正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その2)

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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その2)


 さて、猫背や膝痛・股関節痛のあるPTとしてどのようにプロらしく歩くかがまず最初の課題である。


 前回書いたように、「健康な若者が颯爽と歩くように」などと運動の形を挙げて「それが正解!」というのはいかにも美容指向の人たちが言いそうなことである。しかも「正しく歩かないと効果がないばかりか、却って悪くなる」という脅し付きである。


 つまり「きれいな形で歩け」と言い、そうでなければ「ダメだ!」と否定する訳だ。これは僕のような猫背で痛み持ちの人間には辛い。しかもこの考え方は、リハビリ界でも割と支配的である。これは注意しないといけない。


 たとえば障害のある方、特に脳性運動障害の方達に健常者の運動に近づくような目標を掲げる流れがある。実はこの背景には、マジョリティである健常者から、障害のあるマイノリティに対する同化思想があることにプロとして気がつくべきだ。「あなたたちはみかけも機能も私たちに劣るから、私たち以上に努力して私たちの動きに近づきなさい」と言っているようなものだ。


 マヒがあるから動きが異なってくるのだから、そんなこと言うならまず「マヒを治してから言ってみろ!」と言いたくなる。


 これは学校で「形で運動を評価する」ということを主に習うことも大きく影響しているのではないか?学校では他にも機能で運動を評価することも習うのだが、なんとなくメインが「形で評価する」という流れがあるからだ。患者さんを一目見て、「やれ、緊張の分布がどうのとか、代償運動があれだから」とか言う方が格好いいということもあるに違いない。だから、形で運動を見ると、ついつい健常者と比べて「ああだ、こうだ」と言ってしまう傾向が作られるに違いない。そして形を評価するなら当然健康な若者の形との比較になり、そのズレが問題になるわけだ。


 たとえば患者さんが速く歩くようになってもあまり評価せず、「ただ歩けば良いってもんじゃないだろう!代償運動が強まってるじゃないか!」と後輩を注意する先輩達はよく見てきた。そして何をやるかというと患者さんをゆっくり歩かせて分回しなどの動きを小さくしたり、体幹の立ち直りを改善すると言って患者さんを座らせたり、横にしたりして自動運動をさせたりするのである。まるで脳性運動障害の中で、立ち直り運動だけが独立して改善するかのように考えているようだ。マヒがあって力が出ないのだから、立ち直り運動だけが独立して改善することはない。


 もちろん形で見ることも意味はあるが、しかしいい加減、運動は形だけでなく、機能や、運動システムの作動の特徴から評価できるようになるべきだ。形だけから評価していたのでは美容系の人たちと同じではないか。


 従って僕がこれから述べる「正しい歩き方」とは形からではなく、機能や作動の特徴から捉えた「正しい歩き方」であるべきである(その3へ続く)

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関東のコロナを巡る状況は停滞・・・(^^;))

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関東のコロナを巡る状況は停滞・・・(^^;))


 関東でのコロナの感染数は下げ止まりの状態だ。一旦下がったところから少しの増減を繰り返している。そして緊急事態宣言が2週間延長されることになった。


 小池都知事が「原点に立ち返って」とテレビで言っていた。つまり手洗い、マスク、会食を避けるというこれまで続けてきたお願いを更に繰り返そうということだ。


 確かにこの解決方法で一定の効果が得られた。地方に行くとこの方法で十分に感染状況は改善したと言える。だから地方では悪い解決方法ではないのだと思う。


 だがコロナ感染のような問題は、特定の原因だけで起きているとは考えられない。つまり会食だけが原因ではなく、他の様々な要因の相互作用から生まれる状況から生まれると考えられる。


 特に一都三県は、広域に大きな人流がある地域だし、他にもいろいろと地方にはない独特の要因があるのだろう。東京を含む一都三県では、既に停滞の状況を生み出している。


 問題はシステム全体の特定の状況の中から生まれるのである。今は停滞を生み出す安定した状況の中にあると思われるので、少し状況を変化させることを考えるべきだろう。


 たとえば国立競技場にアスリートやミュージシャンを集めて、菅総理が司会を務めて様々なパフォーマンスのテレビ・ショウをやるのである。最後に「楽しんでいただけたか?今はライブで楽しめないが、みんなで感染を抑えて、今度はここに来て楽しまないか?」と涙ながらに訴えれば少しは状況が変わるのではないか?(あまり良い方法ではないか・・・(^^;))


