毎回5分で理解する「要素還元論」と「システム論」(その1)
学校で習う人の運動システムは、構造と各器官・組織の機能として理解されます。まず人体の設計図を作って、構造と仕組みを理解するわけです。
たとえば筋肉は力を生み出します。そして骨格・関節・靱帯などで力に支持と方向を与えます。体の前面についた筋肉は筋の起始・停止を近づけて屈曲させます。背面についた筋は伸展させます。感覚器は身体や周りの環境内の刺激を受けて、神経を通して脳に伝えます。脳は受け取った感覚刺激から情報を生み出し、その情報を基に神経を通して筋に命令を送る・・・などと仮定された設計図ができる訳です。
特に脳の機能については、コンピュータをモデルに働きや役割を仮定されていることが多いですね。
というのもこの視点では、人体の理解の仕方はどうもロボットと共通の見方のようです。ロボットでは、力はモーターで発生し、躯体は硬い部品で作られますので可動性なども決まっています。感覚はセンサーで集め、電線を通じてコンピュータに送られます。つまり運動や活動を繰り返してもそれらモーターや躯体、センサーなどの各ユニットの性能が上がることはありません。(消耗によって性能低下はあると思いますが)
そのようなシステムでは、運動変化を起こしたり、運動を調節したりするのは全てコンピュータです。コンピュータに新しい運動プログラムがインプットされない限り、新しい運動変化は起きないことになります。つまりロボットではコンピュータだけが運動変化に責任を持っていることになります。
そして人の脳の機能や役割はまさしくコンピュータに喩えられて理解されています。それでロボットではコンピュータ、人では脳が運動変化に責任を持っていることになるのです。だから上記の人体の設計図では、「運動変化や運動の調節はほとんど脳の働きである」と仮定されています。
ところが人では、運動や活動を行えば筋力や柔軟性などが変化してきます。そうすると姿勢や運動も変化してきます。あるいは痛みがあると動きが変化します。とびきり良いことがあると重力に逆らって動きも軽やかになり、悪いことがあると重力に押しつけられたように動きが重くなります。単に体重(お腹の脂肪など)が増えても姿勢や運動は変化します。
つまり運動変化を起こしているのは脳だけではありません。一時的な変化も持続的な変化も様々な構成要素の相互作用から生まれてきています。
このように「運動変化がどのように起こるか?」と問いを立てて答える場合、設計図と各要素の機能を基に「脳が変化させている」の様に特定の要素で説明する立場を「要素還元論」と言います。現象を特定の要素に還元して(戻して)説明するからです。つまり学校で習う運動システムの見方は、この要素還元論の視点なのです。
この見方は、「因果関係論」で説明されることも多いです。「運動の変化は脳の活動が原因である」という風に原因と結果の関係で説明されるからです。
逆にある現象が「システムを構成する様々な要素の相互作用から運動が生まれる」というのがシステム論の視点です。
どちらの視点が正しいか、真実かという議論はナンセンスです。それぞれの立場から見ると、「そう見える」と言っているだけです。「地球上に立って天空を見上げると天動説は正しく、太陽に立ったと仮定すると地動説が正しい」ということです。
どちらの視点も「問題解決に有効だし、場合によっては有効ではない」だけです。現在、天動説は間違いと言われますが、大航海時代には天動説の知識は自分の位置を知るために十分有用だったわけです。状況によって有用か、有用でないかが決まるだけです。
要素還元論は、構造と各部の機能を基に運動システムを理解しますので、構造が傷害されても回復する可能性が高い整形疾患などではとても有効で効率的な視点です。まさしく「悪いところを探して治して元に戻す」というアプローチが展開されます。
しかし脳性運動障害のように脳や麻痺を治せないと壁に当たってしまいます。 そんな時はシステム論のようなアプローチが有効になってきます。
そして逆にシステム論にも弱点はあります。そんな時は要素還元論が弱点を補ってくれます。
今回のシリーズはこの2つの視点について詳しく検討してみます。(その2に続く)
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「リハビリのセラピスト」という仕事
リハビリ学院の同期生が還暦を迎えたので集まった。話を聞いているとみんなそれぞれに自分なりの理学療法・作業療法の進め方を身につけていることがわかる。
それで思ったのだが、リハビリのセラピストという仕事は、一から自分なりのやり方で自分なりの方法論を身につけて行くものだと思った。それぞれの方法論は実にその人らしさに溢れているからだ。
確かに学校で習ったこと、講習会で習った知識と技術でスタートしているが、やはりそれぞれの個性と職場環境でその後の展開は大きく違っている。
患者さんの笑顔がエネルギーの者もいれば、自分の一生の仕事として面白さを求める者もいる。興味のあることを中心に探求する者もいる。自分なりのやり方で40年近く自分なりの理学療法・作業療法の体系を作ってきたわけだ。
