に「言葉で言ったところで無理だ。運動を変化させるためには、正しい運動感覚をセラピストが入力して『脳というコンピュータにその正しい運動感覚を再学習して』もらえば良いのであーる!」という話を聞いて夢中になりました。
「何だ、これこそセラピストの仕事ではないか!『運動プログラムの再学習!』なんと魅惑的な言葉だろう。これは間違いなくセラピストの仕事を価値のある唯一無二のものにするに違いない」などと思ったものです。
まずは「ただ指示を繰り返しても無駄」と言われてすっきりしました。その代わりに「正しい運動感覚入力による再学習」だと説明してきます。これもなんだか新しいアイデアの感じがして好ましく思ったものです。(後にこのアイデアは運動コントロールの「プログラム説」と呼ばれることを知ります)
ただこれは新たな困惑と疑問への入り口だったわけです(^^;)(その2に続く)※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイをアップしています。最新の記事は、「リハビリのセラピストはプログラム説がお好き?」https://note.com/camr_reha/n/n839fe9ed4275
過剰な情報と知識の中で
僕は30代の後半から10年間、リハビリ養成校の教官をしていた。その頃は科学的な知識や最新の情報は「パワーである」みたいなことを感じていたと思う。
だから講義・講義準備や事務仕事以外には図書室にある英語雑誌を読むことに当てていた。
友人との議論でも科学論文から仕入れたアイデアを振り回したものだ。一応リハビリ医学は科学を礎としているという共通認識があるので、科学論文から得られる情報と知識は業界人には特別にパワーを感じさせるものだった。
だからその頃はますますたくさんの最新情報と知識を得ようと頑張ったものだ。
ただ40代の後半になって臨床の場面に戻ると、なんだか勝手が違うことに気がついた。論文で得た知識や情報はしっくりこないことも多い。中には実際の患者さんで試すと全然うまくいかないばかりか却っておかしくなるようなものまである。
それで漸く知識や情報だけではダメで、経験も同様に大切であることに改めて気がついた。先輩セラピストの経験的なアプローチの優れた点に驚かされた。患者さんが自ら発見した運動スキルや課題達成のための工夫の素晴らしさにも感動した。
今思えば、知識や情報を偏重する姿勢はアベノミクスの金融政策にも似ている。理屈では金利を下げればお金が市場に潤沢になり、経済の好循環を起こすはずだった。しかし結果はご存知の通り。市場は様々な要素の相互作用から成り立っており、金利などの一要素だけで単純・素朴に期待通りの結果に反映されるわけではない。
同じようにリハビリ医学関係の知識や情報も、実際の経験の中で吟味される必要がある。
科学的視点からの研究では一要素の振る舞いと全体の振る舞いの間に因果関係を想定しているものが多い。アベノミクスのように一因子が全体の結果に与えると想定される単純な因果関係を述べているだけだ。
でも現実の現象、社会の動きや経済,そして人の運動変化なども一要素の影響だけでなく、様々な要素の相互作用の中で安定状態にいたるものだ。科学論文で言っているような一要素で効果が得られるものでもない。他の要因が異なれば、むしろ害を及ぼすことだってある。
現在も科学的知識や情報を丸呑みして信じているセラピストに会うことがある。いわゆるガイドラインとかEBMである。「私は科学的に効果が証明されているアプローチしかしない」と宣言する。「それ以外の方法は,民間療法のようなものでやるに値しない」とまで言う。
だが科学だって間違う。珍しいことではない。コレステロールだって最近「体内で作られる」と言われるようになったが,以前は食物から摂取すると言われていた。僕はゆで卵が好きでいくつでも食べたいのだが、食べると「コレステロール値が上がるからダメ!」と言われて何度悔しい思いをしたことか!(^^;)
