スポーツから学ぶ運動システム(その2)
前回はゴルフとテニスなどを例に、人の運動システムは「同じ運動を正確に繰り返すことができない」という特徴があると説明した。今回はどうして同じ運動を繰り返せないのかを考えてみよう。
ベルンシュタインはまずその理由の一つを、「人の体が粘性や弾性の性質を持っているからだ」としている。たとえるならゴムのような性質を持っているわけだ。僕なりにこれを機械と比較しながら説明してみよう。
機械はがっしりと安定した金属などでできた躯体が基礎となる。自動車なら非常に頑丈なシャーシが土台となる。車のシャーシは通常走行なら、つまり事故でも起こさない限りほとんど歪んだりはしない。つまりこの頑丈な躯体を全体の基礎として可動部分だけが安定して正確に動くという構造である。
一方人の体にはそのような頑丈で全体の安定的な構造を形作るような基礎は存在しない。まず人の体はたくさんの骨が柔軟性のない靱帯によって結びつけられた骨格がある。骨同士はある部分はタイトに、ある部分は大きな可動性を持って結びつけられている。 これを筋肉という柔軟性のある器官で包み込んでいくわけだ。筋肉は張力、つまり引く力しか生み出さないので、引く力だけで骨格の形を保ち、支持と安定性、そして運動を生み出す仕組みである。
そして状況や運動課題によって、作動する筋群はどんどん変化し、支持する部分と可動する部位もまたどんどん役割を交代し、変化していく。同じ部位が状況によって支持したり、可動したりするわけだ。機械と違って作動ははるかに複雑なのだ。
また柔軟な筋肉で形を成す構造であるから、力の発生によっても外力によっても、その形は全体に常に歪んでしまう。歪んでしまうと言うと聞こえが悪いが、しなやかに柔軟に形を変えながら動いているのである。機械では歪むのは可動部分だけで、基礎となる躯体はまったく変化しないわけだが、人では全身が常に柔軟に変形しているわけだ。
まあ、人の運動システムは機械と違って柔軟であるというのがまず第1のポイントである。たとえば長さ1メートルの柔らかいゴムの棒で、壁の電灯のスイッチから離れてを押すところを想像してみると容易に理解できるだろう。ゴムの棒では持っているだけで先端が常にユラユラ揺れて押そうとしても毎回開始位置は違うし、異なった運動軌道を描いてしまう。
実際には人の柔らかい体は呼吸などによって常に揺れて振動しており、その目に見えない小さな振動はゴムの棒に伝わると、1メートル先では大きな揺れになってしまうのである。
まあ、柔らかい構造は同一の運動を正確に繰り返すことはできないのである。(その3に続く)
【CAMRの基本テキスト】
西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
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西尾 幸敏 他著「脳卒中片麻痺の運動システムにダイブせよ!: CAMR誕生の秘密」運動システムにダイブ!シリーズ①
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西尾 幸敏 著「治療方略について考える」CAMR入門シリーズ②
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西尾 幸敏 著「リハビリの限界?:セラピストは何をする人?」CAMR入門シリーズ⑤
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スポーツから学ぶ運動システム(その1)
毎日オリンピック競技のテレビ放送を見ている。アスリート達はその時その場でできる最大限のパフォーマンスを生み出そうと必死だ。もちろん上手くいく場合もあるし、失敗する場合もある。上手く最高のプレーを生み出したときに、そして失敗したとしても必死に挑戦するその姿に感動するし、力をもらえるのだろう。
さて、オリンピック競技を一度にいろいろと見ていると人の運動システムの特徴に気がついてくる。今回のシリーズでは、それを足がかりに人の運動システムの特徴について考え、私達リハビリの臨床に役立つように検討してみたいと思う。
1.人は同じ運動を繰り返せない
以前から書いていることだが、不思議に思うのはゴルフとテニスである。自分の好きなところにボールを置いて、自分の好きなタイミングで慣れたクラブで打つゴルフが、一球一球速度もコースも高低も球種も異なる球を動きながら打つテニスと同様に難しいのはなぜか?
あるいはバスケットボールで、全速力で走りながら敵の厳しいディフェンスをかわして打つシュートと自分の好きなタイミングで自由に打てるフリースローが同様に難しいのはなぜか?
