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今回は「リハビリはADLに対して何ができるのか? その3」です。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
リハビリはADLに対して何ができるのか? その3
~セラピストは何を見直すか?~
秋山です。その2で「状況が変われば結果も異なる。セラピストが結果をコントロールすることはできない」と書きました。なら、それぞれの状況下にセラピストが入り込めば良いではないか、と考えられます。病棟ADLに対してアプローチするのなら病棟での実際のADLの時間帯に、家でのADLならば家に出向いて。CAMRはこの考え方自体を否定するものではありませんが、場面を変えても従来の考え方でのADL訓練では効果が出にくいとみます。
CAMRで言いたいのは、管理的なADL評価や訓練では効果が出ないということです。自らが「管理的にやってます!」と公言することは少ないでしょうが、クライアント中心を旨としながらも、現実の訓練は知らず知らずのうちに管理的になってしまっている可能性もあります。
セラピスト「じゃあ、上着を着る練習をしましょう」
クライアント「えーっと・・・」、セ「この前、やり方を覚えましたよね。まずは?」
ク「右手?あれ?」
セ「左手からですね。こう持って、こっちに・・・」
ク「ああ、そうだった。次はこうで・・・」
セ「そうそう」、(一応着て)セ「後ろがたくれてますね(と、キュッと引き下ろしてあげる)。はい、ではもう一度やってみましょう」
こんな例はありませんか?この場面そのものが悪いというのではありませんが、これを繰り返すことと、クライアントが自律した日常生活を送れるようになることにギャップを感じた方、講習会で語らいましょう(^_^)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版
【CAMR入門シリーズの電子書籍】
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西尾 幸敏 著「治療方略について考える」CAMR入門シリーズ②
西尾 幸敏 著「正しさ幻想をぶっ飛ばせ!:運動と状況性」CAMR入門シリーズ③
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俺のウォーキング:理学療法士らしく(その3)
俺のもう一つの運動問題は、左股関節の荷重時痛である。元々若いときからパソコンが好きで、人より長い座位時間を過ごすのが習慣だったのだが、50代の最後の2年間は特に執筆活動などで毎日10時間も座り続けることがあった。その頃から座っている間はなんともないが、歩き始めると左股関節に荷重時痛を感じ、痛みがひどいときは跛行が出て歩くのにも苦しむという状態であった。
なぜ左の股関節かと考えると、僕は立っても座っても左重心である。荷重側の筋肉は自然に体重を支えるために長時間の収縮状態を強いられることになる。すると自然に筋の短縮が起こるのだろう。しかも座位姿勢の中で作られる短縮である。これが立位での歩行になると、無理に伸ばされストレスがかけられ、関節の動きにも悪い影響を与えるために痛みになっていると考えられる。
これまではストレッチと階段昇降などいくつかの運動課題設定によって一時的な改善をしてきたのである。しかしこれで痛みは軽快しても一時的なもので、一時間車の運転をした後、車を降りて歩けば痛みは再発している。もちろんテレビや映画鑑賞など1時間もじっと座っているとすぐに痛みは再発する。結局一時的な痛み改善だけをここ数年繰り返してきたのである。
仕方なく1年前からスタンディングデスクを買って、そちらの方で仕事をするようにしていたが、やはりなんとなく落ち着かない。本屋での立ち読みに慣れているおかげか読書は良いのだが、文章を書くときは居心地が悪くてついつい座りデスクに向かってしまう。
このような慢性痛は身体の構造面の変化だけでなく、座位時間が長いなどの生活習慣、特に運動習慣の不足が大きな原因であることが多い。
つまりウォーキングのようなアクティブな全身運動を継続的に行うことで改善に向かう可能性が高い。
結局俺は理学療法士らしく、様々な健康問題・運動問題をウォーキングによって解決しようと思ったのである。まあウォーキング一つで、高血圧、肥満、様々な慢性痛などの改善の一石3鳥を狙ったわけだ。
やることは明確である。つまり痛みの出現を予防することだ。無理をしないで様子を見ながらゆっくりと運動量を上げ、更に徐々に坂道や階段、あぜ道、山道などの多様な環境内での歩行へ移って、柔軟性、筋力、体力などの運動リソースを豊富にし、歩行スキルを多彩にするのである。
さていよいよ次回から実践報告である。(その4に続く)♯持続可能な社会のために今、この場でできる事を考えてみよう!