実際、人のすることだから様々な雑念に影響される。米国の疾病対策予防センターはコロナが流行るまでは「科学的にマスクは医療職以外がしても効果がない」と言っていた。でもコロナ禍になると「マスクは効果的」と言い出した。また日本の研究者は、虚構の科学論文をいくつも提出していたしね(^^;)
つまり科学とは、元々丸呑みして信じるようなものでもないだろう。科学は疑問が常に起きて議論が起こり、時間と共に修正されていくものなのだ。
それに人が「正しい」と決めたことしかやらないのなら、マニュアルに従って工場の生産ラインに立つようなものだ。工場の生産ラインでは部品の均一性が高いのでそれで良いのだが、人は個別性が高いものである。だからセラピストは勉強するし、工夫もしてなんとかしようとする。それが「経験」と呼ばれる一つの大きな能力のようなものになるのである。
「そのあなたの言う科学的に認められた方法で効果が出なかったらどうするの?」と聞くと彼は言ったものだ。「それは・・・僕が悪いのではない」
いやはや、そもそも科学とは一人一人が疑問に向き合い、答えを探求し、議論することで成り立つのではないか。科学の信奉者というより自分では全くなにも考えないマニュアルの信奉者であった。(終わり)
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二つの視点の評価を身につけて問題解決能力をアップ!(その4: 最終回)
さて、今回は「肢位や動作・歩容などを観察して言葉で表す視点の評価」をCAMRの視点から考えてみましょう。
CAMRでは人の運動システムの作動の特徴として5つ挙げていますが、今回はその中から「自律的問題解決」を挙げて評価を考えてみます。
人の運動システムは人にとって必要な課題を達成しようとするし、「もし課題達成に問題が起きるとその問題を自律的に解決して課題達成しよう」とする性質が自律的問題解決です。
簡単なところでは、荷重によって脚が痛むときは、その脚にあまり荷重しないで荷重時間が短くなる跛行になるとか、腰椎ヘルニアの時はヘルニア部を圧迫しないように反対に側彎が起きて動かないように体幹を硬くして動くとかです。
また従来ジャクソンの神経学では陽性徴候は脳性運動障害後の症状として考えられてきましたが、CAMRでは脳卒中後の弛緩状態では動けないので、「動くために体の中にある筋を硬くするメカニズムを動員して硬くしている」という問題解決であると考えます。
これらの問題解決は人の意識とは無関係に運動システムが自律的に行っているという意味で「自律的問題解決」と名付けられています。
学校で教える要素還元論の視点では、片麻痺後の分回し歩行ではどうしてそのような現象が現れるかをたとえば筋力という要素に還元して(戻して)説明します。股関節の屈筋が麻痺して働いていないから、他の筋群で代償してそのような歩容になるのだ」などと説明するわけです。
この場合につきまとう問題は、「(健常者のような)本来の筋ではなく代償的に他の筋肉を使っている。だから代償運動あるいは健常者では見られない異常運動である」という価値観がまとわりついてくることです。(この理由は要素還元論の視点が人の運動システムを機械として見ることに関係していることはこれまでも述べてきました)
「代償」あるいは「異常」と名付けられると、何とか健常者の歩行に近づけようということになるのでしょう。でも本来麻痺があれば違っていて当然です。実際に健常者の運動の仕方に近づけるなら、麻痺を治すしかないのですが、これはできないわけです。
一方CAMRでは「運動システムの必要な課題達成に問題が起きたので運動システムが自律的に問題解決を図った結果である」と考えます。