これは人の運動システムの基本的な特徴ゆえに起こる不思議である。
その基本的特徴が何かというと「人の運動システムは同じ運動を正確に繰り返すことができない」ということだ。つまり人の運動システムはテニスのように変化する状況の中で適応的に身体を変化させ適切な課題を達成できるにもかかわらず、ゴルフのような単一の課題(置いたボールを叩く)のような同じ課題を正確に繰り返すことが難しいのである。思ったところに少しでも近づけるようにプロのゴルファーは気の遠くなるほどのたくさんの練習を、アメリカのNBAのプロバスケットボールの選手はコートに立つまでに通常100万回以上のフリースローの練習を繰り返しているのである。
この特徴に一番最初に気づいたのはロシアの運動生理学者のベルンシュタインだろう。彼は労働者の技能について研究をしていた。職人さんがハンマーで釘の頭を正確に叩く様子を運動分析装置で見てみると、毎回異なった軌跡で開始位置や叩く速度も微妙に異なっていることに気がついたのである。この微妙な運動のズレはプロゴルファーのスイングやバスケットボール選手のフォームにも見られる。
通常私達は職人さんの動きを見ると、「正確に同じ運動を繰り返している」と考えてしまう。「技を何度も繰り返すことによって、頭の中にプログラムができて、それによって正確に運動を繰り返して、同じ結果を出している」と考えるわけだ。
しかしこれはロボットのように人の運動システムの作動を考えてしまう結果だ。機械は同じ運動を繰り返すことが得意である。機械では、硬い安定した躯体と可動部分を厳密に制限して必要以外の動き(ブレ)をなくすことで同じ運動を繰り返し、同じ結果を生み出している。
だからもし人の腕を模した機械の腕で、中枢の関節の動きが1ミリ以下でもずれれば、先端の動きの誤差は遙かに大きくなってしまう。しかし職人さんの腕全体の動きは常に様々な要素でズレているのだから、釘の頭をハンマーで捉えることは常に失敗してしまうかというとそうでもない。
つまり「人は同じ運動を繰り返すのができない」ので、職人さんやアスリートは「毎回異なった運動で正確に同じ結果を生み出している」ということになる。これは不思議なことである。これがどのように行われているかを知ることは私達にとっては非常に有益だろう。次回からこれを考えてみたい。(その2に続く)
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知覚システムについて考える(最終回)
結局僕はその後、その職場を離れたのですが、今思うと、文字盤のコミュニケーションが可能だったのは、上田法をいくつも組み合わせて全身に行った後ではなかったかと思います。
つまり上田法によって体が緩み、ボーンスペースが動くか動かないかの問題ではないか?ベルンシュタインの例で示した様に、眼球が動かないときには、対象物の形や大きさが判別できないという知覚システムの性質にあるのではないか?自ら能動的に動いて初めて形が判別できるので、実は見ていても眼球は動かず文字を認知できなかったのではないか?
Carr & Shephardが、脳卒中後に弛緩状態になると感覚脱失が起こるが、自ら動き始めると感覚は回復すると言っていましたが、逆に硬くなりすぎてボーンスペースが動かないときも同じように視覚の低下のようなものが起こるのではないか。
実は上田法を全身的に行うとそれなりの時間がかかり訓練時間を超過することも多いのです。だから上田法後に文字盤の訓練をする時間がなくなってしまうのです。たまに時間の余裕のあるときに、上田法後に文字盤を使ったのです。読めたのはその時ではないか?
逆に文字盤を使ったコミュニケーション練習をメインに行うときは、上田法を行うと時間がなくなるので、上田法なしでいきなりそれをやっていたのです。ご家族も普段の生活の中で常に文字盤の練習をやろうとされていましたので、ほとんどの場合、眼球の動きが悪くて読めなかったのではないか?
セラピストの習性で、身体を動き、課題を達成するシステムとしては捉えるけれど、動く知覚システムとしてその性質から考えてみる視点が欠けていたのではないか?