 

 これはリハビリでも同じで、最初の頃に運動改善を生み出したからと同じアプローチを続けてもその後停滞してしまうことはよくある。更に同じアプローチを強力に繰り返しても、既に状況そのものが頑固に安定してしまっている。


 何か特定の原因、コロナの場合は「会食」を主な原因とみなし、そればかり重点的にやるのだが、そのアプローチ自体がやがて停滞という頑固な状況を生み出すことはよくあるのである。少し視点を変えて状況を変化させることを考えても良いだろう・・・というのが基本的なシステム論の状況変化のアプローチなのです。

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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その1)

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正しい歩き方?-そんなに形が大事か?(その1)


 妻が買っている中高年女性向けの雑誌をたまたま手に取って見ると、ウォーキングを勧める記事があったので目を通してみる。


 ウォーキングのいろいろな効能が紹介され、「健康のために是非歩きましょう!」とあり、「うん、良いことだ」と思って読んでいると、よくあるように「正しい歩き方をしないと効果がない。イヤ、正しい歩き方をしないと却って逆効果!」みたいな展開になっている。


 僕は歩き方は人それぞれ、状況に応じても異なると思っているので、どうもこの「正しくやらないといけない」と言いながら、一律にたった一つの正解の形をモデルにしてしまうやり方があまり好きではないのだ。


 実際、どの本やテレビ番組でもそうなのだが、提示される「正しい歩き方」とは若い健常者が颯爽と歩く姿がモデルとしてイメージされる。胸を張るけど張りすぎない、自然に顎が引かれ、背が伸びても力が入り過ぎることなく、腕を大きく振って、弾むように「颯爽とした美しい若者らしさ」という印象を与える歩き方である。


 「若者の形だけを真似てどうするっ!」などとつい思ってしまう。人生に疲れた60代はすでに偏屈老人の匂いを醸してしまうが、これは性格なので仕方ない。 僕は普段から猫背だし、意識して良い姿勢で歩こうとすると、なにか手足が不自然に動いてすぐに疲れてしまい、歩くのがイヤになるのである。


 さらに若い頃のバイク事故で右膝関節内の脛骨骨折があり、一時期体重増加と運動不足がきっかけでそれなりの変形性膝関節症を持っている。明らかに浮腫が出て、歩行時に強い痛みとなることもあった。まあ徒手療法と工夫した運動を繰り返して普段は痛みはほとんど感じなくなっているが、土手の草刈りなどで慣れない体重のかけ方をするとやはり痛むことがある。今も浮腫はある。


 また若い頃からパソコンが好きで椅子座位で過ごす時間が長かった。50代の終わり頃には、2年間毎日10時間以上座っていたせいか、その後重心をかける左股関節に荷重時痛が現れた。歩行時に跛行が出るほど痛んだりする。何とかストレッチで誤魔化しながらここまで来た。


 高血圧も肥満気味の体も気にはなりながらずっと放ってきた(^^; しかし前期高齢者と言われる年齢も目前に迫ってきているのである。もう少し元気で、やりたいことを続けたい。それでいろいろと改善することを目標に、実は密かにウォーキングを計画していたのだ。それが4ヶ月前。その頃長年勤めた施設を辞めることになって、週に一度のパートタイムの仕事だけになったので、暇な時間が増える。だからそれを機に歩いてみようと思い立ったのだ。


 さて、どう歩くか?これが問題だ。一応これでも理学療法士の端くれである。同じ猫背でも、プロらしく歩きたい(^^;そして「形だけでしか見ない正しい歩き方」の流れに新風を吹き込みたい。


 このエッセイは、悪条件にも関わらず、果敢にもウォーキングに挑んだ男の記録である。(その2に続く)

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プロの運動問題解決者になれ!Be a Professional motor-problem solver!