課題達成において問題が生じたので、運動システムは自律的に利用可能な運動リソースを身体の内外に探し、問題解決のための運動スキルを生み出して問題解決を図ろうとしていると考えるのです。
もちろんだからなにもしないで良いと言うわけではありません。代償だから健常者の動きに近づけようとも思いません。
ただもう少し柔軟性という運動リソースを改善したり、隠れた筋活動を引き出したりすれば、もう少しパフォーマンスの高い別の運動スキルが創出されるかもしれないと考えて試すのです。あるいは情況が変わっても課題達成できるような新しい運動スキルの可能性を探るのです。要するに今以上に課題達成力が改善する可能性を追求するわけです。
そのためには実は要素還元論の考え方もとても参考になります。元々要素還元論は、全体の振る舞いを関係する要素の振る舞いや構造から説明しようとするものです。(元々「正しい運動を目指そう」などという価値観とは別物です。非常に優れた問題解決の方法なのです)
だからもっと患側下肢の振り出しを大きくしたり、滑らかにしたりするには体幹や股関節の柔軟性を改善したり、杖をより外側に突いて重心移動を大きくしたりすれば良いといったことが各要素の性質や振る舞いと全体の関係を考えることで浮かびやすくなるものです。そして関係する各要素をどう変化させるかという工夫のヒントを与えてくれます。
つまりCAMRの視点で見たり、要素還元論の視点で見たりと両者の間を行ったりきたりしながら思考することが非常に大事になってきます。
一つの現象をシステムの作動から見たり構造と各要素の働きから見たりすることで、より柔軟に様々な可能性を思いつくことができる訳です。(終わり)
追記 申し訳ない。今回のアイデアはかなり未成熟でした。いつかもう少しまとまった時点で二つの視点からの評価について書き直してみたいと思います。
※毎週木曜日にはノートには別の新しいエッセイをアップしています。
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二つの視点の評価を身につけて問題解決能力をアップ!(その3)
学校で習う要素還元論の視点では、もし動くことに問題、たとえば腰痛があれば人体の設計図を基にその原因を探していきます。炎症や軟部組織の硬さ、筋力低下などを触診や生活習慣の問診などから探して、原因を推理しそこにアプローチして治す訳です。
この視点による方法論自体はとても合理的、論理的、しかもわかりやすくてこの視点の優れたところです。この視点をベースにした評価もアプローチもとても良いですね。
ただ要素還元論の視点では基本的に人を機械やロボットの様に見なして評価します。そして機械やロボットには設計者の意図通りに動くことが期待されます。そして人の運動に対しても無意識に正しい運動、つまり健常者の運動の形などが目標になりがちです。
結果的にセラピストの視点が健常者の姿勢・運動からの形のズレに向かいがちです。片麻痺患者さんの分回し歩行が、訓練の結果、パフォーマンスは改善していても「まだ左右差があるからダメだね」などと言う人もいます。
学校で習ったように片麻痺患者さんの分回し歩行や腓骨神経麻痺後の鶏歩などは異常歩行とされます。一旦「異常歩行」と名付けられると、「左右差はダメ」、「健常者の形と違うからダメ」などと評価しがちです。
もちろんセラピストがこれらの非対称性や麻痺を治せるなら問題ないのですが、実際には治せないのに「悪いやり方だからダメ」と言っているセラピストも多いです。そうなると治せないものをただ、ただ「ダメ!」と言っているだけです。患者さんが努力の末に何とか工夫・獲得された運動スキルに「ダメ出し」だけしているのです。
麻痺や神経障害があれば、健常者の様にはできないのです。それでも患者さんは何とか独自に歩くための運動スキルを生み出されたのですから、まずは素直に受け入れてあげたらどうでしょうか?教科書で「異常歩行」などとレッテルを貼るのはやめたらどうでしょうか?