あるいは他の気がつかない可能性もあるのか?どうも自信がありません。
とりあえずこのアイデアを元の職場の同僚に送ってみました。結果はどうなるでしょうか? 僕自身、より多くの人の意見を聞いてみたいと投稿することにしました。どうか多くの方からご意見いただける様お願いします。職場を離れた今でも大きな心残りの一つなのです(終わり)
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知覚システムについて考える(その3)
そもそもトーキング・エイドを作るきっかけがありました。ある日「好きなスポーツは?」と聞くと、文字盤を指さして「テニス」と答えられたからです。あとからお母さんに尋ねると「ええ、テニスをずっとしていました」と驚きを持って答えられました。これまでも文字盤は使ったことがありましたが、あまりコミュニケーションがうまく取れなかったからです。多分指でポイントできる様になったからだろうと考えました。
友人から4000円で買ったウィンドウズ・タブレットにアクセス・ランタイムをインストールし、マイクロソフトのアクセスで自作したトーキング・エイドソフトを入れました。今は使っていない小型のBluetoothスピーカーを接続し、家の中だったらスピーカーさえ持って歩けば、トーキング・エイドからお母さんに話しかけられる様にしたのです。声は僕自身で録音しました(^^;)
そしてそのトーキングエイドや文字盤を使ったコミュニケーション練習が繰り返し行われましたが、どうも反応されるときと反応されないときがあるのです。全体には反応されないことがはるかに多く、文字盤を使ったコミュニケーションも結果、大きな進展がありません。
家庭でもできるだけ文字盤を使ったコミュニケーションは繰り返されましたが、上手くいかないときがはるかに多いのです。
文字は確かに読めるはずなのに、全く反応されないことが遙かに多い。これが問題でした。
文字を大きくしたり、色を変えたり、配置を換えたり、文字盤までの距離を変えたりします。でも改善は見られません。指さしの動きは、正確ではなくてもある程度いつでも出ていたので、指さしではなく、実は意識レベルが低いとか意欲があまりないのではないかというのがセラピスト側の考えでした。仮面様の顔貌のことが多く、意識レベルが違っていても読み取れないだけで、実は意識レベルが細かく変動しているとか・・・いろいろの意見が出ました。でも明らかに言葉に良く反応されているときでも読めないのです。
ではあの「テニス」と指さされたのは何だったのか?どうも判然としません。(最終回に続く)
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知覚システムについて考える(その2)
実は前の職場で、全身硬くなって、動きはほとんどなく、顔は仮面様、眼球の動きも見られない方を担当したことがあるのです。動くのは右の肘のわずかな屈伸と、右手を握る動きだけです。指を開くことは難しいのです。介助者の指を右手の中に入れ、「痛いですか?」と質問をすると「イエス」の時はぎゅっと握られるのですが、これも確実でないことがあるので、すぐに「痛くないですか?」と聞いてぎゅっと握らないことを確かめて確実な答えとします。これによって意思確認をしていました。
また全身が硬いだけでなく、時々は更に全身の緊張が高まり発熱と発汗を不定期に繰り返されていました。いつも硬いからだが更に緊張して震えながら発熱と発汗をするのです。真冬でも扇風機を当てないといけない状態でした。かすかなうめき声も出されるのですが、それは声にならないと言ったものです。
僕が行なったのは上田法という徒手療法を使ってまず全身の硬さを落としていくことでした。上田法のいくつかの技法を組み合わせて全身の硬さを落としていくのです。
3ヶ月もすると次第に体が緩んできて、緊張して発熱、発汗することも大きく減ってきました。
また右手は全体的に手を握ったり握らなくではなく、ものをつかんだり離したりもできる様になられました。お母さんが棒の先にタオルを巻いたものを作って渡すと、必要に応じてからだや頭をそれで掻く様になられました。また遠く離れていても質問に対してその棒を挙げて答える様になられました。いちいちそばに行って、手の中に指を突っ込まなくても良くなったのです。
お母さんは「楽そうに過ごす様になった」と喜ばれます。
また右肘が伸びる様になったので、セラピストが体幹の右側下にクッションを入れて半側臥位の位置にすると、左側のベッドの手すりに手を伸ばしてつかみ、腕を曲げて背中を持ち上げる様に体をわずかに移動することができる様になりました。これを毎回の訓練で10回程度行われる様になりました。