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みなさん、ハローです!
「CAMR Facebookページ回顧録」のコーナーです。
今回は「リハビリはADLに対して何ができるのか? その2」です。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆以下引用★☆★☆★☆★☆★☆★☆
~「訓練が生活に活かされない」とは?~
秋山です。ADL訓練でできても実生活でできないということがあります。病棟スタッフから「もっとリハビリでやって」と言われたり・・・。よく困りましたし困っています。でも、それは本当に"問題"なのでしょうか・・・。
訓練でのADLと病棟でのADL、そして家でのADLは、全く別の活動です。たまたま結果が一致することもありますが、一致する必要は無いのです。同じ動作(例えば更衣とか)でも、場面(=状況)が異なれば結果が異なることもあります。
例えば、訓練ではセラピストの監視下、時々口答指示では何とか更衣できる方が、病棟ではちょっとやって難しいと「疲れたから手伝って」スタッフ「できることは頑張ってやりましょう。もっとリハビリで指導してもらわなきゃね」と更衣が自立していないという問題になる。家では、じっと待っておけば、妻「はいはい、服着るわよ」と着せて何事もなかったかのように家事に戻り「早くご飯食べちゃってよ。片付かないから」
訓練場面と家では状況が異なります。行為者は自律した運動問題解決者として、その状況に応じた自分なりの課題達成を図ります。セラピストが結果をコントロールすることはできません。
では、ADL訓練に意味はないのでしょうか?いやいや、やはり私達はADLを手放してはならないのです。続く。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆引用終わり★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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みなさん、ハローです!
「システム論の話をしましょう!」「治療方略について考える」に続いて、CAMR入門シリーズの第三弾が出版されました!
西尾 幸敏(著)「正しさ幻想をぶっ飛ばせ!:運動と状況性」CAMR入門シリーズ③
本書はCAMR入門シリーズの第三弾となります。今回は「ピリッ」とスパイスのきいた内容です。
本書では「正しさ幻想」として、セラピストが比較的陥りやすい盲点を指摘しています。具体的には二つ挙げており、一つは「正常運動」とも呼ばれる、健康な若い人が実験室の中という普段の生活ではあり得ないような特殊な状況で行なった運動を「正しい運動」としてモデルにすることについて、そしてもう一つは、脳卒中治療ガイドラインなどに代表されるような、EBMを背景にしたプログラム選択の指針について言及しています。
どちらも適切に用いればとても有益なのですが、動作分析に際しては運動の形の奥にあるものへの眼差しの必要性を指摘し、プログラム選択にあたってはしっかりと状況を見て自ら考えることの大切さを訴え、いずれの場合にもただ頭から盲信してしまうことへの注意を呼び掛けています。
僕は人一倍思い込みが強く頑固な方なので、このあたりのことには本当に苦労した記憶があります。読者のみなさまにおかれましても、盲信の罠にはまっていないか、ぜひ一度自らの臨床を省みる時間を持っていただきたいと思います。
Camrer(カムラー:CAMRを実践する人)の一人として特に興味深かったのは、第3章から第4章にかけて、具体的な症例を挙げて説明している部分です。
なかでも、脳血管障害後の筋緊張の亢進を患者さんによる「問題解決」と捉えているところは、CAMRの真骨頂といっても過言ではないでしょう。なぜなら、脳血管障害後の筋緊張の亢進は通常「症状」と捉えられているからです。そのような常識を前にしながら「問題解決」と捉えることは、理論を道具と考え、システムを内部から観察するCAMRの視点をもって初めて可能になります。
(CAMRの視点をもう少し詳しく知りたい方は、CAMRの基本テキスト西尾 幸敏 著「PT・OTが現場ですぐに使える リハビリのコミュ力」金原出版をご参照ください)
目次
CAMR入門シリーズ③ 正しさ幻想をぶっ飛ばせ! ~運動と状況性~
この本について
目次
第1章 「たった一つの正しさ」を追い求める社会病理
1.巷にあふれ返る「正しさ幻想」
2.正しい歩き方? ~セラピストが出会う「正しさ幻想」
3.運動は真空中で起きているのではない
第2章 運動と状況性
1.患者さんからの怒号を浴びて
2.状況の中での運動
3.健常者の歩行の特徴は、形ではなくその作動にある
4.前節の補足説明 ~疑問の声にお応えして
第3章 「正しさ幻想」が招いた悲劇
1.正しいアプローチ?