ともかく学校などで行われる「肢位や動作・歩容などを観察して言葉で表す視点の評価」では、一般に健常者との違いなどに焦点が当てられがちです。「股関節が内転・内旋している」とか「上肢が屈曲して分離していない」とかですね。早い話、見た目の運動の形の比較をする訳です。その方が教員も学生も学習がわかりやすく進められるからでしょう。
でもね、麻痺があるとないとでは見た目の形が違っていて当たり前です。
本来学校で進めるべき評価の焦点は、「この運動問題にはどの部位のどの要素が○○していることが原因ではないか?それは解決可能か?」に焦点を当てて学習を進めるべきです。因果関係を想定して、問題解決の筋道を付けることが要素還元論の本来の目的です。まあ、臨床○○学などには堂々と「異常歩行」と載っているので仕方ないのかも知れませんが・・・・・(^^;)
一方でシステム論の視点では、運動の見た目の形から正解の運動を判断することはありません。人の運動システムは個々で違うし、一人の運動システムも状況によって運動の形は変わるのが当たり前だからです。
つまりシステム論を基にしたCAMRでは、見た目の運動の形ではなく、人の運動システムの作動の特徴に焦点を当てて運動の出現と変化を理解すると申し上げました。 そしてCAMRではその作動の特徴として幾つかある中で、「状況性」と「自律的問題解決」の2つを挙げて説明しました。
実はこの2つを頭に置いて人の肢位や歩容などを評価すると、意外に学生さんでも訓練に繋がるような良い評価ができるのです。(その4に続く)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!https://note.com/camr_reha
二つの視点の評価を身につけて問題解決能力をアップ!(その2)
さて、前回の最後に「要素還元論」と「システム論」の視点から「評価の考え方」を比べてみようと書きました。今回は少しその点に触れていきます。
学校で習う要素還元論の視点では、人の運動システムを機械やロボットの様に評価すると説明しました。ロボットの設計図のように、まず人体の設計図を理解して人の運動を理解したり、評価したりするわけです。もしどこかに不具合が生じると、設計図を基に原因を探ることになるわけです。
そして学校で習う評価には大まかに2種類あります。運動システムの「パフォーマンスを数字で表す科学的視点の評価」と「姿勢や動作などを観察して言葉で表す視点の評価」です。
「パフォーマンスを数字で表す科学的視点の評価」にはたとえば簡易な10メートル歩行検査などがあります。
歩行のスタートの加速と終了時の減速の影響を取り除いて、10メートル間の安定した歩行を評価するために、その前後に数メートルの余裕をとります。10メートル前後の長さは施設のスペースなど色々な制約がありますが、最低でも1メートル程度は取った方が良いでしょう。
そして10メートルを何歩、何秒で歩けるかを調べます。歩き始めた後、10メートルの開始線から終了線までの時間を計ります。歩数は開始線にさしかかった時に開始線と足の位置関係を憶え、0と数え始めて、終了線と足の関係が開始線の時と同じくらいを最後の歩数とします。
学校で使う臨床運動学などの本では、3人掛かりでやれとか前後に3メートルとれとありますが、実用的ではありませんね。セラピスト独りで利用可能な広さでやる必要があります。この簡易なやり方では正確な数値から多少ブレてしまいますが、同じセラピストと患者で、同じやり方をすればその患者さん自身の運動変化は十分に確認できます。
臨床家として、自分の実施した訓練の効果を数値で客観的に表現することは大事です。そのやり方で良いかどうかの判断の1つになります。患者さんご本人やご家族が納得するためにも必要です。10メートル歩行以外にも、このような数値で表現できる、患者さんにあった運動評価をいくつか準備しておくことが重要です。