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プロの運動問題解決者になれ! 


Be a Professional motor-problem solver!


 僕たちの仕事は、患者さんの運動問題を解決することだ。もちろん簡単な仕事ではない。リハビリの無力さを感じることも多いし、自分では最善を尽くしたつもりでも患者さんから不満を言われることもある。「全然戻っていない」とか・・・ つい愚痴なども言いたくなるが、それでも「おかげで良くなった」などと言われると、もうこの仕事が好きで堪らなくなったりもする。


 僕たちの現場でよく見る問題解決の問題は、間違った因果関係である。


 たとえば「脊髄性失調症では、手足の随意性が低下するが、検査してみると深部知覚低下がその原因である。だからフレンケル体操で深部知覚をトレーニングすることが効果がある」といった内容である。どこがおかしいかおわかりだろうか?プロの運動問題解決者になるならこの論理の矛盾にすぐに気がつくようになる必要がある。


  哲学者の大森が用いた次のような例で説明しよう。


 イカヅチがピカッと光って、ゴロゴロという。するとイカヅチが原因でゴロゴロがその結果のように思われがちだ。しかし本当の原因は、空中での放電現象である。その結果、イカヅチがピカッと光り、ゴロゴロと鳴る。つまりどちらも結果である。結果同士の間に間違った因果の関係を想定してしまうのだ。


 同様のことが脊髄性失調症にも言える。原因は脊髄細胞が壊れたことだ。その結果、深部感覚の低下と随意性の低下が現れる。つまりどちらも結果であり、結果同士の間には因果関係は存在しない。


 これの矛盾は、「深部感覚の低下はフレンケル体操で改善できる」と考えていることだ。つまりこれの意味するところは、「フレンケル体操で壊れた脊髄細胞の機能は改善する」と言っているわけだ。でもこれは無理な話だ。


 このような因果関係の矛盾は脳性運動障害やパーキンソンなど中枢神経系の障害ではよく見られる。つまり中枢神経系の作動はまだよくわかっていないので、間違った因果関係を見てしまいがちなのだ。


 だがプロの運動問題解決者は、それがわかったからと満足するわけにはいかない。というのも間違った因果関係でのアプローチでもある条件がそろうと、不思議に状況が改善することもある。これが脳性運動障害に多様なアプローチが乱立する理由だ。


 これは何かしらのアプローチをして、状況変化の種を作り、これにある拘束条件がそろうと良い状況変化が起こると解釈できる。もちろん同じアプローチをしても、負の拘束条件が揃うと却って悪い状況にもなる。これが人の運動システムの作動の不思議さでもある。人の運動システムの作動にはある性質があり、そのためにそのようなことが起こるのだ。


 簡単に言えばプロの運動問題解決者になるには、問題解決の方法について学ばなければならないし、更に運動システムの作動の性質についても詳しく学ぶ必要がある。そうして初めて効果的にアプローチを行うことができるようになるのである。


 そしてもうじきネット上でのCAMRの勉強会が始まります。


 【プロの運動問題解決者になろう!】 近・日・公・開!乞うご期待!!

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プロの運動問題解決者Professional motor-problem solverになろう!

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プロの運動問題解決者Professional motor-problem solverになろう!


  -プロの運動問題解決者になるためには


 僕たちセラピストはプロの運動問題解決者である。他人の運動問題を解決することを生業(なりわい)にしている。僕たちの仕事の場合、根本的な解決は無理であることが多いが、それでもその問題がより軽くなるよう、より良い状態になるような問題解決を目指すことが必要である。


 そのために必要なのが問題解決の手段である。少なくとも二つが問題解決の手段としてよく知られているが、それらの長所・短所の理解は必要である。


 学校では要素還元論を基にした問題解決方法を習う。これは問題が起こると、その問題の原因を探る方法だ。運動問題なら、運動の構成要素、つまり筋力・可動域・感覚・バランスなどと要素毎や部位毎に分けて どこに原因があるのか探る。次にその原因と問題との間に因果の関係を想定する。そしてその原因にアプローチするのだ。しかしこの方法は非常に有用ではあるが、万能ではない。


