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今回は「リハビリはADLに対して何ができるか? その4」です。
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リハビリはADLに対して何ができるか? その4
~「割り切る」ことで活路をみいだす~
秋山です。前回できれいに終わったので、蛇足という気もするのですが書いちゃいました。ずっとしっくりこなかったことがやっと居場所を見つけた、というところです。
クライアントは障害を負っても自律した運動問題解決者、そして何が問題なのか、何を目標とするのかを決めるのはクライアント。この2つはCAMRの重要な出発点です。その上でセラピストの仕事は、クライアントの思いに寄り添い、運動余力を高めるとか、環境リソースの調整などをして達成のお手伝いをすることです。時には別の視点を提供したり、無理だなと思えることには代案を提示したりします。
身体障害に対する医療的リハビリテーションに携わるセラピストとして、クライアントが「上着が着られるようになりたい」(少なくとも「着られるにこしたことはない」)と思っている場合にはできることがあります。しかし、「お父さんはできるのに家では着替えようとしない。家でもできるようにしてください」という希望に対してできることとは何でしょうか。そもそも私たちはそこに関わること自体できるのでしょうか。
身体的な理由ならば、いくらか工夫の余地はあるかもしれませんが、クライアントの価値観に対してセラピストが直接関わることはできません。するべきものでもない。
ADLに関して運動問題と価値観の問題とが混同していると私は思います。服の着方や食事のとり方というような動作の問題と、その人が生活の中で現実にどう実施したいと思っているのか、何を良しとするのかという問題。セラピストが自分にできることとできないことを区別しないと、ユートピアン・シンドロームに陥ってしまいます。クライアントの価値観に関わることのできるセラピストというのは憧れるかもしれませんが、一介のセラピストにそんな技量はありません。私たちはクライアントの力を信じて、「体が動けば心が動く」ことを信じて、運動余力を高め環境リソースを調整するしかないのです。
「物の操作」という視点から、今までCAMRのサイトに出てきている課題よりも違う形の課題を通してできることはあるのですけどね。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
【CAMRの基本テキスト】
西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
【CAMR入門シリーズの電子書籍】
西尾 幸敏 著「システム論の話をしましょう!」CAMR入門シリーズ①
西尾 幸敏 著「治療方略について考える」CAMR入門シリーズ②
西尾 幸敏 著「正しさ幻想をぶっ飛ばせ!:運動と状況性」CAMR入門シリーズ③
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今回は「リハビリはADLに対して何ができるのか? その3」です。
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リハビリはADLに対して何ができるのか? その3
~セラピストは何を見直すか?~
秋山です。その2で「状況が変われば結果も異なる。セラピストが結果をコントロールすることはできない」と書きました。なら、それぞれの状況下にセラピストが入り込めば良いではないか、と考えられます。病棟ADLに対してアプローチするのなら病棟での実際のADLの時間帯に、家でのADLならば家に出向いて。CAMRはこの考え方自体を否定するものではありませんが、場面を変えても従来の考え方でのADL訓練では効果が出にくいとみます。
CAMRで言いたいのは、管理的なADL評価や訓練では効果が出ないということです。自らが「管理的にやってます!」と公言することは少ないでしょうが、クライアント中心を旨としながらも、現実の訓練は知らず知らずのうちに管理的になってしまっている可能性もあります。
セラピスト「じゃあ、上着を着る練習をしましょう」
クライアント「えーっと・・・」、セ「この前、やり方を覚えましたよね。まずは?」
ク「右手?あれ?」
セ「左手からですね。こう持って、こっちに・・・」
ク「ああ、そうだった。次はこうで・・・」
セ「そうそう」、(一応着て)セ「後ろがたくれてますね(と、キュッと引き下ろしてあげる)。はい、ではもう一度やってみましょう」
こんな例はありませんか?この場面そのものが悪いというのではありませんが、これを繰り返すことと、クライアントが自律した日常生活を送れるようになることにギャップを感じた方、講習会で語らいましょう(^_^)
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今回は「リハビリはADLに対して何ができるのか? その2」です。
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~「訓練が生活に活かされない」とは?~
秋山です。ADL訓練でできても実生活でできないということがあります。病棟スタッフから「もっとリハビリでやって」と言われたり・・・。よく困りましたし困っています。でも、それは本当に"問題"なのでしょうか・・・。