この時間と歩数の2つの変数を調べるだけで、歩行速度、歩幅、歩行率、歩行比が分かります。たとえ左右差が大きくても、速度や歩幅の平均が大きくなれば訓練効果があったと理解できますし、歩行比などが安定すればその人らしい歩き方が安定したと分かります。
実際に運動パフォーマンスの変化を数値で表す科学的視点の評価は、要素還元論の視点でもシステム論の視点でも大事です。まずこれらは共通の大事な評価です。ただ要素還元論の枠組みでは、「正常者の肢位・姿勢・やり方からどれだけズレているか、そのズレの原因はなにか?」という視点が常について回ります。様々の肢位や作動の左右差なども問題として上がってきます。
どうしてかというとこれにも人の運動システムをロボットにたとえて見る視点が関係しています。ロボットや機械というのは必ず正解の運動を持っているからです。つまり「設計者の意図通り作動する」というのが正解の運動です。
この視点がついて回ると、たとえ訓練の結果、必要な生活課題の達成のパフォーマンスが改善されたとしてもそれだけでは満足できなくなります。「速度が健常者よりどれだけ低い」とか「左右差が大きい」とか「歩容が健常者からどれだけズレている」とかは常に気になってしまうのです。
無意識に「健常者の運動は本来こういうものだ」と正解の運動に何とか近づけることが目標になってしまうのです。そのためになにが原因かと追及することになり、たとえば脳性運動障害者の「麻痺を治そう」とこだわってしまうのです。
一方でシステム論の視点では、標準的な「正解の運動」というのはありません。人の運動システムは、人それぞれに違っていて当然だからです。麻痺があれば歩容もパフォーマンスも健常者と違っているのが当たり前です。また同じ人の運動システムも状況によってパフォーマンスや歩容は変わるのが当然です。運動のパフォーマンスも歩容も、状況によって変わってしまうからです。
そうなるとシステム論の視点では、状況変化に適応的、あるいは問題が起きないことが重要になります。健常者の運動の形に近づくのが目標ではなく、その人なりに必要な状況に対応できているかどうかが目標になります。
次回は、数字の評価ではなく「歩容などを観察して言葉で表す視点の評価」について考えてみましょう。(その3に続く)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!https://note.com/camr_reha
二つの視点の評価を身につけて問題解決能力をアップ!(その1)
広い知識と視野を持つことは、観察力や問題解決能力を高め、様々な現象や人、社会に対する理解を深めるなど仕事や人生でも非常に重要です。
医療的リハビリテーションにおいても、学校で習う要素還元論の視点に加えて、システム論のような別の視点を身につけて、より広い視野で運動システムや障害について理解し、アプローチを工夫することはとても有益なことです。
実際、どんな理論にも強みと弱みがあります。そして要素還元論とシステム論はお互いの弱みをそれぞれの強みで補い合うことが可能です。この2つの視点を持つことによってセラピストの観察力や問題解決能力は飛躍的に伸びます。
ここで紹介するCAMR(カムルと呼びます)は、Contextual Approach for Medical Rehabilitationの短縮形で、和名を「医療的リハビリテーションのための状況的アプローチ」といいます。CAMRはシステム論を基にした日本生まれの医療的リハビリテーションのための理論体系です。学校で習った要素還元論に加えてCAMRの視点も身につけて臨床での問題解決能力をアップすることができます。
ここでは、この二つの視点を身につけて使いこなせるようになると、片麻痺の運動障害の理解や評価、アプローチが大きく変化することに焦点を当てて説明します。
まずは学校で習う要素還元論の視点を以下にまとめて復習してみることから始めましょう! 要素還元論の視点では、人の体をロボットの様に理解します。