2.症例紹介
3.ガイドラインに沿ったプログラムではあるが・・・
4.いろいろなところに潜んでいる盲信の罠
第4章 CAMRの視点
1.運動システムの作動原理
2.症状か?問題解決か?
3.問題解決方略を見抜け!
4.多要素多部位同時治療方略
5.理論は道具、状況に応じて使い分ければ良い
6.正しさ幻想をぶっ飛ばせ!
編集後記
CAMR研究会について
著者紹介
著書
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俺のウォーキング:理学療法士らしく(その2)
前回は俺の健康問題と膝痛問題の紹介で今回もその続きである。
膝痛時の探索歩行は、歩行時の膝痛をなんとかしたいと始めたものだ。一応要素課題として、足・膝・股関節周辺のリリースとストレッチを行う。そして痛みを軽くする。時間があるときは、板跨ぎ(板の上に置いた患側下肢で支えながら、反対側で様々に跨いで戻る運動)やつま先立ちなどの等尺性の収縮運動課題も行う。その後、歩行速度や荷重の仕方、足を置く位置を少しずつ工夫しながら、痛みの減る、あるいは痛みの消える歩き方を探していくのである。
通常膝の痛みがあると、痛みに対して保護的に脚を硬くして、かたくなに大地との接触を恐れ、避けようとして、接触時間を短くしようとするものだ。
しかし人は元々無限に変化する大地を適応的に歩いてきたのである。それは無限の変化に対して、実に多様な体重支持や重心移動のスキルによって荷重・重心移動・振り出しを行ってきたからである。人の運動システムは無限の変化を起こして、適応してきたのである。だから本来同じように見えても膝を支えながら重心移動するスキルは無限に存在すると考えて良い。だからそれらの中には痛みを軽くするスキルが必ず存在すると信じて探すのである。
つまり俺の場合は大地を避けるのではなく、逆に膝と大地が痛くないように一体化するような試みをするのである。絶え間なく大地との会話を行うようにしたのである・・・こういう表現をすると自然派宗教の教祖みたいでイヤだが、これが俺のリアルに一番近い表現なので仕方ない。
実際比較的軽度のデイケア利用者でも、足・膝・股関節回りの柔軟性を改善した後に、色々試して歩いてみるとかなり痛みが軽くなったり、消えたりする歩き方を発見することができる。そしてそれを繰り返すのである。ポイントは最初に徒手療法で痛みの感じを変えることと、「痛くない歩き方が必ずあります」と囁くことである(^^; さらにこのとき大事なのは、たった一つの良い歩き方を見つけることが目標ではなく、その時、その場で楽になる歩き方を見つけることである。
「前回はこうやったら良かった」と考えることは参考にはなるが、それで必ず良くなる訳ではない。前回と今回では状況が異なるからである。だから良い歩き方を見つけてそれを覚えるのではなく、その時、その場で楽な歩き方を探索するやり方を発見、身に付けることである。
これは認知症の比較的軽い高齢の利用者さんでもやり方を教えると同じような経験を報告してくれる。もちろん前提としてはある程度運動リソースに余力のある方である。(詳しくはCAMRの講義や動画などで)
またこれは今回の「俺のウォーキング」でも大変役に立った。寒くなったりすると不意に膝痛が出てくることがある。また歳をとると、不意に思わぬところが痛んだりもする。そんな場合にも僕はすぐに探索歩行を始めるのである。探索歩行を始めてもう20年になる大ベテランである。だからほとんど無意識に探索歩行を始める。最近は「あれ、痛いな」と思うだけで、どうやっているのか知らないが運動システムが勝手に痛みのない歩き方をすぐに見つけてくれるようになっている。
そしてこの「要素課題によって運動リソースを豊富にし、板跨ぎや探索歩行などの課題スキル学習で運動スキルを多彩にする」というこの二本立てのアプローチの内容が後にCAMRの骨格となったのである。(その3に続く)♯持続可能な社会のために!今、この場でできる事を考えてみよう!
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