訓練でのADLと病棟でのADL、そして家でのADLは、全く別の活動です。たまたま結果が一致することもありますが、一致する必要は無いのです。同じ動作(例えば更衣とか)でも、場面(=状況)が異なれば結果が異なることもあります。
例えば、訓練ではセラピストの監視下、時々口答指示では何とか更衣できる方が、病棟ではちょっとやって難しいと「疲れたから手伝って」スタッフ「できることは頑張ってやりましょう。もっとリハビリで指導してもらわなきゃね」と更衣が自立していないという問題になる。家では、じっと待っておけば、妻「はいはい、服着るわよ」と着せて何事もなかったかのように家事に戻り「早くご飯食べちゃってよ。片付かないから」
訓練場面と家では状況が異なります。行為者は自律した運動問題解決者として、その状況に応じた自分なりの課題達成を図ります。セラピストが結果をコントロールすることはできません。
では、ADL訓練に意味はないのでしょうか?いやいや、やはり私達はADLを手放してはならないのです。続く。
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今回は「リハビリはADLに対して何ができるのか?(その1)」です。
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秋山です。前の記事「リハビリは1回20分の訓練で何ができるのか?」のスピンオフです(^_^)
ADLにどう関わるかは、西尾さんとしばしば議論するところでした。と言うより、「そうは言ってもねぇ・・・」と私が口ごもる状況でしたが。
話を聞いて、腑に落ちる自分とそうは言ってもそれで良いのだろうかと戸惑う自分。前者は上手くいかなかった経験から感じ、後者は多分私が作業療法士だから「生活に深く関わらねば」という意識から考えることです。多くの方が「20分の訓練でなにができるか?その1」を見てくださっていますが、納得しつつもリハビリスタッフはADLを手放してしまっていいのか?と思う方もおられるのではないでしょうか。
CAMRは、かつて批判された「クライアントの生活には目を向けず、訓練室で運動のことばかりやって結局クライアントの行動変化は見られない」状態に戻ろうとしているのではありません。「介護職がADL問題解決の専門家」とみなすことは、「チームとしてクライアントの課題達成を支えるとき、専門職としての役割を果たす」ことを放棄するものではありません。回りくどい言い方になってしまいましたが、ADLに対して今までとは違う支援のあり方があるのではないか、その方が現状に即しているのではないかと考えています。
ADLに対するCAMRの公式見解が定まっているわけではないので、CAMRとOTの関係性が課題である私の意見になるのですが、ADLを状況的に見るとどうなるかを書いていこうと思います。その2に続きます。
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今回は「リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?(その3)」です。
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リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?「その3」
「その1」では、リハビリスタッフこそが「運動余力」を最も有効に改善できる専門家である、と述べました。また「その2」では「運動余力の改善」と「従来の運動機能改善」とは違っていることを説明しました。
さて、では実際に運動余力の改善はどう行うか?一つにはクライエントの希望に沿った運動課題を工夫していくことです。人は適切な運動課題を通して、必要な運動リソースを豊富にし多様な運動スキルを発達させることができます。
もう一つは柔軟性を徒手療法で変化させたり、環境調整や自助具、介助者のシステムなどを持ち込んだりと運動リソースを直接変化させることです。さらに痛みは運動リソースやスキルの出現を邪魔するので、可能なら痛みの軽減を図ります。こうして構成要素間の関係と運動リソースの両方に同時にアプローチします。
この視点に立ってクライエントに接するうちに、以下のことに気がつくようになりました。
- クライエントは見た目以上に沢山の「隠れた運動余力」を持っている。が、クライエント自ら動くまではこれらに気がつかれないことが多い。
- 良循環と呼ぶべき状態がある。急性期や軽度のクライエントでは、ほんの少しの運動課題達成の経験によって、「隠れた運動余力の発見→活動の多様化→更なる運動余力の改善・・」といった良循環に入ることが多い。
- 逆に「袋小路」と呼ばれる状況に陥るクライエントも多い。「偽解決」や「貧弱な解決」をひたすら繰り返し、「隠れた運動余力」に気がつかれない。脳性運動障害や高齢者などのケースが多い。セラピストには、袋小路からクライエントを救い出す知恵と工夫が必要である。
- 急性期に、運動余力の改善を図らないでいきなり歩行のような動作訓練を行うと、貧弱な解決(たとえば患側下肢支持期の膝伸展ロック)のような安易な方法を取ってしまうため、袋小路に入りやすい。
20分という時間は少ないものの、運動余力の探索と改善に焦点を絞り込むことで、リハビリ訓練の効果を生み出すことができます。(詳しくは講習会で・・・・)