 たとえば脳性運動障害では脳細胞が壊れることが原因だが、今のところリハビリで脳細胞やその機能を再生することはできない。つまり原因がわかったからといって解決できるわけではない。


 また慢性痛のように様々な要素が関係し合って問題が形成されていると、一つの原因だけにアプローチしても大きな変化は起きない。問題はその一つの要素だけでなく他の要素も影響し合って生まれているからだ。


 だからプロの運動問題解決者としては、他の問題解決方法も身に付けて、状況に応じて使い分けるのが良い。


 CAMRで勧めているのは、システム論を基にした状況変化アプローチである。問題が起こる状況を変化させて少しでも良い状況を作り出すことを考えるのである。CAMRには状況を変化させるための理論と技術がある。視点を全く変えることで意外な解決方法を生み出したり、今、この場でできる事をできるだけ沢山見つけてそれを積み重ねていったりする。マヒや認知症は治せなくても、状況変化は必ず起こせるのである。


 こうしてセラピストとして2種類の問題解決手段を持つことになる。学校で習った原因を探して原因にアプローチする方法と状況を理解して状況を変化させるアプローチである。どちらの方法にも長所と短所があるので、それを熟知して、状況に応じて適切に使い分けられるようになればプロの問題解決者としての力量はそれまでとは比べものにならないくらいアップするだろう。


 CAMRでは、ようやく、ようやくネット上での情報提供の準備が整ってきました(^^;近・日・公・開!乞うご期待!!

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私はまだ習っておりません!

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私はまだ習っておりません! -問題解決を巡るいろいろの問題


 ある新人セラピストが、「私はまだ習っておりません!」といって仕事を引き受けようとしなかったことがある。


 「習ったことがない」というのはその通りだと思う。人生は習っていない問題に次々と直面するのが普通だ。絶対大丈夫と思って告白したのに失恋したり、ソフトクリームを他人のおろしたてのスーツに押しつけてしまったり、路上で美女の詐欺に遭ったり、人には言えない場所に痛みが出たり、これは絶対安いと思って勝負に出たら役満でロンされたり・・・などと未知の問題、想定外の問題はいつもいつも起こってくるものである。


 だが、それが人生だ。「習っていない」と言って済ましている場合ではない。人生は常にその場その場で未知の問題にも柔軟に対応していかなければならないのだ。


 自分で解決法を考えることはできなくても、誰かに助けて貰ったり、アドバイスを貰うことはできる。上記のようなのは「習っていない」とその問題から逃げ出しているのだろう。それはこの人なりの慣れ親しんだ問題解決方法なのだと思う。とりわけ困難な問題からはすぐに逃げ出してしまうのだろう。


 しかしセラピストの仕事は基本、他人の運動問題を解決することだ。ブロの運動問題解決者だ。それなのに『習っていません』とか『この患者はやる気がないからしかたない』とか『認知症がひどくて・・・』とか、そんな言い訳ばかりで自分がその問題から逃げるという解決法ばかりを選んでいては仕事にならない。 まあ、無理はないとは思うのだ。解決困難の問題から逃げ出したくなるのは自然のことだし、問題解決というのは、策もなく無理して突っ込んでいくと新たな問題を生み出してややこしくなるものだ。最後は「こんな仕事、辞めてしまいたい」ということになってしまうかもしれない。だから逃げてしまうという選択肢も時には必要なのかもしれないが・・・


 ともかく他の解決方法も試みてほしいものだし、先輩や回りの人たちも別の選択肢に目を向けるような援助が必要だろう。


 また問題解決を巡る問題にはもっとシビアなのもある。たとえば「脳卒中の方に健常な運動を学習してもらい、マヒを治して貰おう」などというアプローチである。これは「理想主義者の解決方法(ユートピアン・ソリューション)」と呼ばれる。実現不可能な目標を持ってしまうからだ。実際、未だにマヒが治ったという例は聞いたことがないし、現時点でも実現不可能な目標である。