そんな話を聞いてとても嬉しかった。
というのも最近は「リハビリの仕事は面白くない」という若いセラピストの話を聞くことが多かったからだ。どの患者さんにも同じような訓練を繰り返したりしているわけで、まあ、工場の流れ作業のように同じ作業を繰り返しているように見える。自分の仕事が生み出す結果よりは、決められた手順を再現することが目的のように見える。これでは面白くないだろう。
実際に「リハビリの仕事は給料が安いから辞めて、工場に就職した」という話も聞いた。同じ流れ作業なら給料の高い方を選ぶわけだ。
最近はマニュアルだとかガイドラインだとかEBMだとか言われて「科学的に正しいやり方」が決められてしまっているようで、そこから外れにくくなっているのかもしれない。
僕たちの時代(約40年前)は、僕たちセラピストの卵に求められているのは、「生活課題の達成力を高める」などという非常にシンプルで具体的な結果であった。ただ「正しい方法」は学校で習うものくらいで、教科書通りにいかないことはすぐに実感したので、自分なりに結果を求めて、やり方を探し求めていた感じがある。なにをしたら良い結果が出るかを自分自身で考え、試行錯誤して生み出していたわけだ。
その良い結果とは、患者さんの笑顔であったり、活き活きとした表情であったり、単純にできなかった生活動作ができるようになることだった。自分なりに良い結果の基準も持っていたわけだ。
今は「正しいやり方はこうだ!」とか「効果のあるやり方は科学的に証明されている!」と周りの権威者達に決められ、与えられてしまうのかもしれない。なんだか「リハビリの結果より、方法の方が重要である」という錯覚が生まれやすいようだ。あまりに周りの大人達が自分の価値観を押しつけ過ぎなのだろう。リハビリ教育の高度化・専門化とはこんなことだったのかと思うと少し残念である。
「正しいやり方」を押しつけたところで、患者さんもセラピストもそれぞれの個性があって、その出会いの中で毎回異なったやり方が生まれるのが当たり前である。工場の流れ作業のように同じ部品が流れてきて、同じ動作を繰り返すと大体同じ結果に終わる仕事ではないからだ。
学校や講習会で得た知識は、自分の個性と毎回出会う異なった個性の患者さん達とのセッションを繰り返しては、自分なりのやり方が一から組み立てられていくわけだ。だからこそ一人一人がどんな結果を追い求めるかが重要なのである。
若いセラピスト達には、「生活課題の達成力の改善」のようなシンプルな結果を求めて、自分なりの方法論を試行錯誤しながら身につけていって欲しいと思う。
もちろん全て我流で一から始めるのは大変なので、大人達の意見を参考程度にすれば良い。色々と異なった意見も聞いて、自分なりのリハビリ訓練の体系を見つけていってもらいたいと願っている。そうすれば仕事は自然に面白くなるよ!(終わり)
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人の運動を「正しい」とか「間違っている」と言えるか?(その4 最終回)
もう一つ、「正しい運動」と言ってしまう原因は、健常者から障がいを持つ人に対する同化主義といったものが考えられる。「あなたたちの動きは良くないから、健常者の様にきれいに動きなさい。健常者の動きが正しい運動である。健常者の様に動けるように人一倍努力しなさい」という思想である。
「障がいを持つ」ということ自体が認められないわけだ。だからまるで麻痺が存在しないかのように、「(健常者の様に)歩きなさい!」と無茶を言う。「諦めるのは早い!頑張って続ければできるようになるのだ!」などというセリフを昔はよく聞いたものだ。
さすがに現在のリハビリの世界では、この同化主義に染まったセラピストはいないと信じたい。
それでも「麻痺があるからと言って諦めたらそこでおしまいだ。諦めなければきっと道が開かれる」といった意見は時々臨床でも見られる。
しかしこの考え方が日本に入ってきてから60年以上経つが、未だに麻痺が治ったという科学的報告はない。もちろん世界でもない。
この「諦めたらおしまい」という考え方は「ユートピアン・シンドローム」と呼ばれる。達成不可能な夢を追い続けるという行為で、理想の目標の実現よりはむしろ「理想を諦めないで努力し続ける」ということ自体に価値が見いだされているようだ。諦めないで続けることが目的となっている。それで患者さんの生活問題を早く解決しようとするのではなく、むしろ逆に生活問題をずっと維持し続けるという結果を引き起こしてしまう。
すでに家庭内の生活は自立しているものの、「正しい運動ができていない、間違った運動をしている」と言われて「まだ自分はダメなんだ、人前で歩くためにはまだまだ努力が必要なんだ」と訓練に没頭する患者さんもいる。
この場合、元々リハビリの仕事が何なのかを考える必要がある。
医療的リハビリの仕事は、生きていくために必要な生活課題の達成が困難な人の生活課題達成力を改善することではないのか。それによって生活の質を高める手伝いではないか?