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今回は「リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?(その2)」です。
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リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?「その2」
「その1」の投稿へいくつか意見をいただきました。たとえば「運動余力の改善は当たり前としても、運動機能改善に偏りすぎているのではないか?」というものです。(なんだか厚労省の介護予防のご意見いただいたみたいです(^^))これについてはいろいろあるのですが、一つだけ紹介しておきます。
このアイデアを理解するためにはCAMRにおける「運動リソース」という言葉の意味を理解しておく必要があります。運動リソースは運動に使われる資源のことですが、普通は「からだ」のことをイメージされると思います。しかしシステム論を基にしていますので、システムは目に見える構造ではなく働きで考えられます。たとえば水溜まりでは水溜まりなりの、氷の上では氷の上なりの歩行の形が現れますので、水溜まりや氷が運動システムの一部として歩行を生み出していると考えられます。身体は真空中で動いているのではなく「環境」の中で「環境を資源」として利用しながら働いているのです。それで環境内のものや人や動物もその時々で運動リソースとなっている訳です。
たとえば家庭内にある手すりは、元気なおかあさんにとってはタオル掛けとして使用されますが、片麻痺のおじいちゃんにとってはからだのバランスをとるための大事な運動リソースとなります。手すりをからだのバランスをとるために使うには、それなりの運動スキルが必要です。(更に詳しくは講習会で)
電動車椅子は指先の動きを移動に変えるための運動リソースです。こう考えるとテクノロジーの進歩で新しい介護機器などが生まれてくるに連れて、運動リソースは無限に増えていきます。介護保険制度化で訪問介護が始まると、「介助者」という運動リソースも一時的に運動システムに参加する訳です。「運動余力の改善」が、世間で言う「運動機能改善(筋力や持久力の改善など)」とイコールにならないのはこのためです。(その3に続く)
(なお秋山が「リハビリはADLに対して何ができるのか?(その1)」というこのシリーズのスピンオフを開始していますので、そちらの方でも何かしら説明があると期待しています(^^))
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今回は「リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?(その1)」です。
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リハビリは、1回20分の訓練で何ができるのか?「その1」
僕がPTとして介護保険施設で働き始めて5年が経ちました。働き始めた当初、クライエントのADL問題に関して介護スタッフから色々な質問や相談が寄せられました。どうも当施設の介護スタッフには「ADL問題の解決はリハビリの専門家の助言が絶対必要」といったイメージがあったようです。
当然僕がそれぞれのADL問題の解決に適切に応えられる訳がありません。たとえば機能改善が余り起きない重度の方の排泄では、オムツの選択やあて方の工夫などが必ず必要になります。介護スタッフの方が元々知識もあり、生活のほとんどの場面で世話をして状態に精通し、問題解決の様々な方略を生み出しやすい立場にあります。どう考えてもADL問題の解決は、介護スタッフが専門にするべきなのです。(結果、当施設の介護スタッフは現在「ADL問題解決の専門家」として非常に頼りになる存在になっていますv(^^))
となると実際1回20分、週数回の訓練しか行わないリハビリスタッフに何ができるでしょうか?
僕がCAMRの普及が必要と考えている一つの理由はここにあります。1回20分をどう有効に使えるか、使うべきか?CAMRが人の運動システムの作動の性質を明らかにして、進むべき道を示してくれます。以下のようなことです。
1.人は生まれながらの運動問題解決者。セラピストがクライエントに正しい運動方法を教え、管理する必要はありません。
2.人が今よりも問題解決者として能力を発揮するために必要なのは何か?それはより十分な「運動余力」です。運動余力とは豊富な「運動リソース」を基に発展させた多様な「運動スキル」であり、それらの運動スキルを上手く組み合わせて問題を解決する「運動方略」です。そして「運動余力」の改善なら1回20分のリハビリでできるのです。いえ、リハビリこそが最も有効になしえるのです。(「その2」へ続く)
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その4 根本的な解決を目指すのか、その場その時に達成可能な目標にアプローチするのか?
従来型のアプローチは、問題があるとWhyという疑問から始め、より根本的な原因を求める。そしてその原因そのものにアプローチしようとする傾向がある。もちろん根本的な原因にアプローチするのだから、根本的な解決法と考えられる。根本的解決! 万歳!