 しかし「諦めたらそこでおしまいだ。ダメなんだ!諦めずに続けていくことが大事だ。続けていればいつか夢は叶うんだ」という思考方法はいつの時代も多くの人の心をつかんで離さない。だから何年も何十年も変化なく、同じことを繰り返している患者さんとセラピストのペアを見ることもある。また多くの若いセラピストがユートピアン・ソリューションに惹かれて、ユートピアンになっていく。まあ、それはそれで人生の問題解決の選択肢の一種なのだが、あまり良いことではないと思う。


 結局、何が言いたいのかというと「セラピストは問題解決が生業(なりわい)であるし、もっと問題解決方法とそれらの分類、特徴についてよく知らないといけない」ということだ。自分が問題から逃げ出すタイプか、ユートピアン・ソリューションを持ちやすいタイプか、他人に頼ってしまいがちなタイプか、とりあえず「その場で自分にできる事をやってみる」タイプか、などである。


 そして僕のようなずぼらで不器用な人間でもなんとかそれなりの問題解決をして、ずっと続けられる方法もある。いつもすべて上手くいくわけではないけどね。それでもこれまで試した中では良い方法だと思う。それがCAMRの「状況変化のアプローチ」で、これを知ってからは、仕事がなんとなく面白くなったので、今は人に勧めているわけです(^^)v(終わり)

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リハビリのファーストフード化について考える

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リハビリのファースト・フード化について考える


 世の中全体がスピードと効率に価値を求めているのだろう。無駄を避けるマニュアルと商品のメニュー化によってファースト・フード店はスピードと効率を達成するための代表的なシステムの1つに違いない。


 それが良いとか悪いとか言うつもりは全くない。食事を摂るという行為の選択に多様性があるのである。手早く済ませたい状況もあれば、ゆっくりと味わいたい時もある。単に腹を満たしたい人もいれば、食事そのものを味わいたい人もいる。それぞれの立場、状況と必要に応じて各人が使い分ければ良いことである。ただ社会全体としては、スピードと効率は求められる傾向にある。


 もちろんこのスピード化と効率化はリハビリ分野でも求められている。一番大きな理由は経済的なものだろう。1つは医療費の節約であり、もう一つはリハビリ期間を短くして早く社会復帰・家庭復帰を促す、つまり時間の節約の必要があるからだ。社会にとっても個人にとっても重要なところだ。つまりリハビリも効率を考えれば、ファースト・フード店のシステムを真似てマニュアル化・メニュー化して行くのは自然である。


 ただリハビリの価値は多様化せずに、このスピード化・効率化だけに向かうだろう。「リハビリを楽しもう」とか「リハビリによって新しい人生の意味を生み出そう」などという価値観は社会には不要であり、これからもリハビリにはひたすらスピード化、効率化が求められるだろう。


 こうして「このときはこれをする」、「この場合はこれをしてはいけない」などとマニュアルに従って仕事をする傾向が強まる。現在もそうだろう。誰かの作ったリハビリメニューに従って仕事を進めていく。こうなると目の前の患者さんを流れ作業的にこなしていくことになる。もちろんマニュアルとメニューの内容がある程度しっかりしていれば、そこそこのリハビリ成果を均一に生み出すことになる。


 従ってセラピストがファーストフードの店員化していくのは避けられないだろう。つまりファーストフード店の店員は優れた接客の技術とそつのない振る舞いを発達させるが、使っているマニュアルやメニューの妥当性を判断し、よりすぐれた改善ができるようにするのは難しいだろう。セラピストもそのような現場での必要な技術のみを発達させるようになり、創造性は脇に置かれることになる。


 人は様々な経験を積むことで生活や仕事、問題解決、状況判断のスキルが発達するのだと思う。マニュアル化やメニュー化された単調で均一な流れ作業的な仕事の経験を繰り返していては、セラピスト一人一人が問題解決のスキルや技術を発達させるのは難しい。