もちろん麻痺が治って元通り健康になれば一番良いのだろうが、職業人として治るか治らないかは客観的に判断して患者さんに接するべきだ。
患者さん自体が「麻痺を治して元通りになりたい」と希望される場合でも、プロとして「リハビリで麻痺を治すことはできないが、今よりは歩行パフォーマンスを改善することはできます」などと言うべきだろう。実際に治せるという事実はないのだから。
決してリハビリの目的は、あるセラピスト達が考える「理想の運動、正しい運動」に近づけることではないはずだ。
そもそもこのセラピスト達の言う「理想の運動、正しい運動」というものがなんとも判然としない。たとえば「健常者の歩き方の形」だという。
そうすると僕のように一応仕事も社会生活も自立しているが、円背気味に歩く高齢者は正しくない歩行運動をしているのだろうか?どこかに無理がかかっている歩行だからとリハビリを受けるべきか?いや、もちろんそんな必要はない。健常な若者のように颯爽と歩いていなくても社会生活にも生活の質にもあまり影響はない。
さらに健常者の歩き方の形は状況に応じて適応的に変化するものだ。氷の上では小刻み歩行、水溜まりでは濡れないようにつま先立ちの尖足歩行、水田で足を泥から抜くときは抵抗を小さくするために下垂足の形、つまり鶏歩に見える。あまり運動をしない健常の方の片脚に重すぎる重りを着けると、振り出すために分回し歩行の形も見られる。状況に応じて形を変える作動が健常者の運動システムの特徴である。
麻痺があれば脚を振り出すために分回し歩行をする訳だから状況に応じて形を変えているので「分回し歩行は健常の運動システムが持つ作動である」と言うことになる。
なんだか特定のセラピスト達の価値観、CAMRでは「正しさ幻想」と呼んでいるが、それだけでものが言われているような場面に再々遭遇する。大変なことである。(終わり)
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人の運動を「正しい」とか「間違っている」と言えるか?(その3)
「運動変化は脳の役割」あるいは「脳が運動を変化させる」という立場がある。
その立場では、運動変化は基本、脳の変化でしか起きないので、アプローチは脳を変化させようとする。方法はいわゆる「適切な運動を行ってその運動感覚を脳に入力する」ということになるのだろう。
この考え方はロボットと共通するところがある。ロボットの体は金属やプラスチックなどの硬質なもので作られ、動力はモーター、体や周りの状態はセンサーで調べる。
運動を重ねても体やモーター、センサーは変化しない。だから運動を変化させるためにはコンピュータのブログラムを変化させるしかない。
そして人でも「運動を変化させる」とは「脳を変化させるしかない」と考えてしまうところが共通している。
人の脳はコンピュータによく喩えられる。コンピュータは人が作ったものに過ぎないのに、コンピュータをモデルに脳の機能が説明される。「入力」とか「出力」とか「プログラム」等で脳の働きを理解するのは、なんだか変な気持ちがするのは僕だけであろうか。
一方、「運動変化は筋力や柔軟性などの各構成要素の変化や構成要素間の相互作用によって起きる」という立場(システム論)もある。
人では運動を繰り返すと筋力や柔軟性が変化する。神経や筋、感覚器の活動性も変化する。時間が経てば体重や脂肪量も変化する。もちろん脳の活動性も変化するだろう。運動の様々な構成要素が変化するのである。運動変化はそれら「運動の構成要素の変化や構成要素間の相互作用が変化し、新しい運動状態が生まれる」と考えられる。
アスリートが体幹筋のトレーニングをしてパフォーマンスが変わったという報告がされるが、この場合は筋力や神経、感覚器の活動性が変化したからとも説明できるし、筋力や神経、感覚器の活動性の変化などが他の構成要素(運動による体重・脂肪量、脳の活動性など)との相互作用から新しい運動の状態が生まれた」とも説明できる。
たとえばThelenらの「新生児歩行の出現と消失」の現象の研究がある。それまでは脳が未熟だとか成熟したとかで説明していたわけだ。でもテーレンらは、下肢の脂肪量の急激な増加が新生児歩行消失という運動変化の原因としている。脂肪の増減でも運動は変化するわけだ。私たちでも脂肪の増加によって姿勢と運動パフォーマンスは変化する。(実際にはThelenらは動的システム論の立場から「原因」のかわりに「コントロール・パラメータ」という用語で説明している。因果関係の説明ではないのだが、ここでは意味が汲み取りやすいようにわざと「原因」と表現した)
システム論を基にしたCAMRでは、脳はコンピュータとは異なった作動と機能を持っていると考える。脳をコンピュータに喩えると、「運動は脳に蓄えられた運動のやり方(プログラム)によってコントロールされる」となるが、システム論の立場からは「運動はその時、その場の状況から様々な運動の構成要素間の相互作用によって適応的に生み出される」となる。(ちょっと説明が大雑把過ぎ(^^;))
脳性運動障害の方に運動を繰り返していただくと確かに運動パフォーマンスは変化する。だからといって「脳が機能的に回復した」とか「麻痺が改善した」とはこの立場からは言えない。脳だけが変化を起こしているとは言えないからだ。
機械は設計者の思い通りに動くことを期待される。つまり設計者の意図した「正しい運動のやり方」が前提としてある。だから人をロボットに喩えて見ていると、人にも正しい運動があると思ってしまうのかもしれない。
しかし人では個人の能力や身体状態、その時の状況変化に応じて課題達成のやり方は多様に変化する。もし麻痺があれば麻痺があるなりのやり方で動かれる。 だから健常者のやり方と違っているから「間違っている」と言ってしまうと麻痺のある患者さんは困ってしまう。麻痺を治せない僕のようなセラピストも困ってしまう。
