生活課題を達成するのは、筋力ではない!-運動スキルの重要性(その2)
前回は、1人1人の運動システムは異なった個性の運動リソース群で構成されているので、それぞれの個性に合った運動スキルを生み出して発達させることが必要だろうといったことを述べました。そして課題を達成するのは、運動リソースである筋力や柔軟性などではなく、それらの運動リソース群を利用して課題達成するための「運動スキル」であるということも述べました。
CAMRでは運動スキル学習を効率的に進めるための手順を大まかに定めています。このシリーズの目的はそれを紹介することです。しかしその前にまずはその運動スキルを様々な視点からもう少し理解してみます。そうしないと簡単に誤解してしまう恐れがあるし、逆に理解すると自然にそれを改善する方法が導かれるからです。
まず運動スキルの話をすると「それは運動プログラムである」と単純に勘違いされる方がいます。運動プログラムは課題達成のやり方を学習してそれを再現すると考えられることが多いです。憶えた方法や形を再現するわけです。だから憶えていない、練習していない課題は達成できないわけです。
最近のコンピュータのAIは、様々な課題とその解決方法をたくさん学習して、より適切な解決方法を選び出すようになっています。その進歩は驚くほどですが、やはり問題解決や課題達成するまでにはたくさんの学習が必要です。現在は特定の分野で様々な事例をたくさん学習することでやっと特定分野での課題達成が可能になっています。
一方運動スキルはむしろ、その場で利用可能な運動リソースを見つけて、必要な課題達成のためにそれらの利用方法を生み出します。初めて出会った課題でも、なんとか利用可能な運動リソースを見つけて、それを利用して課題達成のための方法として生み出されるのが運動スキルです。
たとえば片麻痺患者さんが障害後に初めて歩きだすときの様子を観察すると、身体の内外に利用可能な運動リソースを探索します。それらを試行錯誤して分回しや引きずりや伸び上がり、そしてそれらを複合した様々な自分にあった運動スキルを「誰に教わるでもなく」生み出されます。
特にたくさんの他の患者さんの運動スキルを学習する必要もありません。一つ一つ自分で見つけだしていきます。もちろんその背景には、小さな頃から様々な運動問題を解決し、たくさんの運動課題を達成してきたという経験がものを言いますし、運動以外にも日常生活での様々な経験が影響します。身体リソースや環境リソースが持ち、それらが生み出す意味や価値を知っているから、色々な新しい運動スキルを生み出せるわけです。
たとえば杖は歩行の支持やバランスの助けにも使えますが、ものを叩いて音を出し通信手段にしたり、ものをたぐり寄せたり、あるいは立ち上がりの道具になったり、武器になったりもします。小さい頃から学んだ身体やものの意味や価値が更に新しく複雑な意味や価値を生み出すのです。
あまりに一般的な運動に関する経験やそれ以外の経験が、意味や価値の視点から結びついて、新しい意味や価値を生み出します。
これは特定の問題解決の学習はしなくとも、一般的な様々な学習から導かれるような雑多な経験を基に特定の未知の分野の問題解決を導き出すようなものです。まさしく人が生きてきた様々な経験全てが活かされてくるのです。
まだ実現されていない汎用型のAIの能力、あるいはそれ以上のものなのかも知れませんね。
次回はもう少し運動スキルについての理解を進めておきます。その後にどのように効率的に運動スキル学習をするかの道筋が見えてくるはずです。(その3に続く)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!https://note.com/camr_reha
生活課題を達成するのは、筋力ではない!-運動スキルの重要性(その1)
臨床では筋力改善が重要視されがちです。リハビリでも「筋力強化が大事。これさえ鍛えておけば大丈夫!」というセラピストも多くいます。本当にそうでしょうか?