 そうなるとスピード化と効率化を目指しつつも、患者一人一人の問題に耳を傾け、患者一人一人に適した解決方法を生み出すような仕組みを作って、その成果を広く現場にフィードバックしていくようなシステムも必要になってくるだろう。つまり企業の商品開発部のようなシステムである。企業の命運はその部署の成果にかかっている。リハビリもそんな時代になるのではないか。リハビリの場合は大学などの研究機関がそんな役割を果たすのだろうか?(僕は臨床に関わる人間がやった方が良いとは思う・・・)


 というのも現在セラピストは大量に生まれるようになった。個人個人が総合的なリハビリ能力を備える時代は終わったのではないか。現場では接客と適切な治療技術、臨機応変の能力が求められる。一方、開発部ではより創造力を求められるようなメニュー開発が行われ、現場にフィードバックされる。そんな社会全体のシステムとしてリハビリを考える時代になったのだと思う。


 それでもまあ、CAMRは未だに個人の問題解決能力の改善に焦点を当てているし、これからもそのつもり(^^;だって現場で個別のメニューを考える人間は絶対に必要だもの。いつだって想定されていない問題、未知の問題は起きてくるものだから(終わり)

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治療方略について考える(その10 最終回)

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治療方略について考える(その10 最終回)


治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策


 前回の続きです。前回は素朴なシステム論の視点から理解した運動システムの作動の性質をまとめました。今回はそれを元にした治療原理と治療方略を考えてみます。


【素朴なシステム論によって生まれるアプローチの体系】


2. 治療原理


①治療とは1つあるいは少数の要素を改善することではない。身体、精神、環境、仕事や生活習慣などの影響を受けて生まれる状況を変化させることである


②状況を変化させるためには変化させられる要素をできるだけ多く変化させよ。あるいは要素間の関係性を変化させよ。


③アプローチして良い状況変化が出れば繰り返せ。変化しなかったり、悪くなるようなら別のことをやって見よ(状況変化が良いか悪いかは予測が難しく、やってみないとわからないことも多い。経験を積むとおぼろながら予測がつくようにはなる)


④一時的な変化と持続的な変化を見分けること。毎回元の状態に戻っているようなら、それは揺らぎをおこしているだけ。変化しない、つまり停滞の状態なので別のことをやって見よ。


⑤問題解決の主導権は、その問題解決を一番望んでいる人(患者や家族)が持つべき。セラピストはサポートの役割であることを意識せよ


3. 治療方略


①部位や要素に拘ることなく、その時、その場で変化できそうなものはできるだけ多く思いついて実施してみよ。そして今やっていることを色々と組み合わせてみよ。やって良ければ繰り返せ。ダメなら他のことをやったり、違う組み合わせを考えよ(多要素多部位同時方略)


②問題解決には、継続したアプローチが必要なこともあり、無理なく継続できるよう問題解決に一番意欲的な人物を中心に治療を展開することを考えよ(クライエント-セラピスト協働方略)


 こうして、学校で習った機械修理型治療方略とはまったく異なった治療方略の体系を手に入れましたね。


 「多要素多部位同時方略」と「クライエント-セラピスト協働方略」です。それぞれには更に詳しい説明がありますが、ここでは省略します。また機械修理型方略も状況によっては有効なのでこれで3つの治療方略を持つことになります。


 システム論には今回検討した「素朴なシステム論」の他に科学的研究や哲学的視点を基にしたものがあり(「システム論の話をしましょう!(その1)に出てくる分類の②と③)、それらからも非常に重要な、エキサイティングな治療方略が生まれますが、今回はこれで一応区切りをつけます(終わり)

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治療方略について考える(その9)

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治療方略について考える(その9)


治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策


 前回龍馬君が理解したような内容は、多くのセラピストも経験していて、直感的に漠然と自分だけの治療方略として身に付けていることを述べました。しかしそれは感覚的に理解したもので、決して明確に言語化されないし、体系化されることもありません。そのため必ずしもその治療方略は他の場面で応用されなかったり、他人に伝えることもできないのです。惜しいことです。