麻痺のある体で何とか課題達成の運動スキルを生み出されているのである。だからまずは麻痺のある方のやり方を受け入れることが大事ではないか。その上でパフォーマンス改善の可能性を探っていけば良いのだと思う。
CAMRの視点では、筋力、柔軟性、持久力、装具や環境整備などの利用可能な運動リソースを増やし、その利用方法である運動スキル学習を促進して多様で柔軟な運動スキルを生み出せるようになることで運動パフォーマンスや生活課題達成力は改善すると考える。(その4に続く)
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人の運動を「正しい」とか「間違っている」と言えるか?(その2)
「その運動は間違っている」というセリフにずっと悩まされてきたものだ。最初は実習地だった。臨床実習の指導者は、「その歩行は分回しという代償運動で良くないから、修正してあげなさい」みたいなことを言う。 その頃は僕もまだうぶだったので、素直に言うことを聞いたものだ。「代償運動は本来の正しい運動ではないから、間違った運動で悪いものだ。だからリハビリの専門家として、本来の正しい歩行のやり方を教えなくてはいけない」と素直に思った。
どうするかというと、「まっすぐに脚を出してください」とおよそ達成不可能な課題を出すわけだ。患者さんも最初は素直に「おお、その方が良かろう」と思われるのだろう、一生懸命にまっすぐに振り出そうとされる。しかし、元々できないから分回しだ。そうするとうぶな僕は一生懸命に修正しないといけないと思い、頻回に「まっすぐに、まっすぐに、まっすぐに!」と指示を繰り返すことになる。
そうするとそのうちに患者さんが爆発する。大きな声で、「やかましい!わかった!お前の言う通りまっすぐに出しちゃろう!だがその前にこのわしの不自由な脚を治せ!脚が悪くて思うように動かせんのじゃ!まっすぐに出そうと思うのにまっすぐに出せん!どうせえ言うんじゃ、わりゃあ!」と怒鳴られて立ちすくんだものだ。(「わりゃあ」は「お前」という意味の方言。この夢はそれ以来時々見るようになって、今でも見ることがある(^^;))
なるほど、言われることはもっともなことである。元々脚が動かないからそうしているのであって、口で指示したくらいでできるなら問題にもなっていないはずである。
そこでまた臨床実習指導者に質問することになる。すると実習指導者も「当たり前だ!口で注意するくらいでなんとかなるものか!お前は思った以上にバカだな!こうするのだ!」と以下のような理屈を説明してくれる。
患者さんの下肢が思うように動かないのは、姿勢が悪かったり、筋緊張の不均衡があったり、立ち直りなどの姿勢反応が弱まったりしているせいである。だから正しい姿勢を指導したり、臥位で立ち直り反応の促通をしたりするのだ。良い姿勢で立ち直り反応が改善すると筋緊張の不均衡も改善して、きれいに患側下肢が振り出せるようになるのである!
「どうだ!参ったか!!」実習指導者は口ではなく、態度でそう示してきた。僕は思わず「おお!おおっ!なるほど、なるほど!」と思い、「参りました!」と心のなかで呟いた。
そして見よう見まねで実習指導者のやっていることを必死に真似したものである。それで何か変わったかと言えば、何も変わらなかった・・・(^^;)
実習指導者曰く、「お前はまだまだ技術が未熟である。これからもっともっと修行をしなくてはならん!」と老師風に諭す。
僕は思わず、「はっ!はっ!ははっ!」と心の中で答えた。「俺は・・・俺はとんでもない未熟者である!だから必死こいて修行しなければならんのだ!・・・ならんのだ!」
今思えば僕もうぶであった。何とか頑張ろうとしたが、結局自分でも何をどうやれば良いのか全然わからなかった。
それに後から考えると、姿勢が悪かったり、筋緊張の不均衡があったり、姿勢反応が弱まったりしているのも結局は、脳細胞が壊れて弛緩性マヒが出ているからである。つまり力が出ないからだ。だから姿勢が悪くなり、筋緊張が不均衡になり、姿勢反応が弱まるのだ。だからマヒ側の脚も振り出せない。
やややっ、あの実習指導者、結局、因果の関係を間違っているではないか!原因は脳細胞が壊れてマヒになったことである。その結果、姿勢が悪くなったりしているし、脚も振り出せなくなっている。仕方なく患者さんは、健側の上下肢や体幹を使って何とか患側肢を振り出しているのでそれが「分回し歩行」となっている。
「姿勢や姿勢反応が悪いから脚がまっすぐでない」という理屈は、結果同士の間に間違った因果関係を想定しているわけだ。
こんな簡単な理屈は学校で習いたかった。そうすれば実習地であの指導者に馬鹿にされることもなく、逆に「因果関係の想定が間違っていますよ」と言い返せたのに。
しかし意外にもこんな簡単な間違いや誤解が臨床ではゴロゴロしているのである。 大変なことである!(その3に続く)
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人の運動を「正しい」とか「間違っている」と言えるか?(その1)
最近は減ってきたが、テレビなどでは「今日は正しい歩き方を教えていただくために理学療法士の先生に来ていただいています」などという企画がよくあった。
僕は色々な意味で興味津々で見てしまうのだが、大抵「胸を張って前を見て、腕を大きく振り脚も大きく振り出すのだ」みたいに指導している。
やはりそんなことかと思う。もし僕が司会者なら次のように言うところだろう。
「あ、なるほど。若者のような颯爽とした歩き方ですね。では上り坂になるとどうなるのでしょう?もっと急な上り坂なら?今度は下り坂なら?凍った路面での正しい歩き方はどうなりますか?水田の中では?真夏の炎天下では?・・・・・なるほど、なるほど!正しい歩き方というのは、形ではなくて状況変化に応じて適切な歩き方を選ぶことなんですね」
しかしどうして世の中はこんなにも正しい歩き方や正しい姿勢を求めるのだろうか?そして一体何が正しいのか正しくないのか、一体誰が決められるのだろう?