たとえば一昔前、多くの高校野球の選手がこぞって筋力強化に励んだことがあります。そうすると長打も増えて、得点力もアップ・・・とはいきませんでした。力が増えたから、打撃という課題の達成力がアップするわけではないのです。
実は日本ではあまり注目されていませんが、課題の達成力というのは、運動スキルによって決まってくるのです。
では「運動スキルとは何か?」ということになります。
CAMRでは以下のように定義されています。「運動スキルとは課題達成のための運動リソースの利用方法である」
運動リソースとは、運動に使われる資源のことです。これには身体そのものや身体の持つ性質である筋力、柔軟性、持久力、知覚情報、痛みなどの感覚などの身体リソースがあります。また身体以外に運動に利用できる環境内の性質である明るさ、温度、重力、風などや環境内に存在する大地や海などの水塊、人工的な構造物、道具、動物や他人などの環境リソースがあります。
筋力は課題達成に利用される資源の一つです。資源なのでそのままではいくら鍛えても利用できないわけです。ちょうど鉄鉱石のようなものです。それだけではあまり役に立ちません。まず鉄へと精錬される必要があります。その上で様々に加工されて初めてそれぞれの用途で利用可能になりますね。
そして筋力や柔軟性などの資源も同じで、「鉄で精錬される」に当たるのが移動などの基本動作になります。寝返りしたり、座ったり、這ったり、立ったり、歩いたりの基本的な運動です。これらの動作によって筋力は様々な使い方へと利用されます。
体の一部で支えながら他の部分を動かしたりします。足を動かしている間にその他の部分が背景運動で全体の動きに安定性を生んだりします。様々な方向に重心移動したり、重心移動しながらバランスを保ち、支持したりのやり方を学ぶわけです。
もちろんこれは筋力という身体リソースだけでなく柔軟性や知覚や持久力などの様々な身体リソースが、それぞれ相互作用し、影響し合いながら基本的な運動スキルが生み出されます。
そしてこれらの基本的な移動動作を基に、様々な生活課題へと運動スキルは発達していきます。あるいはスポーツ選手のようなより高度な運動スキルを発達させていくのです。
1人1人の運動システムは運動リソースの構成比などか違っていて個性的です。だから個人個人に特有の傾向の運動スキルが生まれてきます。
柔軟性に優れた赤ちゃんは、寝返りなどで滑らかに動くことによってあまり力に頼ることなくそれを達成できますし、力の強い赤ちゃんは重力に逆らって手脚などを振り上げ、振り出しては豪快に寝返りしますね。
これが将来の様々な課題達成のための個性的な運動スキルへと発達します。野球のイチローさんややり投げの北口榛花さんは、柔軟でしなりのある動きが特徴です。イチローさんはメジャーリーグの選手と比べて痩せた体でもホームランを打ったりレーザービームと言われる送球をしたりします。北口榛花さんもしなやかな動きでやりを遠くに投げます。多くの外国選手が力で勝負してくるのと対照的です。
どちらが良いというわけではなく、必ずしも課題達成のために力を強くする必要はないのです。もちろん筋力が強く、多彩な筋活動が行われている方がより多彩で優れた運動スキルを発達させる可能性も高いですね。でも障害によっては筋力強化の効果が得られにくいものもあります。
だから残った運動リソースの特徴を活かしながら、個性に合った運動スキルを生み出して発達させることが必要なのです。
でも「そんな難しいことを言われても・・・」となっちゃいますよね。そこでCAMRでは誰でも上手く運動スキルを生み出すことを援助できるように手順を考えています。
次回からその手順について説明します。(その2に続く)
新しい視点を身につけることの難しさ(その3:最終回)
ここまで新しい視点を理解することが難しいのは、学校で習った理論を真実と思い込む、あるいは間違った因果関係の仮説を信じ込んでしまったせいだと述べてきた。
まあ、学校でそう教え込まれていることもあり無理のないことだと思う。
だが臨床で働いていると否応なしに学校で教え込まれた内容に疑問を持たざるを得ないことも多い。
たとえば「分回し歩行」 これは学校でよく使われる教科書には、「異常歩行」とか「代償運動」というラベルを貼られている。臨床で働いているとこのラベルをとても悲しく感じる。
というのも「健常者の歩行と形が違っている」ことが異常と呼ばれる。麻痺のある体で一生懸命に歩くための運動スキルを試行錯誤、獲得したのである。患者さんの汗と苦心の末に身につけた運動スキルである。これをあっさりと「異常」と名付けてしまって良いのか?思わず「健常の歩き方でないといけないのか!」といいたくなる。
なんだかマジョリティの健常者からマイノリティの障害者に対して、「それは異常だから良くないよ」と上から目線で批評しているようで嫌な感じである。
代償運動も健常者とはやり方が違うからという理由で名付けられている。代償も日本語の意味はあまりよくない。犠牲を払うとか代償を償うとか、高くつくなどという言葉が並んでいて、これまた「治さなくてはいけない」とセラピストを駆り立ててしまう。