学校で習う要素還元論では、人の運動システムを見た目の構造や各構成要素の役割として理解します。
これはちょうど歩行ロボットを理解するのと同じです。ロボットは力を生み出すモーター、モーターの回転の動きを交互運動に変換するギアの伝達装置、周りの障害物を探索するセンサー、センサーで探知した障害物を避けたり移動したりの命令をするコンピュータとプログラムといった風に理解します。
そうすると障害物を避けないなどの不具合が出ると、「センサーかコンピュータかプログラムの問題」と仮説を立てて、その中から「悪いところを探す」ことができ「治す、交換して元に戻す」という問題解決の方法をとることができます。
人の運動システムも同様に、力を発生する筋肉、力に支持と方向を与える骨・関節・靱帯、身体内外の刺激を受ける感覚器、刺激や命令を伝える末梢神経、伝えられた刺激を情報に変え、それを元に判断・命令する中枢神経系といった風に構造と構成要素の役割を理解します。つまりロボットの様に身体の設計図をまず理解することになります。
そうするとたとえば右肩の挙上ができなくなれば、右肩の挙上筋群の筋力低下、そこに繋がる末梢神経や中枢神経の傷害、痛み等を仮説に挙げて、それらの原因の仮説の中から「悪いところを探し、元に戻す」というアプローチを取ることができます。
人の体を機械として理解するというと違和感を持つ人もいますが、西欧思想の源流には、デカルト以来の「人間機械論」という「人は神(または自然)が作った機械である」という思想が根本に流れています。
また現在の私たちも動く・働く機械に囲まれて生活していますので、人の体を動く機械に喩えて理解することはやはり自然です。そしてこの人の体を機械にたとえる視点は、とてもわかりやすく、問題解決の方法も簡単に導いてくれるので有益なのです。
この視点に加えて、これとは異なった視点、システム論の視点も手に入れようというのが今シリーズの目標です。またこのシリーズでは、要素還元論とシステム論の視点から「評価の考え方」を比べてみようと思います。(その2に続く)
毎回5分で理解する「要素還元論」と「システム論」(最終回)
今回のシリーズは、ついついテーマを無視して書きたいことを書いてしまいました。反省しています(^^;)
全体に言いたかったことは、同じ現象を見ていても、視点が変わるとまったく別の意味を持ってくるということです。
要素還元論では、人体の設計図を作り、脳が運動を変化させると習います。そうすると、片麻痺後の下肢や上肢が全体に屈曲すると「大脳皮質などの上位脳が壊れるので、そこで司る上位コントロールが消失し、下位の屈曲共同運動が出現した」と説明します。そして、「下位の屈曲共同運動が出現するために上位コントロールがうまくいかないから、下位の屈曲共同運動を抑えて、上位脳に正しい運動コントロールを学習させよう」などと考えるアプローチが生まれます。
要素還元論は機械の修理の考え方と同じで、「脳というコンピュータが壊れたので、なんとか脳を治そう、あるいは機能的に元に戻そう」という方針を持つのでした。
一方システム論を基にしたCAMRでは、人の運動システムの作動の特徴に焦点を当てます。そうするといくつか機械には見られない作動の特徴が見られるようになります。
たとえば人の運動には「状況性」という作動の特徴があり、これは豊富な運動リソースと柔軟で創造的な運動スキル創発の能力が基礎になります。
障害を持つと言うことは、運動リソースが貧弱になることで運動スキルも貧弱になる。だからまずは運動リソースを豊富にしましょうという方針を持ちます。 改善可能な身体リソースはできるだけ増やしておきましょう。環境リソースはできるだけ試して利用可能なものを増やしておきましょう。その上でこれら増えた身体リソース・環境リソースを利用して様々な運動課題をやってみましょう。