そう言えば正しい運動や作動がはっきり明確なものがある。それは機械である。機械では設計者の意図通りに動くことが間違いなく「正しい運動」である。 たとえばオモチャの歩行ロボットは正確に左右の脚を一定のリズムで振り出していく。平らな床面におくと、正確に同じ運動を繰り返して歩いて行く。
もし何らかの部品が壊れて左右対称に脚が出ないとバランスを崩して転倒し、歩けなくなってしまう。機械は予め決められた運動が正しい運動であり、それ以外の運動は故障などが原因の悪い運動、間違った運動である、と言えそうだ。
それでふと気がついたのだが、西欧文明の根底には、人は神(又は自然)が作った機械であるという「人間機械論」という思想があるらしい。デカルト以来の伝統などと言う人もいる。そう言えば昔読んだデカルトの「方法序説」の中に、人の頭の中にある松果体は神との連絡装置であるみたいな記述があって(あやふやで申し訳ない(^^;))「やややっ、ロボットみたいで格好いい!」なんて思ったりしたことがあった(^^;)
なるほど!人が機械であると無意識にでも考えているのなら、機械には設計者の意図した正しい運動、作動があるわけで、それを目指そうとするのは自然な考え方なのだろう。
西洋医学は、「悪いところを探して治す、元に戻す」という方向性を基本的に持っている。最近では治せない臓器は移植によって元に戻そうとする。
そして「悪いところを見つけて治す、交換する」というのは機械の修理方法そのものではないか。治して元に戻すとすると、当然元の(健常者の頃の)正しい歩き方に戻そうとするのだろう。だからマヒも治せないのに、目標だけは「正しい、健常者の様に」と思ってしまうのかもしれない。意識はされなくとも学校教育の影響もあるのではないか?
まあ、色々考えると大変なことである!(その2に続く)
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状況を変えてみることの大切さ
ここでも再々紹介しているが、「新生児歩行の消失」は一般に脳の未成熟と説明される。
つまり生まれてまもなくは脳が未成熟で、脊髄レベルの原始反射である新生児歩行が見られるのである。しかし数ヶ月すると脳が成熟して、原始反射である新生児歩行を抑制するので消失するのだ、と。なるほど、確かに上手く説明しているように見える。
しかし新生児歩行の消失した乳児をお湯に浸けると再び新生児歩行が生じるので、脳の未成熟の説明はおかしいということに気がつく。
それで色々調べて見ると実はその時期、下肢の脂肪が急激に増えて,下肢重量の急激な増加で相対的な筋力低下が起きる。それで下肢が持ち上がらなくなることが消失の原因だとわかるわけだ。
つまり一つの現象は,このように異なった状況で観察してみるとその実相が見えてくることが多い。
たとえば立っていると患側下肢を屈曲して持ちあげ、健側下肢だけで立っている片麻痺患者さんに出会う。従来なら「屈曲共同運動が出現している」などと評価し、「それを抑制するのだ」などとセラピストの手足を使って抑えつけようとしたりする。だがなかなかうまく行くものではない。まあ、ともかく従来の見方で言えば、陽性徴候である「屈曲共同運動が強い、下肢の屈曲筋の緊張が強い」などと言われてしまう。
しかし少し状況を変えてみよう。
患側下肢に訓練室に転がっているプラスチック製の短下肢装具を装着してもらう。合わないところは布やスポンジを当てて足関節をともかく安定させる。
そうしてそれで立っていただき、装具を装着した患側下肢で荷重練習を一瞬していただく。そうすると先ほどまでしつこく出ていた「屈曲共同運動」なるものがまったく見られなくなる。
そうなると解釈はまったく変わってくるものだ。患者の患側足関節には、内反があるためきちんと荷重・支持ができない。つまり患側下肢に荷重しようとするとうまく支持できないので転倒の危険性がある。それで患者さんの運動システムは、患側下肢を使わずに引っ込めていたのではないか? CAMRではこれを「不使用の問題解決」と呼んでいる。使うと転倒の危険性があるので不使用の問題解決を図ったのではないかというわけだ。
この例でも状況を変えてみることで現象の異なった面が見えてくるわけだ。
片麻痺の方が杖でゆったりとした大股での2動作歩行をしておられる。一見非常に安定していてうまく歩かれているように見えるが、実は家や施設で再々転倒を繰り返されていることが問題になっている。
担当セラピストは、「歩行にはあまり問題がないので、むしろ注意力の低下があって周りのちょっとしたものや段差に気がつかないのではないか」などと仮説を立ててみる。とは言え「では,どうするの?」と聞いてもあまりパッとした解決策が見当たらない。
こんな時は状況を変化させる、つまり異なった環境や状況内で歩いていただくとまた異なった面が見えてくるものだ。