更に代償運動は、そのまま使っていると他の部分にストレスがかかって、痛みや新たな傷害を起こすなどという説明がついている。こうなるともう「錦の御旗」のようなもので代償運動はなんとしても「治すべきもの」となってしまう。
それで異常歩行も代償運動も、治さなくてはいけないからと何をやるかと言えば、健常者の歩行が正しくて、負担のない歩行スキルに間違いないと、健常者の歩行を目指そうという方向になってくる。
だがその前に考えるべきは、麻痺はどうも治せないということである。ここでも再々述べているが、僕が実習生時代に「歩き方を治せ」と指導していたおじいちゃんから、「歩き方を治すから、まずお前がわしの脚のマヒを治せ」と言われて「全くその通り」と沈黙してしまったことを思い出す。
リハビリは決して万能ではない。限界をはっきりと認め、その中で何とか工夫して頑張らないといけない。
現在も「歩き方を治せば、つまり正しい歩き方を身につければ麻痺が治る」みたいな論法を平気で言っているセラピスト達に会うことがある。因果関係では当然原因(脳細胞の傷害)にアプローチする訳だが、結果(歩行のやり方)にアプローチすることによって原因を解決するみたいな滅茶苦茶な論法である。
誰もこのトンチンカンな論法を正そうとしていないところが現在の問題である。若い人達は、自分たちのやっていることにもっと厳しい目を向けて欲しいものだ。徹底的に話し合って矛盾をあぶり出し、その上でどうするかを検討し、アイデアを出してほしいものである。
どうも年寄りの愚痴になってしまった。書きたいことはまだたくさんあるが、このシリーズはここでいったん閉じたいと思う。(終わり)※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!最新の投稿「運動スキル学習-運動スキルが創造されるまで(その4)」https://note.com/camr_reha
新しい視点を身につけることの難しさ(その2)
前回、「あなたは伸張反射や原始反射などの亢進を悪いことではないと言っているみたいだ。でもこれらは正常な運動の出現を邪魔するので、まず抑制するべきです!」と批判されたことを紹介した。
前回この意見の矛盾点を説明しようと思っていたが、書き進むうちに別の展開になったしまった(^^;)今回説明してみようと思う。
最初に簡単な例を紹介する。大森莊藏という哲学者が次のようなことを言っている。
稲妻がピカッと光って、ゴロゴロと雷鳴がなる様を古代の人達はどう思っただろうか。おそらく「ピカッと光るのが原因で、ゴロゴロ鳴るのが結果である」と考えたのではないか。
だがこれは間違った因果関係である。本当の原因は雲の中の摩擦電気の放電が原因である。その結果、ピカッと光る稲妻もゴロゴロなる雷鳴の2つともが結果である。つまり古代の人は結果同士に間違った因果関係を想定しただろう。
もうお気づきだろうと思う。神経生理学者のジャクソンは、「低下・消失した正常な運動」という陰性徴候も「伸張反射や原始反射の亢進」という陽性徴候も、脳の細胞が壊れたことを原因としてうまれた症状である。つまり両者共症状、つまり結果である。
もしジャクソンの神経生理学を信じているのなら、「亢進した伸張反射や原始反射が、正常運動の出現を妨げている」という因果関係の説明は、結果同士の間に間違った因果関係を想定していることになる。
この間違った因果関係の想定を信じているので、僕の言っていることは間違いだと信じているらしい。
ただこの因果関係の想定を信じる臨床的な経験があることも知っている。まさしくCAMRで言っていることだが、脳性運動障害ではまず弛緩状態が観察される。弛緩状態では動けないので弛緩した部分を身体にある様々なメカニズムを使って体を硬くするとい「外骨格系問題解決」という問題解決を図っているわけだ。
体を硬くすると言うのは弛緩状態から動き出すための問題解決で、それによって支持性が出るし、弛緩部分を1つの塊として引きずってでも動くことができるわけだ。
しかしこの問題解決にはブレーキにあたるものがない。それでドンドン硬くするという問題解決の作動を繰り返して過緊張状態を起こし、却って運動が低下・消失し、血流が悪くなり痛みや不快感を生んでしまうという新たな問題を生み出してしまう。
これはCAMRでは偽解決状態と呼ぶ。この過緊張状態は直接の症状ではなく、障害後に運動システムの問題解決の作動が繰り返されすぎた結果として生まれた現象である。
だからこの過緊張状態を抑えて柔軟性を改善すると、運動範囲が広がり、重心の移動範囲も広がって、よりスムースで大きい運動が現れるわけだ。
この場合は弛緩状態に対する運動システムの問題解決として体が硬くなり、その結果動きが悪くなっているので、因果関係は成立している。
だがそれを「正常な運動が出現した」と呼ぶのはおかしい。本来持っている、あるいは残存している運動能力が発揮されたわけだ。
講義の中ではこんな説明をしているし、動画も見てもらっているのだが、どうも最初に「間違っている」と考えてしまうので、CAMRの考えは全く頭に入っていない様子である。
思い込みや先入観とは言っても「学校で最初に教えられたことは、とても強力であるなあ!」と感心してしまう次第である。
