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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その7)
行為レベルの評価にはADL検査などがある。これは生活行為がどのレベルでできるかという目安として役立つと考えられるが、これまた誤解を生み出しやすい評価である。よくあるのは「できるADLとしているADL」の問題である。
「訓練室ではできるが、病棟ではできないのは問題である」と言われたりする。
だが元々行為レベルは、身体能力のみならず環境や社会・文化的価値観など様々の要素の影響からなる状況から生まれるものである。訓練室での文脈と病棟での文脈は違っているのだから、同一人物の行為が変わっても当たり前である。
訓練室では当たり前にやっていても、病棟では看護師さんも患者さんに取っての役割が違うし、あるいは患者さん自身が「病棟は休むところ」という価値観を持っていれば、動こうとしないのは当然だ。
また屋外自立歩行をしているおじいちゃんが退院できないで、車椅子介助のおじいちゃんが退院することがある。家庭生活を行うという行為レベルは、各家庭の価値観や事情によって家庭復帰の条件は変わってくるのが当たり前である。他にも失禁があると「家では介護できない」となる場合もあれば失禁が在宅生活で受け入れられている場合もある。「できることは自分でやらないとダメよ」と言う家族もいれば、「なにも普段の生活で余計に苦労したりするよりは在宅での生活はもっと人生を楽しむべきよ」という家族もいる。
更に一昔前、訪問リハビリをやっている人達の一部が、「今の病院リハは役に立たない。病院内でトイレ動作などができたというが、在宅ではできない。在宅で一からやり直しである。こんな病院リハはダメだ。在宅でもすぐにできるくらいまでやるべきだ」という批判をしていたことがある。
これも行為レベルがそれぞれの環境と一体であるということを考えれば少し見当外れの批判であるとわかる。元々病院内リハビリでできることと言うのは、身体リソース(筋力、柔軟性、持久力、身体・環境情報など)を豊富にし、病院内の貧弱な環境リソース(病院では手すり、壁、一部の家具つまりテーブルや椅子など)を利用した動作レベルでの運動スキルを改善することである。
将来家に帰ったときは、新たに出会ったその環境内での行為レベルの構築をやり直すのが当然である。その環境内でのもっとも適応的な課題達成スキルはその環境内でしか生まれない。課題達成スキルとは身体と環境がカップリングすることだからだ。
もちろんもともと障害が軽ければ、運動リソースも運動スキルも豊富で多彩なので、ある程度、どんな状況でも適応的に振る舞えるのは当たり前である。これを基にいろいろな患者に当てはめて単純化してしまうのが問題なのである。
だから病院内のリハビリとは、将来家に帰ったときに必要な課題達成スキルを獲得するためにできるだけ運動リソースを豊富にし、それを基にした運動スキルをできるだけ多彩にして、退院後の準備状態を作ることである。
だから病院内での訓練効果の評価を考えるなら、訓練効果はその環境内での動作レベルで評価するべきだ。要素レベルの筋力、可動域ではなく動作レベルの評価である。
また他の環境内での行為レベルの比較は無意味とは言わないが、その違いを考慮しておくべきだ。あるいは動作レベルのADL評価なら、身体能力と与えられた環境との相互作用の中で、安定してくる動作の状態を評価することができる。その同一環境内での課題達成力の変化を追うことができるからだ。
そうするとこのADL検査は、環境や状況を固定すれば、単一環境での動作レベルを含む行為の変化を追う検査として使える。つまり訓練室なら訓練室だけでの経過を見ることで、家庭なら家庭だけの課題達成力の変化を追うことができる。
訓練室と家庭でのADLを比較しても、その違いを問題視する理由はとても薄いのである。
次回は、その動作レベルの変化を追う評価について検討してみたい。(その8に続く)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その6)
さて、前回までのまとめ。
