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今回は「CAMRの旅お休み処 シーズン2 その6」です。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
CAMRの旅お休み処 シーズン2 その6
「課題は挑戦的、実際的、そして達成的に」2013/4/29
CAMRでは、クライアントがどのように課題を達成するかはクライアントに任せます。セラピストの仕事は課題の設定です。その時の注意点です。
1.挑戦的である
セラピストがクライアントに挑戦するんではないです、「かかってこいやー」な訳はない(^^;)クライアントにとって「やってやろうじゃないか」と思える内容であり難易度である、ということですね、はい、当然です。
日常的に実感できることですが、高すぎる目標は挫折するし、諦めてしまいやすい。低すぎると、つまらない。ただこれは、どんどん難しくしていくばかりではありません。「今日も明日もやり続けることができる」というのも意味があります。
リハビリの人は、もうすぐに難しいことさせようとするんだから~。
2.実際的である
クライアントにとって現実の問題、自分のニードに繋がっていると思えることです。例えば「歩きたい」に対して歩行練習という方法もありますが、「これをやったら歩きやすい」とクライアントが実感していれば直接歩くことでなくても取り組んでいかれますね。
3.達成的である
クライアント自身が進歩を実感できる、ということです。できれば短時間に効果が実感できると嬉しい。こつこつと継続、はとても大事なのですが、「やればやっただけは、良くなるよね」というのはモチベーションを高めますね。セラピストの心にも好影響です。
自分の変化というのは案外気づきにくいもので、特に発症前を基準に考えると低下ばかりが目立ちます。「形がよくなったね」というのはセラピストには目に見える変化でもクライアントには実感しにくいこともあります。「10回だったのが20回できるようになった」「1周歩いても息切れしなくなった」「重錘つけても動かせるようになった」などなど。時にはクライアント独自の達成感を持たれることがあります。セラピストがその世界に寄り添えるとよいです。
1~3は、同じことをいろんな言い方をしているだけかもしれません。クライアント自身が課題を設定されることもありますが、皆が皆そうはいかないし、そうならなければいけない必要もないです。私達の出番ですね。
自分で作ったにしろ、セラピストが提示したにしろ、その課題をクライアント自身の中で腑に落ちて納得している、ということが大事なのでしょう。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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治療方略について考える(その2)
治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策
治療方略という言葉はあまり聞いたことがないと思います。でも僕たちは学校でちゃんと治療方略について習ってきているのです。まずそれがどんなものだったか振り返ってみます。
僕たちは学生時代、まず人の運動システムが皮膚に囲まれた身体そのものであると習います。そして運動システムを構成する要素には、力を発生する筋肉系、支柱になったり力を伝えたり、力の方向を決める骨・靱帯・関節系、感覚や命令を伝え理解・命令する神経系、エネルギーと酸素を供給する消化・呼吸・循環系などがあると習います。
そして姿勢や運動、あるいは日常生活における課題達成などに問題が起きると、これら運動システムの構成要素のどれかに原因がないかを探るのでしたね。そして悪い要素が見つかると、問題との間に因果の関係を想定します。そして悪い要素を改善しようとします。
たとえば転倒が増えてくると、筋力検査、可動域検査、感覚検査、痛みなどを調べ、悪い構成要素を見つけます。そして下肢の筋力低下が発見されればそれが「転倒の原因」と因果の関係を想定し、下肢筋力の強化というアプローチを行うわけです。
これが学校で習う治療法略で、「要素還元論」というものの見方に基づいています。この要素還元論という見方は社会では非常に常識的で広く浸透しています。たとえば何か事故が起きるとテレビではすぐに「今回の事件の原因は・・」などと一要素、あるいは少数要素を事故の原因として因果の関係を想定しようとしますし、裁判などでも因果関係を立証できるかどうかが争点となったりします。
ただこの治療方略は実は機械の修理と同じ考え方です。悪い部品を見つけ出して、それを修理・交換するという機械の修理と同じ考え方です。だからこの治療方略をここでは、「機械修理型」と呼ぶことにします。
実はデカルト以来、西欧では「人の体は機械である」というアイデア(人間機械論)が今も根強いとのこと。だからこの「機械修理型」の治療方略はごく自然に受け入れられているようです。また西欧文明に子供の時から触れている私たちにもその考えは違和感がないかもしれませんね。実際僕もこの機械修理型の治療方略は最初違和感なく受け入れていました。そして今も違和感があるわけではありません。今は機械修理型しか知らない時は不便だったなと思うだけです。持っている治療方略は多い方が状況に応じて使い分けができるので便利だなと思っています。(この点については後々詳しく説明します)
さて、「人の運動システムは機械と一緒なんだろうか?果たして人も機械も同じアプローチで良いのか?」という疑問を持っている人もいると思います。次回はこの点について考えてみたいと思います。(その3へ続く)
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今回は「CAMRの旅お休み処 シーズン2 その五」です。
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CAMRの旅お休み処 シーズン2 その五
「運動を、形ではなく機能でみる」2013/4/7
CAMRはシステム論に基づいて運動をみています。システム論的にみると、今までの見方とどう違うのか?その説明がホームページやここで展開されているのですが、言葉ではわかっても、実際にどういうことかというのは、ちょっと掴みにくいところかもしれません。