まあ、新しい視点を身につけることはやはりむずかしいなあ、ということである(^^;)次回に続くと思います。(その3に続く)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!最新の投稿「運動スキル学習-運動スキルが創造されるまで(その3)」https://note.com/camr_reha
新しい視点を身につけることの難しさ(その1)
講習会でシステム論の説明をしていると、一向に理解してもらえないことがある。説明が下手といえばそれまでだが、どうも話を聞いた上で納得できないと言われる。
詳しく話を聞いてみると、「(僕の)言っていることが間違っている。間違いを前提に話をしている」などと言われてしまう。
「どこが間違っているの?」と聞くと、「あなたは伸張反射や原始反射などの亢進を悪いことではないと言っているみたいだ。でもこれらは正常な運動の出現を邪魔するので、まず抑制するべきです!」などと言われる。
なるほど、ジャクソンの階層型理論や陰性徴候、陽性徴候を基にした神経生理学を学校で教えている。階層型理論では、中枢神経系は、上位、中位、下位レベルと階層を作っていて、伸張反射や原始反射は下位の脊髄レベルの機能であってこれが亢進するのは、上位レベルのコントロールが失われた下位レベルの解放現象だ、みたいな説明がよくされる。
これは驚くべきことだろう。ジャクソンの階層説は19世紀の後半に提案されたもので、今から130-140年前のものである。単に古いということもあるが、「臨床でもこの説明の矛盾する現象は割と見られているのに、疑問に思わないのだろうか」などと思う。
一つの例を挙げると、立ち上がると患側下肢が屈曲してしまい、健側下肢だけで立っている患者さんがいる。これは従来「患肢に屈曲共同運動が見られる」などと陽性徴候として説明されてきた。下位レベルの解放現象だ、だから抑制しないといけない、と。
しかしこんな患者さんの麻痺側下肢にプラスチックの短下肢装具を装着して一度荷重練習すると、たちどころに「屈曲共同運動」なるものは消えて見られなくなることも多い。
そうすると「足関節が補装具によって正常なアライメントに保たれるので、正しい運動感覚学習によって屈曲共同運動が抑制されるのである」などと説明される。なるほど、頭が良い・・・・(^^;))
しかしシステム論を基にしたCAMRでは次のような解釈を行う。麻痺側下肢に内反の変形が生まれていて、その内反の足で体重支持しようとすると転倒しそうになる。そこで運動システムが問題解決として、患側下肢を支持に使わないように屈曲しているのではないか。
つまり運動システム自身が「使わない」という問題解決を図って、屈曲して持ち上げているのではないか。プラスチック装具を装着して荷重するとちゃんと荷重できることが運動システムにわかるので、不使用の問題解決を自らやめて荷重するようになるのではないか。
こんな解釈もできるはずである。まあ、一つの可能性である。しかし、それについて何ら検討もすることなく、「それは事実に反する」などと反論を受ける。 「ジャクソンの階層型理論は現在の神経学の基礎になっているように、真実だからだ」と言われたりする。
つまり階層型理論かシステム理論か、「どちらが真実か?」という視点で、「階層型理論の方が真実である」と信じ込んでいるように見える。
たが基本的に階層型理論にしてもシステム論にしても、運動変化を説明するための仮説に過ぎないものだ。どちらが真実かは僕にはわからないし、どちらの仮説にも矛盾点は見られるし、上手く説明できないところもある。
だからCAMRでは次のように考えることにしている。臨床家にとって理論とは、ある現象を説明するための道具である。つまりその理論によって現象を理解し、問題解決方法を導くための道具である。
道具だから使い道に違いがあるのが当たり前である。フォークは刺して食べるのに便利だが、スープを飲むときはスプーンの方が向いている。状況に応じて使い勝手の良いものを選べば良い。
それに道具だと思えば、真実かどうかを気にすることはない。「このスプーンは真実である」などというのはナンセンスだから・・・・
だから視野を広めるために、どちらの理論も理解して、状況によって使い分けたらどうかと提案するのだが、なかなかこれは受け入れられない。
まあ、その気持ちも良くわかる。長い間、同僚や後輩に向かって説明してきたアイデアである。今さら「それは仮説だから真実かどうかはわからない」などと言えるはずもないだろう。これまでの自分を否定することになるからだ。それで、自分がこれまで築いてきた考えや知識を脅かす新しい説明、新しい理論を受け入れることはできないのである。これはまあ自然の感情である。
ではどうしたら良いのだろうか?何度も説明を聞いて納得する方もいるが、頑として途中から説明を聞くことを拒否する人もいる。「言葉を尽くして説明する」ことも難しくなる。僕も口下手だし、頭も良くないのでなかなか説得力のある言葉にならない・・・・
今回のシリーズはどんな感じになるわからないが、ともかく思いつくままに考えを巡らしてみようと思う。(その2に続く)
※No+eに毎週木曜日は、別のエッセイを投稿中!最近の投稿「自律的問題解決とは?(その1)」https://note.com/camr_reha