臨床で患者さんの感想や自分の見たい現象ばかり見るような主観的な評価に頼っていると臨床での判断能力が発達しないだろう。また、「これさえやっておけば大丈夫」とEBMで言われて、「では何も考えずにこれさえやっていれば良い」と思い込むのは間違っている。リハビリはその患者毎に経験と失敗から学ぶ仕事だからだ。EBMのような一般論を全てに当てはめるのはナンセンスだ。その患者さん毎の評価はしなくてはならない。だから客観的な評価が必要である・・・と言うところまで話が進んだ。
今回からしばらく僕達の用いる評価について検討しよう。
僕達、リハビリのセラピストが用いる評価は要素レベル、動作レベル、行為レベルの3つに分けられる。
要素レベルには、筋力や関節可動域、感覚、痛みなどの検査がある。
この検査はもともと「全体の振る舞いは個々の要素の振る舞いを調べることで理解できる」とする要素還元論の考え方に基づくものだ。この考え方は現在の科学の主要な考え方でもある。何か問題、たとえば「転倒しやすい」が起きると、全体を個々の要素や部分に分けてそれぞれを調べるのだ。そして問題のある要素と部位、たとえば下肢筋に筋力低下があれば「これが原因で転倒しやすくなっている」と因果の関係を想定するのである。
もちろんこのような単純な因果の関係が成り立つ場合もある。しかし人の運動システムのような複雑なシステムでは、通常要素レベルの問題と全体の問題との間に必ずしも因果関係が成立するわけではない。筋ジストロフィーの子どもたちは股関節周囲の筋力が重力に逆らえないくらい弱くても、骨・靱帯の制限を利用する骨靭帯方略によって歩くことができる。肩回りの筋力は弱くても、拳を頭の上まで持ちあげ、振り下ろして相手の頭を叩いて喧嘩することもできる。96歳のおじいちゃんで、片脚立ちはできなくても立ったまま靴下を履くこともできる。
要は人の運動システムでは、筋力や可動域のような要素レベルだけでは動作レベルの問題を説明できないことは多々あるのである。なぜなら人の動作レベルは筋力や柔軟性などの要素、つまり運動リソースだけではなく、それらの利用方法である運動スキルによっても成り立つからだ。
筋ジスの子どもたちも96歳のおじいちゃんも、筋力という運動リソースの不足を運動スキルの発達によって補うことができるからだ。つまり元々要素レベルの評価は、全体の問題の原因を要素レベルに探るための評価なのである。僕達の訓練効果を表す評価としては不適ではないか。
というのも「筋力や可動域が改善したので訓練効果があった」というセラピストもいるのだが、元々僕達の仕事はそういった要素を改善するのが目的の仕事ではない。
僕達の仕事の目的が身体の部分や要素などの改善だけにあるとすると、とても寂しい話だ。機械の修理で言うなら、「ギアが壊れていたから交換しました。ええっ?まともに動かない?それは僕には関係のないことです。僕の仕事は壊れた部品を直したり、交換することですから」と言っているようなものだ。とても一人前の修理工とは言えないだろう。可動域が改善したから「訓練効果が出ました」などと言っているようではやはり仕事は任せられない。
痛みの治療だって同じだ。動作レベルの問題が変わらないなら、「楽になりました」とセラピストに気を使って言っているだけかもしれない。
つまり要素レベルの評価はそもそもが、訓練効果の判定のためにメインで使える評価ではないのである。効果判定のためには、リソースの変化はもちろんスキルの変化を含む評価が必要なのである。
次は行為レベルの評価であるADL検査について検討しよう。(その7)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その5)
さて前回は、「学校でも習ったし、本にも載っていたし、EBMでも裏付けられている。だから、このアプローチで良いのだ!」などという特定のアプローチに対する幻想を持ってやっているのではないか、ということを述べた。
「そのアプローチで良い」という幻想を持っているのでその結果、訓練実施に当たってそれは失敗とは考えないし、フィードバックも必要としていないのではないか。
リハビリの中でも、特に脳性運動障害はやはり複雑であやふやで明確に説明されない現象が多く、セラピストも何をどうやったらよいか不安なのである。だからリハビリの権威や「EBMでは・・・」などという下りに弱いのである。