 だから今回は「素朴なシステム論」を基に、いつでも臨床で使えるように、簡単に「運動システムの作動の性質」と「治療原理」、「治療方略」としてまとめておこうと思います。


 ただし龍馬君の経験はまだまだ不十分なので、ここではCAMRの知識体系を追加してより臨床で使えるように修正しています。


【素朴なシステム論によって生まれるアプローチの体系】


① 人の運動システムの作動の性質①運動問題は、問題の見られる部位の周辺の要素だけでなく、全身の様々な要素が関係している。つまり運動問題は全身の様々な部位や要素などの相互作用として生まれている


②更に運動問題は、仕事内容や環境、生活習慣、性格なども影響している。身体を含めそれらの沢山の要素の相互作用から生まれる状況によって運動問題が生まれている


③また徒手療法で身体の一部位を変化させて治ったように見えても、上記の慢性痛を生み出す状況の中で変化は消耗され、痛みを生み出す状況は元に戻ってしまう。つまり一時的な変化を起こしているだけ。


④一時的な変化は元々持っている揺らぎの範囲に過ぎないかもしれない。いくら繰り返しても持続的な変化にはならないかもしれない。(一時的な変化と思われるものが持続的な変化に変わることも時々往々にしてありますが、それには条件があり、ここでは述べません)


⑤結局、繰り返す問題とは、その問題を維持するような頑固な状況の中にある


⑥セラピストが問題解決にしゃしゃり出て主人公になってしまうと、患者は依存的に振る舞うのではないか。


 そして上記のことから、次のような治療原理と治療方略が生まれてきます。(その10に続く)

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治療方略について考える!(その8)

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毎週火曜日の連続エッセイもいつの間にか連続100週を超えていました(^^)何か記念のイベントすれば良かった(^^;)


治療方略について考える(その8)


治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策


 また龍馬君は、沢山の要素の複雑な相互作用によって作られる状況下では、1つの要素を変化させたところで、その変化は相互作用の中ですぐに消耗されて元の状況に戻ってしまうということに気が付くのです。ちょうどビー玉の入っている金魚鉢を揺するところを想像してください。金魚鉢を揺するとビー玉は動き出しますが、重力と摩擦によってやがて止まってしまい、再び元の同じ場所に落ち着きます。


 つまり最初に行っていた痛み周辺の軟部組織の徒手療法は、一時的な痛みの改善という変化を起こしているだけで、その改善も日々の生活の中ですぐに消耗されてしまって元の痛みの状態に戻っていたのです。


 また一時的な変化を繰り返しても決して持続的な変化にはつながらないなら、それは運動システムが持っている揺らぎを起こしているに過ぎないと思いました。だからやり方を変えないとダメだということに気がついたのです。つまり金魚鉢を揺すっているようなもので、一時的な変化は起こしてもまた元の状態に落ち着いてしまうのです。


 さらに龍馬君は「自分が患者さんの運動問題を解決してあげるのだ!」と意気込んで、そのように努力し、振る舞ってきました。二郎さんに褒められたため、更にその傾向を強めたのです。しかし実はその振る舞いは二郎さんとの関係の中では、「どうするべきかを指示する龍馬君とそれに依存する二郎さん」という強い依存関係を作っていたことに気がつきます。


 龍馬君は一生懸命に考え、努力して、問題解決の主導権をいつの間にか強く握っていたし、二郎さんは「この先生について行けば、この問題は大丈夫、いつか解決する」と依存してしまったのです。


 そして龍馬君は、二郎さんが自分に依存していること、しかし問題解決の主役は自分ではなく、二郎さん自身だと気がついたのです。誰より二郎さんの腰痛が治ることを願っているのは二郎さん本人に違いないからです。それで問題解決の主導権を自分から二郎さんに返してあげることにしました。そのためには患者教育が大事であることに気がつき、痛みの原因と解決の丁寧な説明をしました。こうして治療の主体はセラピストから患者自身に移っていったのです。結果、二郎さんは運動によって自分の痛みが解決できることを知ったのです。痛みに支配されていたのに自ら痛みをコントロールされるようになったのです(その9に続く)

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