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その8:最終回)
-生活課題達成力の改善について
今回は「運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す」シリーズのまとめです。 CAMRでは、「運動障害」とはまずマヒや切断、感覚消失などで身体の一部や筋力、柔軟性、知覚などの身体リソースが失われることです。そうすると環境リソースもうまく使えなくなり、運動認知も不適切になったり失われたりします。これらによって運動スキルを創造的に生み出す能力も発揮できなくなり、必要な生活課題の達成力が低下してしまうことでした。
それでまずやるべきは、改善可能な身体リソースはできるだけ改善すること。また必要な課題達成に向けて環境リソースもできるだけ工夫していくことです。 この時、セラピストが「この身体・環境リソースは課題達成に関係ないだろう」などと勝手に取捨選択しないことです。ここまで述べたように運動システムはどの運動リソースをどのように運動スキルに結びつけて、どのように課題達成するかはセラピストには想像がつかないことも多いからです。
つまり改善可能な身体リソースはできるだけ改善しておき、思いつく限りの環境リソースは心に留めておくこと。そして後は運動システムがどのように運動スキル学習をして、どのような課題達成の運動スキルを生み出すかをよく観察しておく必要があります。
それによってセラピストは経験を積むにつれて、「ああ、この場合はこのような可能性を導くことができる」といった経験値を積んで、患者さんの運動スキル学習を助けることができるようになります。
そして身体リソースを改善しながら、動作課題を工夫して繰り返します。ただ単に同じ事を繰り返すのではなく、実施条件を少しずつ変えたり、課題を少しずつ難しくして異なった状況でも同じ基本動作を繰り返します。
この少しずつ状況変化を起こしながら、同じ基本動作を繰り返すことで、状況変化に応じて運動を適応的に変化させ「一つの課題を異なった状況でも達成できるという頑丈さ」が生まれてきます。
最終的に行為課題を設定して、必要な生活課題達成のための運動スキル学習を行います。
運動スキル学習の基本は適切な課題設定を行うことです。ここで設定される課題は、①行為者に取って必要(やる意味)があり、②なんとか達成可能であることが条件でした。この条件を満たすことで、自然に患者さんの運動スキル学習が始まります。
行為課題がなんとか達成できるように、セラピストが課題を少し易しく修正したり、適切な環境リソースを調整したり、適切な介助をすることです。
このようにしてともかくより良い状況を作っていくようにします。
文章にすると少しややこしくて、イメージしにくいですよね(^^;)
CAMR講習会では、患者さんの動画を見ながらどのように課題設定するか、どのように条件を変化させるか、どのように環境リソースを調整するかを具体的に説明しますのでわかりやすいです。もし機会があれば参加してみてください(^^)(終わり)
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その7)
-生活課題達成力の改善について
ここまでで「要素課題」はセラピストの改善可能な身体リソースを改善したり、将来に向けて利用可能な環境リソースについて考えたりします。ベッドサイドあるいは訓練室レベルでおこないます。
「動作課題」は、様々な動きの基本となる協応構造を豊富に身につけたり、運動認知を適切にしたりして基本的な運動スキルを柔軟に、適切に生み出せる基礎を作ります。これまた簡単なものはベッドサイドでも行いますが、主に訓練室レベルで行う課題です。
要素課題と動作課題は訓練時間内に並行して行うことが多いと思います。今回は「行為課題」について説明します。
「行為課題」は従来訓練室で行っている「ADL訓練」にあたります。
病院内の訓練は最終的な仕上げ段階に入ります。退院に向けて患者さんにとって必要で、達成可能な生活課題の達成力改善が一つの大きな目標になります。
たとえば「居室からトイレに行って帰る」とか「ポータブルトイレが自立する」とか「服を着替える」とか「居室から台所まで歩いてくる」とかそんな具体的な生活課題の達成が目標になります。
当然家族との話し合いも重要です。家族の希望通りにいかないことは多々あります。そんな時でも「○○はお一人では危険です(できません)が、××することで○○をできるようになります」とできるだけ希望に近づけるような達成可能な代替案を出すようにします。このようにできること、できないことを明確にして、家族や本人の希望する課題を修正する能力を身につけることもセラピストには重要です。
「行為課題」の基礎となるのは「どれだけ豊富な身体能力を持っていて、たくさんの多様な基本動作を通じて、より多くの協応構造と基礎的な身体スキルと適切な運動認知を持っているか」と「課題達成のための利用可能な環境リソースをどれだけ工夫できるか」ということです。