「ああ、これをやっておけば、自分の義務を果たせるらしいぞ。これで安心!」などという心の動きが生まれるのではないか。しかも盲目的に従ってしまうので、自分で変化を判断できなくなるのだろう。あるいは、ありのままを見るのではなく、見たいものだけを見るようになってしまうのではないか。
こうなると自分のやっていることは失敗ではなくなってしまう。権威者や一論文の言うままにやっているのであって、悪いのは自分でなく、他の誰かさんである。だから自分のせいではない。権威のある人達のアイデアに従っているので、暢気にもまさか失敗しているとも思わない。
これでは自分のやっていることの修正ができないのが当たり前である。先にも述べた通り僕達の仕事は多様性や個別性に富む運動システムを相手にしている仕事である。当然失敗はつきものだ。順調に全てがうまく進むことはあり得ない。
もちろんEBM自体は価値のあるものだし、目安にはなると思う。だからといって自ら効果判定に関する判断を止めてしまって良いということにはならない。
僕達セラピストの仕事の成功は失敗の先にある。日々の仕事は失敗の連続であって、それを活かしてこそ、その先に漸く数少ない成功を得るのが普通である。だからEBMや権威ある人達の言うことを盾にとって、「それが正しい」などという幻想を持つのは間違っているし、自ら訓練効果の判断を止めて盲目的にその方法を実施するのはもっての他だ。
EBMは聖書ではない。手続きの基準であり、そして批判の対象でもある。
科学は批判によって進化する体系である。EBMに盲従し、何も考えなくて良いと言うことではない。そのために各個人で客観的な評価の重要性を知って実施するべきだ。
次回はこの客観的な評価について検討してみたい。(その6に続く)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その4)
「訓練効果が見られないまま同じ訓練を続ける」場合は、次のような理由もあると思う。それは以下のような強い思い込みである。
たとえば「○○というアプローチをすれば、脳性運動障害は改善するものだ」という信念というよりは幻想があるのだ。「学校や講習会で教えられたから」という理由だったりする。あるいは「EBMで客観的な効果判定が証明されている。だから間違いない。これさえやっとけば大丈夫!」という安易で、暢気な強い思い込みがあるのではないか。
リハビリの世界ではこのような「思い込み」が意外に多いのである。
ずっと以前は「脳性運動障害後には体が硬くなる痙性麻痺が見られるが、この痙性麻痺が随意運動の出現を邪魔している。だから硬さを改善すれば、随意運動が自然に出てくる」と科学的根拠もないままに言われ、信じられていたものだ。
実際には硬さを落としても、重度麻痺では低緊張や筋力低下が露わになる。軽度~中等度では、硬さが取れると柔軟性という運動リソースが改善し、筋の硬さによる抵抗がなくなるので動きがスムースになったり運動や重心の移動範囲が大きくなったりする。これをまるで脳性運動障害そのものを改善していると勘違いする場合もある。実際には麻痺による低緊張状態を解決するために運動システムが採った外骨格系方略だし、その偽解決状態となった硬い状態によって低下している運動パフォーマンスを改善しているので、脳性運動障害を直接改善しているわけではない。
また「運動の不正確さは深部感覚の低下が原因である。だから深部感覚の訓練をして、深感覚を改善する必要がある」という例もある。しかし、運動の不正確さも深部感覚の低下もたとえば脊髄細胞が壊れたことが原因である。因果の関係を間違えているのである。因果の関係なら、運動と深部感覚低下の両方の原因である壊れた脊髄細胞を構造的に再生するしかない。しかし今のところ、リハビリでは不可能である。さらに脳卒中後に「歩行が不安定なのは立ち直り能力の低下である」と言って、座位で立ち直りの訓練を行うのも間違った思い込みである。歩行が不安定なのも立ち直り能力が低下しているのも、脳の細胞が壊れたことが原因である。
正しく因果の関係を採るなら、「壊れて失われた脳の機能を構造的・機能的に再生する」ということになる。これまた今のところリハビリでは不可能である。
最近聞いたところでは、「脳卒中後に早くから歩行することはEBMで訓練効果が認められている。アクティブに運動をすると、脳の血流が増えて、壊れた脳細胞が再生しやすいのだろう」と発言しているセラピストに出会った。本当にそうなのか?目の前で起きている現象もそれを表しているのか?