そうすると情報リソースも適切になり、より課題達成の運動スキルが多彩に創造できるようになります。
もう一つは人の運動システムには「自律的問題解決」という作動があります。自律的問題解決の作動は、課題達成が不可能なときに、利用可能な運動リソースを探索し、何とかその利用方法である運動スキルを生み出して課題を達成しようとする作動です。
たとえばCAMRでは、先に出た下肢の屈曲共同運動は、麻痺の下肢が自由にならない重りとして課題達成を邪魔しているので「使わない」という「不使用の問題解決」を図っていると理解します。
そうすると麻痺の下肢は「外骨格系の問題解決」という運動スキルを強めれば支持に十分使えるし、健側の下肢や体幹を使って振り出すという「探索利用スキル」で歩行もできるようになりますよ、と教えてあげることで屈曲共同運動と呼ばれた現象は消えて、歩けるようになります。
患側上肢も「使わない方が効率的」という不使用の問題解決を図っているかも知れません。使えそうなら健側拘束法などで十分実用になったりします。
面白い、というか重要なことは、障がいを持っても「状況性」や「自律的問題解決」という性質そのものは決して失われないということです。だから運動リソース、たとえば柔軟性が少し改善すると、運動パフォーマンスが変化したりします。改善した柔軟性を利用して新しい運動スキルが生まれてくるからです。生まれつき重度の四肢麻痺でも、顎で電動車椅子という環境リソースの操作のための運動スキルを学んで移動することができます。
つまり問題解決は決して「元に戻す」だけではないのです。
要素還元論とCAMRの視点、どちらが有用かは実際に臨床家が試して見れば良いと思います。二つの選択肢があれば、どちらか有効な方法を選ぶことができます。
もし学校で習った要素還元論の視点しかなかったら、問題解決の門は狭いままです。どうか二つの視点を理解して、視野を広げることを強くお勧めします。(終わり)
毎回5分で理解する「要素還元論」と「システム論」(その17)
前回までで、「基礎定位障害」という症候群が、原因や振る舞いそのものだけでは定まらず、その患者さん達が選択している問題解決によってまとめられる形で理解できると述べてきました。
では実際にどんな問題解決をとっているかを説明します。
原因はどうであれ、基本は重力と床の間で体の安定・安心を保つことが難しい障害です。それで以下のような問題解決が選択されます。
①不安な姿勢・動作を避ける、重心を低くする傾向
・座位から起立、立位になるときの動作開始に時間がかかる、躊躇が見られる
・座位から起立時の前方への重心移動の介助を嫌がる
・座位から起立への介助自体に抵抗される様子がある
・立位になってもすぐに座ろうとされる
・何度立位練習を経験しても、いつまでも立位に慣れない、ずっと怖がられる
・重度の場合は臥位から座位になることを嫌がられる、すぐに臥位に戻りたがる
②基底面を広げてバランスを保持しやすくする傾向
・立つ場合は、歩隔を広くする
・杖歩行は3動作歩行で常に2点が接地するようにする
・杖を遠くに突き、基底面を広げる
・坂道などにさしかかるとつま先と歩隔を広げ、基底面をさらに広くする
・T-caneより4点杖やT-cane2本使った方が安心される。また杖よりもピックアップや歩行器を好まれる
・手すりより壁の上部にすがる
・横手すりよりは縦手すりを好み、時に縦手すりにすがるように立つ
・介助者の手を持つより肩に手を置く(なるべく上の方を持って基底面を広く。体幹の揺れも小さい?)
③特定の状況に固執する傾向
・慣れた介助者なら立つが、初めての介護者だと警戒して尻込む、抵抗する
・トイレなどは慣れた場所を好む。新しい場所は拒否されたり躊躇されたりする
・慣れたセラピストと一緒なら、歩行練習もされるし、見た目安定して歩かれるようになるが、1人では決して歩こうとされない
④視覚情報に頼られる
・歩く時は下(床)を見ながら歩く。頭を挙げると不安?