「環境リソースをどれだけ工夫できるか」となると作業療法士が得意と考えられがちです。実際にはPT・OTに関わりなく、1人1人のセンスや経験で得意・不得意が決まるようです。より広い視野と思い切った発想が必要とされることも多く、できればチーム内で共有して複数の視点で取り組めると良い結果がうまれやすいです。
トイレの介助方法などは、訓練室や施設内の設備を利用して練習することもできますが、できれば実際に生活する家屋で、利用可能な環境リソースを発見したり、課題達成のための工夫をしたりすることも重要です。
また患者さん自身が色々な運動スキルを発見することも多いものです。僕の親父が片麻痺後退院して家に帰りました。うちの家は親父の居室から食堂に行く廊下には障子の引き戸が並んでいます。「手すりが付けられないね」と僕が言っているそばから、障子に手を差し込んでバリッと紙を破ると、障子の桟を持って自分で障子戸を押しながら「他の戸をどけい(どけて)」と言ったものです。つまり障子戸を移動用の手すりにその場で変えてしまいました。
元々父は患足下肢の支持性はしっかりしていて、むしろ軽度の基礎定位障害によるバランスの問題があったので、細い華奢(きゃしゃ)な障子の桟でもバランス保持には十分役立ったわけです。もちろん心配なので後から僕が補強の棒を取り付けることでより丈夫な移動用手すりにしました。
ともかく父の発想には舌を巻いたものです。元々子どもの時から、僕が何か作業に困っていると、「こうしたらどうか?」とやり方を工夫してくれた親父です。まあ、その度に自分の頭を指さして「ここを使え、ここを!」とするのには腹が立ちました。その時も自分の頭を指さしてニヤリとしました(^^;)
やはり少し腹が立ちましたが、それ以来患者さんには「利用可能なもの」を自分で探して工夫する訓練もするようになりました。軽い失調症の女性はいつもピックアップを使って屋内移動します。でも料理やお茶を流しからテーブルに運ぶのに困っておられました。
一緒にいろいろなものを試して試行錯誤してもらいながら、最終的にはご自分で食堂の椅子の脚に布製の袋を巻いて滑りを良くし、座面に台を置いて高くしてその上に皿やコップを置いて背もたれを持ち、そっと押しながら運ぶ方法を考案されました。「滑らせる簡易ワゴン兼歩行器」ですね。
もちろん僕は経験的に早くからその方法を思いつきましたが、敢えて言わないでご本人に考えてもらったわけです。上手くいったときにはコンプリメント(褒める、労う)をします。この時もとても喜ばれました。
障害後の患者さんは自信をなくし、家族に依存的に暮らすことも多いと思います。だからセラピストが何もかも判断し、実施するのではなく、色々な経験を通して患者さん自身の問題解決能力と自信を改善することも大事なことだと思います。その女性はそれ以来、色々なことを自分で工夫されるようになって明るくなったとのことです。
次回は今シリーズのまとめです。(その8に続く)
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その6)
-生活課題達成力の改善について
今回は動作課題についてです。
動作課題は「寝返る、起き上がる、座る、立ち上がる、歩くなど」の基本動作運動を中心とした運動課題です。動作課題は繰り返したり、負荷をかけたりすることで身体リソースを改善するし、動作課題を少しずつ変化させることで運動認知を改善したり、達成方法を試行錯誤することで基本的な運動スキル学習にもなります。
具体的な例を挙げて考えてみましょう。
立位で健側下肢中心に立つ片麻痺患者さんがいます。実際には患側下肢にも支持性が出ているので患側下肢をもっと自由に使えれば、歩行のパフォーマンスはもっと改善するはずです。
そうすると患側下肢の使用量と使い方の多様さを増すような動作課題を考えることになります。
たとえば平行棒のそばに幅30センチ、長さ60センチ、厚さ4センチの板を置き、その上に立ってもらいます。健側上肢で平行棒を掴みます。(イラスト1を参照してください)
そして健側下肢を前に振り出して荷重し、今度は後ろに振り出して荷重します。(イラスト2)これを繰り返すと患側下肢は、「前後に重心移動しながら体を支える」という運動スキルを発達させることになります。
次に健側下肢側方へ振り出して荷重しては元に戻します。(イラスト3)今度は患側下肢に重心移動し、その後健側へ重心移動しながら支える練習を繰り返すことになります。
それぞれに安定してくると、健側下肢を前に振り出して戻したら、今度は側方へ振り出して戻し、更に後方へ振り出して戻すなどと3方向へ重心移動しながらの支持を自在に行うスキルを発達させます。
これらは全身を使った運動スキルの一例で、特に健側上肢が支持とバランスに大きな役割を果たしています。もっと下肢中心の運動スキルを発達させたいですね。
そうするとこれらの運動が安定したところで、健側上肢は平行棒の代わりにパイプ椅子の背もたれを持つように課題実施の条件を変化させます。それができるようならT字杖で同じ課題を行うようにします。上肢の役割を減らすわけです。もし可能なら杖なしまで進みます。
これらができるようなら今度は背中に重りを背負います。また水を半分入れた2ℓのペットボトルを背負ったりします。背中で水が移動するので外乱要素になります。