しかし頭からそれを信じている様子で全身麻痺で動きのない患者さんを二人がかりで立たせて歩かせる訓練を日々繰り返していた。結果、日々体が硬くなっただけだ。家族は以前、右の手脚はもっと動いていたのに、最近では全身が硬くなってほとんど動かなくなったと思う、と不安を持たれていたのだが。
まあ、昔から医学界にはこのような幻想がつきもののようだ。中には運良く結果がよかったりすることもあるのでこの風習の様なものは止まないのではないか。早い話、「これさえやっとけば大丈夫。学校でも習ったし、本にも載っていたし、EBMの後ろ盾もある。だから、このアプローチで正しいのだ!」などという幻想を持ってやっているので訓練実施に当たって、フィードバックや効果判定を必要としていないのではないかと思われる。あるいは自分の見たいものだけを見て、「この変化もこの訓練のおかげ」などと信じているのではないだろうか?
目の前の現象がいくらでもあるのに、まったく自分で見て、判断しようとしないのだ。(その5に続く)
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セラピストは失敗から学んでいるか?失敗と認知されない失敗(その3)
さて、このシリーズでは「セラピストが変化のない訓練を続けるが、これが失敗と認知されない問題」を検討している。
「失敗の科学」では心理療法士の例も挙げられている。
心理療法士の仕事は、患者の精神機能を改善することだが、治療が上手くいっているかどうかの判断基準が曖昧ではないか。治療結果のフィードバックはどこにあるか?彼らのほとんどの判断基準はクリニック内という特殊な状況下での患者の観察あるいは反応である。また患者はセラピストを喜ばせようと「良くなった」と誇張して言うことはよくあるそうだ。(これは僕達の臨床でもよく経験します(^^;))
更に治療後患者がどうなったかという長期的なフィードバックもない。だから心理療法士は多くの時間をかけて臨床経験を積んでも臨床的な判断能力が発達しないという。
この説明についてこの本ではゴルフスィングの練習が例としてあげられている。
ゴルフ練習場で的に向かって撃つ練習では、一球一球打つ毎にフィードバックが得られる。それで的に近づけるように一球一球集中して的の中心に近づくような修正が図られる。スポーツの練習はこのように試行錯誤の連続だ。この一つ一つの失敗が修正を生み、的確に的に近づけるスキルを獲得していく。失敗から学ぶとはまさしくこういうことだ。
しかしもし暗闇でゴルフをしたらどうなるだろう?一球一球のフィードバックがないので、修正も起きない。結局いくら打っても必要なことは学べないと言う。
なるほど、これらのことは僕達の臨床でもよく見られそうである。
たとえば患者さんに「訓練してみてどうですか?」と聞くことはよくある。この意見は大事だ。しかし中には「最近動くのは楽になりましたか?」とか「どうでしょう、楽になったでしょう?」などとあからさまに聞くセラピストもいる。これでは患者さんもセラピストの求めているものを慮(おもんばか)って「おかげで大分良いですよ」などと答えざるを得なくなるだろう。
もちろん患者さんの主観的な意見を聞くことは大事なことだが、患者さんの感想や自分の見たい現象だけを見ているようではその訓練を失敗としてみないだろう。これでは客観的な効果の判定はできそうにないし、自分の訓練が失敗だと判断することもないだろう。
これを防ぐために客観的評価があるのだが、この訓練効果の評価の問題はなかなか複雑である。この客観的な評価についてはこのエッセイの後半で少し検討できればと思っている。
次回は、変化のない訓練が失敗と考えられない他の理由を探ってみたい。(その4に続く)
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