・手すりを持って立っていても後ろ向きに下がるのは苦手。後ろに座るときわざわざ向きを変えて椅子を見て確かめることもある
⑤重心移動を小さくする傾向・体幹を棒のように硬くする
・小刻みに歩行する(通常脚の振り出しの周波数を上げてジャイロ効果を利用して安定させる)
「⑤重心移動を小さくする傾向」はパーキンソン症候群に特有・顕著で、問題解決が他の原因・疾患とは共通していないようにも見えますが、歩行補助具などで基底面を広げたり、より高い位置を持ったりの問題解決はやはり共通に見られると思います。
また時には片麻痺の方にも体を硬くして重心移動を小さくする傾向は見られます・・・実は筆者はまだ迷っているところもあります(^^;)
障害が新しく、まだ慣れていないなどで運動経験が不足して一時的に基礎定位障害が見られる場合は訓練を繰り返すことでこの症状は消えてしまいます。情報リソースのアップデートが必要というわけですね。
一方、小脳失調やパーキンソン、片麻痺の一部の患者さんにはこの改善しにくい基礎定位障害が見られ、筋トレやバランス練習などの身体機能の改善の方針では改善が見られないようです。
軽度の方では、訓練を続けると少しずつ慣れて、活動範囲を広げられる方もいますが、基本的には慣れた環境内で改善が起こることが多いようです。(前回挙げた極まれな積極的自立例はありますが)
根本的に治る様子は見られないので、CAMRでいう環境利用学習(手すりやトイレなどの環境調整とそれを使った繰り返しの成功経験)が適切だと思われます。次回は今回のシリーズのまとめ(最終回に続く)
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毎回5分で理解する「要素還元論」と「システム論」(その16)
前回は「基礎定位障害」の患者さんは、メンタリティ(精神状態)の影響を強く受けて振る舞いが異なることだと述べました。以下に三つの例を挙げます。
①失調症状が簡単に見て取れるのに、杖一本でバスに乗って出かける患者さんがいます。確かにめったに転倒はされないのですが、周りから見ると皆がヒヤヒヤしています。本人は自信に溢れ、やる気満々です。
②うまく止まれないので、壁や柱を目標に歩くパーキンソン患者さんがいます。決まった目標にぶつかって止まり、向きを変えて次の目標に向かってぶつかって止まっては、目的地まで移動されます。もちろん新しい場所ではダメです。いつもの移動コース上ならほぼ自立です。
③歩隔を広くとり、杖を遠くについて基底面を大きく広げて、ゆっくり移動自立している片麻痺の方がおられます。安定して歩いておられるので大丈夫だろうと思っていると、不意に転倒されることが多いのです。
しかも本人と話してもあまり転倒を気にされたり、恐れたりする様子もありません。何度転倒しても、何事もなかったようにまた歩き始めます。
それでデイケアでは、しばしば「転倒防止はどうすれば良いのか?」というテーマのカンファレンスが開かれます。急な方向転換やビックリしたときに転倒しているらしいことが分かります。
それで解決策は、「急な方向転換を様々に行う練習」や「様々な外的刺激に対してバランスの維持に対応する練習」などが提案されます。「ダンスなどが良いのでは?」などとアイデアが出されてスタッフ間で盛り上がります(^^;)そして実施されるのですが・・・・・一年後には相変わらず同じ問題でカンファレンスが開かれたりします(^^;)
基礎にあるのがどうも「基礎定位障害」なのです。重力と床との間で体を安定状態に保つのが難しいと思われます。そして、どうもこの障害はあまり改善しないようです。だから練習を重ねても変化しないことも多い。
上に挙げた方達は、皆それぞれに異なった原因の「基礎定位障害」を持っておられますが、それぞれに歩行は自立の状態にあります。もちろん環境に依存していますが。
一方で、前回まで述べたように杖をついて安定して歩いているように見えても一人では動こうとされず、歩行自立できない患者さんもいます。
つまりこの両者の違いはメンタリティの違いだと思います。「一人で歩きたい」などと強く思っていて一人で歩かなければならない状況があれば、何とか恐怖を乗り越えたり、慣れたりして障害をある程度克服していると思われます。決して「安全に」という条件はクリアしていないのかも知れませんが。
ただこのように自立に向かう人は少ないです。この人達を見て、他の人にも「できる人がいるんだから頑張れ!」というのは酷でしょう。
つまりここで言う「基礎定位障害」は、原因も異なれば、メンタリティの状態によってもその振る舞いが異なります。
だから一つの症候群として理解しにくい、まとめにくいところがあるのだと思います。いや、そもそも一つの症候群としてまとめる必要があるのか、と言われそうですね。
でも彼らが行っている問題解決のスキルに焦点を当てて見ると、共通していることがあります。つまりこの症候群、「基礎定位障害」は、患者さんが選択する共通の問題解決によってまとまるわけです。
次回は具体的にどんな問題解決をとるかをまとめて説明します。(その17に続く)