このように課題の質を変化させたり、重りを増やしたりすることで負荷が増えて、身体リソースが改善するし、それらの難しい多様な課題を達成することで運動認知が適切化します。更に患側下肢は体重支持しながら様々な方向に安定して重心移動ができるようになるという運動スキルを発達させることになります。
患者さんとしては、運動認知が適切になり(「この脚は案外使えるよ」)、麻痺側下肢に体重を乗せることに恐怖や不安を感じなくなって自然に患側下肢を使うようになるわけです。
動作課題は、基本動作を中心に行いますが、日常生活で達成するべき様々な生活課題の基本となる協応構造を多数生み出して様々な運動・行為の基礎となるものです。
考え方としては一つの運動課題を変化させながら繰り返します。CAMRでは「実りある繰り返し課題」と呼びます。単に同じ課題を同じ実施条件で繰り返すのではなく、少しずつ課題も実施条件も難しく変化させます。できれば少しずつ達成可能な範囲で難しくしていきますし、できなければ何とかできるように課題や実施条件を少しずつ工夫して行きます。
こうして、身体リソースを改善し、運動認知を適切化します。また利用可能な基本的な協応構造をできるだけたくさん獲得し、運動スキルをより柔軟に適応的に生み出せるようにして、次の段階である日常生活課題などの達成力改善の基礎となるわけです。
そういった意味で、動作課題は訓練室レベルで、身体リソースと基本的な運動スキルの両方を改善するための中心的な課題となります。セラピストにとっても変化を見極め、適切に課題を工夫・提案することが求められます。 次回は「行為課題」について説明します。(その7に続く)
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その5)
-生活課題達成力の改善について
ここまで述べたように、障害を持つとは第一に身体リソースが失われることです。そうすると環境リソースが使えなくなり、運動認知が不適切になり、運動スキルが上手く創出できなくなり、必要な生活課題の達成力が低下あるいは消失することです。
それでCAMRでセラピストがやるべきことは以下の通りになります。
①まず改善可能な身体リソースをできるだけ改善すること
②利用可能な環境リソースをできるだけ増やすこと
③改善した身体リソースや増えた環境リソースをできるだけ使って達成可能な課題をできるだけたくさんやってみること(運動認知のアップデート、あるいは適切化)
④患者にとって必要で達成可能な課題を通しての運動スキル学習を行うこと
以上のようになります。これらによってリハビリの目的でもある「必要な生活課題達成力を改善する」ことができる訳です。
今回は上記の過程を実現するための方法について説明します。
人の運動システムの作動の特徴の一つに「課題特定性」というものがあります。これは人の運動システムは課題達成に向けて、自律的に活動し、課題達成のために必要な探索や試行錯誤を行い、課題達成方法を生み出すという性質です。 これはアメリカの課題主導型アプローチでは、「運動は課題によって組織化される(生み出される)」とシンプルに表現されたりします。
(課題主導型アプローチとCAMRは多くの共通点もありますが、基本的に異なった部分があります)
まあ、簡単に言うと「運動リソースの豊富化も運動スキル学習も『課題』という手段を通して行われる」わけです。
従ってCAMRのアプローチでは、この作動の特徴を利用して上記の①~④の四つの過程を「課題に沿って実施する」ことになります。
さてCAMRでリハビリのセラピストが用いる課題は「要素課題」、「動作課題」、「行為課題」の3種類に分類されます。
「要素課題」は、主に運動リソースを増やすために用いる課題です。代表的な技術は学校で習うストレッチや筋トレ、マニュアル・セラピーや上田法などの徒手的療法で、柔軟性や痛み等の身体リソースを改善したりするためにセラピスト自身に課す課題となります。
これらの徒手的療法は現在の日本の養成校ではあまり積極的に取り入れられていないため、就職後に講習会などを受講する必要があります。有名なところでは痛みや関節の可動性・柔軟性を改善するマニュアル・セラピーや脳性運動障害後の体の柔軟性を比較的持続的に改善する上田法などがあります。
痛みや脳性運動障害後の体の硬さは患者さん自身では改善が難しいので、セラピストの徒手的療法は非常に有効になります。また痛みや硬さは筋活動を低下させ、運動範囲や重心の移動範囲を狭くし、身体の活動性も低下させます。放っておくと拘縮や変形の原因ともなるため特にセラピストの徒手による関与が重要です。
また身体リソースの中でも痛みや柔軟性は、上記の技術を使ってその場で改善することが多いのです。
逆に言えばこの技術がないと、患者さんが痛いと訴えても痛みを放置したまま、力や動きが制限されたまま運動療法を実施することになり、非効率です。また脳性運動障害後の過緊張状態も放ったままでは、運動範囲や重心の移動範囲が限られてしまいます。それで、十分なパフォーマンスを発揮できないために経験する運動スキル学習も限られてしまいます。