「システムとしてみる」を、「要素に分解しないで全体としてみる」と捉えると、外れではないけれどますますよくわからなくなる。うすぼんやりと全体を眺めても、一体どうしたものやら・・・。そこで、ヒントが「形ではなく、機能でみる」です。
その参で、「立位での踵上げ」を取り上げましたが、 この課題は「抗重力位での足関節底屈」=形でみる、ではなく、「狭い基底面で支持しながらの垂直方向の重心移動」=機能でみる、です。この場合はやり方にあまりバリエーションがないので、形を問わないと言っても、だいたい同じ形になります。
歩行をみてみるとどうでしょう。従来行われているのは、形による歩行分析です。一見「正常」があるように思われますが、状況に応じて変化することが大事、というのはこれまで述べてきたとおりです。となると、形は無限にあります。けれど、機能でみると、「支持して、対側を振り出し、重心移動」というのは共通しています。
どんな形かはクライアントにまかせる。クライアントはどのように機能を維持しようとするのか。より有利な方法をクライアントが試して選ぶためにはどんな課題をやってみてもらうか。板跨ぎ課題で、「支持する足の膝を少し曲げてみて」と、形の指示に見えることをいうこともありますが、反張膝という形はいけないからではなく、段差や坂道では不利だからです。あ、この説明は少しずれたかな(^^;)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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治療方略:治療の目標設定とその目標達成のための計画と方策
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
これは兵法で有名な孫子の言葉です。「危うからず」とは負けないこと。つまり勝つことも良いには良いが、まず負けないことが一番大事だと言っている訳です。そして負けないためには自分のことと敵のこと、どちらもよく知る必要があると言っているのです。
振り返って僕たちリハビリの仕事も、戦争に喩えるなら勝つことの難しい戦いです。というのもリハビリでは多くの場合、運動障害という治すことができないものを相手にしているからです。
たとえば脳性運動障害後のマヒはリハビリでは治りません。日本では50年以上前から壊れた脳の神経細胞の再生や他の脳細胞で機能を代償させてマヒを改善しようとするリハビリ・アプローチがあります。しかし未だにマヒが治ったという報告はありません。「マヒを治す」という目標は立派でも、それをリハビリで実現する方法は未だに見つけられない、あるいはリハビリではそんな方法はないかのどちらかです。50年というのはそれを納得するには十分長すぎる年月ではないでしょうか?つまりセラピストが、見通しの立たない「マヒを治す」という目標に拘り続けることは、目の前の患者さんにとっても不利益ではないでしょうか?
だからこそ今、自分のこと、治療方略や治療技術のこと、そして患者さん自身とその障害のことについてよく知ることが大事です。マヒを治すことはできなくても、今より良い状態を目指すこと、そして良い状態をできるだけ長く維持することはできるのです。つまり勝つ(治す)ことはできなくても、負けない(良い状態にする・維持する)という状態を作り出すことがなによりも大切なのです。
孫子のこの言葉には続きがあり、自分の実力を知っていて相手の実力を知らなければ勝ったり負けたりし、両方の実力を知っていなければ負けるに決まっているということです。
そこで自分たちの持っている治療方略を一度見直して、その効果と限界を整理してみることは有用でしょう。そして運動システムの作動の性質と障害を持った運動システムの状態をよく知ることも有用です。こうして初めていつでも安定して、患者さんのより良い状態を目指すことができるのではないでしょうか?
このシリーズでは、僕たちセラピストの持っている治療方略の長所と短所、限界を明らかにして、障害を持った人とどのように協力していけば良いのかを探ってみたいと思います。そして新しいより良い状態を目指し、良い状態を維持するアプローチを提案できればと思っています。(「その2」に続く)
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今回は「CAMRの旅お休み処 シーズン2 その四」です。
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CAMRの旅お休み処 シーズン2 その四
「Back to the"耳を傾ける".ただ聞くことの難しさ」2013/3/31
読む!シリーズはますますマニアッ、いやいや専門的になってきています(^_^)
「リハビリの夜」シリーズ、完結です。田上さんも書いておられますが、心情という点からだけでなく、運動障害の見方そのものも示唆深い本です。是非、ご一読を。
さて、私見ですが、いわゆる「闘病もの」への反応は大きく2種類あるように感じます。私見ですけどね。
1.目からウロコの、すばらしい本である。一押し!
2.わかるけど、そうは言ってもね・・・、とちょっと引き気味。または、突っこみ。
2種類のうちどちらかと言うより、この2つを対極としたベクトル上のどの辺にいるか、と言った方が良いのでしょう。特に「リハビリの夜」は、独特の言い回しと申しますか、官能的とか同化思想とか、医学の専門書として読むとちょっと違和感を覚える部分があるかもしれません。そういう意味では、少し2.寄りという感想もあるでしょうね。
しかし、よく考えてみると、先の1.と2.は決して二律背反ではないですよね。感じたことから理論を組み立てたとき、理論に関しては別の視点から違う考え方ができるというような議論ができます。感じたことについては、正しいとか間違っているとか言うより、まず「ああ、そう思ったのか」「そういう風に感じることもあるんだな」と受け止めてみる。自分の感じ方と違ったり、痛いところを突かれたりすると、これが難しくなります。つい、判断したり解釈したくなってしまいます(^^;)
判断・解釈が悪いわけではありません。ただ、それらが前提として最初に前面に出てしまうと、クライアントは本音を言えるかな、と思います。これも、言うは易く行うは難し、でして、こちらの胸が波立つときも、「これがクライアントの素直な感想なのだ」と自分に言い聞かせたりする・・・。
今回は、私の悩み処でした。
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