たとえば屋外、階段、坂道、狭い通路などである。そうすると歩行における問題が明確になってくる。たとえば狭い通路に入った途端、杖と両脚で広くとっていた基底面がとれなくなり、それまでのゆったりした2動作歩行が3動作歩行になる。
つまりこの方は基底面を広くとって重心が基底面内からでないようにして歩かれていたことに改めて気がつくわけだ。基底面が広くとれないと、今度は3動作歩行で,常に2点で支えることで基底面を少しでも広くしようとされていることがわかった。
それでこの方は安定して歩くためにはかなり広い基底面が必要であることに気がつく。
CAMRでは基礎定位障害と呼ぶ片麻痺の障害群がある。重力と床の間で姿勢や重心を安定させることが苦手だ。そのために体をうまくコントロールできない。基礎定位障害が軽度であれば、平らな床上であれば、杖と両脚で基底面を広くとり、重心がその中から出ないようにしてうまく歩くことができる。しかし段差や階段、坂道では途端にコントロールが難しくなり、転倒しやすくなる。
それで漸く、この方が安定して歩くためには、かなり広い基底面が必要であることに改めて気がつく。しかも色々通路を工夫して変化させて見ると、横方向への広さが必要であることもわかってくる。そうすると横方向に基底面が広くとれない場所では、手すりや壁、家具などを利用してしっかりと安定性を確保することが重要であることがわかる。
以上のように状況を変えてみることでわかってくることもあるので、歩行をはじめとした運動評価には状況変化の項目が必要なのである。(終わり)
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西尾 幸敏 著「リハビリのシステム論(前編): 生活課題達成力の改善について」
西尾 幸敏 著「リハビリのシステム論(後編): 生活課題達成力の改善について」
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「悪いところを見つけて治す」以外の発想(その7:最終回)
「運動スキル」とは「身体の内外に利用可能な運動リソースを探し、試して必要な運動課題を達成するための運動リソースの利用方法」のことである。
この運動スキルを生み出す能力によって人は様々な状況変化に適応的に対応して、できるだけ相応しい運動を生み出そうとする。もちろんこれまで述べたように、毎回同じ運動を生み出せない構造であるから、異なった条件下で同じ結果を生み出すための非常に難しい運動コントロールが要求されるわけで、その結果身につけられた能力とも言える。
私たちが氷の上でも、砂の斜面でも、水田の中でも、平均台の上でも何とか二足歩行を維持できるのは、この「運動スキル」を生み出す能力が、その時、その場で利用可能な運動リソースを探し出し、それらを利用して課題達成の方法、運動スキルを生み出し、修正していけるからである。
たとえば氷の上では何度もこけるかもしれないが、その度に滑らないように重心移動するやり方を生み出し、修正して、たとえばヨチヨチと小刻みに歩けるようになるわけだ。あるいは脚を持ち上げないで、片脚ずつ前に滑り出すようにして移動するようになったりして適応する。
この「状況変化に適応した運動を生み出す能力」がまさしく「運動スキルの創出力」である。
もし運動リソースが豊富である、たとえば筋力や柔軟性、体力が豊富で、身の回りの状況がよく把握され、自分の身体と環境の相互作用の結果について確かな情報リソースが十分であれば、生み出される運動スキルも多様になり、より適応力を高めていくことになる。
こうすると「悪いところを探して治す」以外の方向性が明確になる。つまり人の運動システムの一般的な性質として、運動リソースが豊富で、運動スキル創出力が十分に働けば、適応的に運動を変化させる能力は向上し、生活課題達成力も改善するわけだ。
だからまず運動リソースをできるだけ豊富にすることが重要だ。改善できる身体能力はできるだけ改善すること。「悪いところを探して治す」視点のように因果関係を想定して、「この運動リソースが重要だから、他の運動リソースは改善しなくて良い」などと優先順位をつける必要もない。改善できる身体リソースはできるだけ改善する。
これまでの例で見たように、運動システムがどの身体リソースに価値を見いだし、どのような運動スキルを創出するかはセラピストには簡単に予想できるものではないからだ。改善できる身体リソースはできるだけ改善してみることは重要である。
また利用可能で有用そうな環境リソースはできるだけ工夫してみることだ。運動システムは身体の内外の運動リソースを区別しない。利用可能な環境リソースが増えれば、より適応的な運動スキルが生まれる可能性が高まる。
更に多様な運動課題を、多様な条件下で行ってみることだ。これによって身体リソースと環境リソースの関係の意味や価値である情報リソースがアップデートされるから。そしてより柔軟で適応的、創造的な運動スキル創出力を改善することになるからである。