先にも述べた通り豊富な運動リソースを基に柔軟で多様な運動スキルが作られますので、運動スキル学習に入る前には改善できる身体リソースはできるだけ豊富にしておくことが良いのです。
また先々利用可能な環境リソースを工夫して豊富にする目安をつけておくこともセラピストに課せられた課題です。生活課題達成のための環境調整や自助具などの工夫と提案も早くから準備しながら進めていくようにします。
セラピストはホームワークとして、適切な自己ストレッチや筋トレを考えて指導することもあります。これらは患者さんに課せられる要素課題です。
上記のように患者さん自身が行うものもありますが、「要素課題」は基本、セラピストが専門的な技術を持って身体リソースを改善したり利用可能な環境リソースを提案・工夫・作成したり、セラピストが自らに課す「運動リソース改善のための課題」がメインとなります。
患者さんとの訓練を開始するときから、運動リソースを豊富にするためにまず自分に何ができるかを考える必要があります。そのために専門的な知識や技術を身につける必要があるのです。
次回は動作課題の説明です。(その6に続く)
運動リソースを増やして、運動スキルを多彩に生み出す(その4)
-生活課題達成力の改善について
ここでは人の運動システムが持つ素晴らしい能力が「運動スキル」であると述べてきました。運動スキルとは運動のやり方、筋群の収縮のタイミングや力の強さを憶えて運動の形を正確に再現する運動プログラムのようなものではないということを前回説明しました。
CAMRでは運動学習は、課題達成に向けて生み出される協応構造とそれを調整するための運動認知からなります。運動学習とは「運動リソースを利用し、課題達成の方法を生み出し、修正・熟練する」ことなのです。
そうすると運動学習は二段階に分かれていることがわかります。わかりやすいように具体的に片麻痺患者さんの分回し歩行について説明します。
片麻痺患者さんがT-caneを突いて立位保持ができるようになるといよいよ歩行練習が始まります。患者さんは思いきって足を振り出そうとします。通常立位での重心移動練習をやった後、患側下肢に支持性があると健側下肢は振り出せます。しかし麻痺の程度によって患側下肢の振り出しは難しいことも多いです。
そこで患者さん自身による患側下肢振り出しのための探索活動あるいは試行錯誤が始まります。利用可能な運動リソースを探して試すということが少しの間続きます。その結果、健側下肢に大きく重心移動して患側下肢を浮かせながら、体幹の側屈や回旋によって軸足を中心に健側下肢を前方に振り出すやり方を発見します。つまり分回しです。
これが患側下肢を振り出すための協応構造の発見ですね。しばらく色々と患者さんはこれを使って歩かれるようになります。そうなると協応構造はある程度安定しながら次の段階に入ります。
それはこの分回し歩行のための協応構造を色々な状況の中で試して見ます。様々な状況変化に対応するための運動認知の修正と熟練のための段階に入るわけです。これまで述べたように身体の状態は毎回変化します。分回し開始時の重心移動の程度や体の硬さも変化します。患側下肢振り出しの開始位置や全身の構えなども毎回変化します。時には患側下肢の着地点は健側下肢に近すぎて基底面を狭くしてバランスを難しくするかも知れません。時には離れすぎて大きく重心移動する必要が生まれるかも知れません。
それでも様々な状況で患側下肢の振り出しを調整しては、安定して歩けるような運動結果に落ち着くように運動認知学習をする訳です。
つまり運動スキル学習は基本的に患者さんがこのように主体で行うものです。だってセラピストには何がどう起きてどう調整するかの過程は全くわからないからです。セラピストは課題を出してその目に見える結果を判断するのです。
従来の運動学習のアイデアのように「脳内に運動プログラムを学習させる」と考えていると、運動学習はセラピストが「正しい運動を指導して憶えさせること」と考えがちです。そして彼らが「正解の運動」と考えるもの、つまり健常者の歩行の形をまねるように課題として出します。もちろん麻痺があるのでできないわけで、そうすると感覚入力学習と言って「他動的に手脚を動かす」とかタッピングなどをします。
脳をコンピュータの様に考えるので、他人がプログラムを入力するように、他動的に正しい運動を繰り返して感覚入力すれば「正しい運動を学習する」と考えているようです。
でも他動的に動かした運動が憶えられるなんて事実はこれまでも発見されていません。あくまでも幻想に過ぎません。
誰でもわかることですが、子ども時代から人は自ら動くことによって様々な課題達成方法や問題解決方法を生み出し、熟練させているのです。自律的に動く以外に運動スキル学習は起きないのです。
運動スキル学習の取りかかりは課題達成のための協応構造の発見に。発見後は様々な状況に対応して協応構造を上手く調整するための運動認知学習に充てることです。
次回は「運動リソースを豊富にし、運動スキルを多彩に柔軟に生み出す運動スキル学習」の方法について述べます。(その4に続く)
※毎週木曜日にはNo+eに別のエッセイを投稿しています。最新のものは「自律的問題解決とは?(その3)」です。こちらもよろしく!以下のURLから。https://note.com/