また聞き取れる様な声を出される様になって、それで人を呼ばれたりもされます。プラスチック容器で、押すと飲み物が出るものを作って握っていただき、一人で飲水をする練習も始められました。
せっかくなのでもっとコミュニケーションができるようにと、文字盤やタブレットでボタンを押すと声が出る様なコミュニケーション装置も作って練習を始めることにしました。しかしここで文字が見えない、あるいは読めないのではないかという疑問が出てきたのです(その3に続く)
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知覚システムについて考える(その1)
学校では感覚系は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚などとモダリティ毎に独立した感じで習ったと思います。
しかしアフォーダンスを提案した生態心理学のギブソンはそれぞれの感覚は独立したものではなく、それぞれが互いに緊密に結びついていて一つの知覚システムとして理解するべきだと言っています。
たとえばベルンシュタインがわかりやすい例を挙げていて、人の眼球を動かない様にすると、見ている対象の次元、大きさ、形や対象までの距離などもわからなくなるそうです。つまり対象を網膜の中心に据えたり、焦点を合わせたり、輪郭をなぞる眼球周囲の筋群の活動に伴う筋感覚も見えの知覚に参加して、これによって形や大きさや対象までの距離などがわかるのだと言うのです。
つまり見るにしても聞くにしても触る、味わうなどにしても常に全身の筋群でそれを行っているわけです。機械の様に気温は温度センサー、見えは光学センサーなどと単独に情報を得ているわけではないのです。
人は様々な感覚を同時に使っていろいろなものを理解しています。まあ、赤ちゃんを見ていると、見たものに手を伸ばして触って舐めて、いろいろな感覚で対象を理解していますしね。あんなイメージなのでしょうか。
また知覚システムは、受け身ではなく能動的であるという特徴を持っています。目は単に見ているのではなく、見つめ、調べ、確認しているのです。耳も単に外界の音を流し込まれているのではなく、最も重要な音を選んで聞いているのです。
ギブソンは、骨格とそれをつなぐ軟部組織や筋群などが一体になって構成される人の身体をボーンスペースと呼んでいます。彼の言う触覚系(筋の固有覚を含む)は、全身常に一体となって対象物を動きながら知覚し、同時に自分の体の状態も知覚しているのです。
こうしてみると知覚システムとは、様々な感覚が緊密に連絡し合っていて単独の感覚では語れないものであり、動きながら知るシステムであり、知覚しているのは対象だけでなく同時に自分の身体のことも知るシステムであることがわかります。対象を知ることが自分の体の状態を知ることでもあり、自分の体の状態を知ることが対象を知ることでもあるのです。
そうすると脳性運動障害後にひどい過緊張が現れることがあります。ひどい例だと全身の動きは失われ、顔は仮面様、眼球の動きも見られなくなります。となると、全身で動きながら触覚系について知るというボーンスペースが機能しなくなると思われます。つまり目は開いて見ていても、形や大きさや次元は認知できないかも・・・(その2に続く)
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因果関係と相関関係の違い
片麻痺の臨床でよく出会う誤解は、「相関関係」と「因果関係」を混同することだ。たとえば「歩行がふらつくのは、立ち直り反応が悪いからだ」と言って、「立ち直り反応の促通」なるものをやっている。ここでは「立ち直り反応」が原因で、「歩行がふらつく」ことを結果とする因果関係を想定している。
でもよく考えてほしい。どう考えても、原因は脳の細胞が壊れたことである。その結果として、マヒが出て、立ち直り反応が低下し、歩行がふらつくのである。マヒも立ち直り反応の低下も歩行のふらつきもどれも結果に過ぎない。つまり結果同士の間に因果の関係を想定しているのである。
すると次の様な反論を受ける。「でも立ち直りが悪いから歩行がふらつくし、立ち直りが良いと歩行のふらつきもない。だから、立ち直りを良くするのだ」、と。
でもこれは「マヒが軽いと立ち直りも良いし歩きも良い。マヒが重いと立ち直りも悪いし歩きも悪い」という相関関係を言っているに過ぎない。
第一、「立ち直りを良くする」と言うが「立ち直りが悪くなったのは、脳の細胞が壊れて、マヒが起きているから」である。これが間違いなく因果の関係だ。だから立ち直りを良くするためには、脳の細胞を構造的あるいは機能的に再生して、マヒを治すしかないとなる。
見ていると他動的に、つまり介助して立ち直り反応の形を真似させることを繰り返している。これで脳細胞の働きを機能的に再生し、歩行も良くなるという。でもこの理屈で言うなら、そのやり方で原因である脳細胞も機能的に再生して、マヒも治っている理屈になる。