そして運動スキル創出は、ある条件下でよく働くことがわかっている。それは「行為者に取って意味や価値の感じられる課題であり、それにアクティブに関わっていく」ということだ。
セラピストと患者さんは協力して適切な運動課題あるいは生活課題を見つけ、修正し,それに患者さんが積極的に取り組むときに運動スキルは生まれやすくなるのである。セラピストの課題設定と修正の能力が大きくものをいうところである。
今回のとりあえずの結論は、「悪いところを探して治す」以外のアプローチは、「運動システムの作動を理解し、運動システムの作動自体を強めるようなアプローチを展開する」ことである。(とりあえず、今はおしまい(^^;))
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「悪いところを見つけて治す」以外の発想(その6)
新生児歩行は、生まれたばかりの赤ちゃんの両脇を支えて持ち上げ、つま先を床につけて体幹を前に傾けると現れる歩行のような動きである。これは生後2ヶ月くらいから消失することが知られている。
この消失という現象について、従来学校などではどのような説明がなされてきただろうか?
学校では運動システム、つまり人体の構造と機能を基に説明する。そうすると「運動を変化させるのは脳である」との前提がまずある。解剖学や生理学を通じて作られた人体の設計図では、運動変化を起こしているのは脳であると決められているわけだ。
だから新生児歩行消失の原因は、以下のように脳の変化で説明される。
「生まれたときは脳が未熟で、脊髄レベルで支配される原始反射としての新生児歩行が現れるのである。しかし生後徐々に脳は成熟して、原始反射としての新生児歩行は抑制されるのである」
なるほど、新生児歩行消失の原因は、「脳の成熟」に還元されるわけだ。(還元は戻すという意味。この場合、全体の変化の原因は部分または要素というより小さなレベルに戻されているわけ)
しかし奇妙なことに、新生児歩行が消失した赤ちゃんをお湯に浸けると再び新生児歩行が現れることがある。そうなると、妙なことになる。お湯に浸けると脳の成熟が後退したことになるからだ。
一方動的システム論の視点から、この新生児歩行の消失を研究したのは、発達心理学者のテーレンらだ。一般にシステム論では、運動変化は「状況変化が起きたから運動が適応的に変化した」と考える。
たとえばお湯に浸けると浮力が働くので脚が軽くなって再び現れたのではないか、と仮定したのである。逆に言うと、下肢の重量が増えたので相対的な筋力低下が起こって、新生児歩行が消失したのではないかと仮説を立てた。
そして下肢重量が2ヶ月頃に急激に増えていることを突き止めた。それは下肢の脂肪組織が急激に増加したからだ。だから重くなって下肢が持ち上がらなくなり、新生児歩行が消失したように見えたわけだ。
するとテーレンらは次の仮説を立てる。相対的な下肢筋力低下が消失の原因であるなら、もし筋トレをしたらどうなるか?そこで新生児にトレッドミル上での歩行練習を定期的に行って見ると、新生児歩行の消失はなく、ずっと観察されたのである。
そうなると「新生児歩行は原始反射である」という前提も怪しい。そこで彼女たちは次の実験に移る。たとえば新生児を左右速度の違うトレッドミルのベルトの上にそれぞれの脚を置いてみると、ちゃんとそれぞれのベルトの速度に合わせて脚を運ぶことが観察される。どうも反射的な運動ではないようだ。
その他にも新生児の背臥位のキッキングの位相図は成人の歩行のものと変わらなかった。つまり新生児歩行と成人の歩行は別のものではなく連続したものではないか?
システム論の視点から新生児歩行を見ると以上のようなことがわかった。
ここで言いたいのは、人体を見た目の構造と機能で、機械のように設計図にしてみると、自然に脳はまるで機械のコンピュータのようにたとえられている。そして「運動変化のほとんどの責任は脳が負っている」と仮定しているわけだ。
このような見方をしていると、脳が大事であって、他の要素、つまり「脚の脂肪組織の増加」は完全に無視されてしまった。
人を機械のように見る視点で作られた設計図では、人の身体の各組織は予め「このような役割がある」と仮定されているので、上記のようなヘンテコな説明も起きてしまう。
もちろん人を機械のように見る視点にも、非常に優れた点があるのは間違いない。だからシステム論の見方が優れていて、機械のように見る視点はダメだと言っているのではない。それぞれに特徴があるということだ。
ただ人の運動システムを構造ではなく、作動で見ていくシステム論の視点でしか理解できないこともあるわけだ。
だから障がい者のできないところを見て、「原因は○○という要素だから、○○を改善すれば良い。その他のことは些細なことであるから無視してよろしい」ということにはならないのである。人は機械とは違うのだから!