もちろん根本的な解決が図れるケースもある。しかし常に根本的解決が優れているからこれを闇雲に目指す、というのは実はとても危険である。根本的な原因の解決不可能なケースも多い。たとえば麻痺や小脳失調など。根本的な解決を目指すと、しばしば偽解決やユートピア・シンドロームの罠にはまってしまうことがある。(HPをご覧下さい)
これを防ぐには解決可能な原因かそうでないかを見極める知識と経験が必要で、そしてなによりも常に根本的な解決が優れている、という思い込みを見直すことだ。たとえば失われた機能を取り返す、という目標は本当に取り戻せるなら素敵だが、本当に取り戻せるのか?そのために今を犠牲にするのはどうだろう?
CAMRでは、常に焦点を今この場でできることに当てている。今この場でできることの積み重ねが、よりできる未来へつながる道ではなかろうか?いつ達成できるか分からない根本的な解決のために、今はできなくても仕方ないと諦めることはしないのである。
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今回は「CAMRの簡単紹介(その3)」です。
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その3 運動の形に焦点を当てない
従来型のアプローチが基礎としている運動科学は、形の科学ということが言える。佐々木正人さんは運動科学が映画技術の発達と共に進んだことを述べている。運動は映画フィルムの一コマ一コマに記録され、姿勢の変化として理解される。
実際運動を姿勢の変化として捉えると、運動の形を角度や速度で表しやすいし便利である。そして健常者の運動の形が基準になりこれが色々と数値化されたりする。
この形を見ていく運動科学の影響は現在でも強く、従来型アプローチでは運動を形で判断するということがよく行われる。健常者の運動の形からのズレが、障害の結果であると考えられる。逆に健常者の運動の形に近付くことが、障害が改善されていることの目安と考えられがちだ。形はとても大事に考えられているわけだ。
この枠組みでは、健常者の歩行の形を真似て、近づけていくことが当たり前のアプローチの方針になる。
一方CAMRでは、運動の形には焦点を当てない。歩行なら形ではなく、立位で環境内を移動するという機能に焦点を当てる。どんな形であれ、歩行という機能を生み出しているかどうかに焦点を当てる。この視点から見ると「状況に応じて歩行の形を変えてでも歩行という機能を維持しようとする」という人の運動システムの特徴が明らかになってくる。
この枠組みでは、運動の形を真似るのではなく、形は変化させてでも良いから、機能を維持することがアプローチの方針となる。
少し脇道に逸れるが、ドイツの友人から次のようなシステム論的アプローチの批判を聞いた。「システム論のアプローチでは、できさえすれば形はどうでも良いといったことが言われるが、それで良いのか?あなたが片麻痺になったときに、歩ければどんな形でも構わないのか?健常者の形で歩きたいと思わないのか?」まあ、難しい質問ではあるが、僕ならこんなふうに問い返したい。「もし健常者のように歩けないなら、もう歩きたくないのか?歩かなくて良いのか?」
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その2 障害に焦点を当てない2013/9/21
従来型アプローチは、運動機能低下の原因を求めて障害に注意を向けていきます。脳性運動障害では思うように身体が動かず、過緊張や低緊張の状態が見られます。この原因は「脳細胞の傷害にあり」などと言って、「脳細胞の働き」にアプローチしようとします。
こうして日本では1970年代に「脳性麻痺は治る」という熱狂に包まれます。でも現時点でも、脳の機能的代償や構造的再生について明確に効果を示しているものはありません。今本的原因にアプローチすれば、根本的な解決になると思われがちですが、40年以上、解決の見えないアプローチになってしまっているのです。
また「その1」でも述べましたが、たとえば特定の筋力低下のある筋を探し出して、その筋を鍛えれば良い、と言うのは「障害に焦点」を当てているためにどう鍛えるかについては無関心になってしまいます。
CAMRでは、「障害に焦点を当てる」代わりに、最初から人の運動システムの「作動に焦点を当てて」います。例えどのような障害がどの程度あるにしろ、人の運動システムとしてどう作動し、どのような機能と結果を生み出すのかを見ていきます。
そうすると、その作動を理解する上でどうしても知っておくべきことがあります。それが「システムをどう捉えるか?」と言うことです。しばしばシステム論理解の邪魔になっているのは、このシステムが何か?ということです。
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