「でも、マヒは見た目変わらないようでも歩行は良くなる。つまり基のマヒも良くなっている」と反論されるが、別に介助して立ち直り反応を繰り返さなくても、歩行練習や他の動作練習を繰り返すと、人の知覚システムは使えるリソースを見つけ出し、それを有効に使う運動スキルを発達させるので、マヒのある体でも自然に安定した歩行を生み出すことは珍しいことではない。歩行が良くなったからと言って、マヒが良くなっているわけではない。
ともかく自分の頭で考えて、理屈に合うか合わないかをよく考えてほしいのです。相関関係を因果関係のように考えてアブローチするのは間違いだと言うことを。
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セラピストは何をする人?(最終回)
日本に帰ってもしばらくは教員だったので臨床に出ることはなかった。その代わり、自分の経験したことや学習したこと、考えたことを文章としてまとめることができた。論文、特に欧米の有名なシステム論の論文を何本か選んでレビューとして2本書いて雑誌に投稿したが、「科学的根拠のない考えで紹介するに値しない理論である」みたいなことを言われて2本とも拒否された。
まあ教官時代は他にも多くの文章を書きまくった。半分近くは上田法の会誌に載ったが、他のものはほったらかしである。しかしそれらは今となっては僕の良い財産だ。
やがて現場に戻る日が来た。その頃には自分なりの計画はできあがっていた。課題主導は間違いないが、要素訓練は必要だ。課題を通して必要な知覚学習をするにしても、患者の持っているリソースは豊富な方がより柔軟で選択肢の豊富な運動スキルの発達に導くだろう。そして現場で試行錯誤を繰り返した。
現在では、「多要素多部位同時方略」で運動リソースを豊富にし、「課題達成スキル方略」で運動スキルを柔軟で多彩にすると言うのがCAMRの中心の二本柱になっている。
ただその間も、「セラピストは何をする人?」という疑問は持ち続けた。
現時点ではなんとなくこう思う。セラピストは運動のやり方を教える人でも、治らない障害を治そうとする人でも、客観的なフリをして運動変化を起こそうとする科学者でもない。
具体的には「セラピストは、患者さんの状態を基に患者さんの必要な生活課題達成能力の改善を助ける人」だと思っている。そのためには運動システムの作動の性質を科学的にも経験的にも良く熟知することが必要だ。たとえば人の運動システムは自律的、能動的、予期的に必要な課題を達成しようとする。そして課題達成に問題が起きると自律的に問題解決を図る性質(生まれながらの自律的な運動問題解決者)であるということを理解しておく必要がある。
人は生まれながらにずっと運動問題を一人で解決して必要な運動課題を達成しようとしているのだ。問題解決の方法もそこから自然に生まれてくる。
そしてセラピストは外部の客観的な観察者ではなく、患者さんの運動システムの「一時的に」重要な要素として働く。セラピストがどう振る舞うかで患者さんの運動システムの振る舞いも変わってくる。そして患者さんは生まれながらの運動問題解決者であり、問題解決の主役である。セラピストはその主役を輝かせるための「通りすがり」ではあるが誠実な脇役でなければいけない・・・・
さて、自分の凡庸ぶりを説明するだけだが、ここに至るまでものすごく時間がかかった。約30年。それでもCAMRは今動き始めた、未完成過ぎるアプローチに過ぎない。ただ将来は、人を機械のように考え、扱うアプローチよりは良いものになるだろうと確信している。そのためにもこれからの若い人たちのCAMR研究会への参加と創造活動が必要です!集え!Young CAMRer!(カムラー:CAMRを実施する人)) v(^^)(終わり)
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セラピストは何をする人?(その4)
初めて僕が見学させて貰ったのは元優秀な学生で、今も優秀なセラピストだと評判の女性セラピストだったが、患者さんに課題を指示したあと、隣のガラス張りのオフィスに座り、コーヒーを飲みながら患者さんを観察していた。
でもまあ、科学を基に実施すると言うことはそういうことなんだろうかと思いもした。彼女が優秀なのは、適切な観察で適切な運動課題と実施条件を考えだし、良いタイミングで提供できるところにあるのだろう。教授の評価はまさしくそれだった。
また最初、会話が理解できないためかなり時間がかかったが、何度もいろいろなところで見学しているうちに、セラピストとして患者あるいは患者の運動システムにあまり関わらないようにしているのではないか、ということがわかってきた。最小限の関わりで、患者さんに対するセラビストのインパクトを小さくし、患者さんへの影響(セラビストへの過度の依存や過剰な信頼?)を抑え、患者自身の自主自立の態度を発達させるというか・・・