では、どうするか?ということを次回は考えていくのである!(いやはや、大丈夫か?このシリーズは無事に着地するのだろうか?(^^;))(その7に続く)
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「悪いところを見つけて治す」以外の発想(その5)
前回は、運動システムがどのような状況で運動リソースにどのような役割を振るか、どのような価値を見いだすかはセラピストにはすぐにわからないことも多いと述べた。今回はその続きである。
脳卒中後、ベッドサイドでのリハビリ開始後に起座練習をすることがある。以下の通り。
その日、新人のPTとベテランセラピストが片麻痺の高齢の男性のリハビリに入る。新人が患者さんに課題を提示する。「こちら側に寝返ってから、座ってみましょう」
男性は健側に寝返ってから体を起こし、何とか片肘立ちになろうと頑張って頭を少し持ち上げるところまではできたが、なかなか肘立ちまでは行かない。苦労していると、ナースが入ってきて、バイタル測定や点眼薬の時間だというので部屋の外に出る。
新人さんが患者さんについて説明する。
「まず重力に逆らって体を片肘立ちに持っていくだけの体幹部や上肢の力が弱いと思います。第二に体幹部の柔軟性も低下しています。体幹の回旋方向のストレッチと片肘立ちになる動作練習を最初介助で繰り返し何度も練習してみたらどうでしょうか?しばらく繰り返し練習したら柔軟性と筋力が改善すると思います」
ややや、とても良い考えである。これは悪いところを探して良くするという視点で見れば満点の解答かもしれない。とても優秀な新人さんである。
もちろんこの「悪いところを探して良くする」という視点は、人を機械として見たときのアプローチであるとこれまで説明したとおり。
さてベテランさんはどうしたか?
「それはとても良い考えだよ!○○さん!優秀だね!ただこの患者さんはこの場でもすぐに座れるようになるよ。見ていてごらん!」
新人PTはどうも納得しない表情である。
ナースが退室した後に二人で入っていく。
ベテランセラピストはまず寝返りする前に指示して良い方の足で両脚をベッドサイドの端から膝下をはみ出すように指示して難しい部分は介助する。患者さんは初めての課題で少し戸惑ったが、手伝ってもらって何とか両下腿をベッドの端から出す。
それから「もう一度さっきの起き上がる動作を練習してみましょう!」と指示する。患者さんはもう一度さっきのように片肘立ちになろうとするが、やはり後もう少し片肘立ちへの重心移動ができない。ベテランセラピストは少し介助する。
すると・・・・できた!
「ではもう一回」とまた寝てもらってやり直すと今度はすんなり片肘立ちになられる。そこから肘を伸ばして少しずつ体幹に近づけて座られた!
「おお、スゴイ。上手にやられましたね。ではもう一回!」と繰り返すと今度は先ほどよりスムースに座られた。
「やあ、頑張られたですね!」こうしてその日の訓練セッションは終わった・・・ ベテランセラピストは退室後説明する。「まず両下肢が全部ベッド上にあると起き上がるときの体幹の持ちあげの抵抗になる。逆にベッドの端から膝から下を出しておくと、頭部の持ち上げ時に抵抗が少なくなるだけでなく、重りとして体幹を持ちあげる方向へのモーメントを生み出して起座を助けてくれるよね。だから片肘立ちになるときに今の力と柔軟性でも十分達成可能になるわけ」
これは臨床で普通によく見られるベテランセラピストの知恵あるいはコツである。通常上記のように言葉にされることはないが、経験から下肢が起き上がりの抵抗になることも、逆にベッドから出ていると重りとしてモーメントを生み出して課題達成を助けることも知っているわけだ。
1つの要素が状況によって、課題達成の邪魔にもなるし助けにもなることを経験的に知っていると、色々な場面で患者さんの運動システムの課題達成を助けることになるし、患者さんがそのコツを発見する手助けにもなるわけだ。
ベテランセラピストは、経験を通して悪いところを治すという以外のアプローチを身につけているものである。それは課題達成を通して身につけられるもの、「運動のコツ」と言われるものだ。
新人さんは、筋力と柔軟性低下を原因とした因果関係を想定した。これは前回の話で出てきた運動リソースの改善の部分である。この「(課題達成の)運動のコツ」は、CAMRでは「課題達成のための運動リソースの利用の仕方」である運動スキルというアイデアとして語られているものだ。
もちろんこれは小さな例であってあまり重要というか適切ではないのだが、人を機械として見ているとこの「運動スキル」学習の視点は弱く、あるいは無視されてしまいがちである(その6に続く)
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