「イヤ、違うんだなー!それだと動物の行動を変容させようとする実験心理学者みたいじゃないか?俺の憧れたセラピストはそんなんじゃないんだなー!」というのが次第に僕の感想となった。
「このセラピストの態度はどうしたって、神の視点じゃないか。自分はその場から離れて、客観的な立場で患者を観察し、患者に気がつかれないように影響を与えようとしている。『自分は客観的な存在だ』というフリをしているのだ! でもどうしたって、セラピストは患者さんの運動システムの一部になっちゃう。影響を与えちゃう。となりの部屋のガラス越しに自分のことを観察する他人はとても気になるものだ。それが現場だ。それがシステム論だ。それなのに臨床場面を実験室のようにしようとしている。そこはもう開き直って、その影響を最小にするよりは、患者に対するセラピストの役割を明確にした方が良いんじゃないか?」
今思うと、僕を招いてくれた教授とその周辺の人たちの狭い間での方針だったのかもしれない。僕は結局教授の教え子達の働くシカゴの中心部周辺のクリニックしか回っていないので、課題主導型アプローチの様子はそこしか知らなかったのだ。
ただそういう現場を見たことは僕にとっては有益だった。自分がどんなセラピストを目指しているかがほんの少しだが明らかになってきたからだ。(最終回に続く)
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セラピストは何をする人?(その3)
システム論を教えてくれたのは、上田法の上田先生だ。直接会うとハチャメチャなことを言ったりされるが、一方で文章はどれを読んでも実にしっかりと考え込まれている。型破りで魅力的な人だった。
それから時間はかかったが少しずつシステム論の勉強を進める。まず人の運動システムは、構造も作動も機械とはまるっきり異なっているということがわかる。人の体はプログラムの様なものではコントロールできない、しているはずがない。そして健常者相手でも運動の方法を他人が教えることはできないらしい。世間でセラピストが運動の方法と思って指導しているのは実は課題の提示である、なぜなら誰も運動の方法は教えられない。また同じように見えても運動方法は各人各様で同じではない。さらに一時的な変化と持続的な変化は違う。運動発達における脳の階層説や成熟説も間違いではないか、エトセトラ、エトセトラ・・・
まるで今まで習ってきたことと概ね反対のことばかりではないか!
ではどうすれば良いのか?アメリカではシステム論を基にした「課題主導型アプローチ」なるものが生まれていると上田先生から教えてもらう。その頃母校の教官になった僕は、幸い厚生省の海外留学の制度を使ってシカゴのイリノイ大学に1年間留学させて貰うことになった。
だが実際留学はしてみたものの、英会話の理解力が乏しい僕は、現場でますます混乱してしまう。
現場で見せて貰った課題主導型アプローチは「なーんだ、こんなものか」というくらいある意味、シンプルだった。セラピストは運動課題を指示して、座って見ているだけ。患者さんだけが一人で一生懸命運動している。特に要素的な改善(筋力や可動域の改善など)を目指す訓練はまるっきり行われていなかった。(1991年当時。この当時特にハンド・セラピーは科学的根拠がないと非難されていた。現在の様子は知らない)
セラピストは患者の状態を調べ、必要な課題を考え、話し合い、それを指示する。そして運動の状況を見て次の適切な課題と実施条件を考え、指示する。他人が感覚入力するのではなく、自ら必要な運動課題を実践して必要な知覚学習を進めるという理屈だ。課題達成のために必要な知覚学習は、その課題を通してしか得られないからだ。(知覚学習は従来言ってきた運動の感覚学習とは全く異なる。ギブソンらの言う知覚システムではモダリティ毎に感覚を分けたりしないし、いや、そもそも従来の感覚の考え方とは根本的に異なる)
「人の運動システムの作動の性質に精通し、それを基に提案する課題を通して、そこでしか得られない知覚学習をして課題達成の能力が改善する」ということだ。確かにその通りだと思う。が、何かしっくりとこない。理屈はそうなんだけどな・・・・ そのうちに気がついた。日本では「他人の体を他動的に動かして感覚入力をしているセラピスト」に人の体を機械のように扱う冷たさを感じた。しかしアメリカでは、セラピストが見ているのは運動システムとその性質であり、自ら能動的に動いて課題達成の知覚学習を進める患者の変化を客観的に観察・コントロールしようとする科学者のような姿だった。(その4に続く)
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